南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

刃を研ぎ、復讐の準備を……  鹿島アントラーズ、悪夢の“敗戦”から一夜明けて

 一夜明けても、まだ腹の虫が収まらない。

 大げさでなく——2017年12月2日は、鹿島アントラーズ史上に残る“屈辱の日”として、チーム関係者及びサポーター・ファンの心に刻まれることとなるだろう。

 話はやや横道に逸れるが、鹿島は審判の判定について、Jリーグへ意見書を提出した。前半44分、植田直通がCKに合わせネットを揺らしたが、直前に鹿島の選手がファウルを犯したとしてゴールが認められなかった場面だ。

 意見書を出すこと自体に異論はない。勝敗に関わるというだけでなく、審判もまた日本におけるサッカーの競技力向上の一翼を担っている存在である。審判のレベルアップを図ることは、Jリーグの試合の質を高めることにもつながる。だから、判定に疑問があれば、むしろ積極的に主張すべきだと思う。

 ただ、鹿島の鈴木満強化部長が「本当は10」だと述べたことには、強い違和感を覚えた。昨日の引き分けが、判定ミスによるものだと考えているのだとすれば、来年もまた同じ失敗を繰り返すに違いない。

 タラレバを言えばキリがない。だが、あえて言うなら……よしんば得点が認められ、前半を10で折り返していたとしよう。しかし、昨日の内容であれば、私は「後半に同点ゴールを奪われていた」と予想する。00が、11に変わる。ただそれだけの違い、いやもっと大きな失望感で試合を終えていたのではないか。

 それぐらい、ひどい内容だった。はっきり言って、最初から最後まで勝てる気がしなかった。川崎フロンターレに優勝を攫われたことよりも、鹿島が優勝の懸かった大事な一戦で、こんなひどい試合をしてしまったことの方が、私にはずっとショックだった。当分、鹿島の「勝者のメンタリティ」などというフレーズは、恥ずかしくて使えまい。

 すべてが“らしくない”のだ。

 審判の判定にしても、不服を唱えることはあっても、それを勝てなかった言い訳にすることは今までなかったではないか。

 それと、シーズン終盤に差し掛かった頃、「大岩剛監督続投」の報が流れたことにも「おや?」と思った。これが事実だとするならば、まだ何も勝ち取っていない状況で、来季のポジションを確約していることになる。いや、内々で打診するのは構わない。

 問題は、その情報が外部へ漏れてしまうことだ。もう「勝ったも同然」だと言わんばかりだ。それは“驕り”であり、チームとして“緩み”が生じていることの現れではなかったか。

 ここへ来て、やはり大岩監督は続投する方向だという報道がされている。個人的には反対だ。

 いや、彼の手腕を否定するのではない。監督としては新人だが、コーチとしての実績は十分だ。しかし、もし来季も今年の前半戦のように、勝ち星に恵まれない状況が続けば、彼が監督の立場にあれば解任せざるを得なくなる。その結果、鹿島から一人の優秀な人材がいなくなってしまう。

 続投するのであれば、せめて優秀なヘッドコーチを置いて欲しい。かつて黄金期のヴェルディ川崎で、あのネルシーニョが当時の松木安太郎監督を支えたように。コーチを内部昇格させて乗り切るという方法は、そう何度も使えるものではない。もう「二匹目のドジョウ」はいなかったのだから。

 それにしても、この“敗戦”は本当に高くついた。

 まず、強化に充てるはずだった優勝賞金を取り逃がした。さらには、ライバルの川崎フロンターレに「優勝経験」という大きな自信を与えてしまった。そして今後、優勝の懸かった試合を戦う際、“勝負強い鹿島”というプレッシャーを相手に与えることは、もう難しいだろう。本当に色々なモノを、最後の2試合で失ってしまった。

 ただ……一つだけ、良かったことがある。鹿島というチームの「勝利への渇望」が、この敗戦により最高潮まで高まるだろうということ。もう国内王座奪還だけでは、気が済まない。来季こそ、悲願であるACLとリーグ戦の二冠を狙うべきだ。

 今こそ刃を研ぎ、復讐の準備を。再び歓喜の時を迎えるために。