南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

「政治」ネタの是非を問う前に……――「プレバト!!」<冬麗戦>より【その2】

 

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 先日の「プレバト!!」<冬麗戦>における、東国原英夫の“LGBT”句に関連して、もう一つ述べておきたい。

 

 俳句に限らず、歌や小説、漫画等様々な表現において、「政治」を題材にすること自体、どうも良く思われない風潮がある。内容の是非はともかく、有名タレントやアーティストの政治的な「(発言も含む)表現」が、近年物議を醸すケースが目立つ。

 

 個人的には――何が悪いのか、と思う。

 

 表現のジャンルは数あれど、その材料となるのは世の中の様々な事象である。日常の生活然り、連日報道される様々なニュース然り、流行然り。もちろん「政治」も、その中の一つである。

 

 ただ、批判されがちな理由も分からなくはない。単純な話――「政治」を題材とした表現は、難しいのだ。

 

 何が難しいのかというと、“正解”が定まらないということだ。同じ事象を見ても、立場によって捉え方が変わってくる。ある人が「その通りだ!」と膝打つ話が、別の立場の人には「ふざけるんじゃないっ」と受け取られることが容易に起こり得る。

 

 某周辺諸国との所謂「歴史認識問題」は、その最たる例だろう。立場が異なれば、歴史上の出来事の捉え方も、それに伴う感情の形も、違ってくるのが当然だ。お互いの立場の違いを抜きにして、“公平な見方”を相手に求めようとする態度こそ、不毛であるし、さらに言えば傲慢かつ高圧的であるとさえ思う。

 

 やや話が逸れた。つまり「政治」ネタというのは、そもそも“敵を作りやすい”題材なのだということ。

 

 事象に関するある程度の知識と、それに関する自分なりの見方をしっかりと確立した上で、(是非は別にして)それなりに「説得力のある」表現へと昇華しなければ、作品として成立させることは難しい。

 

 逆に言えば――きちんと“作品”として成立している表現ならば、主張の是非あるいは好き・嫌いはあるにせよ、素直に認めるべきだろう。

 

 では、東国原の俳句はどうだったのか。当然人によって「好み」が分かれるということは認めるが――個人的には、率直に“凄い句”だと思った。兼題「結露」から、“生産性”という時事に発想を飛ばすこと自体、なかなかできる技ではない。

 

凍蠅よ生産性の我にあるや東国原英夫:第1位)

 

 私だけではない。夏井いつき先生も、時事を作品に昇華させて見せた、東国原の句のチカラを認めたからこそ、「第1位」の句と査定した。さらに、東国原の句が発表された瞬間、スタジオ中がこの句の持つ“迫力”に息を呑んだ。あの梅沢富美男をして、「どんな努力をしてもこの句には勝てない」と言わしめた。

 

 そう、極めて単純な話だ――表現としての“レベル”で、判定すれば良い。誰が見ても明らかに「レベルが低い」表現であれば、容赦なく叩けば良い。

 

 例えば、私は沖縄の基地問題に関する発言で注目を集めている某漫才師が、正直キライだ。私もこの問題の専門家ではないのだが、その私が見てすら、この問題に関する知識が浅く一方的で、「正しい・正しくない」以前に、発言自体に“説得力”が感じられない。

 

 いや、沖縄に関心を持ってくれるのはアリガタイのだが、ここまで様々な論点が複雑に絡み合っている問題に対して、それなりに影響力のあるタレントが、学生じゃあるまいに一面的なモノの見方で発言するというのは、あまりにも不用意だと言わざるを得ない。

 

 沖縄のことを「発言するな」とは、言わない。発言ないし表現するなら、それなりの知識と見識を得た上でモノ申して欲しいということ。今のままでは、彼は沖縄県民の複雑な心理を捉えられないばかりか、基地“反対派”のチカラにさえなれないだろう。

 

 話を戻す。繰り返すが、「政治ネタ」を使っているからダメという偏見でなく、あくまで作品としての“レベル”を問うべきだろう……本来、ただその一点だけの話のハズだ。

 

  最後に、「プレバト!!」にちなんで、私のヘタな句を披露させていただく。

 

春天や「象の檻」人間(じんかん)を断ち

 

※「象のオリ」とは、米軍の「通信用施設」のこと。動物園のようにゾウが入っている檻と区別するため、「 」を付けた。

 人間(にんげん)ではなく(じんかん)と読ませたのは、「世間=人と人との間」という意味で使いたかったため。基地の存在が人と人との間を断つ(賛成派・反対派に分かれる)ように思えたことから、この表現を考え付いた。