南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

良くないことは、変えるべきだ。それが高校野球の”大切なもの”を守ることになる

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 夏の甲子園大会は、今年で100回目を迎える。まさに記念大会ということで、例年以上に盛り上がりを見せる一方、連日の酷暑から、熱中症の多発が懸念されている。

 

 これはもう、真剣に考えなければならない問題だ。

 

 私も、高校野球を愛する者の一人だ。郷土の代表校だけでなく、出場するすべての選手達の一生懸命な姿、甲子園で生まれるドラマの数々に、魅せられてきた。しかし……かといって、彼らの心身の健康を害することになっては、本末転倒である。

 

 長年腰の重かった高野連も、近年さすがに対策を講じ始めている。2013年の大会から、準々決勝と準決勝の間に休養日を設けるようになったし、今年からは延長十三回以降にタイブレーク制も導入した。

 

 個人的には、タイブレーク制には打力のあるチームが優位になる印象があることから、やや抵抗感はある。もっと他の方法が取れないかとも思うのだが、それは私の個人的な心情の問題であって、強く否定する気にはなれない。

 

 何もしないよりは、ずっと良い。未来ある少年達を、無責任な大人が“消費”することがあってはならないのだ。

 

 もちろん、まだまだ改善できる点はある。

 

 例えば、サッカーのハーフタイムと同じように、野球も前半五回を終えた段階で、十五分程度の休憩を設けるという形が考えられる。現状では、グラウンド整備が終わればすぐ試合が再開されることになっており、あまりにも短い。観客にとっても、休憩時間に水分補給等ができるのだから、そう悪くない話だろう。

 

 あるいは、日中特に暑さが厳しくなる正午~午後二時の時間帯は、試合そのものを行わないという方法も考えられる。甲子園大会の“お昼休み”というわけだ。野球はサッカーのように試合時間が決まっていないから、定時にというわけにはいかないが、例えば第二試合と第三試合の間を二時間空ける。その間、観客には周辺施設で買い物等を楽しんでもらえば良い。ナイター照明の費用は、入場料を値上げする等して捻出する。

 

 このような意見を言うと、決まって「選手を甘やかしている」「昔はもっと厳しかったが、乗り越えてこそ強く慣れた」等と反発する者がいる。

 

 ならば、その人達の言う「昔の野球」は、客観的に見て問題はなかったのか。試合条件に限った話でなく、いわゆる“理不尽な上下関係”やシゴキ、部内暴力といった、一昔前であれば高校野球の“常識”とされてきた事象、すべてである。

 

 これと関連して――数年前とあるスポーツサイトにて、一塁ベースまで全力疾走しなかった選手の名前をあげつらい、炎上した某ライター氏がいた。

 

 いや、私も高校球児を純粋無垢な存在と見ているわけではない。いい加減でだらしのない野球部員もいると見聞きしているし、彼らを一喝したくなる気持ちは理解できる。選手達の「全力プレーが見たい」という氏の心情も、分からなくはない。

 

 だが、あの大会では猛暑からプレーに支障をきたす選手が続出しており、そうした背景を一切無視した氏の主張は、やはり暴論と言う他ない。もちろん、球児達の全力プレーが、夏の甲子園大会の大きな魅力であることは否定しない。ただここは、発想を変えるべきだと思うのだ。

 

 球児達の全力プレーが見たいのなら、彼らが持てる力を発揮できる環境を整える。それこそ“大人の役割”というものだろう。

 

 春夏の甲子園大会も含め、高校野球は本当に素晴らしい。だがそれは、一番大事な球児達を犠牲にして成り立つものであっては、決してならない。

 

 良くないことは、変えるべきだ。そうして初めて、高校野球の“大切なもの”を守ることになる。