タレントのローラさんが、自身のインスタグラムにて、沖縄の辺野古移設に関する“政治的発言”をしたとして物議を醸している。
どんな“凄い”内容だったのかと、彼女の実際の発言をチェックしてみたのだが、何のことはない。単に「辺野古埋め立て“反対”」の意を表しただけではないか。まぁ、アメリカ・ホワイトハウスの請願サイト「WEthePEOPLE」にて、反対署名を集めようと呼びかけたのは、少々ヒートアップし過ぎだったかも、と思わないでもない。
ただ、これも「沖縄の美しい海」が埋め立てられようとしている現実に対して、純粋な若者が抱きそうな感想の範疇ではないか。コレ、周囲が「気持ちが分かるよ」「でも、そう単純にはいかない事情があってネ……」などと、本人に言って聞かせれば済む話だろう。
ここまで大騒ぎすることか? ――これが、沖縄在住である私の率直な思いである。
そもそも「辺野古移設反対」なんて、沖縄ではちょっと賢い小中学生が、作文に書いてきそうなレベルである。大学生、社会人ともなれば、さすがに“基地反対”を唱えるだけではどうにもならない現実にとっくに気付く。「反対か賛成か」というだけの“単純二元論”では、雑談のタネにもなりやしない。
念のため言っておくと、“単純二元論”が悪いというわけではない。こういう素朴な思いが、案外世の中を変えていく原動力になったりもするからだ。
それに、知名度のあるタレントが発言してくれることで、とかく無関心になりがちな「沖縄の米軍基地問題」に注目を集めるキッカケとなる。これだけでも、沖縄の人間としては彼女に感謝したい思いだ。
ただ……ローラさんに言いたいのは、こういう発言をすると特定の政治ないし思想団体の人間が近付いてきて、彼らの“広告塔”にされかねないから、十分警戒して欲しいということ(某漫才師がそうであるように)。
そこに注意を払いさえすれば、あとはご自身のタレント活動に支障のない範囲で、堂々と言えば良いと思う。
話を戻す。
辺野古移設「反対」と言っただけで“政治的発言”だと騒ぐこと自体、どこか異様に感じる。若者の素直な思いの発露――そう受け取れば良いだけだろう。一体何を恐れているのかと、勘繰りたくなってしまう。
沖縄在住の人間として、少なくとも言えるのは――辺野古移設に「賛成か反対か」と言うだけのレベルでは、そもそも議論さえ始まらないということ。そこには「日米地位協定」「憲法九条」「周辺諸国との関係」「沖縄の経済事情」等、戦後日本そして沖縄の抱える問題・矛盾がすべて詰まっている。
ローラさんの“可愛い”発言にオタオタしているうちは、まず話にならないのだ。