南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

特別企画(1)——智弁和歌山・甲子園名勝負 5選

 一回戦で興南と対戦する智弁和歌山は、言わずと知れた全国屈指の強豪校だ。

 我が沖縄県勢も、過去4回の対戦で1勝3敗と負け越している。近年、県勢が少しずつ力を付け全国上位を伺おうとした時、いつも立ちふさがってきた難敵という印象も強い。

 過去の甲子園大会における戦績は、春夏合わせて通算56勝、6度の甲子園大会決勝進出、3度の優勝を誇る。その輝かしい実績もさることながら、球史に刻まれる数々の名勝負を繰り広げてきた。まさに記録にも記憶にも残る、高校野球界において稀有な存在と言える。

 そこで今回は、これまで智弁和歌山が演じてきた名勝負の中から5試合を精選し、ランキング形式で発表することとする。ランキングには、多分に筆者の“思い入れ”が反映されてしまっている点は、あらかじめご了承下さい。

第5位  智弁和歌山117PL学園(大阪) < 00年夏・三回戦 >

 スコア以上に、智弁和歌山が圧倒した試合だった。PL学園も反撃し、一時は97と2点差に詰め寄ったが、最後は力尽きた。

 三回表、二死から池辺啓二、山野純平が2ランアーチを一イニングで2本放ったのを皮切りに、山野がもう一発、九回には後藤仁もレフトスタンドへ叩き込む。

 当時の選手権大会新記録となる、一試合4本のホームラン。同時に忘れ難いのが、各打者の発する打球音だ。まるで、スイングに負け硬球が破裂してしまいそうな……(この大会の別の試合だが)実行アナウンサーの「ボールが悲鳴を上げている」というフレーズが印象深い。凄まじいパワーを見せ付けた。

 この頃、まだ野球名門校と言えば、PL学園というイメージが強かった。そのPLを文字通り力でねじ伏せたことで、智弁和歌山が全国の覇権を奪い取った印象がある。事実、この大会で智弁は二度目の選手権優勝を果たし、名実ともに全国屈指の強豪校の仲間入りを果たすこととなった。

第4位  智弁和歌山 196 日本文理(新潟)  < 97年夏・二回戦 >

 高塚信幸——古くからの智弁和歌山ファンであれば、忘れられない名前だろう。96年の選抜大会で、2年生ながら主戦投手として活躍。140キロを超える快速球を武器に、チームを決勝進出へと導く。

 だが、この大会での連投が元となり、肩を故障。翌年の選手権大会、初戦となったこの試合で久々に甲子園のマウンドへ立つ。だが、快速球で鳴らした前年の姿は見る影もなく、5失点と打ち込まれた。

 しかし……「高塚をもう一度甲子園のマウンドへ」の合言葉で結束したナインは、そこから猛反撃を開始。05で迎えた二回裏、一挙6点を奪い逆転に成功すると、その後も猛打が炸裂。終わってみれば19得点の圧勝で、初の夏優勝への足掛かりを得る。

 単なる強力打線という言葉では片付けられない、まるで何かが乗り移ったかのような猛攻だった。今度こそ高塚を、優勝投手にしたい……智弁和歌山ナインの、まさに“魂”を感じた試合である。

 後の決勝戦、優勝インタビューにおける中谷仁キャプテンの「あいつはやっぱり僕らのエースで、日本一のピッチャーです」という言葉も、また泣かせる。

第3位  智弁和歌山 13×12 帝京(東東京)  < 06年夏・準々決勝 >

 メディアで最も取り上げられる智弁和歌山の試合は、おそらくこの一戦だろう。

 1312というスコアを見ただけでも窺い知れる、すさまじい打撃戦。前述のPL学園戦における一試合4発の記録を自ら塗り替える、5本のアーチ。相手の帝京も2本のホームランを放ち、計7本というのも未だ破られていない。

 個人的には、九回裏に橋本良平の3ランが飛び出し1点差に迫った後の、代打・青石裕斗のセンター前への同点タイムリーが印象に残っている。完全に押せ押せの展開で、つい強引なバッティングになりがちなところを、基本に忠実なセンター返しを実行できた冷静さが、あの逆転劇を呼び込んだように思う。

 ただ、正直「らしくないな」と思ってもいた。90年代後半の“試合巧者”の智弁を知る者からすれば、やや物足りなさも残る内容だった。

以前の智弁は、打力があるだけでなく、ここぞという場面では簡単に点を与えなかった。それが、この試合では九回表に二死から8失点。もしこのまま終わっていれば、後にまでダメージを引きずる試合になっていた気がする。

第2位  智弁和歌山 7×6 柳川(福岡)  ※延長十一回 < 00年夏・準々決勝 >

 二度目の夏優勝を果たしたこの大会——まさしく“事実上の決勝戦”と言える一戦である。

 相手の柳川とは選抜の準々決勝でも当たり、10と僅差で破っていた。これが二度目の対戦という因縁もあった。

 八回裏、2本のアーチで追いついた場面が鮮烈ではあるが、流れを引き寄せた守備も印象的だ。フェンス直撃の打球で、三塁を回りランニングホームランを狙った走者を、中継プレーで刺す。

もし7点目が入っていれば、柳川は逃げ切れたかもしれない。ダメ押し点を許さなかったことが、後の反撃へとつながった。

ただこの試合、やはり柳川の主戦投手・香月良太の必死の投球に触れないわけにはいかないだろう。爪を割り、本来の球威とはほど遠い内容ながら、丹念に低めを突く。この粘投で、十一回まで望みをつないで見せた。最後は後藤仁にライト線へサヨナラタイムリーを浴び、力尽きたが、強力打線を相手に堂々たる投球だった。

 もっとも、香月が万全じゃなかったとはいえ……八回裏の“ここぞ”という場面で2ホームランを放ち、追いついた智弁和歌山の集中力は、見事というほかない。

 智弁の集中力と優勝への執念。柳川・香月の必死の粘りと、追い詰められてなお諦めない心。素晴らしい両者が対峙したが故の、これぞまさに名勝負だった。

第1位  智弁和歌山 1×0 浦添商業(沖縄) ※延長十回  < 97年夏・準決勝 >

 長年の智弁和歌山ファンの間では、この97年のチームを“史上最強”に推す声が根強いという。戦績自体は、選抜で準優勝もしている00年のチームの方が上なのだが……分かる気がする。

 97年のチームは、打力だけでなく攻守のバランスに優れていた。投手陣も、絶対的なエースであった高塚がほぼ投げられない状態だったにも関わらず、藤谷俊之・清水昭秀・児玉生弥の3投手による継投で、粘り強く凌いでいく力があった。

 何より——「高塚を甲子園へ連れていく」という強い気持ちで結束したチームは、まるで目に見えない力で押されるように、次々と難敵を倒し勝ち上がっていく。

 月並みな表現だが、まさに“奇跡のチーム”だったと思う。

 私は当然ながら、地元の浦添商業を応援していた。だが敵目線だったからこそ、なおさらこのチームの強さを感じ取っていた。

 当時の記録を調べてみると、ヒット数は浦添商が8本、智弁は9本。ほぼ互角である。実際、浦添商は何度もチャンスを作り、“あと一押し”というとことまで智弁を追い詰めていた。

 ところが……スクイズの打球が僅かに切れてファールになったり、二遊間を破って長打になりそうな打球を止められたり、レフト頭上を襲う打球が背面キャッチで好捕されたり。見ているこっちは、攻めても攻めてもまるで点が入る気がしない。

 そんな中、浦添商の主戦投手・上間豊の力投には胸を打たれた。野手陣もそれに応えるように、智弁に負けじと再三の好プレーで盛り立てる。両チームとも、いつ点が入ってもおかしくない状況だったが、ついに無得点のまま延長戦へ。そして……

 敗れはしたものの、上間はこの大会におけるベストピッチングを披露した。それは、継投で凌いだ智弁の清水、児玉にしても同じだったろう。また、堅い守りを見せた双方の野手陣も。

 センター犠牲フライという劇的な幕切れは、今にして思えば……野球の神様が「この結末しかない」と悩み抜いた、切なくも美しい演出だったように感じてならない。お互いが実力以上の力を発揮した、文句の付けようがないゲームだった。

——『本当にいい小説を一気に読み終えた後みたいな、本当に爽やかな印象ですよ(試合後のNHK・政野光伯アナウンサーのコメントから)』