南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【独り言】「哲学」を捨てた集団の末路――AKBグループの“転落”に思う<雑記帳「日々、考えたこと・感じたこと」>

こちらの記事も、ご参照下さい。

 

stand16.hatenablog.com

 

 毎年恒例だった「AKB選抜総選挙」が、今年は開催されないというニュースを、ついさっき知った。知ったからといって、微塵も情を動かされることはなかったが。

 

 一時期、私は“AKBグループ”を応援していたことがある。

 

 理由は二つある。一つは、Youtubeにて“たまたま”「フライングゲット」のPVを見て、その完成度の高さに驚かされたこと。

 

個人的に、デビュー当初はどうしても“オタクに媚びた素人少女集団”という印象が強かっのだが、数年経ち、明らかにパフォーマンスのレベルが格段に上がっていた。これは相当な努力を積んだに違いない、彼女達は“本気”だったのだと、認識を改めた。

 

 二つ目は、東日本大震災発生以後、被災地における献身的なチャリティーイベントを、長期に渡り続けたこと。“売名行為”だと言われるリスクを覚悟で、大した報酬にもならない活動の実施をよく決断したと思う。

 

 だが。曲がりなりにも全国的な知名度を獲得し、押しも押されぬ日本を代表するトップアイドルに登り詰めたAKBグループは、今や……ほとんど“瀕死”の状態といっても過言ではない。

 

 件のNGT48の騒動が象徴するように、あまりにもイメージが悪くなり過ぎた。アイドルには、何と言っても“清純さ”がウリのはずだが、これは致命的である。

 

 なぜ、ここまで転落するハメになったのか。それは一にも二にも、あの“恋愛禁止ルール”をおざなりにしたからである。

 

 こう言っては申し訳ないが、AKBグループには、他のアイドルグループやダンスグループと比べ、これといった“ウリ”はない。純粋なヴィジュアルやダンス等のパフォーマンスでは、もっと優れたグループがいくらでもある。

 

 だからこそ、AKBグループは“恋愛禁止ルール”を前面に掲げ、「必死さ」「ひたむきさ」でアピールするしかなかったのだ。それが一部のオタクだけでなく、より多くの人の共感を呼んだのである。

 

 その唯一の“強み”を、よりによってAKBグループ上層部の人間が、捨ててしまった。捨てたとしか思えない言動を繰り返した。

 

 一瞬でも“売れる”だけなら、儲け優先で構わないのかもしれない。だが、“売れ続ける”には、言い換えれば“成功し続ける”には、やはり「哲学」が必要だ。

 

 そもそも、誰が「堂々と男と遊んでいるアイドル」を好きになるのか。誰が「自分の仲間を襲撃させるような性悪のアイドル」を応援するものか。もはやモラルもへったくれもない、ただの“反社会集団”に堕したと言わざるを得ない。

 

 「哲学」を捨てた集団は、あっという間に瓦解する。芸能でもスポーツでもビジネスでも、それは変わらない。

 

 AKBグループの“転落”は、まさにその格好のモデルケースとなった。