先日(2019年2月24日)実施された、辺野古新基地建設の可否を問う「県民投票」において、“反対票”が7割超という結果に終わった。得票率も有権者の過半数であったことから、ほぼ民意が反映されたと言って良いだろう。
……実を言うと、私は“賛成票”を投じた。
かなり悩ましい選択ではあった。辺野古移設“賛成”という結論に達したことが、一部の人間に「沖縄はどうせお金を払えば黙るだろうさ」と言われるだろうというのも、癪に障る。さらに……うるま市で発生した米兵による「女性暴行殺害事件」のような事件に対する怒りも、未だ消えない。
それに……これは辺野古移設“反対派”のみならず、“賛成派”にも共通する部分だと思うのだが、本音を言えば、そりゃあ米軍基地なんてない方が良いに決まっている。
しかし、連日のように、登下校する子供達の頭上を我が物顔で飛んでいく米軍機を見れば、「もし墜ちたら」と考えずにはいられない。そしてやはり、まず普天間基地を撤去しなければ、話は一歩も前に進まないのではないか。
以上のように考え、私は「賛成」の結論を出さざるを得なかった。
ただ、矛盾するようだが、私は沖縄県民の一人として、今回の県民投票の結果を誇りに思う。
得票率が、過半数を上回ったこと。さらには、「どちらとも言えない」の選択肢が、僅か9%に留まったこと。これは少なくとも、沖縄の有権者の多くが、判断を曖昧にせず、自分なりの思考を辿った結果として、意思表示したのだと見ることができる。
本当に大切なのは、沖縄県民一人一人が、“現時点で”何が必要なのかを真剣に考え、自ら決断を下すこと。その決断に、責任と覚悟を持つということ。
これだけは強く言っておきたい。我ら沖縄県民の、(いわゆる市民運動家ではない)普通の生活者の多くは、単なる空想的平和主義やナイチャー(本土の人間)へのルサンチマンから、“反対票”を投じたのではない。
沖縄戦や米軍基地と隣り合わせで生きてきた歴史も、本土との経済格差も、昨今の某近隣諸国との様々な軋轢も、「辺野古へ移設しなければ普天間基地が半永久化してしまうのではないか」という懸念も、……すべて理解した上で、どちらの票を投じるべきか、各々が自分なりの決断を下したのだ。
この「決断を下す」という局面から、多くの沖縄県民は“逃げなかった”。そのことが、私は何より誇らしい。
現時点では、辺野古移設「賛成」の意を示した方が、一つの“プロセス”として妥当だと私は判断したのだが、目指すところは“反対票”を投じた方達とほぼ同じだと思う。
すなわち――いずれ全米軍基地を、沖縄県から一つ残らず撤去させること。
小異はあっても、我が同胞が自らの信念に基づいて示した意思であれば、私は喜んで歩みを共にしよう。新たな“沖縄”を形作っていく、その一助になりたい。