南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

鹿島アントラーズーーいわゆる”伝統の勝負強さ”の正体とは何か?

 九月半ば過ぎ——鹿島アントラーズは、大岩剛新監督の下で快進撃を続けていた。

 

 とりわけアルビレックス新潟戦(4-2)とガンバ大阪戦(2-1)の逆転勝ちは鮮烈で、一部メディアには『鹿島が“伝統の勝負強さ”発揮』というふうに書き立てていた。そのガンバ戦で連勝が5に伸び、一時は2位の川崎フロンターレに勝ち点8の差を付ける。

 

 私は、本調子でないながら勝ち切ってしまう力強さを頼もしく感じる反面、こんな危なっかしい試合で“伝統の勝負強さ”などと言わないで欲しい、とも思っていた。勝ってはいるものの、好調時に比べると明らかにプレー精度が落ちている。こんな低調な内容で、いつまでも勝ち続けられるはずがない、と。

 

 案の定、やがて鹿島は勢いを失う。サガン鳥栖(0-1)、横浜Fマリノス(2-3)に苦杯を喫すると、天皇杯ではヴィッセル神戸にPK戦の末敗退。その後持ち直したが、2試合を残し川崎との勝ち点差は4と、まだまだ予断を許さない状況だ。周囲が“伝統の勝負強さ”というふうに言ったところで、負ける時は負ける。それが勝負の厳しさである。

 

 しかし……あえて今回は、その“伝統の勝負強さ”というものについて考えてみたい。

 

 選手達のコメントを読んでみると、鹿島の勝負強さというものは「対戦相手」が意識するものであり、彼ら自身の実感としては「必死に戦った結果が勝ちにつながった」というのが最も近いようだ。だとすると、鹿島の“伝統の勝負強さ”というものは、やはり幻に過ぎないのだろうか。

 

 そうだとは、思わない。

 

 必死に戦っているのは、相手も同じだからである。さらに言えば、19962001年のいわゆる「第一黄金期」を別にすれば、鹿島がJリーグにおいてさほど突出した戦力を誇っていたわけではない。にも関わらず、20072009年の「三連覇」や昨年のリーグと天皇杯の二冠など、鹿島は(世代交代期を除き)安定してタイトルを獲り続けている。必死さというだけでは、この現象を説明できないのだ。

 

 繰り返すが、鮮やかな逆転劇や終了間際の決勝点といった「劇的勝利」をもって“伝統の勝負強さ”と称することには、個人的には賛成できない。そういう勝ち方は、むしろ川崎や全盛期のガンバの試合により顕著だったように思う。何も鹿島の専売特許というわけではない。

 

 だが……鹿島の試合を見ていると、しばしば不思議な感覚を抱くことがある。

 

 スコアはイーブン。相手は(浦和レッズ川崎フロンターレのような)強豪。もちろん内容的にも、さほど圧倒しているわけではなく、互いに睨み合いを続けるような緊迫した展開。要するにその場面だけ見れば、どっちに転ぶか分からない試合である。にも関わらず、こんなふうに感じるのだ——この試合、きっと勝つだろうと。

 

 勝てる、ではない。きっと「勝つ」だろうと、半ば確信的に思えるのだ。鹿島ファンでなくとも、長年鹿島の試合を見続けている方なら、おそらく共感していただけるのではないかと思う。

 

 そういう時の鹿島は、試合のどの場面を切り取っても、“すべての選手”が“勝つために必要なプレー”に徹している。言い換えれば、勝つために不必要なプレーはしない、弛緩した場面が一切見られない。

 

 具体的に説明するのは、少し難しい。ただ、幾つか象徴的なシーンを挙げることはできる。

 

 例えば09年、3連覇に王手を掛けたガンバ戦——失点はしたものの、二川孝弘のシュートに5人の選手がスライディングでコースを消しにいった場面。あるいは16年1stステージの浦和戦、相手のパスミスを逃さずカウンターから金崎夢生の先制点につなげた場面。さらには同年のCS第2戦、1戦目と合わせて2点ビハインドという状況下で、遠藤康が相手DF宇賀神友弥に競り勝ちクロスボールを供給、金崎の1点目を演出した場面。

 

 単に得点を奪った、失点を防いだという結果だけではない。「ここまでやるか!」と感嘆の吐息が漏れてしまうほど、泥臭く体を張る。そして緊迫した状況下で、目を見張るようなビッグプレー。そうしたプレーの数々が飛び出す……いや、飛び出してしまう“雰囲気”が、確かに感じられるのだ。

 

 かつて鹿島のCBを担った岩政大樹は、これを「献身・尊重・誠実の“空気感”」だと言った——これこそが、鹿島の“伝統の勝負強さ”の正体だと私は考える。

 

 もっとも、鹿島もこの“空気感”を忘れてしまっている時期があった。あの09年12月5日を最後に、そういう「きっと勝つ」と思わせる雰囲気を感じさせる試合を、彼らでさえ長らく見せることができなかったのだ。

 

 取り戻したきっかけは、おそらく15年のナビスコ杯制覇だろう。だが本当に「思い出した」瞬間は、翌年の開幕戦・アウェーのガンバ戦だと思う。この試合、本当にようやく“らしい”勝ち方をできたことが、ステージ制覇へとつながった。2ndステージこそ低迷したが、CSで再度その雰囲気を思い出せたことが、彼らをJリーグ制覇とCWC準優勝、天皇杯優勝へと導いた。

 

 鹿島の選手達とて、この“空気感”で全試合戦うというわけにはいかないのだろう。なかなかACLで勝ち上がれないのも、それを作ることの難しさを物語っている。各選手のコンディションやモチベーション、チームとしての波……それらが絶妙のタイミングで噛み合った時にだけ生み出される。それぐらい繊細なものだと思う。

 

 とはいえ、少なくとも鹿島の選手達は、勝てる時のチーム及び試合の雰囲気を知っている。それを「献身・尊重・誠実の“空気感”」と言語化し、イメージを持つこともできる。そして今や、スタメンクラスの選手であれば、そのイメージを(言葉としては理解できなくとも)プレーで表現するだけの力も備えている。

 

 だから不調に陥っても、自分達がどの方向へ戻れば良いか分かるので、すぐに修正することができる。長い目で見れば、それが他チームとの差となって表れていく。鹿島の間もなく20冠へ到達する圧倒的なタイトル獲得数は、その証である。

 

 さて……ここで、もう一つの疑問が浮かんでくる。

 

 鹿島アントラーズの持つ“空気感”を作り出すことは、他のチームには不可能なのか。ジーコ・スピリットを受け継ぎ、国内19冠を誇る鹿島にしか、「勝つ」チームの雰囲気を纏うことはできないのだろうか。

 

 個人的には“否”だと考えているが、それについては項を改めて論じたい。