南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

”チームになれた”日本代表――W杯グループリーグ第一戦・日本2-1コロンビア<雑感>

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 直接の勝因としては、開始3分でのPKと相手の退場が大きかった。

 ただ望外の幸運にも浮足立つことなく、途中苦戦しながらも修正し、最後には優位を生かしきっちりと勝ち切った日本代表の戦いぶりは、誰が何と言おうと賞賛に値する。

 

 それを可能にしたのは――端的に言えば、日本が正しく「チームになっていたこと」に尽きる。

 

 ここで言う“チームになる”とは、メンバー全員の「意思統一」が図られ、それがきちんとプレーで表現できる状態――である。メンバー同士の仲の良さだとか、コミュニケーションだとか、そういう表面的なものを指すのではない。

 

 前半は、まだ迷いが見られた。やはり、思わぬ形で先取点を奪い、しかも相手が一人少なくなったことの戸惑い。前回大会で大敗を喫した相手に対する恐れ。グループリーグ初戦という緊張感。……それら様々な要素が、選手達から伸びやかさを奪ってしまったのだろう。

 

 それでも、確かな“意思”は感じられた。

 

 例えば、相手がボールを保持している場面。一人がボール保持者に対応するのと連動して、複数の味方選手がスライドし、守備ブロックを形成する。間を強引に突破されかけても、最後まで体を寄せ決定的なシュートは打たせない。

 

 後半になると、より整備された。若き司令塔・柴崎岳らを中心に、相手ディフェンスの裏へ何本も縦パスが送られる。それにより、相手はディフェンスラインを下げざるを得なくなり、速攻の形を作れない。

 

 しびれを切らしたコロンビアは、エースのハメス・ロドリゲスを投入したものの、この時交代させたフアン・フェルナンド・キンテロのスピードに手を焼いていた日本にとっては、むしろ助けられた。

 

 それにしても、序盤のコロンビアは明らかに集中を欠いていた。どこかふわっとした状態で、試合に入ってしまったようだ。前線への何でもない縦パス一本で、大迫勇也に抜け出されてしまう。寄せも甘く、決定的なシュートを打たれた。

 

中盤でのボールキープ力や、局面での個人技は、さすがと思わされた。だが、大事な立ち上がりに、このようなミスを犯してしまうチームは、そもそも勝利に値しない。この試合に限っては、公平に見て、日本の方が勝者にふさわしかったし、またその通りの結果だった。

 

 話は逸れるが、試合前に「日本が勝てるはずがない」「4,5点取られて負ける」という意見をよく見かけたが、そういう人はむしろサッカーを甘く見ていると思う。

 

 まだ「日本が勝てるはずがない」というのは分かるのだが、「4,5点取られて負ける」というのは、いくら何でもおかしい。

 

 どんなに実力差があっても、それがそのままスコアに反映されるとは限らないのがサッカーという競技の難しさであり、また面白さでもある。そうでなければ、ここまで世界中の人々に愛されるスポーツにはならなかっただろう。

 

 前回1-4という大差が付いたのは、日本は「2点差以上の勝利が必要」という厳しい条件が課せられており、どうしても前掛かりにならざるを得なかったという要素が大きい。打ち合いになれば、決定力の差が出てしまうのは仕方がない。だから、あのスコアがそのまま実力差を表していたかどうかも分からないのだ。

 

 個人的には、案外良い勝負になるのではないかと思っていた。

 

 一番の理由は、お互い“初戦”だということ。いかに実力差のある相手であっても、初戦であれば慎重にならざるを得ない。また日本も、一時の不調からパフォーマンス自体は上向きだったし、本大会ではもう少し状態も良くなるだろうと。さらには、大会の傾向。開幕戦を除いて僅差のゲームが続いていたし、特に強豪国の苦戦が目立っていた。

 

 予想は大まかには当たったが、外れた部分もある。慎重に入ってくると思ったコロンビアが、まさか立ち上がりにあのように集中を欠いたプレーをしてしまうとは。

 

 ついでに言っておくと、監督がハリルホジッチのままでは、この勝利はなかったと思う。彼は「縦に速いサッカー」を志向したが、それ“しか”できなかったからだ。

 

 確かにポゼッションサッカーを志向した前回大会では勝てなかったが、それはポゼッションという戦術自体が間違っていたのではなく、ポゼッション“しか”できなかったことが問題だったのだ。逆も同じである。

 

 この試合に関して言えば、どうしても「ポゼッション」が必要だった。ポゼッション“しか”できないチームが弱いのと同じように、縦に速いサッカー“しか”できないチームもまた、弱い。闇雲に縦へ放り込めば、徒にボールロストを繰り返し、スタミナの切れた終盤に失点していただろう。

 

 話を戻すと、戦術云々よりも先に、まず“チーム作り”がほぼ理想的な形で進められたのだろうと推測できる――コンディション調整、選手間及び選手と監督・チームスタッフとのコミュニケーション、控え選手も含めたチーム全体の雰囲気作り。その他、様々な要素において。

 

 だから、少なくともグループリーグの残り二戦、結果的に敗れることはあっても、ドイツ大会やブラジル大会のように無様な試合にはならないだろう。勇敢で、誇らしく、何より愛すべき存在として、最後の瞬間まで戦い抜いてくれるはずだ。