南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【私選】2019年沖縄高校野球”隠れた名勝負”ベスト3(興南、沖縄尚学、沖縄水産、本部……)

 

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1.今後の沖縄高校野球における分水嶺!?

 

 怒涛の2019年が、幕を閉じた。以前の記事でも書いたが、昨年は沖縄勢の対外的な戦績は芳しくなかったものの、今後へ向けて新たな希望の光の灯り始めた一年でもあった。

 

 先日、Twitterで相互フォローいただいている沖縄高校野球情報局氏が、はてなブログにて「2019 沖縄高校野球ベストゲーム トップ3」と題した記事をアップされた。

okinawahbbaseball.hatenablog.jp

 非常に良記事なので、多くの方に読んでいただきたい(私も楽しませていただきました)のだが、関連して、私も似たような企画を考え付いた。

 

 題して――「2019年・沖縄高校野球“隠れた名勝負”」。

 

 こちらは試合内容だけでなく、ひょっとして沖縄高校野球における今後の分水嶺になるかもしれないという視点で、私も三試合を選んでみた。

 

 

2.発表! 2019年・沖縄高校野球“隠れた名勝負” 

 

その1:強力打線、沈黙!

 

―― 秋季県大会準々決勝<嘉手納1-0沖縄水産

 

 一昨年(2018年)の県秋季大会の優勝メンバーが数多く残る沖縄水産。夏ではライバル・沖縄尚学との直接対決に敗れたものの、やはりポテンシャルは高く、秋のシード校を賭けた新人大会にて、圧倒的な強さで優勝を飾る。

 

 続く秋季県大会でも、初戦から強力打線が威力を発揮。三回戦では、興南との“古豪対決”において、初回から毎回得点を挙げるなど10-2と粉砕。この時点で、誰もが(この大会で優勝した)打倒・沖尚の一番手と目したことだろう。

 

 ところが、そこに伏兵が立ち塞がった。

 

 迎えた準々決勝。嘉手納の先発・新垣の力投の前に、前の試合まで猛威を振るった打線が沈黙。僅か三安打に抑え込まれ、まさかの完封負けを喫してしまう。

 

 どうも沖水、技巧派投手に弱い印象があった。一昨年秋と昨夏、いずれも沖尚に一得点のみに抑え込まれているが、いずれも相手投手の変化球にうまくかわされていた。

 

 前述のように、沖水のポテンシャルは高い。

 

 ただ試合のステージが上がっていくにつれ、相手バッテリーに警戒され、なかなか甘い球を投げてもらえなくなる。簡単にストライクを取りにいって長打を喰らうより、結果歩かせてもいいからクサい所を突いていこう、という攻め方をされるのだ。

 

 そうなった時、ある程度“ガマン”というものが必要になってくる。このガマンができるかどうかという点こそ、沖水が“一新興チーム”に終わるのか、それとも古豪復活を果たすことができるのか。いずれかの分岐点だと思う。

 

 力をぶつけ合うだけが、野球ではない。相手に力を出させないようにすることも、また野球の一側面である(良し悪しは別として)。

 

 相手が「こっちの力を出させない」ような対策を取ってきた時、沖水はどうするのか。彼らの導き出す“答え”に注目したい。

 

 

その2:「勇気ある戦い」が呼び込んだ“21世紀枠”

 

―― 秋季県大会準々決勝<沖縄尚学5-3本部>

 

 昨年の沖尚は、覚悟を決めた――私にはそう見えた。

 

 つい最近までの彼らは、バッティングにおいては(良くも悪くも)個人の技量に任せているように見受けられた。

 

 そのため、一度火が付けば目の覚めるような快打を連発するが、ちょっと相手投手に合わないとサッパリというケースが多かった。一昨年の秋、沖水に準決勝でノーヒットノーランを喫したのは、沖尚打線の特徴からいって“必然”だと言えた。

 

 しかし……ひと冬越し、“復活”を掲げて夏の県大会に乗り込んだ沖尚は、それまでと別のチームになっていた。それまで見られなかった「逆方向へのバッティング」や、ツーストライク取られた後のねばり、いわば“泥くさい攻撃”を実行できるようになっていたのだ。その裏に、ライバル興南の絶対的エース・宮城大弥の存在があったであろうことは、想像に難くない。

 

 少々前置きが長くなってしまった……

 

 そんな沖尚を、昨年の秋季大会において最も苦しめたチームこそ、いま21世紀枠候補に残っている本部である(決勝の八重山農林は、八回までほぼ一方的な展開だった)。

 

 沖尚や興南に見られる“逆後方へのバッティング”は、少々乱暴に言えば「アウトコースを打つため」の方法である。

 

 甲子園レベルのピッチャーは、基本的にアウトコースへの真っすぐ、さらに変化球をベースとして攻めてくる。したがって、“逆方向へのバッティング”を身につけ、アウトコースを攻略することができなければ、甲子園大会での勝利はおぼつかない。

 

 だが……これにも“弱点”がある。すなわち「インコース」を攻められた場合だ。

 

 沖尚打線に対して、本部バッテリーは効果的にインコースを攻め、本来のバッティングをさせなかった。それが功を奏し、四回まで無失点に抑えた。

 

 インコース攻めの重要性については、昨年引退した名捕手・阿部慎之助ら多くのプロ選手が指摘している。が……これを実行するのは、そう簡単なことではない。

 

 まずコントロールが良くないといけない。少しでもずれれば死球、もしくはホームランコースになってしまうからだ。そして、なによりも勇気が必要である。強打者相手にも、逃げずに向かっていく姿勢。

 

 中盤以降は、地力の差が出て突き放されてしまった。それでも、強力打線に敢然と立ち向かった本部バッテリーの勇気は、讃えられるべきだと思う。彼らの勇気こそが、この好勝負を生んだ。

 

  この勇気ある戦いが評価されてのことだろう。県高野連は、九州大会出場の八重山農林ではなく、本部を21世紀枠候補に推薦した。そして、彼は最終候補の9校の中に残っている。これも彼らの勇気が呼び込んだと言える。今月下旬の吉報を待ちたい。

 

 

その3:スーパーエースの去った名門に、新星現る!

 

―― 1年生大会決勝<興南3-0沖尚>

 

 山城京平――この男の名を、県内の高校野球ファンは覚えておいてもらいたい。

 

 公式戦デビューは、秋季県大会の沖水戦。大勢が決まった後に登板し、一人だけレベルの違う投球を披露。

 

 そして直後の1年生大会にて、ついに本領発揮。ライバル沖尚との決勝では、5安打完封の快投。スーパーエース・宮城大弥の去った興南に現れた新星として、その存在を強く印象付けることとなった。

 

 速球は、すでにMAX143キロ。これだけでも魅力的なのだが、それ以上に山城を評価したい点は、彼の勝負強さにある。沖尚戦では、ピンチを背負ってもインコースを突く強気の投球。要所で三振を奪い、相手に傾きそうな流れを断ち切った。

 

 個人的には、かつて浦添商業にて夏の甲子園4強入りを果たした伊波翔悟とイメージがだぶる。気迫を前面に押し出した投球。どちらかといえば優等生タイプが多かった興南には、今まであまり見られなかったピッチャーである。

 

 ところで……この試合では敗れてしまったが、沖尚の粘り強さにも触れておきたい。

 

 結果は5安打完封なのだが、狙い球を絞って打ち返したり、ファールで粘ったりと、彼らも決して手をこまねいたわけではなかった。途中で一本出ていれば、試合は分からなかった(それをさせなかった山城が凄いとも言える)。

 

 興南と沖尚の双方に言えることだが、1年生の時点でハイレベルな力と力のぶつかり合い、神経を使う駆け引きを経験できたことは、今後に向けて大きい。この二チームが、ほどなく沖縄高校野球を引っぱっていくのだろうと予感させられる試合でもあった。

 

3.面白いトピック満載だった2019年

 

 振り返ってみると、2019年は面白いトピックが満載だった。

 

 スーパーエース・宮城大弥の“最後の夏”。復活の予感漂う沖水。その沖水を撃破し、一気に決勝へと上り詰めた沖尚の逆襲。そして迎えた、沖尚と興南の延長十三回の死闘。その沖尚と習志野の印象深い激闘。さらに本部、八重山農林、具志川の健闘。……

 

 夏の甲子園の勝利こそ叶わなかったものの、明るい材料がたくさん見られた。この一年が、沖縄高校野球復活の狼煙となることを期待しつつ、本稿を閉じることとする。

【野球小説】続・プレイボール<第22話「松下のしゅう念!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第22話 松下のしゅう念!の巻
    • 1.城東対策
    • 2.井口の立ち上がり
    • 3.アクシデント発生
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 

 

 

第22話 松下のしゅう念!の巻

www.youtube.com

  

 

1.城東対策

 

 谷口とイガラシは、一旦部室に戻りユニフォームに着替えてから、グラウンドへ向かう。

 ちょうどナイン達は休憩中で、水飲み場に集まっていた。また松川らバッテリー陣は、ブルペンで練習を続けている。そこにOBの田所も付いているようだ。倉橋だけは、全体の指揮を執るため、皆と一緒にいた。

「な、なにいっ。聖稜が負けただと!」

 倉橋は、声を上ずらせた。周囲のナイン達もどよめく。

「しかも九回に逆転されて、サヨナラ負けだぁ? なにやってんだよ聖稜は」

 まさに開いた口が塞がらない様子だ。

「そ、そんな……城東が、シード常連の聖陵をやっつけるなんて」

 倉橋以上に驚嘆の声を発したのは、島田だった。丸井と目を見合わせ、もう一度「まさか」とつぶやく。彼は城東を偵察しただけでなく、昨年には聖稜と対戦し、その強さを体感している。なおのこと、信じられない思いだろう。

「ああ……なんだか俺っち、落ち込んできた」

 傍らで、丸井が溜息をつく。こちらは驚くよりもショックを受けたらしい。

「そりゃ松下さんには、がんばって欲しいと思ってたよ。けど客観的に見て、申し訳ないが聖稜には勝てないと、分析したつもりだったのに。見る目が曇っちまったのか」

「丸井さん、それがですね……」

 イガラシが気の毒に思ったのか、詳細を伝える。聖稜の各打者が、全員バスターの構えで相手投手を揺さぶったこと。さらに九回から、青葉学院出身の大橋が登板したこと。

「えっ……な、なんだと」

 丸井は、口をあんぐり開ける。

「あの大橋が、こんなトコに潜り込んでやがったのか」

さらに島田や加藤ら、墨谷二中出身メンバーも一様に、驚いた顔をした。

「なぁ島田。一回戦で、やつの姿を見かけたか?」

「いや。もしいたら、気づいてるはずさ」

 苦笑い混じりに、島田が言った。

「やられたな。松下さん、手の内を隠してたんだ」

「うむ。その時は、あえてベンチメンバーから外したんだろう」

 しっかし……と、加藤が首を捻る。

「意外だよな。あの人が、こんなに策を使ってくるとは」

 そしてこちらに顔を向けた。

「キャプテンも、さすがに予想外だったでしょう?」

「うむ。聖稜との力量差を分かったうえで、それでも勝ってやろうと、あらゆる手を尽くしたのだろう。これしかないと、よほどハラをくくってたんだな」

「……あの、ところで」

 おずおずと挙手したのは、久保だった。

「俺としては……松下さんが八回を二点に抑えたことの方が、ずっと驚きです。昨年うちと戦った時は、一イニングもたなかったと聞いてましたから」

「久保、それはな……」

 イガラシが説明しかけるのを、谷口は「まて」と制した。

「それより練習を再開しよう。もう六時前だし、やがて暗くなる」

 キャプテンの言葉に、ナイン達は「はいっ」と返事した。一瞬イガラシは訝しく思ったようだが、すぐにピンときたのだろう。こちらと目を見合わせ、ふっと笑みを浮かべた。

 そのイガラシに声を掛け、井口を呼んでくるように伝える。彼は「キャプテン」と、こちらに質問を返してきた。

「これからシートバッティングで、松下さんへの対策をするのでしょう?」

「うむ、そのつもりだが」

 にやっとして、イガラシは言った。

「それでしたら……打撃投手は、ぼくがやりますよ」

 えっ、と谷口は目を見開く。

「さっき見たとおり、フツウには投げないぞ」

「分かってます。こういうのは、わりと得意なので」

 ふふっと含み笑いを漏らす後輩に、谷口は「そ、そうか……」と苦笑いした。

 ブルペンへ向かうイガラシを横目に、谷口はホームベース奥に控えていた倉橋へと駆け寄り、練習の趣旨を説明する。

「……なるほど、まず井口にね。分かった」

 倉橋は、すぐに理解してくれた。

「とくにアイツには、必要だろうな。いちばん挑発に乗りそうだからよ」

「たのむ。投球の方は、イガラシがうまくやるだろう」

 やがてナイン達は、打者を除いて各ポジションへ散っていく。

 谷口もサードのポジションにつき、ちらっと空を見上げた。この頃だいぶ日が長くなり、七時過ぎまではボールがよく見える。ナイン達は嫌がるだろうが、練習時間を多く確保できるのはありがたい。

 ほどなくシートバッティングが開始された。

 こちらの指示通り、まず井口が打席に立つ。マウンド上のイガラシに、ほう……と目を丸くする。心なしか嬉しげだ。

「今日はろくに練習してないってのに、すぐ投げて平気なのか?」

「いらん心配すんな。それより本気でいくから、そのつもりで向かってこいよ」

 イガラシはむやみに挑戦的だ。幼馴染の井口だから言っているのだろうが、それでもハラハラしてしまう。

「ふふん、面白いじゃねぇか」

 井口がバットを構えると、イガラシもすぐに投球動作へと移る。

「……おっと」

 ガシャン。井口の背中を掠めるようにして、ボールはバックネットに当たる。

「て、てめぇイガラシ。どこ投げてやがんだ」

 井口が怒鳴った。さらに事情を知らない周囲も、不安げな顔になる。

「おまえのグチにつき合っているヒマはない。さっさとかまえろ」

 さすがにイガラシは慣れたもので、冷たく言い放つ。

「こ……このヤロウ」

 顔を真っ赤にしながらも、井口はバットを構える。

 二球目。イガラシは、速球を顔付近に投じる。井口が「わっ」と上体を仰け反らせた。そしてマウンド上を睨み付ける。

「ぐっ……ま、まさかイガラシ。てめぇわざと」

「さすがケンカ慣れしてるじゃねーか」

 イガラシはそう言って、挑発的に笑う。

「よけられると思ったよ。ま、だからって打てるとはかぎらんが」

「なにぃっ」

「ほれ、どんどん行くぞ」

 いきり立つ幼馴染を相手せず、イガラシは三球目を投じた。

 今度は、一転してチェンジアップ。予想外のボールに、井口のバットは空を切る。そのままバランスを崩し、もんどり打って転ぶ。

「……ちいっ、なんだよ。マトモに投げられるなら、最初からそうしやがれ」

「そういうことは、マトモに打ってから言うんだな」

「な、なんだとっ」

 見かねたらしく、丸井が「た、タンマ」とマウンドへ駆け寄る。

「お……おいイガラシ、なに考えてんだよ。井口の言うとおりだぜ。ありゃどう見ても、ケンカを売っているようにしか」

「そこまでっ!」

 谷口は、わざと大声を発した。丸井と井口が、びくっとしてこちらを見やる。

「びっくりしたぁ」

「な、なんスか急に」

 一つ吐息をつき、マウンドの傍まで寄る。

「すまなかった井口。みんなも、ちょっと集まってくれ」

 ナイン達が近くに来てから、谷口は説明を始めた。

「これが松下の戦法だ。いまイガラシがやったように、危険球すれすれのタマで、バッターの冷静さを失わせる。そして選球眼やバッティングの形までくるわせていく」

「まさに、さっきの井口だな」

 倉橋の一言に、井口はバツの悪そうな顔をした。

「わりぃな井口」

 イガラシはくすっと笑い、幼馴染をなだめる。

「さっきも言ったが、おまえならよけられると思ったんだ」

「ったく……シュミわりーぜ」

 井口が唇を尖らせる。

「イガラシを悪く思わないでくれ」

 谷口は苦笑い混じりに、弁解する。

「もともと俺がやるつもりだったんだが、イガラシが代わってくれてな。彼のコントロールなら間違いはないだろうし」

 なるほどっ、と丸井が手のひらを鳴らす。

「そりゃ良い考えだ。イガラシにやられる方が、ずっとムカつくもんな」

 イガラシが「あっ」と軽くずっこける。

「ま……とにかく、これで城東戦のポイントは分かったと思う」

 全員を見回し、谷口は口調を厳しくして言った。

「向こうは必死だ。なにせ過去二度も、うちに大敗している。だからこそ、どうにかこっちの平常心を失わせようと、あらゆるテで揺さぶってくるぞ」

「つ、つまり……」

 こちらの話を受け、横井が発言する。

「相手の揺さぶりに動じず、冷静に戦うってことか」

「うむ。いつも通りのプレーさえできれば、地力ではこっちが上だ。なにをされても、どっしりと自分達の野球をしよう。いいなっ」

 ナイン達は「おうっ」と返事した。

 

 

 全員が一打席ずつ立ったところで、この日のシートバッティングは打ち切られる。

 時刻は七時を回り、さすがにボールが見えづらくなってきていた。仕上げのベースランニングを済ませ、あとは個人練習という流れになる。

「倉橋、ちょっと」

 捕手用プロテクターを片付ける正捕手に、谷口は声を掛けた。

「む、なんだい?」

「城東戦の投手起用のことだが……」

 周囲に人がいないのを確かめてから、囁くように告げる。

「先発は、井口でいこうと思う」

「おう……え、井口だと?」

 倉橋は顔を上げ、目を見開く。よりによって……と言いたげだ。

「ま、ひとまず理由を聞いてくれ」

 先に前置きして、谷口は根拠を述べた。

「さっき伝えたとおり、城東はみんなバスターの構えから、喰らいつく打ち方をしてきた。こういう相手には、チカラで抑え込める井口が合っている。こんなことしても、ムダだと思わせるためにも」

「……うむ。そりゃ意図は分かるが」

「もちろん倉橋の懸念は、俺だって理解してるさ」

 苦笑いして、谷口は言った。

「あの短気な井口が、城東の挑発に乗らないかってことだろう?」

「そうだ。分かってて、なんでまた」

 訝しげな目で、倉橋が問うてくる。

「城東の試合を見てて感じたんだが……こっちが相手を研究するのと同じように、相手もこっちを研究してくる」

 ホームベースを挟んで座り、二人は話を続けた。

「井口も同じだ。あいつの短気が弱点になるのなら、遅かれ早かれつけ込まれる。それなら、早い段階でそれを克服させた方が、後々のためじゃないかと思うんだ」

「……ううむ、なるほどね」

「もう一つ。城東に勝ったとして、つぎの試合まで中三日しかない。おそらく川北がくるだろうから……ここは松川と俺で継投して、万全を期したい」

 大会日程を頭で追いながら、順に説明していく。

「そしてイガラシには、いずれの試合でも先発投手が崩れた時のために、控えてもらわなきゃならん。こう考えると……城東戦は井口先発の方が、あとあと計算が立つ」

 倉橋は、数回うなずき「分かった」と返事した。

「そこまで考えてるなら、反対する理由はない。俺も協力させてもらうよ」

「ありがとう倉橋」

「なーに。俺だって長いこと、キャッチャーやってるからな。井口がいくら短気だからって、みすみす試合をぶち壊させるようなマネ、させないさ」

 その時、背後に足音が聴こえた。振り向くと田所が立っている。

「ようよう。いろいろ考えてるようだが、あまりいまのうちから気張るなよ」

「田所さん、ありがとうございます。ピッチャー陣を見てくれて」

 谷口は立ち上がり、軽く一礼した。

「よ、よせやい。まえも話したが、こっちは自己満足でやってんだ。俺にできることがあれば、なんでも言ってくれい」

 倉橋が「仕事の方はいいんスか?」と、心配げに尋ねる。

「ああ……それが、アタマ痛いのよ」

 そう言うと、作業の胸ポケットから手帳を取り出す。

「また最近、冷蔵庫だの洗濯機だのの注文が増えてきてんだ。商売繁盛はありがてぇが……」

 そういやぁ、と田所は問うてくる。

「谷口。おまえらの初戦、つぎの日曜日だっけ?」

「ええ、そうですが」

「ちょっとまてよ……ああ、よりによって」

 手帳をめくり、OBは溜息をつく。

「洗濯機の取りつけが四件も入ってやがるぜ。仕事を切り上げる頃には、もう試合も終わっちまってる。なんとかグラウンドには、顔を出せそうだが」

「……それじゃあ、田所さん」

 ふっと笑みを浮けば、谷口は言った。

「ノックを練習していてもらえませんか?」

「おう……む、ノックだと?」

 田所は戸惑った顔で、僅かに首を傾げた。

 

 そして三日後――いよいよ墨高ナインは、夏の初戦を迎えたのである。

 

 

2.井口の立ち上がり

 

 日曜日。荒川球場の第一試合は、墨谷と城東の対戦が組まれていた。

 試合前にも関わらず、すでにスタンドの客席は半数以上が埋まっている。休日というだけでなく、この一戦はそもそも注目度の高いカードだった。

 墨谷は、昨夏の八強にして、今大会のシード校。いっぽうの城東は、ノーシードながら二回戦にて、強豪の一角・聖稜を破る番狂わせを起こしている。この組み合わせに、観客達の期待も否応なく高まるのであった。

 

 

「つぎ、ライト!」

 ノッカーを務める一年生の岡村が、右方向へ打ち放った。右翼手の久保が、無駄のない動きで数メートルほど背走し、捕球と同時に投げ返す。

「ナイスライト! へいっ、サード」

 規則的なバウンドのゴロを、谷口は軽やかに捌いた。送球が一塁手加藤のミットに収まるのを確認して、他のメンバーを見回す。

 みんな動きはいいな。初戦ということでカタくならないか心配だったが、さすがに上級生は経験のたまものだ。おかげで下級生も、のびのびプレーできてる。

「よし、ラスト……キャッチャー!」

 バックネットとホームベースのほぼ中央に、岡村はフライを打ち上げる。倉橋がすばやくダッシュし、おでこの前で捕球した。

 これにて試合前のシートノックが済み、墨高ナインは三塁側ベンチへと引き上げる

「よう岡村、ノックうまいじゃねーか」

 帰り際、丸井がそう声を掛ける。一年生は顔をほころばせた。

「ええ。中学時分はキャプテンをしてたもんで、慣れてるんです」

「なんで投手のタマは、からっきしかね」

 横から加藤に突っ込まれ、岡村は「あっ」とずっこける。

 こちらと入れ替わり、城東ナインがほどなくシートノックを始めた。墨高と同じく、控え選手がノッカーを務める。

「へいっ、サード!」

 掛け声と同時に、ノッカーは速いゴロを打った。城東の三塁手は、ショート側へ飛び付き、辛うじて捕球する。

「おいおい。いきなり、とばすなぁ」

 吐息混じりに、横井が言った。

 城東のノッカーは、以後も速い打球を放つ。さらに外野へは、頭上を越えそうな大飛球を弾き返した。それでも野手陣は、果敢に喰らいついていく。

「……なるほど。こういう打球がくると、想定してるわけか」

 倉橋のつぶやきに、ナイン達は「ああっ」と声を発した。

 シートノックのさなか、取り損ねたボールがこちらに転がってくる。谷口は、咄嗟にベンチを出て、拾い上げた。すぐに相手の一塁手へ投げ返す。

「ありがとう」

 ふいに声を掛けられ、はっとした。振り向くと松下が立っている。

「しばらくだな谷口」

 旧友は、そう言って握手を求めてきた。

「や、やあ。しばらく」

 戸惑いながらも、相手の右手を握り返す。

「招待野球の試合、見せてもらったぞ」

 松下はそう告げて、口元に笑みを浮かべる。

「さすが谷口だと思ったよ。あの西将相手に、すごい試合だった」

「松下こそ、あの聖稜を九回にうっちゃったりして。あれは驚かされたよ」

 心なしか、松下はすっきりした表情だ。やるべきことは、すべてやりきったという充実感なのか。どんな展開になっても戦い抜くという覚悟なのか。開き直りか。あるいは、そのいずれもなのか。

「……それじゃ谷口、いい試合しよう」

「む。おたがい、ベストを尽くそう」

 短く言葉を交わし、二人は互いに踵を返す。

 ベンチに戻り、谷口は「集合っ」と一声発した。すぐにナイン達は、三メートル半径内に集まる。ずらりと円陣を組み、キャプテンの言葉を待つ。

「いよいよ初戦だ。昨年と大きくちがうのが、われわれはシード校だということ。つまり相手から警戒され、いろいろ対策を取られる立場だ。こういう中で勝ち上がっていくのは、はっきり言って容易じゃないぞ」

 厳しい言葉に、束の間ナイン達の顔がこわばる。

「……しかし、臆することはない」

 声を明るくして、谷口は話を続けた。

「どんな状況であっても、その場その時のベストなプレーが求められるということに、変わりない。相手の揺さぶりに、動じてしまうこともあるだろう。そういう時こそ、シンプルに考えるんだ。いまやるべきことは、なんなのかを」

 しばし間を置き、気合の声を発す。

「よし……みんな、いくぞっ」

 キャプテンの掛け声に、ナイン達は「おうっ」と力強く応えた。

 やがて城東の野手陣が、シートノックを終えて一塁側ベンチへ引き上げていく。それと同時に、墨高ナインはベンチ前に整列する。相手も用具を片付け、こちらに習う。

 ほどなくバックネット下の扉が開き、四人の審判団が姿を現す。

「両チーム集合!」

 アンパイアの掛け声。両校ナインは一斉に駆け出し、ホームベースを挟んで並ぶ。

「これより城東先攻で、試合を開始する。礼っ」

「お願いします!」

 挨拶の後、さっと墨高ナインは各ポジションへ散った。

 マウンド上。井口はスパイクで足元を均し、ロージンバックを拾う。すぐに倉橋もホームベース奥に座り、投球練習が始められる。

 谷口は、内野陣のボール回しに加わりながら、井口のボールを観察した。彼の持ち味である快速球、そしてシュート。さらにカーブも、この日はキレがある。

 倉橋の二塁送球が済むと、谷口はマウンドに駆け寄った。

「調子よさそうだな」

 声を掛けると、井口は「へへっ」と笑う。

「今日はなに投げても、打たれる気がしません」

「ふふっ。たのもしいな」

 口元を引き締め、谷口は言った。

「まえに伝えたとおり、城東はいろいろ揺さぶってくる。根負けするんじゃないぞ」

「なーに、そういうのは慣れてるもんで。ムダだと思い知らせてやりますよ」

「む。いいぞ、その意気だ!」

 ほどなく城東の先頭打者が、右打席に入った。やはり内側のラインぎりぎりに立ち、バットを寝かせる。聖稜の木戸に使ったのと同じ戦法だ。

 井口が不敵に笑う。

「フフ。聖稜には効いたのかもしれんが、この俺にも通じると思うなよ」

 やがて、アンパイアが「プレイボール!」とコールした。

 初球。相手が封じようとするインコースを、井口は構わず突いた。打者の胸元に、快速球が飛び込む。

「ストライク!」

 閃光のようなボールの迫力に、城東応援席の一塁側スタンドは静まり返る。

 一番打者は、怯まず同じ構えをした。

 くそっ、と一番打者は顔を歪める。それでも果敢に同じ構えをした。井口が振りかぶり、二球目を投じる。

 ズバン。今度はスピードのあるカーブが、やはり胸元を抉った。打者はヒッティングを試みるも、バットが間に合わない。これでツーストライク。

「だから、ムダだと言ってるだろ」

 井口はテンポよく、三球目の投球動作へと移る。次はアウトコース。一番打者は、またもバスターの構えから、はらうようにバットを差し出す。ところがボールは、ホームベース手前で鋭く外側へ曲がった。

「ストライク、バッターアウト!」

 打者は空を仰ぎ、呻くようにつぶやく。

「……くっ。なんだよ、いまのシュートは」

 事前の想定もあってか、聖稜を苦しめた城東の策にも、井口はまるで動じない。続く二番をサードフライに打ち取ると、さらに三番打者もあっという間に追い込み……

「ストライク、バッターアウト!」

 高めの吊り球に、バットが回る。

「へん。当てることしか考えてねーから、ボール球に手が出ちまうんだ」

 余裕綽々と言い放ち、井口はマウンドを降りる。

「いいぞ井口!」

「三番にかすらせもしないとは、おそれいったぜ」

 快投の一年生を称えつつ、墨高ナインは足取り軽くベンチへ引き上げていく。

 

3.アクシデント発生

 

 指先に汗が滲む。かなり緊張していると、自分でも分かった。

「くそっ、やられたか」

 マウンド上。松下は、ひそかに溜息をつく。

 谷口め、こっちの弱点を突いてきやがった。コントロールの良い谷口や松川なら、どうにか食い下がれると思ったんだが。まさか、いきなり井口を使ってくるとは。うちの場合、たしかにアラ削りでも、速球をどんどん投げ込まれる方がキツイ。

 松下の計算違いは、他にもあった。

 おまけに……井口は思ったより、コントロールも悪くないぞ。ふつうベース寄りに立たれると、意識して制球が甘くなってしまうものだが、かまわずインコースだった。あいつに小細工は通じないのか。

「バッターラップ!」

 アンパイアの声に促され、丸井が右打席に入ってくる。こちらと目が合うと、ヘルメットを取りぺこっと会釈した。松下は「やあ」と、右手をかざし合図する。

 ははっ、そうか丸井まで加わったんだな。イガラシや久保もいることだし、まるで同窓会だぜ。なんて……ノーテンキに、考えてる場合じゃないな。

 プレイが掛かると同時に、松下は投球動作へと移る。

 初球。打者の足元へ、意図的にワンバウンドを放る。丸井は飛び上がってよけた。続く二球目は、速球を顔付近に投じた。今度は「ひゃっ」と仰け反る。

 危険球すれすれのコースに、双方のスタンドがざわめく。

「オイオイ危ないじゃねーか」

「わざとやってんだろ。きたねぇぞ」

 そんな野次も聴こえてきた。なんとでもほざけ、と胸の内につぶやく。

 いまや墨谷は、都内でも五指に入るチームだろう。まともに戦えば、きっと木っ端みじんにされる。少しでも食い下がろうと思ったら、手段を選んでいる場合じゃない。松下はそう腹を括っていた。

 三球目。一転してアウトコースへ、松下はカーブを投じた。丸井がバットを差し出す。目論み通り引っ掛けさせたと、束の間思う。

 パシッ。鋭いライナーが、右中間を切り裂く。

「な、なにぃっ」

 丸井は一塁ベースを蹴ると、さらに加速した。あっという間に二塁ベースも回る。

「中継ストップ!」

 ベースカバーに走りながら、松下は叫んだ。

 ボールは中継の二塁手に渡ったのみ。その間、丸井はスライディングしただけで、悠々と三塁を陥れていた。スリーベースヒット。

「ど、どんまいよ松下」

 キャッチャーの内山が声を掛けてくる。

「いまのはバッターがうまかったんだ。切りかえよう」

「あ、ああ……」

 微笑んで返事したものの、マウンドに戻ると舌打ちしてしまう。

 しまった……カンタンにストライクを取りにいきすぎた。迷いなく振ってきたところを見ると、ボールを散らされても、しっかり選球する練習を積んできてるようだ。たしかに谷口なら、そこまで考えるだろう。悔しいが、抜かりなしってことか。

 次打者は二番の島田だ。彼もまた、松下の墨二時代の後輩である。

「外野、バックだっ」

 背後を振り向き、松下は外野陣に指示する。

 ここでスクイズはない。コントロールがまとまっていない投手に、それは危険だ。しかも井口を先発させたことからして、向こうはチカラで押し切るつもりだ。となれば、ここは連打で畳みかけようとするはず。

 島田は左打席に入った。スイッチヒッターの彼は、状況によって左右を使い分ける。

 ふむ……ここで左を選んだのは、きっと中に入ってくるカーブをねらうためだろう。なら、あえてそのカーブを打たせる。犠牲フライの一点は、しかたない。

 初球のカーブを、やはり島田は打ち返した。

「せ、センター!」

 大飛球がセンター頭上を襲う。まずい、と松下は思った。もっと打ち上げさせるはずが、コンパクトに振り切った打球は、ぐんぐん伸びていく。とうとう中堅手は、背中をフェンスに付けた。

「……くっ」

 それでも左手をフェンスに掛け、よじ登りグラブを目いっぱい伸ばす。その先端に、辛うじてボールが収まる。

「あ、アウト!」

 二塁塁審が、大きく右手を突き上げた。

 好守備に一塁側スタンドが沸く。墨高の三塁側スタンドからは「ああ……」という溜息が漏れた。しかし三塁ランナーの丸井は、タッチアップから楽々と生還する。

「ワンアウト! ここから守っていこう」

 野手陣に声を掛けた後、こっそり安堵の吐息をつく。

 あぶねぇ。打たせて取ろうなんて……もし両翼だったら、叩き込まれてたな。島田のやつ、ウデを上げやがって。

 

 

「……ああっ、捕られちまったか」

 ネクストバッターズサークルにて、倉橋が苦笑いした。

「カーブを誘って、ねらい打ったのは良かったが。さすがに守備は鍛えられてるぜ」

「む。その直前に、松下がバックを下げさせたのも、好判断だったな」

 谷口の指摘に、倉橋は「オイオイ」と突っ込む。

「いくら同窓だからって、敵を称えてどうすんだよ」

「ま、いいじゃないか。一点取れたんだし」

 笑って返答した後、すぐに表情を引き締める。

「しかしあのワンプレーで、流れを渡すわけにはいかないな。ここで畳みかけないと。そのためにも……たのむぞ、倉橋」

「おうよ。まかせとけって」

 倉橋は快活に返答し、打席へと向かう。

 残された谷口は、そのまま白線内に入る。マスコットバットを拾い、素振りを二度三度と繰り返した。

 順調だな……と、胸の内につぶやく。

 予定どおり、初回で城東のねらいをくじけた。井口は相手の揺さぶりに惑わされなかったし、攻撃でもしっかり好球必打ができている。このまま行けば、早いうちに勝負を決められそうだぞ。

 

 試合はここまで、ほぼ谷口の思惑通りだった。

 城東打線の特徴を踏まえた投手起用。相手バッテリーの揺さぶりに、惑わされないバッティング。谷口ばかりでなく他のナイン達も、しっかり自分達のプレーができていることに、大いなる手応えを感じ始めていた。

 しかし……好事魔多し、とはよく言ったものだ。

 この後、すべて計算づくで試合を進める墨高に、まさかのアクシデントが降りかかるのである。

 

 

 パシッ。倉橋の引っ張った打球が、レフトスタンドのポール際へ飛ぶ。

「れ、レフトっ」

 松下の掛け声よりも先に、左翼手は背走を始めていた。しかしフェンスの数メートル手前で立ち止まり、ボールを見送る。

「……ふぁ、ファール!」

 三塁塁審が、両腕を大きく開いた。松下は「ほうっ」と大きく吐息をつく。カウントは、ワンエンドワンとなる。

 ちっ。インコースぎりぎりと突くはずが、少し中に入っちまった。これを見逃さずにねらい打つとは、さすが倉橋だぜ。

 三球目。丸井の時と同様、足払いのようにワンバウンドを投じる。

 倉橋は、小さくジャンプしてよけた。そしてふと、こちらに視線を投げかける。口元に笑みが浮かぶ。

 く、くそうっ。こんなことしても、ムダだって言いたいのか……

 続く四球目は、ドロップをアウトコースへ投じる。聖稜戦では、これを要所で使い内野ゴロの山を築いた。ところが、倉橋は乗ってこない。

 スリーボールだし歩かせるか……いや、後続に谷口とイガラシが控えている。なんとか倉橋を打ち取らないと。

 そして五球目。松下は、二球目と同じくインコース高めに投じる。より厳しいコースを突こうという意識だった。ところが……指からボールを離した瞬間、さっきより内側にずれてしまったことに気付く。

 あ……やばいっ。

 倉橋は上半身をよじった。その右手を、速球が直撃する。相手は「うっ」と呻き声を漏らし、バットを足元に落とす。

「デッドボール!」

 アンパイアが一塁を指さした。松下は咄嗟に、マウンドを駆け降りる。

「す、スマン。だいじょうぶかよ?」

「こっこれぐらい、なんでもねーよ」

 正面に向き直り、倉橋は苦笑いした。

「だが気ぃつけてくれよな。必死なのは分かるが……それでケガしちまったら、お互いに後味が悪いからよ」

「あ、ああ……すまなかった」

 氷袋を手に駆け寄る控え部員を制し、倉橋は一塁へと駆け出す。

「おい内山っ」

 試合が再開されると、松下はキャッチャーを立たせる。ランナーを置いて四番谷口との勝負は、危険すぎると判断した。

 敬遠四球。谷口が一塁へ向かい、内山は座ろうとする。そこで「まだだぞ」と、さらに指示した。

「まだって……松下、五番もかよ」

 内山は驚嘆の声を発した。その傍らで、後続のイガラシがほとんど無表情のまま、こちらに視線を向ける。

「そうだ内山。つぎのイガラシも、歩かせるぞ」

 キャッチャーは戸惑いながらも、立ってミットを構える。

 つぎのイガラシは、ある意味で谷口以上に厄介だ。なんでもできる。長打だけでなくエンドランやバスターなど、小ワザも警戒しなきゃいけない。守備をかき回されたら、完全に試合が終わってしまう。それだけは避けるんだ。

 四つ目のボール球を見送り、イガラシもバットを置いて駆け出す。

 ワンアウト満塁……これでいいんだ。なん点か取られるにしても、せめて相手の得意パターンさえ出させなければ、まだ流れを取り返せる。

 迎えるは、六番打者の横井だ。

 こいつにも気を抜けないぞ。クリーンアップ三人のように一発はないが、自分の役割をよく理解している。甘く入ったら、きっとやられてしまう。

 横井への初球。松下は、またもドロップをアウトコースへ投じた。

 快音が響く。横井は読んでいたのか、踏み込んでおっつけるように弾き返した。鋭いライナーが一塁線を襲う。

「ふぁ、ファースト!」

 一塁手がジャンプした。そしてミットの先に、幸運にもボールが引っ掛かる。

「……あっ」

 二塁へ走りかけたイガラシが、手から帰ろうした。しかしこれは間に合わず。一塁手がそのままベースを踏む。

「アウト! スリーアウト、チェンジっ」

 攻守交代を告げるアンパイアのコールに、横井は頭を抱える。それでもすぐに切りかえると、苦虫を嚙み潰したような顔のイガラシに「ドンマイよ」と声を掛ける。

 マウンド上。松下は、思わず膝に両手をつく。

 やれやれ……どうにか、一点で切り抜けられたぜ。もう一試合投げ終えたような気分だな。しかし、これが毎回続くんだ。大橋がリリーフできるところまで、なんとか俺が踏んばらないと。

「ナイスピッチャー、よくしのいだぞ」

「たった一点だ。今日も粘って、なんとしても取り返すぞ」

「おう。バックもよく守ってくれたな」

 チームメイト達と声を掛け合い、松下はベンチへと引き上げた。

 ほどなく、墨高ナインが二回表の守備につく。野手陣のボール回しを横目に、井口が投球練習を始めた。最初の数球は控え捕手の根岸だったが、途中で準備を終えた倉橋と代わる。

 やがて井口が、ラストの練習球を放る。倉橋はこれを捕球し、いつものように滑らかな動作で、二塁へ送球した。

 そのボールが、あさっての方向へ飛ぶ。

「……く、倉橋!」

 サードのポジションから、谷口が悲鳴のような声を上げた。

 

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【野球小説】続・プレイボール<第21話「初戦の相手は!?の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第21話 初戦の相手は!?の巻
    • <登場人物紹介>
    •  1.松下との再会
    • 2.谷口の提案
    • 3.まさかの結末
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

   

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

  

第21話 初戦の相手は!?の巻

www.youtube.com

  

 

<登場人物紹介>

 

松下:城東高校野球部の主戦投手。右投げ右打ち。墨谷二中の出身であり、かつて谷口や丸井、イガラシ達と同じ釜の飯を食った仲である。

 誰よりも「わずかな可能性をなんとしてもモノにする」という谷口の恐ろしさを理解している人物。過去二度の墨高との対戦では、いずれもノックアウトされチームも大敗。苦い経験を味わった。

 

大橋:青葉学院出身。長身、右投げの本格派投手。かつて墨谷二中と地区決勝を戦った試合では、佐野のリリーフとして登板。彼に匹敵するほどの快速球と変化球を投げ込み、青葉の「次期エース候補」と言われていた。

(以下、小説オリジナル設定)

 卒業後は、城東高校へ進学。奇しくも雌雄を決した墨二の卒業生・松下とチームメイトになり、ともに近年苦戦が続く城東野球部の復活を期す。

 

 1.松下との再会

 

 六月の最終週。ついに夏の甲子園出場を賭けた東京都予選が、幕を開けた。都内各地の野球場では、連日のように熱戦が繰り広げられている。

 開幕後の数日を、墨高ナインは妙な気分で過ごしていた。

 例年であれば、もう初戦を終えている頃だ。しかし今年はシード校のため、墨高は三回戦からの登場である。試合の日まで、だいぶ間隔があった。

 それゆえ、さほどナイン達の日常は変わらず。キャプテン谷口以下、通常どおりの厳しい練習に取り組んでいる。

 ただ一点、違うこともあった。

 昨年と同様、こちらと対戦する可能性のあるチームの偵察に、ナイン達は手分けして繰り出す。しかも今回は、練習だけでなく試合も見た上で、分析することができた。こればかりは、初戦まで日があることの利点である。

 

 

 日曜日の正午。イガラシと横井は、都内のとある野球場を訪れていた。

 すでに目当ての試合は終わり、二人は球場を出てバス停へと向かう。これから学校に戻り、午後の練習に備える予定だ。

「ヒー、あちぃぜ」

 汗だくの横井が、大仰なほど顔を歪める。

「これからもっと暑くなりますよ。お昼ですし、梅雨も明けちゃいましたし」

「お……おめぇ、よくそんな涼しい顔してられるな」

 先輩は声を上げる。なんだ元気じゃないか、とイガラシは苦笑いした。

「まさかイガラシって、暑さとか感じないタチなのか?」

「そんなワケないでしょう。騒ぐと余計に疲れるので、おとなしくしているだけですよ」

 短く吐息をつき、空を仰ぐ。日差しは容赦なく降り注いでいた。直射日光はまだ我慢できるとして、ビル街のコンクリートの照り返しには、さすがに参る。

 バス停前には、屋根付きのベンチがあった。

「……ふぅ。やっと影に入れるぜ」

 横井は安堵の顔をした。

 幸い、先客もいない。案内板の時刻表を見ると、次のバスが来るまで、あと十分近くあるようだ。二人はベンチに並んで座り、しばらく待つことにする。

 イガラシは、胸ポケットの手帳を取り出し、メモしたことを読み返した。

「どうだい?」

 ベンチにもたれかかった格好で、先輩が「ふふっ」と笑う。

「聖稜、強かったろ」

 二人は、最も初戦で当たる可能性の高い、聖稜の一回戦を偵察していた。

 格下の相手ということもあり、試合は序盤から、聖稜の打線が爆発。守っては、二投手のリレーで五回を零封。十五対〇とコールド勝ちを飾っていた。

「え、そうですか?」

 こちらの返答に、横井は「あら」とずっこける。

「あ。いや、もちろん侮れない相手ですけど」

「そんなの大してちがわねーよ。ま、いいさ。おまえの見解を聞かせてくれ」

「は、はぁ……」

 イガラシは手帳を見ながら、ポイントを説明した。

「まず打線です。ハデに打ち込んでましたけど、ありゃ相手投手のコントールが悪かったせいですよ。真っすぐも変化球も高かったので、好き放題に打てたでしょうね」

「甘いタマをかく実に仕留めたってことじゃないのか?」

「良く言えばね。けど、打ち方を見たら……ほとんど引っぱりでしょう。コースに逆らわず打ち返せてたのは、一番と三番だけでした。あれじゃ内角を見せダマにして、外に変化球を投げておけば、カンタンに凡打してくれますよ」

 ほう、と横井が吐息をつく。

「じゃあ……見かけほど、打線は怖くないってことか」

「そう思います。ただ、やはりパワーはあるので、速球……とくに重いタマには強そうです。うちの投手陣でいうと、松川さんには相性がいいかも」

「ああ。たしかに昨年の試合で、やつらは松川を苦にしなかったもんな。谷口に代わった途端、ぱたりと打てなくなったが」

 イガラシは「えっ?」と目を見上げる。

「そうだったんですか」

「なぁんだ。てっきり知ってて、言ってるのかと思ったよ」

 昨年の対戦について、詳細は初めて聞いた。逆転勝ちしたという結果だけは、ちらっと耳にしていたが。

「ま、あんときゃ松川も本調子じゃなくてよ。さっきのピッチャーみたいに、浮いたタマをねらい打たれてたんだ。しかし……こっちが驚いちゃうわ、ズバリ的中じゃないか」

「なるほど。そういう前例があるんでしたら、もう間違いないですね」

 そう言って、イガラシは手帳のページをめくる。

 

「ま……強いていえば、警戒すべきはピッチャーですかね」

「おっ、そう思うか」

 イガラシの発言を、横井は首肯する。なぜかうれしそうだ。

「とくにカーブですね。左ピッチャーなので、右打者にとっては喰い込んでくるボール。あれは打ちにくそうでした」

「あいつ木戸っていうんだけどよ。昨年の俺達との試合では、リリーフで出てきたはいいが、ビビッて腕が縮こまってやんの。しまいにゃマウンドで泣き出しちゃって」

「……そ、そうでしたか」

 どう返答していいか分からず、口ごもる。

「だから今日の姿を見て、あいつも成長したんだなーって」

「ちょっと横井さん。敵のピッチャーを応援して、どうするんですか」

 ほんと気のいい先輩だぜ、と吹き出してしまう。

「それと、横井さんには悪いですけど……まだ短所を克服できてないようでしたよ」

 イガラシがそう告げると、先輩は「はっ」と驚いた声を発した。

「ほとんどヒット打たれてないんだぞ。弱点、見えてたか?」

「ええ、しっかりとね」

 手帳を見せながら、話を続ける。

「たしか四回辺りから、相手バッターがベース寄りに立ち始めたんですよ」

「えっ……ああ、言われてみれば」

「きっとインコースを投げにくくさせるためだと思うんですけど。そしたら木戸ってピッチャー、真ん中にボールが集まり出したんです」

 そこまで言って、手帳を胸ポケットにしまう。

「ちょっと強いチームなら、ねらい打ちされてますよ」

「た、たしかに……」

 イガラシは、束の間うつむき加減になる。

 しかし思ったより、聖稜はアラが目立つな。これじゃシード漏れするはずだぜ。同じ山に対抗馬は見当たらないが、なにかのキッカケで足をすくわれることも、十分ありうるぞ。

 

 

 ほどなくバスが到着した。乗ってみると、あいにく座席は僅かしか残っていない。仕方なく、二人は離れて座ることにした。

「んじゃ、後でなイガラシ」

「ええ」

 イガラシは、前方にある運転席近くに座る。二人席の窓側には、大学生風の若い男が居眠りしていた。乗客が多い分、車内は蒸し暑い。

 その時だった。ふいに「イガラシじゃないか」と声を掛けられる。

「……え、あっ」

 目を見上げ、ぎくっとした。傍らに、こちらも制帽と白いワイシャツ姿の少年が立っている。長身の端正な顔立ち。

「ま、松下さん……」

「やっぱりイガラシか。しばらくだな」

 やがてバスが発車する。松下は、吊革につかまった。僅かに息を切らしているところを見ると、彼も今しがた乗り込んできたばかりらしい。

「会うのは中学以来かな。けっこう背が伸びて、ちと雰囲気も変わってるから、すぐには気づかなかったよ」

「そりゃ三年ぶりですから……あ、どうぞ」

 席を譲ろうとするのを、松下は「いいから」と制した。

「ヘンに気を遣うなよ、おまえらしくもない」

 まいったな、と小さく溜息をつく。じつは適当に言いつくろって、その場を離れるつもりだったのだ。松下を嫌っているわけではないが、今はタイミングが悪すぎる。聖稜と同じく、彼の城東とは初戦でぶつかる可能性があるからだ。

「れ……たしか城東は、今日が初戦だったんじゃ?」

 仕方なく、無難な雑談をしてやり過ごすことにした。

「ああ。早い時間だったから、終わってすぐ移動してきた。知ってのとおり、聖稜とは次戦で当たるからな」

「てことは、勝ったんスね」

「どうにかな。ふふっ」

 松下がふと、含み笑いを漏らす。

「ま、くわしくは……後で丸井と島田に聞いたらいいさ」

 どきっとする。たしかにその二人が、城東の試合をチェックする役目だった。松下は、ちゃっかり偵察に気付いていたらしい。

「イガラシ達は、聖稜の偵察だろ? 俺と同じく」

「え、ええ……まぁ」

「聖稜のこと、どう思った?」

 メンドウだな、と胸の内につぶやく。いま迂闊にしゃべれる話ではない。

「どうでしょう。まだ高校野球というものが、あまり分かっていないので」

 はぐらかすと、松下は「またまたぁ」と笑う。

「甲子園優勝校相手に堂々とプレーしてたやつが、よく言うぜ」

 えっ、とまたも驚かされる。

「招待野球、見にきてたんですか?」

「もちろんさ。かつての仲間が、何人も出てたんだもの。それに……おまえ達があの西将相手にどう戦うか、興味があったんだ。きっと自分達のヒントにもなると思ってな」

 イガラシは、ますます警戒した。

 ずいぶん、せいりょく的だな。かなり情報収集に力を入れている様子だ。戦力的には、はっきりと聖稜より落ちるだろうが……

「松下さんこそ、どうなんです」

 あえて直接的に尋ねてみる。

「聖稜に勝てると思いますか?」

 松下はふと真顔になり、しばし口をつぐむ。

「……あのな、イガラシ」

 それでも、やがて表情を緩め、おもむろに話し始める。

「帰ったら、谷口に伝えてくれ。相手をよく調べて、最後まであきらめずに戦えば、勝負は分からない。俺はそれを、あいつから学んだ。同じことが自分にもできるのかどうか、やってみるよって」

 ほどなくして、降車ブザーが鳴った。続けて案内アナウンスが流れる。

―― つぎは、城東高校前。城東高校前。

「おっと、着いたようだな」

 バスが停車すると、松下は「それじゃ」と手を振り、踵を返す。

 やれやれ……と、イガラシは制帽の頭を掻く。どうやら松下は本気らしい。決然とした口調が、それを物語っていた。

 さらにもう一つ、イガラシが松下を警戒する理由があった。

 あの人は、谷口さんのやり方を知っている。かつて谷口さんが、どうやって青葉に対抗したか、その過程を見てきたんだ。たとえ力の差があっても、相手をよく研究したうえで鍛錬を積めば、十分戦える。同じことを実行するつもりなら、あるいは……

 

 

2.谷口の提案

 

 イガラシと横井が部室に戻ると、すでにほぼ全員が揃っていた。それぞれ椅子やベンチに腰掛けている。

「おお来たか。二人とも座って、さっそく聖稜のこと話してくれ」

 谷口に促され、二人は並んで座った。そしてイガラシから説明を始める。

「……なるほど。昨年と同様、パワーには要注意ってことだな」

 倉橋はうなずき、さらに「横井はなにかあるか?」と話を向ける。

「あはっ、ほとんどイガラシに言われちまったい。けど……強いて伝えるなら」

 おどけた口調で、横井は付け加える。

「キャッチャーの態度が良くなかったな。際どいコースを『ボール』って言われると、あからさまに不満げな顔して、何度か審判に注意されてたな」

 へぇ、とイガラシは感心した。これは重要な情報だ。飄々としているふうで、横井はなんだかんだ物事をよく見ている。

「まったく、あの学校は」

 戸室が舌打ちして言った。

「昨年も、こっちがホームへすべり込もうって時に、マスクを置きやがったからな。ほんと態度の悪いチームだぜ」

「もっとも今年に関して言えば、ピッチャーを励ます意味合いもあったかも。なにせ、昨年マウンドで泣きべそかいてた、木戸だものな」

 谷口が「うむ」と相槌を打つ。

「イガラシの話では、揺さぶられると制球を乱すクセがあるそうだからな。もちろんカーブには手こずるだろうが、じわじわ攻めていけば、どうにか捉えられそうだ」

「……あの、ところで」

 ここでイガラシは、割って入る。

「帰りのバスで、松下さんに会いましたよ」

 なんだって、と周囲がざわめく。

「そうか……ということは、松下も聖稜を見にきてたんだな」

 谷口は思いのほか、冷静に答える。

「ええ。話した様子だと、ひそかに闘志を燃やしてるって感じでした。キャプテンと同じことができるか、やってみると伝えてくれって」

 倉橋が「お、おい」と目を見上げる。

「それって……少なくとも聖稜には、勝つ気だってことじゃないか」

「ううむ。ですけど、それは……」

 渋い顔をしたのは、島田だった。イガラシは「そういやぁ」と思い至る。

「島田さんと丸井さんは、城東の試合を見てきたんですよね。実際どうでした?」

「……うむ。中学の後輩として、言いづらいんだが」

 島田は丸井を目を見合わせ、話し始める。

「昨年と比べて、松下さんも城東も、そこまで良くなった印象はないな」

 同感だ、と丸井もうなずく。

「俺っちは昨年のことを知らないが、あれじゃ打たれるだろうよ。ま……丁寧にコースを突いて、なんとか零封したが」

「けど……相手が言問(こととい)じゃ、参考にならないでしょう」

 島田がそう言うと、上級生達は「ああ……」と溜息をつく。墨高は昨年、言問と初戦で当たり、あっさりコールド勝ちを収めていた。

「打撃の方は、どうなんです?」

 拍子抜けしながらも、イガラシは質問を続ける。

「それもショージキ、さっぱりだったよ」

 丸井が苦笑い混じりに答える。

「もっとも松下さんの方は、かなり腕を上げたらしく、堂々と四番に座ってたがな。一人で四打点、城東の全得点を叩き出してた。けど裏を返せば……あの人さえ注意しとけば、こわかねぇってことだ」

「……そ、そうでしたか」

 腑に落ちないものを抱えながらも、イガラシは引き下がることにした。

 この後、ナイン達はそれぞれ集めてきた情報を、順に発表していった。やはり話題は、初戦で当たりそうな聖稜と、次に勝ち上がってくるであろう川北に偏る。

 お互いの情報共有を済ませた後、ナイン達は練習の準備に取り掛かる。

「なぁイガラシ」

 着替えた頃合いに、谷口が問うてくる。

「キャプテン……」

「まだ納得いかないのか?」

「ええ……もちろん、うちを城東がおびやかすほどとは、ぼくも思ってませんけど」

 野球帽を被り、相手に向き直る。

「ただ、さっきの松下さんの口ぶりが、どうにも気になるんですよ。あれはよほど、なにかハラを決めている様子だったので」

「……そうか、分かった」

 谷口はふと、微笑んで言った。

「そんなに気になるのなら、たしかめに行こうか」

「はっ、なにをです?」

「城東と聖稜の試合、つぎの木曜日だったろ。一緒に見てこようじゃないか。たしか四時開始だったから、放課後すぐ向かえば間に合う」

 キャプテンの思わぬ提案に、イガラシはしばし言葉を失った。

 

 

 迎えた水曜日、荒川球場。

 谷口とイガラシは、急いで階段を上り、内野スタンドに出る。眼下のグラウンドでは、すでに両軍のナインが、それぞれのベンチ前に控えている。あとは試合開始の合図を待つばかりのようだ。

「向こうに座りましょうか」

 イガラシは、見晴らしの良いバックネット裏の席を指差す。

「うむ。そうしようか」

 すぐに移動して、並んで座る。平日ということもあってか、客入りは少ない。おかげで好きな場所を選ぶことができた。

「あの……なにも一緒に、来てくれなくても」

 イガラシが珍しく、恐縮した様子だ。

「わざわざ練習を抜けてまで」

「なに。倉橋もいるし、今日は田所さんが来てくれる。とくに問題ないさ」

 笑ってから、谷口は「それに……」と表情を引き締める。

「口では『どこが来ても一緒だ』とみんな言っているが、これまでの戦績からして、内心では聖稜と決めてしまってる。そのアテが外れた場合を考えると、心配でな」

「分かります。そうなると、どうしても気が抜けてしまうでしょうから」

「うむ、それが怖いんだ。スキのある状態で臨めば、きっと苦戦させられる。もし勝てたとしても、つぎ以降に引きずるだろうし、他校にもつけ込まれてしまう」

「でしょうね。そうなったら、とても谷原と戦うところまで勝ち残れませんよ」

 やがて、四人の審判団が姿を現す。そしてアンパイアが合図した。

「……ではっ。両チーム整列!」

 両校の選手達が一斉に、グラウンドへと駆け出した。

 挨拶の後、後攻めの城東ナインが、まず守備位置へと散っていく。すぐにボール回しが始められた。もともとは実力校なだけあり、動きは軽快である。

 マウンド上。いまや城東のエースとなった松下が、投球練習を行う。

「ふむ、コントロールは良くなってるな」

 谷口は手帳を広げ、さっと鉛筆を走らせる。

 速球にカーブ、シュート、さらにドロップか。丸井と島田が言っていたように、ボール自体は昨年とそう変わらないみたいだ。打力のある聖稜に、これだと厳しいかな。

 ふと横を向くと、イガラシも同じことをしていた。

「なにか気づいたか?」

「はい。さすがに中学の頃と比べると、スピードもキレも増していますね」

 問うてみると、後輩は淡々と答える。

「もっとも……あれでシード校クラスを抑えられるとは、思えませんけど」

 だからこそ、と続ける。

「どんな策を用意しているのか、気になるんですよ」

「俺も同感だよ」

 谷口は深くうなずいた。

「松下だって、あのボールだけで聖稜をどうにかできるとは、さすがに思ってないだろ。なにか奇襲を仕掛けるのか、それとも別の方法か。お手並み拝見だな」

 ほどなく、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛けた。

 

 

3.まさかの結末

 

 聖稜の一番打者は、右打席に入る。長身で腕や足腰が太い。いわゆるパワーヒッターだが、横から「ああ見えて逆らわずに打ち返しますよ」と、イガラシが教えてくれた。

 試合開始のサイレントと同時に、松下は振りかぶった。オーバーハンドのフォームから、第一球を投じる。その瞬間、谷口は思わず「おっと」と声を上げた。

 ガシャン。打者の背中を掠めるようにして、速球がバックネットに当たる。すぐにアンパイアが、袋から替えのボールを取り出し、キャッチャーに渡す。

「いまの、すっぽ抜けでしょうか?」

 イガラシが怪しむように、苦笑いを浮かべる。

「それにしては……けっこう、威力ありましたよね」

「うむ、そうだよな」

 同じ印象を、谷口も抱いた。二人の疑念を裏付けるように、キャッチャーは何らジェスチャーをせず、松下も平然としている。

 二球目、またも速球。今度は、内角高め……いや顔のところに来た。打者は、もんどり打って倒れる。

「……き、気をつけろ。バーロイ!」

 起き上がると、松下へ怒鳴った。すかさずアンパイアがタイムを取る。

「きみ、口はつつしみなさい。それとピッチャーのきみも」

 二人に注意を与える。

「たしかに危ないボールだった。せめて、帽子くらい取ったらどうかね」

 松下は言われた通り、脱帽して僅かに頭を下げた。ほとんど無表情のままだ。黙してロージンバックを拾い、指先に馴染ませる。

「……こ、これは」

 谷口は、頬の辺りが引きつる。

「ええ。わざとですね」

 苦笑いして、イガラシが言った。

「な、なるほど。これが松下の策ってことか」

「どうも、そのようですね。ほめられたテじゃありませんが」

 三球目。松下は、ようやくストライクを投じる。外角高めのカーブ。

 パシッ。強引に引っぱった打球が、センター頭上を襲う。しかし、あらかじめ深く守っていた中堅手が、フェンスに背中を付けながらグラブを構える。捕球して、ワンアウト。

「ははっ、さすがのパワーだ。でも……ちょっと力んだか」

 谷口がそう言うと、後輩は首を傾げる。

「それもありますけど……前の試合では、おっつけてライトへ打ててたんです。明らかに、ほんらいのバッティングを崩しちゃいました。これ、後に響いてきますよ」

「む。強引な打ち方してると、フォームがおかしくなってしまうからな」

 続く二番打者が、左打席に入る。こちらは上背こそないものの、体全体は太い。やはりパワーがありそうだ。

 初球。またも内角高めを狙ったボールが、打者の右肘を直撃する。

「……ぐっ」

 打者が呻き声を発し、その場に屈み込む。松下は、また脱帽して頭を下げるも、やはり無表情は変わらない。

「まさか……ねらって当てたってこと、ないでしょうね」

 頬の汗を拭いつつ、イガラシが言った。

「さすがに、それはないと思うが」

 聖稜にはそう受け取られかねんな、と谷口は胸の内につぶやく。

 次は、こちらもイガラシがマークしたという三番打者だ。ホームベース後方で二、三度素振りしてから、先頭と同じく右打席に入る。

 その初球。松下が、またも顔付近に投じた。

「……ちっ。こ、こんにゃろ」

 仰け反ってよけると、打者はバットを足元に放る。そしてマウンドへと詰め寄った。

「もう三度目だぞ。きさま、わざとやってんのか」

 慌てて後続の四番打者が、タイムを取り駆け寄る。

「おい落ち着けって。気持ちはわかるが、おまえが退場になるぞ」

 しばし球場内が騒然とした。

「ノーコンは引っ込め。城東は、ろくなピッチャーいねぇのか」

「もしケガでもさせたら、承知しねぇぞっ」

 そんな野次も聴こえてくる。しかし、当の松下は涼しい顔だ。

「……ふふっ。やるじゃないか松下さん」

 イガラシが含み笑いを漏らす。谷口は「こ、これっ」とたしなめた。

「なに感心してるんだ。おまえが言ったように、ほめられたテじゃないぞ」

「ええ、そうなんですけど。でも……ああして松下さん、動じてないですし。いっぽう聖稜は、かなりアタマにきてます。たしかに、効いてきてるのかも」

 ほどなく三番が打席に戻り、タイムが解かれた。

 再開後の初球。松下は、外角へカーブを投じた。これは彼の勝負球だ。打者は無造作に手を出し、引っかけてしまう。

「し、しまった!」

 サード正面のゴロ。三番打者が、思いきり顔をしかめる。城東の三塁手は、捕球してすぐさま二塁へ。さらにボールは一塁へと転送された。

 五-四-三。まさに一瞬のダブルプレーで、チェンジとなる。

「聖稜にとっては、嫌な終わり方だな」

 谷口の一言に、後輩は「ええ」と首肯した。

「キーとなるべき一、三番が、あんな形で封じられちゃいましたからね。その二人が、ほんらいのバッティングをできないようだと、聖稜は苦しくなりますよ」

 グラウンドでは、初回を無失点に抑えた城東ナインが、ベンチへと引き上げていく。その面々に、ふとイガラシが「あれっ」と声を発した。

「どうしたイガラシ」

「さっきダブルプレーを取った、城東のサードですけど……昨年からいました?」

「む。そういやぁ、初めて見る顔だな」

 のっぺりとした顔の、大柄な選手だ。谷口は手帳をめくり、すぐに名前を確認する。

「大橋っていうのか。ううむ、やはり覚えがないな。きっと一年生だろうが……しかし、彼がなぜ気になるんだ? まぁゴロさばきは、体格のわりに滑らかだったが」

「どこかで見た覚えがあるんですよ」

 思わぬ返答に、つい「なんだって?」と声を上げてしまう。

「たぶん中学での対戦チームだと思うのですが、いつだったか。井口や佐野のように主力級なら、覚えてるはずなんですけど」

 思いあぐねるイガラシをよそに、聖稜ナインが守備につく。そしてマウンドには、やはりエースとなった木戸が登る。

 すぐに投球練習が始められた。こちらは速球とカーブ、シュートの三種類だが、明らかに松下のボールよりも威力がある。周囲の観客から「すげぇっ」「さすが聖稜のエース」との声が漏れてきた。

「あのカーブだな。たしかに、けっこう速いぞ」

「ええ。とくに右バッターには喰い込んでくるので、打ちづらいはずです」

「む、城東がどう対応するか見モノだな」

 二人が話し終えるのと同時に、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛ける。

 すぐに城東の先頭打者が、右打席に入ってくる。直後の動作に、谷口は「やはり……」とつぶやいた。イガラシもこちらと目を見合わせ、深くうなずく。

 打者はベース寄りに立ち、さらにバントの構えをしてきた。

「予想どおり、ピッチャーの弱点を突いてきましたね」

 口元に笑みを浮かべ、イガラシは言った。

「うむ。明らかにインコース、とくにカーブを封じにきたな」

 ほどなくプレイが掛かる。聖稜のキャッチャーは、構わずミットを内角に構えた。木戸もサインにうなずき、投球動作へと移る。

 初球は、カーブが決まりワンストライク。しかし逆球となった。続く二球目は速球。これも内角をねらったが、外側にずれる。

「……うわぁ」

 イガラシが頭を抱え、苦笑いした。

「マズイぞ。あのピッチャー、城東の策にハマっちまってる」

 そして三球目。またも速球が、中に入ってしまう。打者は一転してヒッティングの構えをし、これを狙い打った。しかし球威が勝り、結果はセカンドフライ。

「ううむ、いまのも甘かったんだがな。ちょっとスイングが鈍かった」

「はい。丸井さんと島田さんが言ってたとおり、打力はありませんね」

 イガラシはそう言って、「ですが」と付け加える。

「なんだい?」

「この後……もし球威が落ちてきたら、話はべつですが」

 続く二番打者も、右打席に入った。前打者と同じくバントの構えをする。

「そういやバッターの構えのこと、丸井さんと島田さんは言ってませんでしたね」

「ああ。今日の秘策として、取っておいたんだろう」

 後輩は「でしょうね」と、なんだか楽しげに言った。

「松下さん。なかなか手の込んだコト、やってくれるじゃないですか」

 パシッ。ライナー性の打球が、レフトへ飛ぶ。周囲が「おおっ」と沸いた。しかし浅く守っていた左翼手の真正面、惜しくもツーアウト。

「この試合、かなりもつれるんじゃないか」

 谷口の発言に、イガラシは「ええ」とまた首肯した。

 

 

 二人の予想は当たった。

 

 地力に勝る聖稜は、二回と四回に一点ずつ挙げ、二対〇とリードを奪う。

 しかし……松下の挑発的なピッチングにより、だんだんとバッティングを狂わされ、もちまえの快打は影をひそめる。中盤以降は、チャンスさえ作れなくなっていた。

 

 いっぽう城東打線も、木戸のボールに押され、なかなか捉えることができない。

 それでも打者一人一人が、ピッチャーの嫌がる策をかく実に遂行。得点には至らないものの、じょじょに相手の体力をけずり、制球を乱していく。

 

 そして試合は、あっという間に九回の攻防を残すのみとなった……

 

 

「……聖稜、ちょっとズルズルきちゃいましたね」

 イガラシが吐息混じりに言った。

「ここで点を取らないと危ないですよ。零点に抑えてはいますけど、さっきからピッチャーの制球が乱れてきてます。替えようにも、こういう展開だとムズカシイですし」

「む。しかし松下も、かなり投げてるからな。そろそろ疲れが……」

 その時だった。球場内に、ウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 城東高校、シートの変更をお知らせいたします。ピッチャーの松下君が、サードへ。サードの大橋君がピッチャーへ。それぞれ入れ替わります。

 なにっ、と谷口は思わず声を上げた。

「聞いてないぞ。城東に、替えのピッチャーがいるなんて」

「む……ああっ」

 傍らで、ふいにイガラシが腰を浮かせる。

「やっと思い出しました。あの大橋ってやつ、青葉の元リリーフ投手ですよ」

「え、そうなのか?」

 谷口はまた驚かされる。

「はい。丸井さんがキャプテンだった時に、地区の決勝で当たりました。佐野さんのつぎに出てきたのが、やつですよ。当時、青葉の次期エース候補って言われてました」

 後輩はそう告げて、一つ吐息をつく。

「丸井さんと島田さんは、なにも言わなかったので……初戦はきっと温存してたんでしょうね。最後の勝負所で、満を持して使うつもりだったんだ」

 その大橋が、投球練習を始めた。オーバーハンドから、速球、カーブ、ドロップ……と投げ込んでいく。やはり速い。キャッチャーのミットが、迫力ある音を立てる。

「ははっ、さすがに成長してやがるぜ」

 両手を頭の後ろに組み、イガラシは呆れたように笑う。

「さすがに甲子園クラスの投手と比べたら、まだ荒削りな感じですけど。でも……あれだけバッティングを狂わされた聖稜にとっちゃ、たまらないでしょうね」

「うむ、そうだな」

 果たして、イガラシの言葉通りとなる。

 大橋の快速球、さらには変化球も織り交ぜたピッチングに、聖稜の各打者はまるで対応できず。あえなく三者凡退に終わった。

「や、やるな……」

 谷口は、苦笑い混じりに言った。

「ただいつもの聖陵なら、こんなカンタンにやられなかったろうが」

「ぼくもそう思います」

 真顔に戻り、イガラシが返答する。

「すべて松下さんのシナリオどおり。ここまでやるとは、さすがに予想外でした」

「うむ。正直、恐れ入ったよ」

けっしてクリーンとは言えないが、まさしく勝つためにあらゆる手段を用いた戦いぶりだ。これはもう、執念のなせる業だろう。

 松下……と、谷口は胸の内につぶやく。

 

 そして九回裏……

 

 すでに疲労困憊だった聖稜のエース木戸に、城東打線が襲いかかる。ヒットと二つの四球をもぎ取り、ツーアウトながら満塁と攻め立てた。

 ここで迎えるは、四番の松下である。

 

 

「……これはさすがに、決まりでしょうね」

 傍らで、イガラシが気の毒そうに言った。

「あの様子じゃ、もう気力さえ残ってませんよ」

 マウンド上で、木戸が苦しげに顔を歪めていた。肩を大きく上下させ、顎や頬から汗がしたたり落ちる。

「そうだな」

 谷口も認めざるを得なかった。

「だいぶ握力が落ちて、ほとんどキレもないからな。あとは打ち損じに期待するしか」

 初球。木戸の投じたカーブが、真ん中高めに入ってきた。失投というより、もはやコースを突く余力はなかった。松下は、躊躇なくフルスイングする。

 パシッ。鋭いライナーが、センターの頭上を襲う。

 ツーアウトのため、三人のランナーは打球の行方を見ず、スタートを切る。聖稜の中堅手が、懸命に背走する。下がる、また下がる……そして飛び付く。差し出したグラブは、しかしボールに届かない。

「回れ回れ!」

「中継、バックホームだっ」

 両チームの掛け声が、グラウンド上に交錯する。

 二人のランナーが、悠々とホームベースを踏んでいく。さらに一塁走者までも、三塁ベースを蹴った。中継のショートから、矢のような送球。

 直後、ガシャンという音。

 ボールは……飛び上がったキャッチャーの頭上を遥かに超え、バックネットに当たる。一塁走者は、ヘッドスライディングで本塁へすべり込んだ。

「……セーフ、ゲームセット!」

 アンパイアのコールが、むやみに甲高く響いた。同時にスタンドが沸き上がる。

 グラウンドでは、聖稜ナインが各ポジションに崩れ落ちる。いっぽう三塁側スタンドのすぐ下には、殊勲の城東ナインがもつれ合い、喜びを分かち合っていた。

 

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【野球小説】続・プレイボール<第20話「組み合わせ決定!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第20話 組み合わせ決定!の巻
    • 1.谷原の弱点!?
    • 2.片瀬の実力
    • 3.組み合わせ発表!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 


 

 

第20話 組み合わせ決定!の巻

www.youtube.com

 

  

 

1.谷原の弱点!?

 

 招待野球から、二十日余りが過ぎた。

 

 この間、墨高ナインの成長は、ますます加速していた。

 六月初旬には、西将学園の監督・中岡の紹介により、春の甲子園に出場した三校と練習試合を実施。墨高は、なんと三連勝を飾ったのである。

 

 また、膝の故障から出遅れていた片瀬が、地道なトレーニングの甲斐あり、ついに実戦登板できるようになった。さらに西将戦で負傷したイガラシも、無事に完治。

 

 いっぽう、対谷原を想定した特訓は、日ごとに厳しさを増していく。

 六月の半ば辺りから、谷口、松川、井口、イガラシの投手陣が、日替わりで登板。しかも速球と変化球を混ぜ、試合さながらに投球するようになる。対応できない者には、容赦なくグラウンド脇にて、追加のトレーニングが課せられた。

 だがこの頃になると、粒ぞろいと言われる一年生達が、少しずつ本領を発揮。根岸や岡村、松本らが、レギュラー陣をおびやかし始める。

 

 気づけば六月の第三週。この週末には梅雨明けとなり、本格的な夏が到来する。

 迎えた水曜日。この日、夏の大会開幕に先立ち、ある行事が組まれていた。その成り行き次第で、かなり大会の行方が左右される、重要な催しだ。

 

 そう、組み合わせ抽選会である。

 

 

 午後四時。墨高ナインは、この日も部室へと集まり、練習の準備を始めていた。

「キャプテン」

 着替え終えたところで、谷口はふいに声を掛けられる。片瀬だった。こちらもユニフォーム姿で、どうやら待っていたらしい。

「少しよろしいでしょうか」

「うむ。どうした?」

「じつは最近、春の甲子園で谷原と西将が戦った試合を、ちょっとずつビデオで見返しているのですが……面白いことが分かったんです」

 谷原というフレーズに、周囲がざわめく。

「ほう。相変わらず、研究熱心だな」

「そ、それで練習後にでも、キャプテンにお伝えしたいのですが」

「いや。せっかくだから、いま聞かせてくれ。練習メニューの参考にもしたいし」

「え……は、はい。分かりました」

 戸惑いながらも、片瀬は説明を始めた。

「その試合、招待野球でぼくらにも投げた、西将の竹田というピッチャーなんですけど……どうも本調子じゃなかったようなんです」

「な、なんだって?」

 思わぬ発言に、つい声が上ずってしまう。

「はい。数えてみたら、四死球を八個も与えてました。毎回、得点圏にランナーを背負って、よく一点に抑えたっていう内容でした」

 丸井が「ははっ」と、意地悪そうに笑う。

「あの高山ってキャッチャー、さぞ苦労したろうな。やつの慌てる顔が見たかったぜ」

「やつって……あの人、先輩だぞ」

 傍らで、加藤が苦笑いする。

「……なぁ片瀬」

 ふと気になることが浮かぶ。

「谷原はその試合、ヒットを打てていたか?」

 質問に、片瀬は目を見上げる。

「そこなんですよ」

 我が意を射たりとばかりに、深くうなずいた。

「あれだけ猛威を振るった打線が、この西将戦だけは、たった七本に抑えられてるんです。いくら竹田さんが並のピッチャーじゃないといっても、明らかに本調子じゃなかったので、もっと打ち込んでも良さそうなものですが」

 その時、しばし沈黙を守っていたイガラシが、独り言のようにつぶやく。

「……ふむ。やはりそうか」

「え、おいイガラシ」

 すぐに丸井が反応した。

「おまえなにか、気づいてたのか?」

「気づいてたというか……ちょっと、引っかかってた程度ですけどね」

 イガラシは、淡々と答えた。

「丸井さん。ぼくらが観戦した谷原と広陽の試合、覚えてます?」

「そ、そりゃもちろん」

 丸井が引きつった笑みを浮かべる。

「谷原がパカパカ打ってた試合だろ。思い出しても、ぞっとすらぁ」

「ですけど……後半の三イニング辺り、打線が鳴りを潜めてたんですよ」

「ん、だったっけ?」

 意外そうに、丸井が首を傾げる。

「言われてみりゃあ、そうだな」

 倉橋がミットを磨く手を止め、話に入ってくる。

「広陽のリリーフ投手が、四死球を連発したもんで、点は入ってたけどな。じつは残り三イニング、谷原のヒットは内野安打の二本だけだったんだよ」

 何人かが「ああっ」と声を発した。イガラシは、微かにうなずく。

「しかも後半は、けっこうボール球に手を出したりして、おかしかったんですよ。ま……点差も開いてたので、つい雑になったのかとも思いましたけど」

 谷口は「なるほど」と、ナイン達を見回して言った。

「つまり谷原は、荒れ球タイプのピッチャーが苦手だってことか」

 ええ、とイガラシは首肯する。

「いっぽう……広陽のエースみたいに、コントロールの良いピッチャーは得意なんじゃないでしょうか。どこに来るか予測できるので、ねらい球は絞りやすいですし」

「そ、そういやぁ」

 ふいに井口が、間の抜けた声を発した。

「キャプテンも、コントロールいいですもんね……テッ」

 丸井がすかさず、拳骨を喰らわせる。

「な、なにするんスか」

「てめーは余計なこと口にすんじゃねぇ。黙って聞いてろ」

「イテテ……は、はぁ」

 谷口は苦笑いした。たしかに、井口の指摘通りだと思う。あの練習試合で、谷原は躊躇なくフルスイングしてきた。こちらの工夫も足りなかったとはいえ、さぞ打ちやすかったことだろう。

「ううむ、リクツは分かったが……しかしなぁ」

 渋い顔をしたのは、横井だった。

「まえに決めた話だと、谷原戦は井口とイガラシ、それに谷口の継投でいくんだろ。三人とも、むしろコントロールは良いもんな」

 たしかに、と戸室が同調する。

「こうなりゃわざと、ノーコンなふりをしてもらうとか」

 冗談めかした一言に、横井は「なに言ってんだ」と突っ掛かる。

「そんなことしたら、フォームがおかしくなっちまうわ。少し考えろよ戸室」

「じ、ジョーダンだよ。んなこと分かってらい」

「どーだか」

「なんだとっ?」

 他愛ない言い合いを始める二人を、谷口は「まぁまぁ」となだめた。そして、また全員を見回して告げる。

「みんな忘れてないか? うちにはもう一人、ピッチャーがいるってこと」

「え……ああっ、そうか」

 横井の声が合図だったかのように、全員の視線がおずおずと、片瀬へ集まっていく。

「たしかに片瀬は、谷原が苦手とするタイプでしょうね」

 イガラシがうなずいて言った。

「ボールが散らばるので、バッターにとっては予測がつきにくいですし。おまけに変則のサイドスロー。谷原でも、これは戸惑うと思いますよ」

「そ、そうかもしんねぇけどよ」

 まだ腑に落ちないらしく、横井は首をひねる。

「片瀬はケガあがりってことで、さほど実戦も積んでないんだぞ。やっと最近、練習試合で少し投げるようになってきてるが。そんなにバッチリ抑えてるわけでもねぇし」

「あのな横井。練習試合では、彼のほんらいの……」

「まてよ、谷口」

 倉橋がそう制して、おもむろに立ち上がった。

「百聞は一見に如かずだ。今日のシート打撃で、片瀬を登板させてみないか」

「む、そうしようか。打ってもらった方が実力も分かるし」

 谷口は快諾して、他のメンバーに声を掛ける。

「となれば……他のメニューもあるし、急がないといけないな。よしみんな、五分後にはランニングを開始する。すぐ外に出て、体をほぐしとくんだ」

「は、はいっ」

 返事を合図に、ナイン達は次々にグラウンドへ出ていく。

「ところで谷口」

 倉橋がこちらに歩み寄り、声を潜めて言った。

「大会の組み合わせ、もう決まる頃じゃねぇか?」

「うむ。三時半開始だったから、そろそろ全チームが籤を引き終えたろう」

「半田のやつ、何時頃に帰ってくるかな」

「電車を乗り継いでだから……早くて五時過ぎだろう。彼が戻ったら、いったん全員を集めよう。みんな気にしてると思うから」

「賛成だ。早く知った方が、練習にも身が入るだろうし」

 そこまで打ち合わせ、二人は部室を出た。

 

 

2.片瀬の実力

 

「……く、くそう」

 右打席にて、横井が左手の甲で、顎の汗を拭う。いつもの飄々とした彼にしては珍しく、唇がへの字になっている。

 マウンド上では、片瀬が顔色ひとつ変えず、僅かに前傾した。

「おい横井。力んだら、まず打てないぞ」

 キャッチャー倉橋の声掛けに、横井は「分かってらぁ」と幾分ムキになる。

 ほどなく片瀬が投球動作へと移る。ほとんど足は上げず、そのまま前方へスライドするように踏み込む。これは重心を保つための工夫だ。そしてサイドスローのフォームから、速球が投じられた。

 コースは真ん中低め。横井が「絶好球!」とばかりにフルスイングした。ところが、ボールは手元で内側に喰い込み、バットの根元に当たる。

「し、しまった……」

 一瞬空を仰ぎ、横井が走り出す。打球はピッチャー正面に転がった。片瀬が滑らかなフィールディングで捌き、一塁へ送球。

「あーあ、またピッチャーゴロかよ」

 苦笑いを浮かべ、横井は戻ってきた。

「クセ球とは聞いてたが、けっこう鋭く曲がるんだな。いまのシュートじゃないのか?」

「いいや。片瀬が言うには、あくまでも真っすぐらしい」

 倉橋がにやりとする。

「なんでもボールの縫い目の指をかける位置を、ちょっとずつ変えてるんだと。他にもぎゃくに曲げたり、落としたりもできる。言ってみりゃナチュラル変化球だな」

「こんなタマがあるなら、どうして練習試合では投げさせなかったんだよ」

「そりゃ実戦登板し始めたばかりだからな。ただでさえブランクが長いんだ。いろいろやりすぎて、また故障したらコトだろ」

「な、なるほど。しかし……いいタマ持ってるじゃねぇか、片瀬のやつ」

 サードのポジションにて、谷口は目を細めた。眼前のマウンド上では、片瀬が自然な動作で、ロージンバックを指に馴染ませる。

 よしいいぞ。ナイン達も、だんだん片瀬の実力を認めてきたようだな。

「……うしっ。今度こそ、打ってやる」

 次のバッターは井口だ。気合を入れて、左打席に入る。

 初球、真ん中やや外寄りの速球。井口はこれを「まってました」とばかりに狙うも、ファールとなり後方へ転がる。

「え……いまのタマ、落ちたのか」

 井口が驚いた目で、マウンド上を凝視する。

「や、やるな。けどボールをしっかり見りゃ」

 試合さながらに、倉橋がサインを出す。片瀬はうなずき、二球目の投球を始めた。今度は一転して、外へ大きな緩いカーブ。

「……なぁっ、と」

 ガキッと鈍い音。井口は完全に泳がされ、セカンドフライ。丸井が「オーライ」とグラブを掲げ、難なく捕球した。

「ふっ、いいカーブじゃないか。俺のスローカーブに匹敵するぜ」

 井口の負け惜しみに、倉橋が「よく言うぜ」と釘を刺す。

「カーブのコントロールは、片瀬の方が上だ。おまえは日によってキレがなかったり、すっぽ抜けたりするだろ」

「は、どうも」

 先輩の指摘に、井口はバツの悪そうな顔をした。

 谷口は、改めてマウンド上を見やる。スラッガーの井口を、これで二打席続けて打ち取った。それよりも、片瀬の落ち着き払った仕草、表情に感心させられる。

 さすが元リトルリーグの優勝投手だな。まるでケガの影響を感じさせない。いやそれがあったからこそ、こうして肝が据わってきたのかも。どっちにしても、井口やイガラシとはまたちがった、いいピッチャーになれそうだ。

 それはともかく、と思い直す。一旦タイムを取り、ナイン達を自分の周囲に集めた。

「どうだみんな。片瀬のチカラ、よく分かっただろう」

 横井が「そりゃもう……」と、苦笑い混じりに答える。

「まだシード校クラスの、本格派ピッチャーの方が打ちやすいってもんだ」

 そうですね、と島田がうなずく。

「どこに来るか分からないうえ、不規則に変化するので、的を絞りづらいですよ」

「む。いっそ谷原戦は、片瀬先発でいいかもな」

 横井の一言に、井口が不服そうな顔をした。倉橋がくすっと笑い、代わりに反論する。

「そりゃ飛躍しすぎだぜ。まえに決めたとおり、井口には力勝負してもらって、まず相手を驚かせることが大事なんだ」

「あ……そ、そうだったな」

 倉橋の言葉を受け、谷口は補足した。

「墨谷は他とちがう攻め方をしてくる。そうやって戸惑っているところに、片瀬のような変則投手をぶつけられたら、どうだ?」

 なるほどっ、と丸井が声を上げる。

「そんなことされたら、ますます混乱しちゃいますね」

 傍らで、加藤も「そうだな」と同調した。

「計算して対応するのが、谷原は得意だからな。そういうチームだからこそ……この戦術は効くんじゃないか」

 ナイン達がその気になったところで、谷口はパチパチと両手を打ち鳴らした。

「感心するのは、これぐらいにしておこう。みんな……そろそろ二巡目も終わるが、ちょっとマズイな」

 意図的に厳しい言葉を投げかける。

「ここまでクリーンヒットは三本だけ。しかも散発だ。これじゃ、片瀬と同じタイプの投手に当たったら、手出しできないってことになるぞ」

「谷口の言うとおりだ」

 倉橋も険しい眼差しで言った。

「しかも同じパターンでやられてる。速球を打ち損じるか、カーブに泳がされる。はっきり言って、打ち取るのはチョロかったぜ」

 まさにその形で仕留められた井口が、気まずそうに下を向く。

「片瀬が打ちづらいと分かったら、ちっとは対策を考えろよ。これが試合なら、ずるずる終盤まで行かれてる。ミイラ取りがミイラになったら、話になんねぇぞ」

 正捕手の檄に、ナイン達は「はいっ」と返事した。

 谷口もサードに戻った。隣で「自分も打ちたいです」と、イガラシが笑う。西将戦で手首を捻挫した彼は、昨日ようやく病院で“完治”と言われていた。

「やめておけ。ま、分かってると思うが」

「ええ。でも一月近く打ってないので、ブランクが心配です」

「なーに、おまえのことだ。すぐに感覚を取り戻すさ」

 眼前の打席には、二年生の加藤が入る。さすがに対策してきた。バットを短く持ち、かなり前寄りに立つ。

 初球。逃げていく軌道の速球を、加藤はおっつけるように弾き返した。谷口とイガラシが飛び付くも、その間を低いライナーが抜けていく。レフト前ヒット。

「……よしっ。なんとか、曲がりっぱなを叩けたぞ」

 一塁ベースを回りかけ、安堵したようにつぶやく。

「加藤さん、ナイスバッティングです」

 片瀬が微笑んで言った。そして、こちらを振り向く。

「キャプテン。正直、あまり抑えられてるって感じじゃないです。みなさん振りが鋭いですし、こうやってすぐ対応してきますもの」

「そりゃそうだよ」

 ホームベース後方で、次打者の戸室が得意げに言った。

「俺達だって、ずっと鍛えられてきたかんな」

「こら戸室。おまえは打ってから言え」

 すかさず倉橋が突っ込む。戸室は「あはっ」と頭を掻いた。最初の打席で、彼は二種類のカーブにタイミングが合わず、三振に倒れている。

 その時、丸井が「あっキャプテン」と声を上げ、校舎を指差す。そこに谷口だけでなく、全員の視線が集まる。

 制服姿の半田が、校舎の手前側を歩いていた。

「おお。いま帰ってきたか」

 谷口はそう言って、ナイン達に「いったん部室に集まろう」と声を掛けた。

 どうやら半田も、部室へと向かうようだ。なぜか足取り重く、明らかにしょんぼりとした表情を浮かべている。

 ふと思い至り、校舎の時計を見やる。すでに六時を過ぎ、予定よりも遅い帰校だ。

「……なぁ。半田のやつ、暗くないか」

 すぐに横井が気づき、頬を引きつらせる。

「こりゃクジ運、悪かったかも」

 加藤が「あり得ますね」と、苦笑いした。

「今回、けっこう有力校がシード漏れしてるんですよ。聖稜や大島工……それに東実も」

 その発言に、周囲がざわつき始める。

 無理もないか……と、谷口は溜息をつく。どこと当たっても構わないつもりではあるが、やはり序盤から厳しい相手は避けたい。それが本音だった。

 

 

3.組み合わせ発表!

 

「み、みなさん……ごめんなさい」

 半田が泣き顔になりながらも、学生鞄からA3サイズのザラ紙を取り出し、広げて部室の黒板に貼り付けた。そこにトーナメント表が記されている。

「これ……半田が、書いてくれたのか?」

「え、ええ。そうです」

「だから帰りが遅かったんだな。ありがとう、半田」

 谷口は、まず礼を言った。こういう仕事は抜かりがない。やはり半田は、裏方的な役割が向いているし、それが本人も好きなようだ。

「おい半田。そう、あまりショゲるなよ」

 倉橋が励ます。

「クジ引きは運でしかねーし、それに今年のうちは三回戦からだ。一、二戦を突破してくるチームに、ラクな相手なんてねぇよ」

「……は、はい」

 ようやく半田の顔から悲壮感が消える。

 すでにナイン達は、黒板前に集まっている。つま先立ちしたり、互いに押し合いへし合いしたりしながら、ガヤガヤと騒がしい。

「どれどれ、うちはどのブロックだ」

「こら押すなよ」

「墨谷は……あった。なんでぇ、試合は十日も先じゃねぇか」

「こんニャロ、見えないっつってるだろ」

 二時間近く練習を行った後とは思えないほど、誰もが快活だ。倉橋が「しょうがねーな」と苦笑いする。

 谷口は、まず「墨谷」の位置をチェックして、そこから視線を移していく。

 なるほど……と、小さくつぶやいた。墨谷と同ブロック内に、昨年のシード校「聖稜」の名前があった。さらに隣のブロックには、四強の常連「川北」も控える。

 ナイン達も気づいていた。

「あちゃー。聖稜って、いきなり大物が来たな」

 戸室が素っ頓狂な声を上げる。

「昨年も当たって、だいぶ苦戦したもんな」

 そうそう、と横井が相槌を打つ。

「一時は五点まで離されて、なんとか九回にひっくり返したけどよ。とくに相手ピッチャーのシュートに手こずったんだったな」

「ここに勝っても、つぎはおそらく川北か。なかなかシンドイ組み合わせだ」

 三年生達の会話に、また半田が泣きそうになった。横井は「ははっ、ドンマイよ半田」と慌てて慰める。

「……あっ、キャプテン」

 ふと前方にいた丸井が、こちらを振り向く。

「谷原はこっちです」

「おお、探してくれたのか」

 丸井が指差した場所に、第一シード「谷原」の名前を確認した。そのままトーナメントの山を追って、自分達といつ当たる組み合わせなのか調べに掛かる。すると、後輩が気を利かせ教えてくれた。

「うちとは、準決勝でぶつかる組み合わせです。ちなみに……東実と専修館は、反対側の山でした。当たるとすれば決勝」

 そう言って、丸井は嬉しげな顔になる。

「さすがキャプテン。まえに想定したとおり、ズバリじゃありませんか」

「ああ……いや、これは偶然だよ」

 笑って答えた後、まてよ……と思い直す。

 これはラッキーかもしれないぞ。きっと谷原は、余力を残して勝ち上がってくる。もし決勝で当たっていれば、彼らはそこで力を出し切ろうとするはず。しかし……準決勝なら、翌日のことまで考えなきゃいけない。

 頭の中で、谷口は起こり得る状況をシミュレーションした。

 東実とは決勝でしか当たらないのも、好都合だ。おそらくシード校の中で、一番われわれを警戒しているのが、彼らだ。しかし決勝の相手が、うちか谷原かという二択になれば、その比重は谷原に傾くだろう。こうなると、彼らの警戒も薄れて……

 そこまで考えて、谷口は小さくかぶりを振った。

 いや、よそう。どっちみち厳しい戦いになる。いかんな、俺がこんなこっちゃ。どの試合も、一戦必勝の気持ちで臨まなければ。

「……おっと、またかよ」

 横井のつぶやきに、現へと引き戻される。

「どうした?」

「谷口も覚えてるだろう。昨年やられた、あの明善だよ」

「うむ、もちろん忘れちゃいないさ」

 苦い記憶がよみがえる。昨年の大会で、連日の死闘により消耗しきった墨高は、最悪のコンディションで明善と対戦。準備不足もたたり、〇対八と完敗を喫していた。

「今回もお互い勝ち進めば、準々決勝でぶつかるみたいだ。くそっ……思い出すと、まだ腹が立つぜ。あんな状況でさえ、当たらなければ」

 苦笑いする横井の口の端に、悔しさが滲む。

「ま、あんときゃ仕方ないさ」

 戸室が、なだめるように言った。

「明善だって、あの東実を倒した実力校なんだ。そこにロクな準備もしないまま戦えば、そりゃああなるさ。とはいえ……つぎこそは、勝ちたいもんだ」

「……あ、あのう」

 おずおずと発言したのは、根岸だった。

「先輩方の話を聞いていると、なんだか強いトコばかりのように思えるのですが」

 谷口は微笑み、相手の左肩をぽんと叩く。

「そのとおりだ。与しやすい相手なんて、存在しないぞ」

「は、はぁ……」

 戸惑う後輩を横目に、谷口はナイン達を見回した。

「しかし、かといって恐れる必要もない。どこが相手だろうと、けっきょくやるべきは、自分達のチカラを出すこと。それさえできれば、もうカンタンには負けない。こう言い切れるだけのものを、われわれは積み上げてきたはずだ」

 キャプテンの激励に、墨高ナインは「おうっ」と力強く応える。

「ようし、気合が入ってきた」

「いっちょ墨高のチカラを、見せつけてやるか」

 チームメイト達を頼もしく思いながら、谷口はもう一度トーナメント表を見やった。そして「おや?」と気付く。

 自分達と同ブロック内に、近隣の実力校「城東」の名前を見付けた。

「おお。キャプテン、この城東って」

 すぐに丸井も気付き、問うてくる。

「墨二で一緒だった、松下さんのいるトコじゃないですか」

「う、うむ。覚えててくれたのか」

 内心複雑な思いで、返答する。

「ええ。松下さんといやぁ、かつて同じ釜の飯を食った仲ですし。れ……そういやぁ、城東もけっこう力あるって評判ですよね。ここもマークしとかないと」

「もちろんさ。城東に限らず、当たる可能性のあるチームについては、偵察の予定を組んでる。その時に、どれくらいの実力か見えてくるだろう」

「抜かりなしってことスね。でもなーんか、キャプテンにしては歯切れが悪いような」

「そ、そうか?」

 少しぎくっとした。その時「キャプテン」と、近くにいた加藤が割って入る。彼もまた墨谷二中の出身だ。当然、松下とも面識がある。

「俺から話します。同窓のキャプテンは、言いづらいと思うので」

「どういうこったよ加藤」

 じつはな……と、加藤が話を切り出す。

「丸井は知らないだろうが……じつは昨年と一昨年、うちは城東と対戦してるんだ」

「へっ。キャプテン、そうだったんですか」

 分かりやすく、丸井は驚いた目になる。

「ならそうと、おっしゃってくれれば良かったのに。んで結果は?」

「……それがな」

 加藤じゃ、渋い顔で答えた。

「二試合とも、てんで相手にならなかったんだ。一昨年の墨高は、まだまだ弱かったが、そん時でさえ七回コールド。昨年にもう一度、練習試合で戦った時は……松下さん一イニングもたなかったんじゃないかな」

「あ、あぁ……なるほど。そりゃ言いづらいワケだ」

 こちらに向き直り丸井は「スミマセン」と頭を下げる。

「いやなに、おまえが気にすることじゃないさ」

 谷口は、苦笑い混じりに言った。

「ま……そりゃ松下には、がんばって欲しいと思ってるさ」

 ただ厳しいだろうな、と胸の内につぶやく。

 昨年の時点で、聖稜は墨谷にとって、まだ荷が重い相手だった。いっぽう城東は、自分達に一蹴されている。普通に考えれば、城東が聖稜に勝つのは難しいだろう。

「……松下さんか」

 その時、ふいに黒板前のイガラシが、ぽつりと言った。

「なんだよイガラシ」

 丸井が愉快そうに、パシッと後輩の背中を叩く。

「おまえでも先輩と対戦するのは、フクザツってか」

「あ、いえ……というより」

 やや渋い顔で答える。

「過去に大勝した相手というのは、やりにくいなと思って。こっちは気が緩みがちだし、ぎゃくに相手は死に物狂いで向かってきますし」

「うむ、それは言えてるな」

 イガラシの冷静な意見に、谷口は首肯した。

 おそらく序盤戦は、相手云々よりも、まず自分達の心身のコンディションを整えることが重要となってくる。過去二年間の経験で、それを痛感していた。

「……よし。みんな、だいたいイメージできたか?」

 再び全員を見回し、谷口は声を掛ける。

「分かったら、練習の続きをしよう。ここからは一日もムダにできないぞ」

 ナイン達は「はいっ」と返事して、日の傾くグラウンドへと向かった。

 

 それから十日後……

 

 いよいよ夏の甲子園出場を賭けた、全国高校野球大会東京都予選が、盛大に幕を開けたのだった。キャプテン谷口タカオにとって、これが最後の地区大会である。

 

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【野球小説】続・プレイボール<第19話「つらぬけ、墨高野球!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻
    • 1.松川の気迫
    • 2.意地の一振り
    • 3.戦いの後で……
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 

 

第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻

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1.松川の気迫

 

 大飛球が、レフト頭上を襲う。

 代わったばかりの戸室が、懸命にバックする。とうとう背中がフェンスに付いた。ボールが落ちてくる。

「……くっ」

 左腕をめいっぱい伸ばす。差し出したグラブの先端に、ボールが引っ掛かる。

「あ、アウト!」

 三塁塁審が、右拳を高く上げた。

 すかさず西将の二塁と三塁のランナーが、同時にタッチアップする。戸室は助走を付け、中継の横井に送球した。この間、三塁ランナーに生還を許す。

 外野スタンドから、拍手が起こった。

「すげぇっ。満塁ホームランをもぎ取りやがった」

「よく捕ったぞレフト!」

「あきらめるなよ墨谷。まだチャンスはあるぞっ」

 横井からの返球を捕り、谷口は「ナイスガッツよ戸室!」と声を掛けた。そしてボールを持ったまま、マウンドへと駆け寄る。

 こちらの顔を見ると、松川は「スミマセン」と頭を下げた。

「低めをねらったんですが、浮いちゃいました」

「分かってるならいいんだ」

 谷口は微笑みかけ、ボールを手渡す。

「それより、いま腕をしっかり振れてたろ。球威があった分、フェンスオーバーはされなかった。だいぶ真っすぐにチカラついてきたじゃないか」

「いや……それでも、点取られちゃったので」

 朴訥とした口調で言うと、目を見上げる。

「つぎは外野にまで、飛ばさせません」

 へぇ、と谷口は驚かされた。

 松川の口から、ここまで強気の言葉を聴くのは、おそらく初めてのことだ。思えばこの半月ばかり、彼はどこか雰囲気が変わりつつある。

「む。たのむぞ松川」

 そう励ますと、松川は低い声で「はい」と返事した。

―― 二番ショート、田中君。

 打順は上位に回っていた。この田中は何でもできる巧打者だが、さらに長打もある。前進守備を敷きたいが、強攻されると間を破られそうなので、通常の守備隊形を選ぶ。

 コンッ。ちょうど三塁線とマウンドの中間に、スクイズバントの打球が転がった。西将のランナーが、躊躇いなくスタートを切る。

「まかせろっ!」

 松川がマウンドを駆け下り、滑らかなフィールディングで捕球した。しかしホームは間に合わない。すかさず一塁へ送球する。打者は駿足だったが、間一髪アウト。

「オーケー。いい判断だぞ、松川」

 声を掛けると、倉橋も同調した。

「ああ、無理することはない。いまはアウトカウントを増やそう」

 先輩二人の言葉に、松川は渋い顔ながらうなずく。

―― 三番ファースト、椿原君

 鈍い音が響いた。バットが折れたらしく、木屑が飛び散る。こちらも強打者の椿原が、痛そうに左手を振りながら、一塁へと駆け出す。

「し、しもた……」

 高いフライが、三塁側ファールグラウンドに上がっていた。谷口はすぐに落下点へと入り、ベンチの数メートル手前で捕球する。

「アウト、チェンジ!」

 三塁塁審のコール。やや疲れた足取りで、墨高ナインはベンチへ向かう。

 松川に、またも驚かされる。球質が重いことは知っていたが、西将のバッターが力負けするほどの威力だとは思わなかった。

 す、スゴイな。いまのは椿原が、ボール気味のタマを無造作に打ってくれたとはいえ、まさかバットをへし折るなんて。

 そういえば……と、谷口は思い出す。

 この頃、松川は遅くまで投げ込みしたり、フォームを修正したりして、ずっと地道な努力を続けてきたんだったな。その成果が、だんだん実を結び始めたか。

 ファールラインを踏み越えたところで、ふと後方を振り返る。スコアボードの五回表と六回表の枠に、こちらの失点を示す「3」が並んでいる。

 二対六。けっきょく四点差、つけられちゃったか。あのピッチャーを相手にして、やはり四点は重いな。でもみんな、それぞれ力を出してくれている。結果はどうあれ、最後まで喰らいついていくんだ。

「おい谷口。みんな待ってるぞ」

 その時、倉橋の声に呼ばれた。視線を向けると、他のナイン達が三塁側ベンチ手前で、すでに円陣を組んでいる。

「……あ、スマン」

 輪に加わった時、谷口はあることに気付いた。

「……あれ、井口は?」

 つい十分ほど前、青ざめた顔でベンチへ下がっていく姿を、見送ったばかりだ。満足にフォローもできなかったので、気に掛かっていた。

「やつなら、心配いりませんよ」

 鈴木がそう言って、ベンチ横を指差す。

「え……な、なにしてんだ」

 なんと井口はブルペンにいた。向かい側に、同学年の平山を座らせ、投球練習を行っている。隣には片瀬と根岸、さらにイガラシも付き添う。

「帰ってきてしばらくは、おとなしくしてたんスけどね。松川の力投に、いてもたってもいられらくなっちゃったみたいで。カーブを練習してきます、だって」

 愉快そうに述べる鈴木を、丸井がじろっと横目で睨む。

「こら鈴木、感心してる場合かよ。あれだけ後輩が台頭してきてるんだ。てめぇも負けないように、隠れて練習するくらいじゃなきゃダメじゃないのか」

 向かい側で、倉橋が「うむ。そうだな」と首肯する。

「いまからでも、素振りとかしてきたらどうだ。たしかバットが一本余ってたろ」

「は、はいっ」

 鈴木はそそくさと輪を抜け、一旦ベンチに引っ込む。やがてバットを探し出すと、それを持ってブルペンへ走った。

「ふん。あのノンビリ屋め」

 丸井の一言に、くすくすと周囲から笑いがこぼれる。

「ま……彼のがんばりには、これから期待するとして」

 一つ咳払いをして、谷口は話を始める。

「このとおり、厳しい展開だ。さすが甲子園優勝校と言うほかないよな」

 ナイン達は苦笑いした。それでも皆黙って、真剣に耳を傾けている。

「でも……われわれだって、無抵抗だったわけじゃない」

 谷口は、力を込めて言った。

「少ないながらチャンスを作り、何度もピンチをしのいできた。どんな状況でもあきらめずに戦う。今日まで作り上げてきた墨高の野球が、あの西将を相手にできているんだ。これを最後まで貫こう」

 やや声を潜めて、さらに付け加える。

「さっきイガラシにかき回されて……あのピッチャー、少し制球を乱してた。どうも揺さぶられると、過剰に意識してしまうクセがあるようだ」

 あっ……と、ナイン達が目を丸くした。

「だから、少しでも喰らいついていこう。そうすればチャンスも出てくるぞ」

 谷口は、語気を強めた。

 

 

2.意地の一振り

 

 キャプテン谷口の励ましに応え、墨高ナインは必死の抵抗を見せた。

 リリーフの松川が、七回も力投し無失点で切り抜けると、八回からは谷口が登板。西将の強力打線にピンチは作られるも、バックの再三の好守と、谷口の緩急を使った巧みなピッチングにより、またも得点は許さず。終盤の三イニングをなんと零封したのだった。

 しかし……竹田と高山の西将バッテリーは、やはり難攻不落である。

 快速球に加え、多彩な変化球。なんとか喰らいつこうとするナイン達だったが、回を追うごとに当てることすら、ままならなくなっていった。

 

 そして――試合は二対六のまま、ついに九回裏を迎える。

 

 先頭の丸井と続く島田は、いずれも追い込まれてから粘ったものの、最後はフォークボールで三振に仕留められた。

 ツーアウト、ランナーなし。墨高はとうとう追いつめられる。

 

 

―― 四番キャッチャー、倉橋君。

 ネクストバッターズサークルに、谷口は控える。マスコットバットで素振りしながら、倉橋の打席を見守った。

 チッ。辛うじてバットに当てた打球が、バックネットへ転がっていく。

「くそっ、振り遅れちまった」

 倉橋は一旦打席を外し、軽く左手を振る。どうやら痺れたらしい。

「ドウモ」

 会釈して打席に戻ると、バットの握りをさらに短くした。

「ふふん。そんな持ち方で、打ち返せるのかいな」

 高山が揶揄してきたが、倉橋は無視した。

 二球目。露骨にアウトコースへ投じてきた速球を、踏み込んで狙い打つ。ところが力負けしてしまい、一塁側ファールグラウンドへ打球が上がる。

「し、しまった……」

 倉橋が顔を歪めた。しかしフライが風に流され、スタンドに落ちる。

「ファール!」

 一塁塁審のコールに、打者は「あぶねぇ」と吐息をつく。

「おたく、命拾いしたな」

 マスクを被りながら、高山がまた挑発してくる。

「ねらってくると思うとったで。ま……たとえねらわれても、竹田のタマはそう容易に打てないからな」

「あ、そう。大した自信だこと」

 打者は軽く受け流し、さっきと同様にバットを構える。

 いいぞ倉橋。高山のちょっかいに、少しも惑わされてない。ちゃんと集中を保って、ねらいダマを見定めてる。

 ただ……と、谷口はひそかに溜息をつく。

 これでツーストライク、追い込まれちゃったな。そうなると向こうのバッテリーは、きっとフォークを投げてくる。ほかのボールも厄介だが、あれはちょっと別格だ。いくら倉橋でも、さすがに厳しいだろう。

 そして三球目。竹田は、やはりフォークを投じてきた。

 倉橋は一瞬バットを出しかけるが、寸前で止める。内角を突いたボールが、倉橋の足元でワンバウンドした。

 アンパイアが立ち上がり、パチンと膝を打つジェスチャーをした。そして一塁を指差し、やや甲高い声で告げる。

「デッドボール!」

 死球の判定に、僅かながらスタンドがざわめく。

「こ、こら竹田。ねらいすぎやで」

 高山がマスクを取り、苦笑いした。その傍らで、倉橋は「やれやれ」とつぶやき、小走りで一塁へと向かう。ベースを踏むと、こちらに顔を向ける。

「よく見たぞ倉橋!」

 声を掛けると、相手は渋い顔で「おう」と返事した。

「つぎはフォークと踏んでたんだ。イチかバチかだったが、見逃せばボールだと思って、振らないことにしたんだ。あやうく手が出そうになったがな」

 そうだ、思いきりだ……と、谷口は自分に言い聞かせる。危険を承知のうえで、迷いなくプレーする。それを学ぶための戦いが、今日の試合なのだ。

―― 五番ピッチャー、谷口君。

 アナウンスを聴き、打席へと入る。一度深呼吸し肩を上下させ、力を抜く。それから速球に備えるため、やはりバットの握りを短くした。

 横目で、ちらっと高山を見やる。何か言ってくるかと思ったが、意外にも今度は、こちらに目もくれず。代わりに、マウンド上の竹田へ声を掛ける。

「おい竹田。ここまで来たんだ、もうバッターのことは考えなくてええぞ。投げ込みのつもりで、あと三球、おまえのベストボールを見せてくれや」

 へぇ、うまい言い方だな。投げ込みのつもりで、ベストボールを……か。たしかに、これだけのタマを投げられるピッチャーなのだから、バッターより投げることに集中させるのも、一つのテではあるな。

 他人事のように思った後、つい含み笑いが漏れた。

 でも……わざわざ口にするってことは、やはりこういう場面で、竹田は力んでしまうクセがあるんだ。倉橋にツーナッシングから、死球を与えたくらいだからな。焦りというより、たぶんきれいに終わらせようとしすぎなんだろう。

 初球。おそらく引っ掛かったのだろう、ホームベース手前でバウンドする。高山が両肩を回し「ラクに」と合図した。

 おや、と谷口は気付く。

 いまのボール、あまり力がなかったな。力むとうまく指にかからなくて、こういうタマを投げちゃうんだ。ここに来て、やっと彼の弱点が見えてきたぞ。

「うーん。たまに、変なタマ投げてきよる」

 高山がおどけた声を発した。

「つぎ、もし顔とかにきたら……カンニンな。ちゃんとよけるんやで」

 脅しているのだと、すぐに察した。

「だいじょうぶだよ」

 微笑んで、谷口は答えた。

「うちの野球部、至近距離でノックとかよくやるし」

 事実を答えただけなのだが、高山は「おっかな」と顔をしかめる。

 谷口がバットを構えると、キャッチャーもようやく屈み込んだ。サインを交換すると、マウンド上の竹田が投球動作へと移る。

 アウトコース高めに、抜けダマがきた。

 やはり力がない。高山が慌てた様子で、腰を浮かせミットの左手を伸ばす。明かなボール球だったが、谷口はこれを強振した。

「……くわっ!」

 パシッ。打球は、ライト頭上へ舞い上がる。上がりすぎたかと一瞬思ったが、西将の右翼手がじりじりと後退し、とうとう背中が外野フェンスに付く。

 ボールは、そのままスタンドへと吸い込まれた。ツーランホームラン。

「や、やった」

 小走りにダイヤモンドを回りながら、谷口はぐっと右拳を握り込んだ。

 

 

 土壇場に飛び出した一発。内外野のスタンドは、大いに沸き上がる。

「す、すげぇ。西将のエースからホームラン打っちゃうなんて」

「墨谷って、こんなに強いのかよ。初めてシードされたばかりなんだろ」

「それより二点差だ。こりゃ、まだ分からんぞ」

 観客のそんな声が聴こえてきた。どよめきは、やがて拍手へと変わっていく。

「……けっ、判官贔屓もええとこやで。こんなん焼け石に水やないか」

 高山がぼやくと、竹田は「そうだな。ははっ」と笑い声を上げた。

「こら、そこのエース」

 すかさず突っ込みを入れる。

「打たれといて、笑うとる場合か。なんやあの力のないタマは」

「わ、わりぃ。ちょっと滑っちゃって」

「あたりまえや。足元のロージンは、飾りか?」

 竹田は慌ててロージンバックを拾い、指先に馴染ませる。

「ふん、ええクスリになったやろ。もうちょいシャキッとしぃや」

 そう言って、ひそかに溜息をつく。

 にしても……まさかあの抜けダマを、ねらってくるとは。ランナーを出すと、ああいうボールを投げよる。気にはしてたが、どうせストライクにならへんから、いままで矯正しなかったんや。フツウ、誰もあんなクソボール打たへんし。

 くくっ、と思わず笑ってしまう。

 けど、考えてみりゃ……わりと合理的やな。いくらボール球でも、力のないタマをねらった方が、ヒットにできる確率は高い。やつらホンマに、僅かでも突破口を見つけたら、強引にでもこじ開けよる。

 その時、ウグイス嬢のアナウンスが流れた。

―― 墨谷高校、選手の交代をお知らせ致します。六番の岡村君に代わりまして、根岸君。バッターは、根岸君。

 ほう、ここで代打かい。やつらまだ……あきらめてへんってことやな。

 わりと大柄なバッターが、右打席に入ってきた。イガラシが負傷した時、連れにきた選手だと気付く。その後は、ずっとブルペン捕手を務めている。

 根岸は、白線の内側ぎりぎりに立ち、バスターの構えをした。

 こいつ……なんや、その構えと立ち位置は。インコースを投げにくくさせようとしているのか、それとも誘っているのか。あるいはアウトコース一本に絞っているのか。

 高山は屈み込み、サインを出した。要求はアウトコースの速球。

 何を考えてようが、カンケ―あらへん。ここはもう、竹田のベストボールを引き出すだけや。打てるもんなら打ってみぃ。

 マウンド上。竹田はうなずき、投球動作へと移る。ワインドアップから、強く右腕をしならせ、第一球を投じた。

 眼前の右打席。根岸は、一転してヒッティングの構え。やはりバスターだ。おっつけるようにバットを差し出す。

 ガッ。鈍い音が響くのと同時に、根岸は「くそっ」と唇を噛んだ。

 速球の威力に、打者は力負けした。しかし思いのほか伸びる。セカンド平石の頭上を越え、外野の芝へと落ちていく。

 その瞬間、ダッシュしてきた右翼手が飛び付いた。

「……あ、アウト!」

 ボールは、差し出したグラブの先に引っ掛かっていた。三塁塁審が、大きく右手を突き上げる。内外野のスタンドから、安堵と落胆の混じった溜息が漏れた。

 

 招待野球第二試合は、こうして幕を閉じた。

 春の甲子園優勝校・西将学園に対し、墨谷は最後まで食い下がるも、あと一歩及ばず。四対六。地力に勝る西将が、墨谷を振り切ったのである。

 予想外ともいえる白熱した好勝負に、観客達は胸を打たれる。試合後には、両校のナインに対し、スタンドから惜しみない拍手が送られたのだった。

 

 

3.戦いの後で……

 

 三塁側選手控室に、墨高ナインは集まっていた。

 ほとんどの者が、すでに着替えを済ませ帰り支度を整えている。試合後にも関わらず、疲れているのか敗戦の悔しさなのか、口を開く者は少ない。

「……お待たせしました」

 通路へ出るドアが開き、イガラシが医務室から戻ってくる。負傷した直後、一度手当てを受けているが、念のため試合後にも行かせていた。

「おう。どうだった?」

 キャッチャー用具をまとめながら、倉橋が尋ねる。

「倉橋さんの言ったとおりでした」

 包帯の左手を掲げ、イガラシは苦笑いした。

「打ぼくと軽いねんざだと言われました。いまは、かなり腫れていますけど。夏の大会には、なんとか間に合いそうです」

 谷口は、胸を撫で下ろした。周囲からも安堵の吐息が漏れる。

「……おまえってやつは。ほんとに、ムチャしやがって」

 傍らで、倉橋が「まったくだぜ」と首肯する。

「イガラシ。あまり谷口のマネばかり、すんじゃねぇぞ」

「あっ」

 ついずっこけてしまう。ぷぷっと、数人が吹き出した。しばし重かったナイン達の雰囲気に、ほんの少し明るさが戻る。

「ところでイガラシ」

 ちょうど着替え終えた丸井が、声を掛ける。

「向こうの高山ってキャッチャーに、なんで突っかかっていったんだ。アタマにきてるふうでもなかったし。なにか意図でもあったのか?」

「ははっ。さすが丸井さん、気づいてましたか」

 イガラシは、笑って返答した。

「おしゃべりな人でしたからね。うまくノセておけば、ぽろっと谷原の弱点とか、口にしてくれるんじゃないかと」

「そ、そうかっ。やつら甲子園で、あの谷原と戦ってるんだ」

 そう言って、丸井はイガラシの左手をつかむ。

「……テッ。ま、丸井さん。左手はちょっと」

「あぁスマン。しかし……いまからでも、遅くないぞ」

「えっ、なにがです?」

「決まってるだろ。あの高山をつかまえて、谷原の攻りゃく法を聞き出すんだよ」

「ううむ……それは、どうでしょう」

 後輩は、小さくかぶりを振った。

「あの人が口をすべらせるならともかく、親切に教えてくれるとは思えませんし」

「む。たしかに、意地悪そうな感じだったな」

「それに考えてみりゃ、うちとはチームの特徴も戦力も大きくちがうので。聞いたところで参考にならないんじゃないかと」

 よくそこまで頭が回るものだなと、谷口は半ば呆れながらも感心した。もしイガラシが最後まで出場できていたら、今日の結果は違っていただろう。

「なあ丸井。それに、みんなも」

 静かに問いかける。

「どう谷原と戦うべきか。それはもう、ほとんど分かってるだろう」

「え……まぁ、そうスね」

 はっとしたように、丸井がうなずく。

「今日だって、みんな最後まで、粘り強く戦えたじゃないか。負けたとはいえ当初のテーマは、完遂できた。あとは……どれだけ鍛錬を積めるかだよ」

 谷口の言葉に、倉橋が「うむ」と相槌を打つ。

「相手は強かったが、なにもできなかったワケじゃない。井口はよく投げてたし、リリーフの二人も。七回から点はやらなかったしな」

 横井が「それによ」と割り込む。

「第一、俺らが谷原用の特訓を始めて、まだ一週間もならないからな。それですぐ、あのクラスのチームを倒そうなんて、虫が良すぎるか」

 ええ、とイガラシも首肯する。

「横井さんの言うとおりですよ。正直、思ったよりは渡り合えたので、やり方はあれでいいと思います。及ばなかったのは……けっきょく、まだ練習が足りないんです」

「とくに俺は、竹田の変化球にやられすぎたのが、反省だよ」

 バツの悪そうに横井が言うと、戸室が隣で「そりゃ俺もだ」と苦笑いした。

「まぁまぁ。あれは、慣れの問題もありますし」

 イガラシはそう言って、ふと何かを考え込むような顔をした。

「あの……学校に帰ったら、ぼくが打撃投手やりましょうか? フォークは投げられないですけど、落ちるシュートとチェンジアップなら」

 ええっ、と周囲がどよめく。

「ばか。ケガしてるってのに、なに言ってんだよ」

 丸井がたしなめると、イガラシは「なーに」と笑う。

「利き腕じゃないですし、投げるだけならワケないですよ。もちろん打球は捕れませんけど。たしか防御用ネットがあったので、それを使わせてもらえば」

 ナイン達のやり取りに、谷口は感嘆の吐息を漏らした。

 みんな……す、スゴイじゃないか。負けて悔しがるだけじゃなく、つぎなにをすればいいかまで、自分達で話し合えるなんて。これなら、うちはもっと強くなれる。あの谷原にも、勝てるかもしれないぞ。

「ありがとうイガラシ」

 無鉄砲な後輩と目を見合わせ、谷口は一つ咳払いして言った。

「でも、それは俺がやる。なにかあったら困るからな」

「キャプテン」

「それより井口のランニングにつき合ってくれ。まだウエイトを落とさなきゃならん」

 井口が「へっ?」と、間の抜けた声を発した。

「あ、なるほど。分かりました」

 イガラシは素直に返事して、口を半開きにしている幼馴染を小突く。

「……テッ」

「なんだよ。その間抜けヅラは」

「俺、西将相手に投げて、疲れてんだぞ」

「だからこそのランニングじゃないか。肩や肘の負担も、気にしなくていいしな」

「うっ。トホホ……」

 しょんぼりと井口が下を向く。周囲から、くすくすと笑いがこぼれた。

 

 

 その時、控室のドアがノックされる。

「どうぞ」

 谷口が返事すると、すぐにドアが開く。若い男が姿を現した。

 白地のポロシャツに「実行委員会」と記された腕章。どうやら招待野球の運営に携わる球場係員らしい。

「失礼します。キャプテンの谷口君は、きみかい?」

「ええ、そうですが」

「きみにお客さんが来てる。そんなに時間は取らせないので、ちょっといいかな」

「は、はぁ……」

 戸惑いながらも、谷口は男に付き添われ、通路に出た。

「監督。墨谷のキャプテン、谷口君をお連れしました」

 彼が手をかざした先に、もう一人の立っていた。野球のユニフォームに、ウインドブレーカーを身に纏っている。眼鏡を掛け、いかにもインテリ然とした紳士。

 その人物が誰なのか、谷口はすぐに思い当たる。

「あ……さ、さっきはドウモ」

 彼こそ西将学園の監督、中岡その人であった。思わぬ敵指揮官との対面に、つい狼狽えてしまう。

「おおっ来てくれたか。休んでいるところ、すまないね」

「いえ、そんな……わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」

「ハハハ。そう、かしこまることはない。あらためて……中岡です、よろしく」

 中岡はそう言って、右手を差し出した。

「たっ谷口です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人は固く握手した。百戦錬磨の男の手は、意外にも柔らかい。

「さて。あまり時間がないので、急ぎ用件を伝える」

 名将は柔らかな表情で、話し始める。

「まずは……この招待野球に参加してくれて、感謝するよ」

「か、感謝ですか?」

 やや訝しく思いながらも、谷口は答えた。

「そんな……とんでもありません。ぼくらこそ、貴重な経験になりました」

「ふふっ、すまない。説明不足だったね」

 中岡は、にやりとして言った。

「あの……と、おっしゃいますと?」

「きみも知っているだろうが、なかなかうちの相手が決まらなくて、困っていたのだよ。君達が引き受けてくれて、助かったんだ。そればかりか、こんなに良い戦いをしてくれて……おかげで私の恩師が、面目を保てたよ」

「は、はぁ……恩師の方が」

「うむ。ちなみに、きみも知っている人だ」

 思わぬ一言に、谷口は目を見開く。

「きみも覚えているだろう」

 相手は、愉快そうに告げる。

「昨年まで、全国中学野球連盟の委員長を務めておられた、大田原先生だよ。私は先生の、中学教員時代の生徒でね」

「お、大田原先生って……ああっ」

 思わず声を上げていた。

「以前、青葉との再試合を決めた」

 数々のトロフィーや賞状の飾られた一室で、自分と新聞記者を出迎えた、あの気難しそうな顔が浮かぶ。

「きみと墨高の活やくを期待している、と先生からの伝言だ。今日の内容を聞いたら、きっと喜んでくれるだろう」

 中岡はそう言って、さらに「もう一つ」と付け加える。

「試合の後、観戦に来ていた知り合いの監督達と、何人か会ってね。来週、この近辺まで遠征に来るそうだが、ぜひ練習試合がしたいと言ってたよ」

「えっ、ぼくらとですか?」

 こちらの戸惑いをよそに、中岡は一枚の紙を差し出す。

「これがリストだ。お互いの都合もあるだろうから、あとは調整してくれと伝えたよ」

 紙を広げると、三つの学校と連絡先が記されていた。その名前に驚かされる。

「あ、あの……ここってもしや、ぜんぶ春の甲子園に出てたトコじゃ」

「うむ。そうだが」

 名将は、事もなげに答えた。

「いいんですか? ぼくらが、こんな……」

「なにをうろたえているのかね、いまさら」

 可笑しそうに肩を揺する。

「うちとあそこまで渡り合えたのだから、もうコワイものはなかろう」

「ええっ。そ、それは」

 帽子を被り直し、名将は穏やかに微笑んだ。

「きみらはもう……どこと戦っても、恥ずかしくない試合ができるはずだよ。じかにやり合った、この私が保障する。自信を持ちたまえ」

 そう言って、また右手を差し出す。

「ありがとうございます。ご期待に沿うよう、がんばります」

 谷口は深く一礼して、もう一度中岡と握手を交わした。

 

 

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