南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

『ハイサイおじさん』に込められた沖縄魂と、野球の神様が用意してくれた“特別な舞台”

 あまり触れたくない話題だったのだが、地元ではもう無視できないほど耳にするようになってしまっている。そこで、私も沖縄高校野球ファンの一人として、率直に考えを述べることとしたい。

 沖縄代表校応援の定番曲・『ハイサイおじさん』のことである。

 あえて学校名は出さないが、沖縄の高校野球に関心がある方なら分かるはずだ。その学校だけ『ハイサイおじさん』を演奏する・しないということで、賛否両論……というより、かなり批判的な声が聴こえてくる。

 その学校の功績自体は、誰も否定できない。私自身、敬意を抱いている。それでも——この件ばかりは、言わせていただきたい。

 春夏の甲子園大会で、その学校だけ『ハイサイおじさん』を演奏させないというのは、明らかにおかしいと私は思う。

 どんな事情があるかは知らないし、知りたいとも思わない。だが“彼ら”は、気付いているだろうか。『ハイサイおじさん』を粗雑に扱うことで、今まで応援していたファンの気持ちが、少なからず醒めていってしまうことを。それによって「沖縄県民の後押し」という、大きな武器を失ってしまうことを。

 戦中・戦後と沖縄が歩んできた苦難の道のりについては、ここで改めて述べるまでもないだろう。今は苦しくとも、いつか本土に追い付き、追い越す——夜明けを信じ、将来に何とか光を見出そうと、占領期から本土復帰、そして現在へと至る時を過ごしてきた。

 そんな沖縄の人々が、「本土に追い付き、追い越そう」とする自分達の姿と重ね合わせ、そして“希望を託した”のが、高校野球だったのだ。

 7年前、あの歓喜の時——私は不思議な感覚を抱いていた。沖縄県勢初優勝。それは同時に、甲子園“春夏連覇”という球史に残る快挙。これは、野球の神様が「沖縄のために用意してくれた舞台」だったのではないかと。

 何となく予感がしていた。沖縄の甲子園に対する強く、深い思い。この背景にある、沖縄の歩んできた歴史。それらを鑑みて——沖縄勢が夏の優勝を果たす時には、何か“特別な舞台”が用意されるのではないかと。

 対戦相手も、過去に沖縄勢が戦ったことのある智弁和歌山、帝京、明徳義塾仙台育英聖光学院。そして決勝の相手は、かつて豊見城が涙を呑んだ東海大相模

 自然とこれまでの沖縄勢の戦いぶりが想起され、まさに野球の神様が「今こそ勝て!」と言ってくれているように思えた。

 非科学的だし、感傷的に過ぎる思いだということは自覚している。しかし、こういう因果な巡り合わせが時としてあるのも、高校野球の持つ魅力の一つなのだ。横浜の春夏連覇が、準々決勝以降の劇的な三連戦で締めくくられたように。北海道勢の初優勝が、あの降雨ノーゲームから雪辱の2連覇だったように。沖縄勢にとっての“それ”が史上6校目の春夏連覇であり、決勝戦の相手が東海大相模だったということ。

 首里高校の初出場、初勝利に始まり、興南旋風、豊見城の健闘。さらに興南沖縄水産がしのぎを削り、平成2年・平成3年の沖水連続夏準優勝。平成9年、浦添商業の快進撃。平成11年春、沖縄尚学の悲願の初優勝。平成13年、“21世紀枠”宜野座旋風。平成18年、“離島勢”八重山商工の春夏連続出場。平成20年春、沖尚2度目の快挙。同年夏、沖尚のライバル・浦商の快進撃。そして平成22年、興南春夏連覇

 まさに紆余曲折。幾多の屈辱と悔し涙と、だからこそ一入だった大きな歓喜と。そして——沖縄勢躍進の傍らにあり、いつも沖縄の球児達に“見えざる力”を与えてくれたのが、あの『ハイサイおじさん』だった。

 内容は、確かに「酒飲みおじさん」の歌である。しかしそれで片付けるのは、あまりにも読みが浅い。“ハイサイおじさん”のモデルとなった男性は、戦争で傷を負った人物だった。

 歌詞中には、どこにも「戦争」の二文字は出てこない。癒えない傷を引きずりながら、恨みつらみを口にすることなく、逞しく生き抜いていこうとする。あくまでも、おちゃらけた風を装いながら。

 複雑な思いを抱えながら、それでも前向きに歩んでいく。まさに沖縄県民の“魂”を表現した歌だと、私は思うのだ。これほど沖縄代表校の応援にふさわしい曲があるだろうか。

 高校野球も、時代とともに変わっていく。それは致し方ないことだ。しかし、伝統と因習は違う。変えなければならないものもあれば、変えてはいけないものもある。

 間違いなく『ハイサイおじさん』は、沖縄の高校野球にとって“変えてはいけないもの”である。はっきり言おう。『ハイサイおじさん』を粗雑に扱うことは、この曲に乗せてきた沖縄の高校野球に対する人々の思い、“魂”をないがしろにすることに等しいとさえ思う。

 栄光は、それを分かち合ってくれる人がいてこそ、深く味わえるものだ。少なくともあの決勝戦は、学校・野球部関係者だけでなく、沖縄の高校野球発展のために尽力してきた幾多の指導者、かつての球児達、そして県内外の沖縄高校野球ファン——すべての人々の思いが結実し、爆発した一戦だった。

 いや、もっと言えば、沖縄高校野球の……いや戦後の沖縄が歩んできた“歴史”が「勝たせてくれた」試合だったのだ。

 その学校が、今後も沖縄県民の応援を受けて甲子園で戦いたいのなら。もう一度、甲子園で「勝ちたい」と思うのなら。もっと『ハイサイおじさん』を大事にして欲しい。

 この曲は、もはや単なる応援歌の一つではない。それ以上の力を与えてくれる“魔曲”であり、沖縄人々が最も“魂”を乗せ、その心を一つにできる特別な曲なのだ。あなた方も、かつてその「力」の後押しを受けて勝ち進んだことを、忘れないで欲しい。“見えざる力”を侮ってはいけない。

 何の因果だろうか。今年の相手は、かつて4度の対戦経験がある智弁和歌山。もし勝っていれば、次戦はかつて沖水が決勝で敗れた大阪桐蔭だった。

 野球の神様が、こう言ってくれているのかもしれない——「沖縄勢よ、自分達の歩みをもう一度振り返ってみよ」と。