南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

世代交代“ありき”ではなく……

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 中盤の底から繰り出される、長短のパス。ボール奪取からの、鮮やかな速攻の形。リードを奪った終盤、コーナーフラッグ付近での老獪な時間の使い方。……そのどれを切り取っても、まさに“鹿島のサッカー”だった。“鹿島の試合”を、本当に久々に見た。

 小笠原満男がいるだけで、こんなにも違うものなのか。

 調子の上がらない、というより未だチームにフィットしていないレオシルバを下げ、小笠原を先発起用する。大岩剛監督は、よく決断したと言える。さらには、土居聖真を先発させ、安部裕葵を選手交代の切り札として取っておいたことも、悪くない判断だったと思う。土居は、明らかに途中で投入されて、試合の流れを変えられるタイプの選手ではないからだ。

 指揮官が、チームが上手くいかない時、自らの意思を頑迷に曲げないタイプではなくて、本当に良かったと思う。そうでなければ、トニーニョ・セレーゾ時代末期のようにチームが崩壊し、早晩優勝争いから脱落していたに違いない。いや、その前に二年連続でシーズン途中の監督解任となっていたことだろう。

 惜しむらくは、この決断を昨シーズン終盤に下していればということ。小笠原を終盤数試合のどこかで先発起用させていれば、間違いなく優勝していただろう。結果論ではなく、現状として“鹿島のサッカー”ができるかどうかは、すなわち小笠原満男がいるかいないかとイコールなのだ。

 小笠原を先発から外した大岩監督の采配に、私は賛成できない。ただし……賛成できないが、理解はできる。“小笠原頼み”という現状から、脱却を図りたかったのだろう。小笠原抜きでも優勝できていれば、それは確かに、大きな自信にはなる。

 理解はできるのだが……やはり、こうした世代交代“ありき”の采配は、間違っていると私は思う。気持ちは分かるのだが。

 時間は掛かるだろうが、明らかに「小笠原よりも実力が上」という選手が育ってくるのを、待つより他にないだろう。監督がポジションに当てはめるのではなく、あくまでも選手達自身に実感させなければ意味がない――あいつこそ、満男さんの次の司令塔だと。

 レオシルバにしても、三竿健斗にしても、永木亮太にしても、ボール奪取やパス精度といった「局面のプレー」では、決して小笠原に引けを取らない。しかし、ゲーム自体を見て、ゲームをコントロールする能力を有しているのは、有力者揃いの鹿島の中でも、今のところ小笠原だけである。他の選手がダメというわけではなく、簡単に代わりが見つからないほど小笠原が稀有な存在ということなのだ。

 であれば、当分は“小笠原頼み”で行くしかない。極端な話、使い潰してしまって構わないと思う。年齢を考えてというのも分かるが、“大事に使おう”という発想自体、まず小笠原に失礼だし、何より非常に勿体ない。今の鹿島に、実力でも存在感でも、小笠原より上の選手はいないのだから。

 ひとまず、昨日の試合を最低限のラインとすべきだ。昨日のパフォーマンスを安定して出せるのであれば、十分優勝争いに絡める。昨シーズン終盤の数試合は、どこか忙しなく、明らかに“鹿島のサッカー”ではなかった。“鹿島のサッカー”ができるかどうか、そこにすべてが懸かっている。