南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

言説を疑う——「世界に通用するサッカー」って、本当にあるのか?

 サッカー日本代表を巡る言説において、よく「世界に通用するサッカー」というフレーズが使われる。この事項について、今回は問題提起したい。

 果たして「世界に通用するサッカー」というものが、本当にあるのだろうかと。

 W杯本大会へ初出場を果たした頃からだろうか。この「世界に通用する(もしくは、通用しない)サッカー」というフレーズが、しばしば聞かれるようになった。

 あれから日本は五大会連続出場を果たし、うち二回はグループリーグも突破した。実績だけを見れば、十分「世界レベル」に達していると言って良いと思うのだが、未だに「世界に通用する・しない」というフレーズが、日本サッカーを語る際に使われることがある。

 極端な言い方かもしれないが、ここアジアだって“世界”ではないか。

 現在、208の国と地域がFIFAに加盟している。アジアも“世界”と見るのならば——例えば今回の最終予選なりアジア杯なりで、イラクでもオーストラリアでも、どこかの国を下せば、ある意味で「世界に通用した」と言えるはずだ。

 ニュアンスが違う? ならば、一体どこの国に勝てば(あるいは善戦すれば)「世界に通用した」と言えるのか。月並みな表現だが、「世界は広い」のである。範囲が広すぎて、よく分からない。

 W杯本大会には、32の多種多様な国と地域が集う。それを“世界”という言葉で一括りにしてしまうから、日本サッカーは「一つの戦術」に囚われてしまうのではないか。

 前回大会を指揮したザッケローニにも、現監督のハリルホジッチにも、私は批判的である。理由は単純で、「勝つべき試合に勝てなかった」からだ(具体的に取り上げるなら、ザッケローニはブラジルW杯初戦のコートジボワール戦、ハリルホジッチは最終予選初戦のUAE戦)。

 もっとも矛盾するようだが、二人の考え方はいずれも「正しい」と思っている。ザッケローニは、大まかに言えば“日本の良さ”を引き出そうとした。これに対して、ハリルホジッチは“日本の弱点”を克服させようとしている。長所を伸ばすことと、短所を克服すること。どちらも間違いではない。

 しかし、二人に共通して欠落している点がある。それは、サッカーのスタイルを「相手チームとの力関係」という視点で捉えられていないことだ。

 そもそも“間違った戦術”“間違ったサッカー”などというものはない。ポゼッションにしてもカウンターにしてもデュエルにしても、すべて正しい……と言えば、正しい。

 問題は、その戦術が「相手・状況に対して効果的なのか」どうかということだ。

 繰り返すが、W杯本大会には32の多種多様な国と地域が集う。さらに言えば、出場国は次のようなレベルに分けられる。

A:W杯本大会で、ベスト4優勝を狙える力がある。

B:W杯本大会で、ベスト8ベスト4辺りを狙える力がある。

C:W杯本大会で、毎回グループリーグを突破しベスト8辺りまで狙える力がある。

D:W杯本大会に出る力はあるが、グループリーグを突破できるかどうかは五分五分。

E:W杯本大会出場を狙える力はあるが、グループリーグで勝ち点を挙げるのがやっと。

 一口に「W杯出場国」といっても、これだけの幅があるのだ。それを“世界”と一括りにしてしまうことが、いかに現実離れしているか、分かっていただけるのではないだろうか。

 ちなみに日本は、過去2回のグループリーグ突破の経験があることから、上のランクで言えばDに入る。アジアのライバル、韓国やオーストラリアもその辺りだろう。

 さて、ここで注目していただきたいデータがある。過去のW杯本大会で、日本が「複数失点を喫して敗れた相手」を挙げてみることとする。

vs ジャマイカ    12 (98年フランス大会)ランク:E

vs オーストラリア  13 (06年ドイツ大会) ランク:D

vs ブラジル     14 (06年ドイツ大会) ランク:A

vs コートジボワール 12 (14年ブラジル大会)ランク:D

vs コロンビア    14 (14年ブラジル大会)ランク:B

 ブラジルとコロンビアは、W杯本大会で上位を狙う力があるので仕方ない面もあったが、残りの3ヶ国は、日本と同じ「グループリーグを突破できるかどうか」のレベルである。

 日本は今、ランクで言うDからC(ベスト8を狙える)へレベルアップを図ろうとしているが、自分達と同程度のランクの国に力負けを喫してきた事実は見逃せない。

 だから「日本はまだ世界で通用しない」と言いたくなる方もいらっしゃるだろうが、さらに別のデータをご覧いただきたい。ランクAの国との戦績である。

vs アルゼンチン 01(98年フランス大会) ・2回のW杯優勝、準優勝も2回。

vs クロアチア  01(98年フランス大会) ・同大会でドイツに圧勝、3位。

vs ブラジル   14(06年ドイツ大会) ・5回のW杯優勝

vs オランダ   01(10年南アフリカ大会)・2回のW杯準優勝

(※日韓大会で対戦したトルコも3位だったが、対戦相手に恵まれた印象があるため割愛)

 守備陣に問題を抱えていたドイツ大会のブラジル戦を除き、あとはすべて01と善戦している。少なくとも過去の戦績で言えば、やり方さえ間違えなければ、ランクAの国とでも接戦を演じる力は持っているのだ。

 ではなぜ、W杯上位クラスと善戦できる力があるのに、それよりも力が落ちる相手には劣勢を強いられてきたのか。個人的には、次のように見ている。

☆ ランクでは上位でない国ほど、日本を警戒し、研究した上で試合に臨んできたから。

☆ 攻撃サッカーを志向するチーム作りをすると、攻撃に人数を割き、結果として守備が手薄になる。

☆ 個人技に優れたアタッカーを苦手としている(オーストラリアのケーヒルコートジボワールドログバ、コロンビアのハメス・ロドリゲス等)。

 分析というほどでもない。過去のW杯における日本代表の戦績を振り返れば、簡単に浮かび上がってくる現象だ。対策としては、以下の事項が考えられる。

1.なるべく守備に人数を割くようにする(組織的な守りを構築する)。

2.相手が強力なアタッカーを擁していたら、封じるための策を講じる。

3.攻撃に人数を割かなくても良いように、カウンターやセットプレーで得点できる形を持っておく。

4.ドリブラーを起用する(少人数でシュートまで持っていったり、敵陣でファールを誘ったりするため)。

5.相手に研究されても対応できるように、ポゼッション・カウンターの両方をできるようにしておく(フォーメーションを変える必要はない)。

 15のうち、私がハリルホジッチに対して、最も不安視しているのは「5」である。

 特にアウェーのイラク戦が顕著だったが、「縦へ」と決めたら縦パス一辺倒になる。ボールを回してリズムを変えたり、試合を落ちつけようとしたりすることが、なかなか今のチームにはできない。それで無駄に体力を消耗したり、相手の狙いに嵌ってしまったりする。

 だから「勝つべき試合」だったホーム初戦のUAE戦、さらには勝っていれば優位に立っていたはずのアウェーのイラク戦で敗れ、ここまで苦戦を強いられることになった。戦術の完成度云々ではなく、“相手と状況に応じた判断力”がチームとして足りていないのだ。それは、やはり指揮官の責任が大きいと言わざるを得ない。

 とはいえ、私自身「もしかしたら……」と期待している部分もある。今の「縦パス・カウンター戦術」が、W杯本大会で格上のチームと対戦した時には上手く嵌ってくれるんじゃないかと。

 だがもし、相手の方が「縦パス・カウンター」戦術を採ってきたらどうなるか。ハリルホジッチと日本代表のコーチングスタッフは、そうなった時の手も考えているだろうか。何も策を講じなければ、ボールを持てることで少しずつチーム全体が前掛かりになり、相手の狙い通りカウンターを受けやすくなってしまう。

 ポゼッションか、カウンターか……という話ではない。「どちらかしかできない」ことが問題なのである。

 もっとも“一つの戦術”にこだわりすぎてしまうのは、日本サッカーの特性でもある。「ゾーンプレス」「フラットスリー」「考えて走るサッカー」「インテンシティ」「デュエル」……一体いくつの戦術に関するフレーズが取り上げられ、十分に理解もされないまま消えていったことだろう。

 身に付かないのも当然である。サッカーに、万能な戦術はない。いつでも「相手と状況に応じた判断・プレー」が求められるだけだ。

 過去五回の出場のうち、二度の決勝トーナメント進出と三度のグループリーグ敗退。これは、日本代表のサッカーが相手・状況に上手く嵌れば勝つことができ、嵌らなければ、もしくは研究され対策を講じられると、太刀打ちできなかった——という現象を物語っている。

 もし過去の大会が、すべてグループリーグ敗退であったなら、確かに戦術なり選手の個人能力なりに問題があったと言える。だが、そうではない。となれば、そろそろ今までと発想を変える必要があるのではないだろうか。

 そこで、冒頭の定義に戻る。果たして「世界に通用するサッカー」というものが、本当にあるのだろうか。

 私の答えは——「ある」とも言えるし「ない」とも言える。相手と状況に応じて、さらには過去の試合から勝ちパターン・負けパターンを分析して、日本代表が「できること・できないこと」を抽出していけば、自ずと形は見えてくる。

 強いて言えば、こんな結論も出せるかもしれない——日本が「世界に通用するサッカー」の形は分からないが、「世界に通用しないサッカー」なら分かる。すなわち、それは“相手と状況を無視したサッカー”である、と。

 残念だが、今の日本サッカー関係者が、バルサだのスペインだの美しいサッカーだの……と夢想を述べているようでは、話にならない。ハリルホジッチの後任に有能な指導者を連れてきたとしても、彼らの方針が実現不可能なものであれば、また同じ失敗を繰り返すに違いない。

 日本代表が、誰かの作った理想ではなく——本当に「相手と状況に応じたサッカー」をできるようになったなら。私は十分、W杯本大会で上位を狙えると思っているのだが。