私が学生の頃、TBS製作の『さとうきび畑の唄』(2003年)というスペシャルドラマが放映された。タイトルから分かる通り、我が地元・沖縄の戦争を描いた、よくある“反戦ドラマ”である。
先に断っておくが、私はこのドラマ――大嫌いだ。
土地柄、私は幼少期より、かなり“熱心な”平和教育を受けて育った。
小学2年生の時、給食時間に校内放送されたアニメ『はだしのゲン』における、今でもネット上で話題になるほどのショッキングなシーンに食欲が失せた経験に始まり、6月23日の「慰霊の日」が近付くと、アニメどころか沖縄戦の記録映像まで見せられ、「戦争がどれくらい悲惨なものか」ということを、嫌というほど教え込まれてきた。
それこそ『はだしのゲン』や記録映像に比べると、一般視聴者向けに作られた“反戦ドラマ”のちゃちいことちゃちいこと。資料検証もメチャクチャ、陳腐過ぎる演出の連続に、怒るよりも吹き出してしまった。
具体的な場面はイチイチ覚えていないが、劇中の登場人物達のあまりにもお気楽な会話に、
「こんな所でくちゃべっているヒマがあったら、とっとと逃げろ」
「(おそらく“ひめゆり学徒隊”をイメージしたと思しき女学生達の自決シーンに)みんな順番よく並んで、仲良く投身自殺ってか。並ぶ暇に機銃掃射で皆殺しだわ」
「このドラマの製作スタッフ、沖縄戦は“畳一枚に弾が一発当たった”と言われるほど凄まじい戦闘だったことも知らないのか」
「こいつらコントでもやっているのか」
……などと、何度もテレビの前で毒づいたものだ。
このドラマの主演は、ご存知あの明石家さんま。他にも黒木瞳、上戸彩、仲間由紀恵ら超豪華キャスト。さぞかしカネを使ったことだろう。天下のTBSが、大枚をはたいてこんな駄作しか作れないとは、堕ちたものだ……と嘲笑っていたら、かなり好評を得たらしい。
当時の番組HPが設置した掲示板には、「感動しました」「戦争の悲惨さがよく分かりました」などというコメントが多数を占め、オイオイ……と脱力させられた。
まぁマジメに資料検証して、本気で沖縄戦のドラマを作ったら、私が『はだしのゲン』を見てそうなったように、多くの国民にトラウマを植え付けること必至だろう。何より全体のトーンが暗くなりすぎて、視聴率が取れないに違いない(笑)。だから、その陳腐さゆえに“大嫌い”だと言っているのではない。
私がこのドラマを嫌う理由……実はそれこそ、あの“名ゼリフ”なのだ。
―― 私にはできません。私は、私には人を殺せません。
私はこんなことをするために生まれてきたんじゃないんですよ!
……私は写真を撮るしか能のない男です。でも仕事に恵まれ、心から愛する女性に出会い、6人の子供にも恵まれました。
私の小さな望みは、子供たちが私に負けないぐらいの家族をつくって、この手で、この手で写真を撮ることなんですよ。
たくさんの家族に見守られて天寿をまっとうできたら、生きてて良かったと思えたら、もう、もう何もいらないんですよ!
なぜ私がこんなことしなくちゃいけないんですかー! こんなことをするために生まれてきたんじゃないんですよ、私は!
……あまりにも有名なこのセリフだが、私には“欺瞞”としか思えない。何度でも言う。これはハッキリと“欺瞞”である。
なぜ、そう思うのか。このセリフは、さんま演じる主人公の平山が、上官から捕虜の米兵を殺すように命令されたシーンでのものだ。……ということは、平山は今まさに“戦場”にいる。
つまり、自分の同胞・仲間が敵の米兵に殺されていくのをずっと目の当たりにしていたはずなのだ。
だったら、むしろ「オレが殺してやる!」くらい言うのが自然ではないか。命令関係なく。あの惨劇の渦中にいて、米兵に何の敵意も抱かないというのは、逆に人間性が欠如しているといっても過言ではない。
あのドラマの致命的な弱点は、脆弱な資料検証でも陳腐な演出でも(ネトウヨが大好きな)“自虐史観”でもない。「人間への洞察」というものが、決定的に欠けている点だ。
戦争の悲惨さとは、何か。それは単に多くの命が失われることではなく、
「人々が人間らしい心を失い、狂っていくこと」
だと私は思う。
未だに「戦前の日本は悪だった」「いや、日本は全然悪くなかった」などと、単純二元論の応酬が続けられているが、本質はそういうことではない。
当時の日本の置かれた状況と、それを取り巻く世界の在り様。そして、当時を生きた日本人の在り様。……そうした事象の一つ一つを丁寧に読み解いていくことでしか、真実は見付からない。
(追記)なお、“沖縄戦”を扱った作品としては、TVドラマではなく映画になってしまうが『ひめゆりの塔』(1953年と1995年の2バージョンがある)がおススメ。これとて資料検証に関して批判があるらしいのだが、一応基本的な史実は抑えられている印象。