南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<私選>夏の甲子園・平成の名勝負ベスト10(後編)

 

 

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 全国高校野球選手権大会は、今年で100回目を迎える。さらに、今大会が平成最後の甲子園大会となり、まさに節目の年だ。

 

 当ブログでは100回目の夏を記念(?)して、特別企画『<私選>夏の甲子園・平成の名勝負ベスト10』を実施している。既に10~6位までを取り上げた<前編>に続き、今回は<後編>、いよいよトップ5を発表する。

 

第5位 佐賀北(佐賀)4×-3 帝京(東東京)

   ※延長十三回 【2007年・準々決勝】

 

         ~ 選出理由 ~

 

 春夏の甲子園大会を観戦していると、思わぬ“拾い物”をすることがある。さほど注目されていないが、実はかなり良いチームじゃないかと。何というか、人知れず宝物を見付けたような嬉しさを味わえる。ごく稀だが、そういう発見があるのも高校野球の魅力だ。

 開幕戦――あまり耳馴染みのない出場校の、予想外にハイレベルな戦いぶりに目を奪われた。バントなど巧みな小技。派手さはないが、中軸を中心に、機能的に作られた打線。ホームランあり、スクイズありと多彩でソツのない点の取り方。さほど注目されていないチームだが、上位まで勝ち進みそうな予感がした。それが後に“がばい旋風”と呼ばれた、あの佐賀北だった。

 佐賀北の象徴的な試合といえば決勝の広陵戦だが、実力を最初に証明したのが、ここで取り上げる帝京戦だろう。開幕戦でも大会初アーチを飾った副島が、この試合でも一発を放つなど、序盤三回を終えて優勝候補・帝京相手に3-1とリード。

 帝京は四回表にすぐ追い付き、その後は押し気味に試合を進めるものの、明らかにどこか落ち着かない。再三のチャンスを、スクイズ失敗などでことごとく逸し、気付けば延長戦へ。この時点で、番狂わせを期待する“甲子園の空気”に、彼らは既に呑まれていた。

 正直に言えば、私はさすがに「ここまでが限界だろう」と思っていた。準決勝・決勝の残り二試合を勝ち抜くには、もう一段ギアを上げた戦い方が必要になる。

 ところが、佐賀北の力は想像以上だった。準決勝で長崎日大との九州対決を制すと、迎えた決勝戦では、あの伝説的な試合を演じることになるのは、ご周知の通りだ。

 

第4位 大阪桐蔭(大阪) 2-1 智弁和歌山智弁) 【2017年・二回戦】

 

           ~ 選出理由 ~

 

 90年代半ばから高校野球を見始めた私にとって、甲子園の“象徴”は、智弁和歌山だった。平成6年の選抜大会で初優勝を果たすと、そこから毎年のように上位へ進出している。「弱い」と言われた年でも、当たり前のように2~3勝は挙げていた。特に、記録的な猛打で選抜準優勝・選手権優勝を飾った平成12年は、まさに「今の甲子園は智弁和歌山の時代」だと強く印象付けられた。

 ところが、帝京との乱打戦を制すなど4強に進出した平成18年以降は、智弁和歌山の上位進出がめっきり減っていた。

 代わって甲子園の覇権を握り始めたのが、大阪桐蔭である。平成20年夏に二度目の全国制覇を果たすと、同24年には春夏連覇。同26年の選手権でも優勝し、昨年と今年の選抜連覇と、今やすっかり一時代を築いている。

 そんな高校野球界の流れに対し、「俺達を忘れるな」と言わんばかりに挑んだのが、この試合の智弁和歌山だった。結果的に敗れたものの、内容では12安打を放つなど圧倒。

 敗れてなお、智弁未だ健在――この一戦がきっかけとなったのかは分からないが、今年の選抜では平成12年以来の決勝進出を果たし、復活の兆しを見せ始めている。

 なお、この決勝でも智弁和歌山大阪桐蔭の組み合わせとなった。新たなライバル関係、新たな名勝負の予感も漂う。

 

第3位 駒大苫小牧南北海道)13-10 済美(愛媛) 【2004年・決勝】

 

              ~ 選出理由 ~

 

 甲子園に「愛されている」と感じてしまう出場校がある。そのチームの試合は、なぜか毎回のように白熱した展開、そして劇的な結末を迎える。愛されているのが、甲子園の“神様”なのか、それとも“魔物”なのかは、大いに悩むところだが。

 この年の済美は、間違いなく甲子園に「愛された」チームだった。選抜では初出場ながら、初戦を除きあとはすべて1点差の接戦を制し、初優勝。とりわけ準々決勝・東北戦の九回裏二死無走者からの大逆転、3番高橋の劇的なサヨナラ3ランでの決着は、あまりにも鮮烈だ。

 当時の済美は、確かに打線は強力だが、戦い方自体は大味で「いつ負けてもおかしくない」試合の連続だった。しかし、なぜか要所ではピンチを切り抜け、チャンスをモノにし、そして勝ってしまう。あの印象的な効果の歌詞になぞらえて、済美の“魔法伝説”とはよく言ったものだ。

 選抜優勝だけでも十分快挙だが、まさか夏も決勝まで勝ち上がってくるとは。

 初戦は乱打戦、二戦目は快勝したが、準々決勝では投手戦の末サヨナラ勝ち。準決勝ではダルビッシュ有擁する東北を下した千葉経大附属に逆転勝ち。……もはや“神様”も“魔物”も一遍に味方に付けたような戦いぶり。気付けば、初出場にして平成10年の横浜以来の春夏連覇に、王手を掛けていた。

 ところが――甲子園に「愛されていた」のは、済美だけではなかった。

 決勝の相手となった駒大苫小牧は、前年夏、不運に見舞われ大会を去ることとなった。四回途中まで8-0と大量リードを奪われながら、雨天のためノーゲーム。翌日の再試合に敗れ、結局初戦敗退となった。悲劇的な結末だったが……今にして思うと、それも神様の“演出”、翌年夏へ向けた“前振り”だったとしか思えない。

 前年の雪辱を期し、連続出場を遂げた駒大苫小牧は、初戦から強力打線が爆発。三回戦で日大三、準々決勝で横浜と優勝候補を次々に打ち破り、何と決勝まで駒を進めた。

 まさに、野球の神様に「愛された」チーム同士の試合。タダで終わるはずもなく……試合は序盤から、激しい点の取り合いとなる。結果は、駒大苫小牧が終盤に済美を突き放し、得意(?)の乱打戦を制した。

 それにしても、北海道勢の初優勝が、過去の最高打率記録を塗り替え、なおかつ済美春夏連覇を阻止する形で実現しようとは。野球の神様も、なかなか粋なことをなさる。

 

 

第2位 智弁和歌山(和歌山) 7×-6 柳川(福岡)

   ※延長十一回【2000年・準々決勝】

 

             ~ 選出理由 ~

 

 智弁和歌山絡みの名勝負としてよく取り上げられるのは、平成18年・帝京との乱打戦だが、個人的には、名勝負というにはやや物足りない。理由は、双方の打撃ばかりが目立ち、投手の印象が薄いからである。

 この一戦は、智弁和歌山の打撃も鮮烈だったが、それ以上に柳川・香月良太の粘投も光り、まさに両者の“共同作業”により名勝負が生まれた。

 それにしても、この夏の智弁打線の破壊力はすさまじいものがあった。一大会11本塁打の記録は、今なお破られていない。智弁の打者が快打を放った際、NHKアナウンサーの「ボールが悲鳴を上げているようだ」というフレーズが、今でも忘れられない。

 この智弁に夏の準々決勝で立ちふさがり、最も追い詰めたチームが、香月擁する柳川だろう。柳川は、選抜の準々決勝でも智弁と対戦し、その時は0-1と僅差で涙を呑んだ。選抜の雪辱を期し、柳川は序盤から打線が爆発。八回表を終え、6-2と優位に試合を進める。

 ところが迎えた八回裏、ここまで沈黙していた智弁打線が、ついに火を吹く。2発の本塁打で、あっという間に4点差を追い付く。この時、香月は指先のマメが潰れ、満足に投げられる状態ではなかった。もはやこれまで……と、誰もが思ったに違いない。

 しかし、ここからが胸を打つ展開だった。本来の球は投げられない状態ながら、香月は丹念に低めを突き、今にも試合をひっくり返そうとしていた智弁の勢いを、ぎりぎりの所で食い止め続けた。そして、何と十一回まで持ち堪えてみせた。

 結果はサヨナラ負けに終わったが、強力打線に最後まで立ち向かった香月の姿には、多くの高校野球ファンの心に刻まれたことだろう。時は、奇しくも世紀末――この試合は夏の甲子園大会における、まさに20世紀最後の名勝負となった。

 

 

第1位 前橋育英(群馬)3×-2 常総学院(茨城)

    ※延長十回【2013年・準々決勝】

 

          ~ 選出理由 ~

 

 終盤の劇的な結末がなくても、十分に好試合として印象にのこったであろう一戦。しかし、“野球の神様”はそれを許さなかった。そして、大会における数ある好試合の一つになったはずの試合は、観戦した誰もが忘れられない「名勝負」となった。

 常総学院は、名将・木内幸男前監督退任後、なかなか甲子園で結果を出せずにいた。だが、この年の常総は一味違った。

 好投手・飯田晴海を中心に、走攻守のバランスの取れたチームを作ってきた。スター選手こそいないが、選手一人一人が各々の役割をきちんと理解し、一回戦からハイレベルな野球を展開し勝ち上がってきた。

 対するは、2年生の剛腕投手・高橋光成(こうな)を擁し、三回戦で横浜に完勝するなど快進撃を続けていた前橋育英。初出場ながら、一気に頂点を狙う勢いを感じさせた。

 試合は、高橋の先発を回避した前橋育英に対し、常総学院が二回表に2点を先制。その後は投手戦となり、八回までそのままスコアは動かず。……こう書くと、何だか味気ないように思えるが、スコアには表れないだけで、両チームのバッテリーの知力、ピンチにも崩れない集中力と度胸。そうしたハイレベルな駆け引きが、随所に見られる。一時も目を離せない、まさに手に汗握る展開となった。

 あまりにも素晴らしい両チーム。だから……野球の神様が、“演出”を施してしまったのだろうか。この試合を目撃した誰もが、双方の選手達のことを、ずっと忘れないように。

 九回表、常総学院に痛恨のアクシデントが発生。ここまで無失点に抑えていた飯田が、熱けいれんにより降板。それでもリリーフの金子が、緊急登板ながら二死を奪う。そして、続く打者も、セカンド正面へのゴロ。

 

 二塁手が捕球しようとする直前、打球が僅かにイレギュラーした。

 

 何とか押さえ、送球するが、僅かに逸れ一塁セーフ。そこから、前橋育英に連続長短打が飛び出し、土壇場で同点に追い付く。常総バッテリー、この回は2点で切り抜けるが、迎えた十回裏。……

 

 九回裏の同点劇、十回裏のサヨナラの一打。いずれも印象深いが、もう一つ忘れられない光景がある。それは飯田が無念の降板となった場面で、前橋育英側の応援スタンドから、飯田に対して温かな拍手が贈られていたこと。

 どこを取っても、文句の付けようのない。それだけに、あの結末はとても残酷で、痛切で……そして、美しかった。