南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

日本サッカー協会は、ハリルホジッチに“筋違い”の要求をしてたのではないか? ――前々回エントリーの補足

 

人気ブログランキング

 

日本代表 人気ブログランキング IN順 - サッカーブログ村

 

 前々回のエントリーに関して、補足しておきたい。下の部分、やや誤解を与えかねない表現だと感じたので、もう少し追記しておく。

 

――そう考えると、一見正しいように思える「足りない部分を埋めてくれる」という条件は、実はかなり危うい。こんな大事を、一代表監督に求めてしまった――それ自体を、日本サッカー協会のみならず、我々は大いに反省すべきではないのか。

 

本当に批判すべきことと、一見正しいようで危うい“条件” ――サッカー日本代表、次の4年間へ - スタンドの記憶 ~ 単純二元論からの脱却 ~

 

 次の日本代表監督が、日本サッカーの“長所”と“短所”を把握すべきたということは、もちろん前提である。当然ながら、短所には目を瞑り長所だけ伸ばせば良い、などという単純な話ではない。

 

 私が言いたかったのは、“短所克服”をチーム強化の「最優先事項にしてはならない」ということ。それは前々回でも書いたように、育成年代で取り組むべき事項だ。活動時間の限られる代表チームとその監督に求めるのは、明らかに筋違いだし、そもそも無理がある。

 

 ハリルホジッチ招聘の失敗は、その筋違いに気付かなかったことにも一因がある。ハリルホジッチは、日本サッカーの短所を“克服”しようとした。だから体脂肪率に細かく言及したり、デュエルに勝つことを口酸っぱく求めたりしていた。しかし、それらは一代表監督の仕事の範疇を超えてしまっている。

 

 もしハリルホジッチが、日本サッカー協会に“短所克服”を求められていたのだとしたら、私は彼に同情する。本来代表監督の仕事でないことを要求され、当然のように失敗し、挙句解任されたのだから(もっとも、協会関係者もここまで極端な要求をしたつもりはなかったかもしれないが。この辺りのニュアンスを伝えることができなかった点は、まさに「コミュニケーション不足」だったと言えるのかもしれない)、確かに気の毒ではある。

 

 結論を言えば――代表監督に求められるのは、短所の克服ではなく「短所のカバー」である。

 

 似ているようで、その意味合いは全然違う。弱点を克服するとなると、指導のアプローチとして、現状の“否定”から入ってしまうことになる。だから、指導者の言動がどうしても攻撃的になる――ハリルホジッチがそうだったように。

 

 一方、弱点を“カバー”するということは、ひとまず現状を認めることから始まる。そのチームの長所はもちろん、短所も含めて受け入れる。例えば、一対一に弱いという短所があるのなら、攻守において数的優位を作るような戦い方を作っていく――そう、これが「戦術」である。

 

 ロシアW杯における日本代表は、長所を生かすための戦術はかなり整備されていた一方、短所をカバーする戦術は未整備のままだったと私は見ている。

 

 そのチーム状況が正直に表れてしまったのが、あのベルギー戦だったのではないだろうか。互いにイーブンな状況では、常に数的優位を作ることで一対一の弱さをカバーできていた。ところが、こちらがリードを奪ったことで相手の圧力が増し、一対一を強いられる場面が増えてしまうと、持ちこたえられなくなった。とりわけ“高さ”と“スピード”の勝負における分の悪さが、露骨なほどスコアに反映されてしまった。……この部分、やはり短期間でのチーム作りを強いられた弊害はあったように思える。

 

 話が逸れた。つまりチーム作りの過程において、長所を伸ばすだけでは勝てないというのは当然として、一方で短所を“克服”しようと躍起になり過ぎるのも、あまり得策でないということ。長所を伸ばしつつ、短所はカバーする方法を考え実行していく。……結局のところ、そうした地道な作業を積み上げていくしかないのだろう。