南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

やはり解任すべきだった――前監督の”妄言”に思う

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 本当にこの人は、何も分かってなかったのだな……と嘆息せざるを得ない。

 

 前日本代表監督・ヴァイド=ハリルホジッチ氏のことだ。氏は、ロシアW杯決勝トーナメント1回戦にて、日本代表がベルギーに2-3と手痛い逆転負けを喫した直後、とあるインタビューに答え以下のように語ったという。

 

――もし私が監督だったら、ベルギーが2点ビハインドからひっくり返してくることはなかっただろうね! 不可能なことだよ。私は代表監督として、あのような経験をしたことはない。

 

 サッカーに“タラレバ”は付きものだ。いや、事実そうだったかもしれない。在任期間にはその片鱗さえ見られなかったが、たまたま披露する機会がなかっただけで、ハリルホジッチの頭の中には強豪ベルギーから2点を奪い、かつ守り切るプランがしっかりとあった可能性もある。

 

 だとしても、である。解任された立場の者が、このようなタラレバを口にしたら、彼に肩入れする者でない限り“負け惜しみ”にしか聞こえないだろう。

 

もっと意地悪な言い方をすれば、彼にインタビューした記者が、そもそもハリルホジッチの口から“日本代表批判”を引き出したかったかもしれない。その意図に、まんまと乗っかってしまったのだ。

 

 仮にも、監督としての新天地を探す真っ最中だ。こんな無神経かつ無防備な発言を繰り返していたら、ハリルホジッチにオファーを出すことを検討していた各国及び各クラブの関係者は、頭を抱えるのではないか。「トラブルはご免だ」と、彼を新監督候補のリストから除外することも十分考えられる。

 

 口の悪さが、問題なのではない。言葉の使い方が“無神経”かつ“無防備”であることが問題なのだ。

 

 ジャンルこそ違うが、私も仕事上、人にモノを教える経験があるから分かる。指導者にとって、言葉とは“武器”なのだ。言葉一つで、人を生かしもするし殺しもする。使い方を誤れば、相手の心に傷を負わせてしまうこともあるし、それが自分の首を絞めてしまうことだってある。

 

 言葉は難しい。十分に考えて選び、誠実に話そうとしても、相手には上手く伝わらず、誤解を与えてしまうことだってある。そういう人がいたとしても、もしその人が言葉の難しさを痛感した上で、より適切な使い方を模索し続けるのなら、いつか伝えられる日も来るだろう。

 

 相手の心を慮ったり適切な言葉を模索したりする手間を厭い、ただ無造作に言葉という武器を振り回す者が、自分の思いを伝えられるはずがない。

 

 未だに彼を擁護する意見を見聞きする。その人達に聞いてみたい――ではあなた方は、ハリルホジッチのような上司と、職場で一緒に働きたいと思うのか、と。

 

 公の前で選手(部下)をさらし者にする(体脂肪率の件然り、金崎夢生の件然り)。失敗すれば、選手(部下)を批判するわりに自分の責任を認めず、自己正当化したり言い訳ばかり口にしたりする(欧州遠征・ブラジル戦然り、東アジアカップ・韓国戦然り)。

 

 やはり解任すべきだったと思うしか、ないではないか。