南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

「ハイサイおじさん」が、沖縄高校野球応援のメイン曲でなければならない理由

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 沖縄高校野球応援のメイン曲「ハイサイおじさん」に対し、“酒飲みの歌は高校野球にふさわしくない”とクレームが付けられ、それ以来何試合か応援曲として使われなかったことがある。

 

 私はこのクレームに対し、断固として反対の意を示したい。

 

 なるほど歌詞を見れば、確かに「酒飲みのオジサン」の日常をのように思われるかもしれない。だが、それだけでは読みが浅い。どうしてオジサンが、酒浸りになってしまったのか、その背景を考える必要がある。

 

 詳細はここでは書かないが――オジサンがそうなってしまった原因は、戦争である。つまり「ハイサイおじさん」は、れっきとした“反戦歌”なのだ。

 

 「ハイサイおじさん」を“反戦歌”だと見ると、もっと奥深く歌詞を読み取ることができる。ユーモラスな歌詞の奥に、戦中・戦後の悲惨な境遇さえも笑い飛ばして、逞しく生き抜いていこうとするウチナーンチュの姿が見えてこないだろうか。

 

 悲惨な境遇に打ちひしがれるのではなく、明るく前向きに立ち向かって見せる。その精神は、戦後ウチナーンチュの希望の星となった沖縄高校野球の戦いと重なる――私にはそう思えるのである。

 

 だから沖縄高校野球の応援曲は、「ハイサイおじさん」じゃないとダメなのだ。あの曲には、戦後の沖縄の歩みと、そこで生きてきた人々の思い、そのすべてが詰まっている。

 

 急いで断っておくが、高校野球と戦争を結び付けることには反対だ。両者はあまりにもかけ離れ過ぎている。

 

 ただ戦後を生き抜いてきた沖縄の人々が、高校野球に希望を託したこと。それは確かな事実である。もちろん現役の高校球児達が、沖縄の重い歴史までも背負うことはない。

 

 しかし自然と、沖縄の球児達は、沖縄の人々にとって希望の象徴となっていくのだろう。それはきっと、これからも変わらないと思う。

逆方向へのバッティングは、なぜ必要なのか!? ~第94回選抜高校野球より~

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 プロ野球だけでなく、高校野球でもレベルの高い試合になると、いわゆる“逆方向へのバッティング”が重要と言われている。念のために説明すると、右打者が右方向へ、左打者が左方向へ打ち返すことが「逆方向」である。

 

 そもそも、なぜ“逆方向へのバッティング”が重要だと言われてるのか。

 もちろんヒットエンドラン等、作戦で使うということもある。だがそれ以上に、現代のピッチャーはほとんどが横に曲がる球、すなわちスライダーを持ち球としていることが、逆方向へのバッティングが重要とされる理由である。

 

 一般に、右打者及び右投手が多い。右打者から見て、右投手のスライダーは外へ逃げていく軌道になる。実際に打ってみれば分かると思うが、逃げていくボールは引っ張り込んで打つと引っ掛けてしまい、ゴロになりやすい。引っ張るのではなく、おっつけるようなスイングの方が、芯で捉えてライナー性の打球を打ち返しやすい。

 

 だから私は、試合観戦においてチームの打撃のレベルを計る時、打球方向を見る。

 どんなに長打が多くても、引っぱった打球ばかりのチームは、好投手と当たればきっと抑えられるだろうと推測する。一方、さほど長打は多くなくても、逆方向へ打ち返せるチームはどんな投手からでも得点できると思う。

 

 ただし――ここで一つ断っておかねばならないのは、“引っぱり”のバッティングがダメというわけではない。むしろ、引っぱって速い打球を打つことができない打者が、逆方向へ打てたとしても、それは単なる手打ちか振り遅れの場合が多い。

 

 やはり基本はフルスイングなのだ。フルスイングで長打の打てるチームが、相手投手のレベルや状況に応じて、逆方向にも打ち返せるから、効果的なのだ。最初から長打を捨てているチームなど、まったく怖くない。インコースに速球を集めれば、簡単に詰まらせられる。

 

 もし不器用で、引っぱりしかできないバッターでも、対応策はある。要するに、アウトコースの逃げていく球を捨てればよいのだ。

 

 捨て方は二通りある。一つは「見逃せば半分以上はボール球」と割り切って、手を出さないこと。もう一つは、ファールで逃げる技術を身につけることである。

 

 どんなにコントロールが良い投手でも、全球アウトコースの厳しいコースを突ける投手というのは、そうはいない。どれかは内寄りに入ってくるはずだ。その内寄りにきた球をねらえばよい。

 

 なんだかんだでピッチャーにとって怖いのは、一発長打のあるチームである。“力と技”とはよく言ったものだが、技を磨くのはもちろん大切なことだが、それにより力を捨ててしまうと、持てる能力の半分しか出せなくなってしまう。

 

 バッティング一つとっても、引っぱりか逆方向かという二者択一ではなく、「どうすれば勝つ確率を上げられるか」という視点で、各チーム及び各選手には、日々の練習に取り組んでもらいたい。

”強力打線”を抑えるために、やられてはいけないこと ~第94回選抜高校野球より~

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 強力打線を確実に抑える方法は、私には分からない。ただ……とりわけ高校野球において、いわゆる強打のチームにやられてはいけないことなら、分かる。

 

 結論から言うと――試合序盤で、アウトコースの球を打たれることだ。

 

 一般的にアウトコースというのは、打者から遠く打ちにくいコースと言われている。だからアウトコースに投げる時は、“打たれないように”という慎重な気持ちが働いていることが多いはずだ。

 

 それを序盤で打たれてしまうと、後の攻防で後手に回ってしまう。特に、さほど球威のない投手は。

 

 球威があり、二巡目、三巡目以降の投球で、力で抑えられる投手は別だ。しかし、そうでない投手の場合、“慎重に”と思って投げた球を打たれてしまうと、もう投げる球がなくなってしまう。

 

 ならばインコースに投げれば良いではないかと思われるかもしれない。ところが、インコースはより細かいコントロール、何より強い勇気が求められる――内に外れれば死球、外つまり真ん中寄りに外れれば、一発長打の危険があるからだ。

 

 一度打たれた後、思い切ってインコースを突く勇気を奮い立たせることは、簡単なことではない。どうしても腕が縮こまってしまうだろう。そうなると、強力打線を抑えることは一層難しい。

 

 かといって一番マズイのは、アウトコースに球を“集めて”しまうことだ。インコースに投げてこなと分かると、強打線のチームの打者は、どんどん踏み込んで打ちにくる。そうなると、真ん中に投げるのと同じことになり、狙い打ちされやすくなる。

 

 したがってセオリーとしては、先にインコースを攻める方が良い。

 

 もちろん打たれるリスクもあるが、同じ打たれるなら、アウトコースよりもインコースを打たれる方がずっとマシだ。相手打線に「向こうのバッテリーはインコースをどんどん攻めてくる」と印象付けることができるし、そうした上でなら、アウトコースへの投球も(より遠く感じるので)生きてくる。

 

 そして以上の話は、投手にある程度の制球力があることが前提である。150キロ近い球を投げられるなら別だが、そうでなければ、内外角を投げ分けるコントロールがないと、強力打線には歯が立たないことは、言うまでもない。

”強力打線の条件”とは何か!? ~第94回選抜高校野球より~

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 突然だが、“強力打線”とはどのような打線を指すのだろうか。

 

 チーム打率が高い? 本塁打数が多い? 長打率や連打率が高い? どれもすべて当てはまりそうだが、それらは相手投手との兼ね合いが大きい面もある。実際、地方大会では低打率だったチームが甲子園では打ちまくったり、逆に“強力打線”の触れ込みだったチームが、甲子園ではさっぱり……といったケースもある。

 

 私は次のように考える――長打で試合の流れを変えられる打線、と。

 

 対戦した投手のレベルが低ければ、打率や本塁打数等は自然と増えていく。またそういう相手との試合は一方的な展開となるだろうから、そもそも「試合の流れを変える」ことの必要性はない。

 

 本当に底力を試されるのは、相手との力関係がほぼ互角だった時。あるいは劣勢ないし拮抗した試合展開となった時である。

 

 例えば83年夏。“事実上の決勝戦”と言われた池田-中京の一戦は池田・水野、中京・野中の投手戦となり、1-1で九回を迎えたが、試合を決めたのは七番高橋の一発だった。

 また98年夏。あの横浜-PL学園の一戦で、0-3と劣勢だった横浜にまず流れを引き寄せたのは、キャプテン小山の追撃の2ランだった。

 

 相手より力量で勝っている時、あるいはこちらに流れがきている時の長打は、甲子園に出てくるようなチームなら打てる。しかし劣勢あるいは拮抗した試合展開において、長打で流れを変えるとなると、話は別だ。

 単純なパワーやミート力だけでなく、甘い球を見逃さない集中力、難しい試合展開でも平常心を失わないといったこと等、メンタル面の強さも求められる。

 

 相手からすれば、これほど怖い打線はない。

 こちらがリードしていても、あるいは拮抗した展開に持ち込んでいても、たった一球で流れを変えられてしまうのである。相対するバッテリーは、常に“少しまちがえばやられる”というプレッシャーを感じながらの投球となる。

 

 今大会(第94回選抜高校野球大会)でいえば、鳴門の好投手・富田から長打とスクイズで3点を奪った大阪桐蔭や、二試合続けて試合序盤に本塁打を放っている浦和学院は、やはり“強力打線”と見て良いと思われる。この二校に加え、勝負強い印象のある九州国際大附属、近江辺りが、優勝に近い所にいるのではないかと推測するが……果たして。

W杯における躍進の鍵は、”状況に応じた戦い方”ができるかどうか ~サッカー日本代表・7大会連続のW杯へ~

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 まずは森保JAPAN、7大会連続となるW杯出場おめでとう!

 

 何かと批判の多い森保監督だが、個人的には「今すぐ解任すべき」とまで思ったことはなかった。

 

 W杯最終予選の序盤で2敗したのは、五輪本大会直後で準備期間が少なかったことも影響している。また、2敗するまでスタメンを入れ替えなかったのも、不調の選手への信頼を示したかったのだろう。それにハマった時は、五輪のフランス戦や昨日(令和4年3月24日)のオーストラリア戦のように、面白いサッカーを見せてくれる。

 

 ハリルホジッチ監督時代の末期のような、先行きの見えない手詰まり感は、まだ感じられない。またジーコ監督時代のような、人間関係の縺れも今のところ聞こえてこない。

 

 つまり森保監督は、少なくとも今の選手達のポテンシャルを、百パーセントとはいかなくても、それに近いぐらい発揮させてくれてはいると思う。

 

 ただ――それだけでは、W杯では上を目指せない。上手くハマったとしても、せいぜいグループリーグ突破がやっと(それだけでも簡単ではないが)だろう。

 

 過去、日本は6度のワールドカップ出場で、すでに3回はグループリーグ突破を果たしている。これは何を意味するかというと、“日本サッカーの良さ”―走力や組織性、俊敏性等―を出しさえすれば、日本は十分世界の舞台でも戦えるということだ。

 しかし、相手が対策してきたり、何らかの理由でフィジカルコンディションが整わなかったりして“日本サッカーの良さ”が出せなければ、また勝てないということである。

 

 個人的に、森保監督への不満はそこである。流れの良い時はいいのだが、流れが悪い時、選手交代やシステム変更等の采配で、事態を好転させるのを見たことがない――今のところは。

 

 これはもう、海外遠征で格上のチームとの強化試合を組むしかないだろう。格上のチームが相手ならば、必ず良くない時間帯はくる。その時、森保監督がどんな手を打てるかが、今後試されることだろう。

 

 試されるのは監督だけではない。選手達もまた、流れが良くない時、状況を冷静に受け止めて良くないなりの戦い方ができるかどうか、それが求められてくる。

 

 つまり日本がW杯でベスト8以上をねらうためには、“状況に応じた戦い方”ができるかどうか。これを本大会までにできるようになることが、すべてではないかと思う。