南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

“特別なこと”は必要ない——【Jリーグワールドチャレンジ】鹿島アントラーズ2-0セビージャ<戦評>

 あくまでも“親善試合”である。だから、単に「勝った・負けた」という結果だけで一喜一憂するわけにはいかない。

 

 しかし、親善試合であればこそ——「どのように戦い、その結果どうなったか」というプロセスは、適切に捉える必要がある。でなければ、ここで得た成果と課題を、間もなく再開するリーグ戦へと生かしていくことができない。

 

 このプロセスという点において、鹿島アントラーズとセビージャの一戦は、少なくとも鹿島にとって非常に有意義な試合だったと言える。もちろん、勝ったという結果も含めて。

 

 世界最高峰のリーグとも言われる“リーガ・エスパニョーラ”にて4位という好成績を残し、あのレアル・マドリードをも下したセビージャは、当然ながら鹿島よりも格上のチームである。

 

 だが、格上が相手なら、“それなりの戦い方”というものがある。鹿島の選手達は、それを忠実に実行し続けた。誰一人として、妙な気負いもなく、また変な色気も出さず、その場面・状況に応じてやるべき事を確実にこなしていた。

 

 この試合の流れを、大まかに振り返ってみる。

 

前半、セビージャにほぼ一方的に押し込まれるも、鹿島の選手達は何とか水際で食い止め、

無失点に抑える。

 

後半、セビージャの攻撃パターンに慣れ始めた頃、鹿島も徐々に攻勢に出始める。

 

相手の隙を突き、カウンターと安部裕葵の個人技で崩し、鈴木優磨が押し込み先取点。

 

セビージャの反撃を凌ぎながら、カウンターのチャンスを窺う。

 

終了直前、土居聖真の個人技からのシュートで得たCKに、鈴木優磨が頭で合わせ追加点。

 

 お気付きだろうか。鹿島は、何も“特別なこと”はしていない。劣勢の時は耐えるのも、慣れた頃に攻勢へ出るのも、リードしたら凌ぎながらカウンターを狙うのも、当たり前といえば当たり前の話である。

 

 格上の相手を破るのに、特別なことは何も必要ない——そのプレー・その戦い方が、相手や状況に“効果的”であるならば。

 

 この日の鹿島の試合は、まさしく日本代表に足りないモノを体現していたと言えはしないだろうか。

 

 もはや“Jリーグだから”云々という言説は、気にしなくても良いはずだ。この日のセビージャ戦、そして昨年のクラブ・ワールドカップでもアフリカ及び南米王者を撃破し、あのレアル・マドリードとも延長戦へと縺れる死闘を演じている。

 

 代表戦では、もちろん選手も違うし戦術も異なってくるだろうから、鹿島をそっくり真似するというわけにはいくまい。

 

 ただ、試合を進めていく時の“考え方”は、大いに参考にすべき部分があるように思う。

 

 簡単に言えば、「凌ぐ」「攻める」「やり過ごす」という三つの戦い方を、時間帯によって使い分けるということである。

 

 鹿島は、この使い分けが抜群に上手い。だから相手に攻め込まれていても、今は「凌ぐ」時間帯だとチームとして意思統一が図れる。だから、いざ攻勢に出る時も集中力が高く、ここぞという時に得点できる。

 

 ただし相手によっては、戦い方の順番を変えた方が良い場合もある。例えば格下のチームとの対戦であれば、序盤から「攻める」という選択もあり得る。大切なのは、戦い方が“チームとして”ぶれないこと。

 

 繰り返すが、「凌ぐ」「攻める」「やり過ごす」の使い分け、チームとしての意思統一を図るということ——そう、何も“特別なこと”をする必要はないのだ。