南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<野球小説>白球の“リアル”【第13話】「練習台」の巻 ~ ちばあきお原作『プレイボール』もう一つの続編 ~

 前回<第12話「招待野球開始・波乱の序盤戦」の巻>は、以下のリンクです。 

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第13話「練習台」の巻

 

 どこか弛緩した雰囲気さえ漂い始めていたグラウンドが、突如として張り詰めた空気に包まれる。

 くそっ、ムードが一変しちまった……

 西将学園の四番・高山が放ったレフト前ヒット。火を吹くような打球の余韻に、なかなかスタンドの観客達のざわめきが収まらない。

 イガラシは、一塁ベース上に留まる背番号「2」を、睨み付けた。そうでもしないと、相手の迫力に呑み込まれてしまう気がした。身長は、おそらく一八〇センチを優に超える。背筋の盛り上がりが、ユニフォーム越しにもはっきりと分かる。まさに堂々たる体躯。

「タイムっ」

 キャプテン谷口が、三塁塁審に声を掛けた。マウンド上では、初安打を許した井口が、心なしか緊張した面持ちで佇んでいる。

「いやぁ、凄い当たりだったな」

 井口の心情を察してか、谷口はおどけた口調で言った。

「さすが西将の四番。ただ井口、おまえちょっと力んだろ」

「は……そ、そうかも」

「いつもなら低めに制球されるシュートが、ほんの少し高かったぞ。そういう僅かな隙を見逃さないのが、西将なんだよ」

「そ、そっスね」

「ほら。深呼吸してみろ」

 井口は両手を広げ、スーハーと深呼吸を繰り返す。普段は「おまえ案外素直なんだな」とからかうのだが、今はとてもそんな余裕はない。

「よしっ。いいか井口、おまえが本当にベストボールを投げ込めば、西将といえど抑えられない相手じゃない。力を抜いて、倉橋のミット目掛けて軽く腕を振れ」

「は、分かりました……」

 サードのポジションに戻ると、谷口は一瞬ちらりとこっちを見やった。その眼差しに、険しさが宿る。イガラシと同様、高山の快打により一変した空気を、この男も鋭敏に感じ取っているようだ。

 走者を一塁に置き、打席には背番号「17」の選手が入る。

 ウグイス嬢のコールにより、宮辺という名前を確認できた。こちらも、レギュラーと見紛うほどがっしりとした体躯の持ち主だ。第一打席では、外角のカーブを簡単に打ち上げ、セカンドフライに倒れたが、スイングスピードの速さには目を見張るものがあった。

 キャッチャーの倉橋は、サインを出すと、ミットを外に構えた。ストライクゾーンから、ボール二個分は外している。最初はボールから入り、打者の様子を伺うということなのだろう。倉橋のサインに頷き、井口はセットポジションから投球動作へと移る。

 だ、ダメだ……井口! 

 ボールが井口の指から離れた刹那、イガラシは叫びそうになった。直球が、ストライクゾーンへと入っていく軌道が見えた。力んだのだろう、制球力抜群の井口にしては珍しい、明らかなコントロールミスだ。

 宮辺は、躊躇いなく振り抜いた。

 イガラシが振り向いた時、ボールは右中間スタンドの外野席で高く弾んでいた。三塁塁審の右腕をぐるぐると回す動作が、まるでスローモーションのように感じられる。

「つ、ツーラン……」

 丸井の呆然とした声を聴く。イガラシは、無意識のうちに唇を噛んでいた。

 谷口が再びタイムを取る。今度は、内野陣を全員マウンドへと集めた。本塁打を浴びた井口ばかりでなく、今しがた目の当たりにした西将の圧倒的なパワーに、誰もが自分を見失いかけている。

「なに今さら驚いてるんだ」

 温厚なキャプテンにしては珍しく、語気を荒げた。

「相手はあの西将だぞ。谷原でさえ、敵わなかったチームなんだ。こういう展開もあるってことぐらい、分かってたはずだろ。井口!」

「へっ、はひ」

 ふいに怒鳴り付けられ、井口は妙な声を発した。

「随分飛ばされたな。おまえ、自分の失投や味方のミス絡みで点を取られたことはあっても、こんなふうに相手の打者に力負けしたこと、今までほとんどなかったろ。大会前に、良い経験できたじゃないか」

「は……はぁ」

「怖くて投げたくないというなら、無理するな。俺が代わってやる」

 一転して、谷口は優しげな口調で言った。

「大事な一年生に、投げることへの恐怖心を植え付けるわけにはいかない。俺が打たれても、松川がいる。どうする?」

「……ばっ、馬鹿を言わないで下さい」

 声を上ずらせ、井口が答える。

「これぐらいやってくれなきゃ、西将と戦う意味がありません。かえって燃えるってもんです。申し訳ないですが、今日は谷口さんと松川さんの出番はありませんよ。俺が完投します」

「よく言った。その意気だ、井口」

 井口の背中をぽんと叩くと、谷口は他の内野陣に向き直った。

「一年生が、これだけの闘志を見せてくれてるんだ。俺達が負けるわけにはいかないな」

「当たり前です、谷口さん」

 丸井が、すぐに反応する。

「井口の奴にばっかり、いいカッコさせられません。たとえこいつが逆転されても、すぐに俺のバットで取り返してやりますよ」

「そんな丸井さん、俺が打たれる前提で言わないでくださいよ」

「とっくに捕まりかけている奴が、何見栄張ってんだ。さっさとノックアウトされちまえ、その方が早くベンチで休めるぞ」

「……こら、丸井。言い過ぎだぞ」

 倉橋が、丸井のユニフォームの袖を引っ張る。

「本当に逆転されたら、おまえの責任だからな」

「な、ちょっと倉橋さん。分からないですか、俺はこいつを奮起させようと、あえて」

 三人のやり取りに、他のナイン達から笑いがこぼれる。こわばっていた空気が、ようやく少しずつほぐれていく。

 イガラシは、密かにつぶやいた。

 ありがとう、丸井さん。おかげで少し雰囲気が明るくなったよ。それに……さすがだな、谷口さん。井口のプライドを刺激して、一発のショックを払拭させた。

 けど……と、守備位置に戻り、別の懸念が頭をもたげてくる。そういやぁ井口の奴、中学の時には結局全国大会には進めなかったんだよな。あと一歩のところで、俺達や青葉に阻まれて。投手としての才能はピカイチだが、唯一経験だけが足りないのか。

 快音。鋭いライナーが、左中間を襲う。そのままフェンスに当たり、外野の芝を転々とする。一塁ベースを蹴り、加速する打者走者を尻目に、イガラシは中継へと走る。

「バック、サード!」

 島田からの返球を受け、すぐさま三塁ベース上の谷口へと送球する。打者走者はスライディングもせず、三塁を本塁を伺いかけたところで帰塁した。

 マウンド上へ、イガラシは怒鳴った。

「ばか、ちったぁ頭使えよ。相手の打ち気に合わせてんじゃねぇ!」

 何やってんだよ井口。相手打線に火が付きかけている時は、スパイクの紐を直すフリをするなり、ロージンバックを長く持つなりして、少しでも打者を焦らすのが定石だろ。

 ショートの定位置に戻り、ため息をついていた。

 間を取るのが上手いおまえが、らしくないぞ。ったく、贅沢な悩みだが、打たれた経験がないもんだから、こういう時の対処法が分からねぇんだな。

 あ、そうか……と胸の内に閃くものがあった。

 谷口さん、井口の経験不足を補うために、この試合の先発投手に選んだのか。大敗するリスクを承知の上で、あいつを一回り成長させるために。

 またしても快音。鋭い打球が右方向へ飛ぶ。だが、これはファーストの加藤がジャンプ一番、ファーストミットに収める。ようやく一つ目のアウト。

「まだ力んでるぞ、井口」

 倉橋が肩を回す仕草をして、脱力するように促す。

「初安打を許してから、ちっともおまえ本来のボールが来ていない。これじゃ打たれるのは当たり前だ。まず落ち着け。おまえが力を出せば、抑えられない相手じゃない」

「……わ、分かりやした」

 先輩の激励を受け、井口はこくこくと、首を縦に振る。

 パシッと打球音が鳴る。今度はセンターへの大飛球。島田が懸命に背走し、フェンス際で振り向く。オーバーフェンスかと思われたが、島田が左腕を精一杯伸ばし、辛うじてグラブに収める。

 犠牲フライとなり、三塁走者の生還を許すも、これでツーアウト。

「オーケーオーケー、今の球だぞ井口」

 倉橋が、そう言って後輩を励ます。

「高かったが、真っすぐの球威で勝った。今のボールなら、敵さんも飛ばすのはあそこまでが精一杯だ。この調子で、どんどん攻めろ」

「は、はい」

 照れた顔で、井口は応じる。ようやく普段のペースを取り戻しつつあるようだ。

 またしても鋭い打球が、一・二塁間を襲う。しかし、セカンドの丸井が「おりゃあっ」と雄叫びを上げ、横っ飛びで押さえる。体勢を崩しながらも、素早くファーストの加藤へトスし、間一髪アウト。ようやくチェンジとなる。

「ナイス、セカンド!」

 井口が呑気な声を発すると、丸井は「てやんでぇっ」と怒鳴り返した。

「これぐらい、俺にかかっちゃどーってことねぇよ。それより、いい気になんなよ。結果的に三点取られちまったし、今のだって、あちらさんが早打ちにきてくれたから、助かったようなもんだ」

「は、ドウモ」

 ピンチを切り抜けた後の、心地よいやり取り。イガラシ自身、小さくない安堵の思いを抱いていた。ただそれは、すぐに疑念へと変わる。

 丸井さんの言った通りだ。七番のセンターフライは、高めの真っすぐ。八番のセカンドゴロは、内角低めのシュート。当たりは悪くなかったが、ボール気味の際どいコースだ。早いカウントから手を出すような球じゃない。

「おーい、イガラシぃ」

 ふいに呼ばれる。顔を上げると、外野ファールグラウンドに設けられた簡易ブルペンにて、松川がグラブを掲げている。

「スマン。ボールが逸れて、ラインの中に入っちまった」

「え……あぁ」

 振り向くと、二塁ベースとセンターの定位置との中間地点に、ボールが一つ転がっている。取りに行こうとしたが、すでに西将ナインが守備位置へと散っていく途中だった。束の間躊躇っていると、西将の中堅手が気付き、拾ってこちらに投げ返した。

「ありがとうございます!」

 帽子を取り一礼すると、中堅手は微笑んで右手を振った。だが、すぐさま厳しい顔つきになり、守備位置へと走る。

 イガラシが踵を返そうとした時、西将の三塁手と遊撃手の会話が、耳に飛び込んできた。

「あの一年生投手、なかなか手こずらせてくれたな。監督が二打席与えてくれなかったら、課題をクリアできないところだった」

「ああ……レギュラーの連中はいいが、俺らはここでチャンスを逃すと、もう後がないからな。何とか一本打てて、良かったよ」

 守備練習の邪魔になるので、そのままベンチへと戻ったものの、束の間考え込んでしまう。課題をクリア、だと? まさか、奴らの目的というのは……

「おいイガラシ」

 倉橋に呼ばれ、現へと引き戻された。

「どうしたんだよ、ぼうっとして」

「……倉橋さん。この回の井口の球数、分かります?」

「うむ。三点取られたし、結構掛かったんじゃないか。正確に知りたければ、半田が記録してくれているから。ほら、そこにスコアブックが……ん?」

 半田の書きかけのスコアブックをめくると、倉橋は訝しげな顔になる。

「何だ、たった十五球かよ。思ったより少なく済んだんだな。これなら、スタミナ自体はまだまだ余裕ありそうだな。で……それが、どうかしたのかよ」

 イガラシは顔を上げ、端的に答えた。

「分かりましたよ。西将の狙いが」

「な……何だと?」

 倉橋の顔色が変わる。

 鈍い打球音。七番の加藤が、サードゴロに倒れた。ベンチに引き上げてくると、吐息混じりに「あのフォーク、かなり厄介だぞ」とこぼす。倉橋の傍に来ると、悔しさの滲む眼差しのまま、頭を下げる。

「すみません倉橋さん、注意しろって言われてたのに。思ったより手元で沈んで、分かっていても……って、どうしたんですか、倉橋さん。イガラシも、二人して怖い顔しちゃって」

 後続の井口も、センターフライに終わる。スリーアウト。前半五回が終了し、球場の係員達によりグラウンド整備が行われる。

「あ……スミマセン。別に確証があるわけじゃ」

 躊躇したが、倉橋は「いいから続けろ」と先を促した。

「現状、押され始めている。このままだと逆転、さらに突き放されるのは、もはや時間の問題だ。この際、劣勢を跳ね返す手掛かりがあるのなら、どんな些細なことでも欲しい」

 いつの間にか、三人の周囲にはナイン達が集まってきていた。キャプテン谷口を筆頭に、誰もが興味深げな眼差しをこちらに向けている。

「……分かりました」

 イガラシは頷き、努めて端的に告げた。

「たぶん西将は、ファーストストライクを一振りで仕留める“練習”を、この試合を使ってやっているんです」

「れ、練習……だと?」

 井口は驚いた声を発したが、イガラシの発言の真意をまだ理解できていないらしい。

「そうだ。さっきボールを取りに行った時、奴らの会話が聴こえたんだよ……『何とか課題がクリアできた』ってな。井口、おまえも序盤こぼしてたじゃねぇか、あまりにもバッティングが雑過ぎるって」

「あ、ああ」

「うちが直近の練習試合や、フリーバッティングでしていたことと一緒だ。奴らも“制約”を課していたんだよ」

「制約って……ツーストライクまでは見逃すっていう、あれか」

 丸井の問いに、イガラシはうなずく。

「はい。ただ、奴らは別の……もっとレベルの高い制約ですが」

「……オイオイ、それじゃ」

 微かに震える声で、井口が言った。

「俺は、奴らの……練習台だった、というワケかよ」

「この推測が正しければ、そういうことになるな」

 横井が「でもよ」と口を挟む。

「井口レベルの投手を相手に『必ずファーストストライクを仕留めろ』というのは、ちょっと無茶すぎやしないか。確実に攻略するなら、むしろ序盤は球数を放らせて、ボールを目に慣れされるのが定石だろ。実際、奴ら四回まではさっぱりだった」

「ええ。そこは、西将にも計算違いがあったんですよ」

 相手ベンチを見やりながら、イガラシは返答した。

「井口が想定より、チカラのある投手だったんです。それで、先発メンバーにはもう一打席チャンスを与えたって……さっき、そう話してるのが聴こえました」

当たりめぇだろ」

 鼻息荒く、井口が叫んだ。

「そう易々と、相手の思い通りにされてたまるかってんだ」

「うーむ。にしても……」

 横井はまだ納得いかないらしく、なおも首を傾げる。

「でも、あの四番以外はほぼ控えメンバーなんだろ。レギュラーならともかく、控え選手に難易度の高い制約を課すって、何の意味が」

「……それはな、横井」

 谷口が、おもむろに口を開く。

「ストライクを一振りで仕留められない選手は、“いらない”ってことだろう」

 キャプテンの言葉に、ナイン達からざわめきが起こる。

「いらないって……そんな。いくら名門校だからって、冷たすぎやしないか」

「名門校だから、だよ」

 冷淡にも思える言葉を発した。

「仕方ないんだ。あれほどの名門校ともなれば、有り余るほどの選手がいる。さらに、毎年有望な新入生も入部してくる。となると……どうしてもレギュラーを選抜するために、何らかの手段で“ふるい”に掛けなきゃならない」

「なるほど。谷口さん……昔まさに名門中の名門、青葉にいましたもんね。名門野球部の考えることは、よく知っているわけです」

 丸井の相槌に、谷口は無言でうなずく。

「……イガラシ君」

 ふいに名前を呼ばれ、ベンチの後方を振り返る。

「どうやら……制約を課されていたのは、野手陣だけではないようだよ」

 声の主は、片瀬だった。端正な顔立ちの静かな眼差しが、こちらに向けられている。

「他にも、何か気付いたのか」

「まぁね。君もさっき、違和感を抱いていたじゃないか。先発投手の、君に三塁打を浴びた後の過度な狼狽えぶりに」

「あ、ああ」

「おまけに……君に打たれたばかりのカーブを、次の丸井さん、それに倉橋さんや谷口さんにもムキになって投げて、ことごとく狙い打たれていたろう」

「え……おお、そういやぁ」

 倉橋がそう言って、目を見開く。

「言われてみりゃあ、あの時俺も思ったんだ。とっくに癖も見抜いて、イガラシにも丸井にもカーブを狙い打ちされたのに、どうしてまた俺にも投げてきたんだってよ」

「……それは、きっと」

 淡々とした口調で、片瀬は結論を口にする。

「彼に限らず、今日登板する予定の投手は、事前にこう告げられていたんじゃないでしょうか……『今日の試合では、決め球の威力を見極める』と」

「なるほど」

 一つ相槌を打ち、イガラシは片瀬の説明を補足した。

「つまり……狙われて捉えられる程度の決め球しか持たない投手は、西将では“使えない”と判断される。だから先発投手は、決め球であるカーブを打たれて、あれほど動揺したというワケか」

 背中を汗が伝う。妙な寒気を覚えて、僅かに体が震えた。

 ほどなくして、グラウンド整備が終わる。係員がバックネット裏へ引き上げるのと同時に、墨谷ナインはベンチから身を乗り出した。

「……よし、行こうぜっ」

「おおっ」

 キャプテン谷口の掛け声を聴き、墨谷ナインは一斉にグラウンドへと散っていく。

 イガラシがショートの守備位置に着いた時、ふいに突風が球場を吹き抜けていった。古文の時間に習った「春疾風」という言葉が、なぜか脳裏に浮かんだ。

 

次回<第14話「リリーフ投手」の巻>へのリンクは、こちらです。

 

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第1話~第11話までのリンクは、こちらです。 

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