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第16話「作戦変更!?」の巻
――西将学園高校、選手の交代をお知らせ致します。一番木下君に代わりまして、椿原君。一番、レフト椿原君。背番号、七。
ウグイス嬢のコールとグラウンド上の光景に、またもスタンドがざわめく。
「うわっ。ま、丸井さん」
加藤が驚きを隠そうともせず、相手ベンチを指差して言った。
「何だよ……って、おまえそろそろ敬語やめろよな。そもそも同期なんだし」
丸井は苦笑いを浮かべながら、呑気に答える。
「今はキャプテンじゃないし。まるで俺が、えばってるみたいじゃねぇかよ」
「そんなしょーもないこと言ってる場合じゃないですよ。あの椿原って人、選抜大会で最高打率の記録を作った選手じゃないですか」
「しょーもないって……な、なにぃ! 大会、最高打率だとぉっ」
驚く二人を横目に、イガラシは「やっぱりな」とつぶやいた。視線を移し、ボール回しを始めようとする谷口に近寄り、「キャプテン」と呼んで尋ねる。
「この試合の交代って、公式戦と同じ十四人までですか?」
ベンチの戸室からボールを受け取ると、谷口は「いや」と首を横に振った。
「招待野球の選手交代は、無制限だ。練習試合と同じ扱いになるからな。極端な話、出場メンバーを一試合で、ごっそり入れ替えることもできる……ほれ、行くぞ」
「あっはい。さぁ来い!」
谷口からのボールを捕球し、セカンドの丸井へと送る。丸井はさすがに、イニング開始前のボール回しを忘れてはいなかった。すぐにファーストの加藤へ。そしてまたサード、ショート、セカンド、ファーストと一周する。
イガラシは、スパイクで足元の土を均しながら、しばし思案した。
まるで青葉だな。奴らもこの分だと、全員レギュラーに替えてくるぞ。でも……何のために? あの時の青葉は、地区大会決勝という公式戦だったから、なりふり構わなかったのも分かる。けど、これは公式戦じゃない。
顔を上げ、相手ベンチに目をやる。あっ……と、小さく声を上げていた。
グラウンドに声援を送る控え選手達の陰に、おそらく四十歳前後だろう、眼鏡を掛けたユニフォーム姿の大人の男性が、腕組みしながら静かに佇んでいる。
「キャプテン、あの」
もう一度、問うてみる。
「ベンチの奥に座っている人、どういう立場の人なんでしょうね。ノックするでもなく、指示するでもなく」
「イガラシも、やっぱり気になるか」
微笑みを浮かべ、谷口は答えた。
「あの人が、西将の監督らしい。半田の話では、かなり優秀な指導者だと評判だそうだ。あの人が就任してから五年間で、西将は甲子園で春夏合わせて、三度優勝している」
「へぇ、確かに優秀ですね。けど……」
だとすれば、ますます納得がいかない。この試合は、レギュラー当落線上の選手達の「テスト」として位置付けていたはずじゃなかったのか。
付き合わされる側としては、当然愉快ではない。ただ、そう決めていたのなら、なぜここに来てブレたんだ。甲子園を三度も制し、優秀だと評判の指導者にしては、選手起用が場当たり的過ぎやしないか。
「なぁイガラシ」
ふいに呼ばれて、はっとする。
「はい」
「俺は……西将の監督のこともそうだが、もう一つ気になることがあってな」
谷口が、訝しげな顔で言った。
「別のこと?」
「西将の選手交代策のことなんだが……表面的には、“格下”墨谷の思わぬ抵抗に、慌ててレギュラーを起用したように見える」
「ええっ」
思わぬ言葉に、つい声が上ずってしまう。
「表面的には、って……」
「ああ。けど……予定外の出場にしちゃ、仕上がりが良過ぎる。特にさっきの、竹田の投球。島田を凡フライに打ち取った速球、倉橋を三球三振に仕留めたフォーク。とても、急遽リリーフした投手の球だとは思えない」
「ま、まさか」
唾を飲み込み、イガラシは言った。
「この交代策……予定通りだったって言うんですか」
ほどなくして、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛ける。椿原はゆっくりとした動作で、左バッターボックスへと入った。
「プレイ!」
アンパイアのコールに、二イニング目となる松川が、ワインドアップモーションから第一球を投じる。
外角低めの直球。僅かに外れ、ワンボール。二球目、今度は内角低めにまたも直球。これもやや低めに外れる。椿原は、微動だにしない。
三球目。松川は、カーブを投じる。
「ストライク!」
外角低めいっぱいに決まる。イガラシは、思わず「あれっ」と声を発した。
さほど間を置かず、松川は四球目を投じる。これもカーブ。またしても、外角低めいっぱいに決める。これでカウントをイーブンとし、追い込んだ。
倉橋がマスク越しに、一瞬目を見開く。何か思案するためだろう、通常より間を長く取ってから、松川に返球する。倉橋さんも驚くよな、と胸の内でつぶやく。
奴ら、初めて「ストライク」を見逃しやがった。もしや、作戦を変えたのか。
五球目、バッテリーはシュートを選択した。左打者の椿原にとって、外へ逃げていくボールとなる。
鈍い音。ボールは、三塁側のファールグラウンドへ転がった。打ち損じたというより、意図的にカットしたように見えた。六球目、松川は続けてシュートを投じるが、またもカットされる。
続く七球目は、一転して速球。思い切って内角を突いたが、見極められる。これでカウントは、ツースリー。
胸の内が、妙にざわついてくる。
そして八球目。倉橋が、内角低めにミットを構える。そこを目掛けて、松川はカーブを投じた。打者の膝元を突く厳しいボール。
今度は快音が響く。ボールは、ジャンプした丸井の頭上を越え、横井の前でワンバウンドする。ライト前ヒット。
「惜しい惜しい。ナイスボールよ、ピッチャー」
マウンド上へ声援を送ると、谷口はこちらを振り向いた。
「やられた。さすがに上手いなぁ」
「ですね……難しい膝元の球を、あんな簡単にライトへ持っていくとは」
もっとも落ち着かない原因は、それではない。こめかみの汗を拭い、視線を相手ベンチへと向ける。眼鏡の監督は、相変わらず奥で佇んだまま、動く気配すら見せない。
――二番、セカンド、磯村君。
細身の打者が、右バッターボックスへと入る。背番号は「4」。こちらは高山と同様、先発出場していた本来のレギュラーメンバーだ。
ファーストストライクを打つという制約のためか、ここまで三打席とも凡退。ただ前打席では、イガラシの好守備に阻まれたものの、三遊間にヒット性の当たりを放っていた。さらにレギュラーの内野手だけあって、再三俊敏な動きを見せている。
当然、打者としても注意を払わなければならない。
どうやら、送りバントの気配はない。その初球、松川の投じたカーブが、真ん中やや外寄りの甘いコースに入ってくる。やばいっ、と思ったのも束の間、倉橋のミットが鳴る。
「ストライク!」
助かった。けど、今の打ってりゃ、下手すればホームランだぞ。何で見逃したんだ、狙い球と違ったのか。それとも、もしや……
「オイオイ松川、危なかったぞ」
「す、スミマセン」
倉橋に軽く叱咤され、松川はぺこっと頭を下げる。それからスパイクで足元を均し、ロージンバックを手に取る。セットポジションに入り、まず一塁へ牽制球。さらにもう一球。椿原の盗塁を警戒するというより、じっくりと間合いを取るためだ。
そして、第二球。外角低めに直球、今度は狙い通りのコースへ決まる。磯村は、やはり微動だにしない。倉橋は「ナイスボール!」と微笑みかけ、松川に返球する。
これでツーストライク。しかしバッテリーは、勝負を焦らない。
三球目の外角へのカーブ、四球目の内角高めへの直球は、いずれもボール一個分外し誘ってみる。これには手を出さず。五球目のフォークにも乗ってこず、またもフルカウント。
またツースリー、だと? やっぱり、奴らの狙いは……
果敢に内角を突いた松川の直球が、磯村のユニフォームの袖を掠める。アンパイアが「デッドボール!」とコールし、一塁ベースを指差す。
谷口がタイムを取り、内野陣をマウンドへと集めた。
「す、スミマセン」
死球を与え、うつむく松川の背中を、谷口がぽんと叩く。
「ドンマイ。今のは仕方ないさ、強気に攻めた結果だろ」
「キャプテンの言う通りだ」
倉橋も、マスクを片手にうなずく。
「ボールは来てる。制球も、さっき危ない球はあったが、それ以外はちゃんとコースを突けている。この調子なら、そう易々と打たれはしない」
「そうだ松川。思い切りドォンと……って、おいイガラシ」
丸井がすっと、こちらに眼差しを向ける。
「どうしたんだよ。そんな、怖い顔して」
「……松川さん、倉橋さん」
バッテリー二人の顔を交互に眺め、進言する。
「遊び球を放る必要はありません。松川さんの得意球で、どんどん勝負して下さい」
「なっ何を言い出すんだよイガラシ」
倉橋が、やはり困惑の顔で言った。
「確かに、強気で攻めていけ、とは言ったがな。でも、遊び球を放らないっていうのは、さすがに無謀過ぎるぜ。相手は強打者揃いなんだし、慎重に散らしていくのが定石だろ」
「……それも、計算のうちだとしたら?」
「どういうことだ」
谷口が真顔になり、問うてくる。
「ナインに説明してくれ。おまえ、何に気が付いたんだ?」
「奴らこの回から、作戦を変えてきています。ほら……さっきの失投のカーブ」
「お、おう」
苦笑い混じりに、倉橋は言った。
「正直やられたと思ったさ。幸い見逃してくれて、事なきを得たけどよ」
「たぶん……あれ、わざとなんですよ」
イガラシの言葉に、丸井が「なにぃ」と目を見開く。
「コース云々じゃなく、早いカウントだったので、意図的に手を出さなかったんです」
「……まさか、イガラシ」
心なしか、丸井は引きつった顔になる。
「俺達がさっき、西将の西田さんに対してやったとの、同じ戦法を」
「そういうことです」
即答すると、多くの者が驚いた声を発した。
「もっとも、西将はさらにレベルを上げて、必ず“フルカウントにする”制約を課しているみたいですけどね」
「な、なるほど。言われてみりゃ……」
倉橋が相槌を打つ。
「さっき一、二番とも、早いカウントでは打ちに来なくて、結局ツースリーまで行ったしな」
「はい。この回、打順はトップから。しかも、初めてレギュラーメンバーだけで臨める攻撃です。作戦を変えるにはうってつけの状況なんですよ」
「つまり……レギュラーじゃない時は“ファーストストライク狙い打ち”、レギュラーが揃ってからは“フルカウントにして球数を費やさせる”、二段構えの作戦というわけね」
加藤の呑気な口調に、丸井が「てやんでぇ」と怒鳴る。
「な、何ですか急に……」
「西将の奴ら、俺っちらを自分達の“練習プログラム”としてしか、見てないってことじゃねぇかよ。いくら公式戦じゃないからって、名門だからって、ナメた真似を」
「丸井。落ち着けよ」
ふいに谷口が、割って入る。
「はっはい、谷口さん」
「……案外、そうとも限らないぞ」
キャプテンの言葉に、再び周囲がざわめく。
「どういうことです?」
イガラシが問うと、谷口は「これも推測だけどな」と前置きしてから、答える。
「うちを“練習台”と見ているのは、俺も当たっていると思う。でも、ナメているからそうするというのは、ちょっと違う気がするんだ。ひょっとして……西将は、投手のタイプ別の攻略法を、試してるんじゃないかってな」
「た、タイプ別の攻略法……ですか?」
「そうだ。時にイガラシ……このピンチ、おまえならどうやって切り抜けたい? 三振か、それとも凡打か」
「えっ。そ、それは」
唐突に尋ねられ、戸惑いながら返答する。
「……別にどっちでも。ああ、球数が少なくて済むので、初球を凡打くらいの方が良いですね」
「合理的だな。松川は?」
「ぼくも一緒です。ピンチを切り抜けたのだが、別にこだわりは」
「そうだよな、俺も同じ考えだ。ところで……丸井」
「へっ? ぼ、僕ピッチャーじゃないですよ」
丸井の素直な反応に、他の内野陣は吹き出す。
「そんなこと分かってるさ。ほら、おまえとイガラシの後輩……近藤って言ったっけ」
「なっ何で今、あんな奴のこと思い出させるんですか」
「いいから。その近藤君なら、どうだろう」
「あいつに“君”なんて付ける必要、ないですよ。そうですね……あいつなら、間違いなく三振を取りにいきますね。それで痛打されること、多かったですけど」
「なるほど。ちなみにイガラシ、井口はどっちだろう」
「井口ですか。どうでしょうね……中学の時は、バックを信用しようにも、野手陣のレベルが低かったですからね。ただ、去年決勝で戦った時、いざという場面では俺に勝負を挑んできたところから見て、やはり三振を狙うタイプだと思います」
その時、加藤が「そういうことか」と感嘆の声を発した。
「谷口さんの言いたいこと、分かりました。ピッチャーには、二種類のタイプがいるってことでしょう」
「いっいきなり大きな声出すなよな。何だよ、ピッチャーのタイプって」
丸井が耳の穴をほじくる仕草をしながら、呆れ顔で問う。
「要するに、近藤や井口みたいに三振を取りたがる“ボールの威力に自信を持つ”タイプと、松川やイガラシ、谷口さんみたいに“合理的に考える”タイプだよ」
「そういうことだ」
谷口は、我が意を射たりという表情で、大きくうなずく。
「そしてボールの威力に自信を持つ投手は、簡単にストライクを取りにくる傾向がある。ところが、自信を持って投げ込んだ球を打ち返されたら」
「動揺して、ムキになるか、自信をなくしてしまいますね」
加藤の相槌に、イガラシはうなずいた。さっきの井口だな……と、胸の内でつぶやく。
「逆に、合理的に考えるタイプの投手は、慎重にコースを突いていく。そんな投手が、よく陥りがちなのが……」
「慎重になりすぎて球数が増えたり、四球を与えてピンチを招いてしまう」
倉橋がそう言うと、松川は思い当たる節があるのか、一瞬ばつの悪そうな顔をした。
「……それじゃあ、谷口さん」
イガラシは眼差しを上げ、さらに尋ねる。
「西将は、井口と松川さんがどういうタイプの投手か知った上で、早打ちしたり待球したりしてきたわけですか。つまり……西将も、俺達のことをよく調べて」
周囲のナイン達から、またもざわめきが起こる。
「なっ、何だと?」
「まさかそんな。うちが調べるならともかく、奴らが俺達のことを調べるなんて」
「そうだよ。公式戦ですらない、招待野球で戦う他府県の新興チームのために、なんで西将ほどのチームがそこまでするんだよ」
ざわめきを遮るかのように、背後から足音が近付いてくる。振り向くと、しかめ面のアンパイアが、わざとらしく大きな咳払いをした。
「お、オホンっ。ちょっとミーティングが長すぎやしないかね!」
「あっスミマセン。もう済みましたので」
谷口は一礼すると、ナイン達に声を掛ける。
「さぁ。がっちり守っていこうよ!」
「おうっ」
掛け声を合図に、各自のポジションへと散っていく。
「イガラシ」
ショートの位置に戻ろうとした時、ふいに呼ばれる。
「……はい?」
松川だった。すでにマウンド上のプレートに足を掛け、顔だけをこちらに向けている。何か……と問い返そうとした時、束の間言葉を失う。
えっ……松川、さん?
その眼差しに、いつになく鋭い光が宿っているように感じた。この温厚な先輩の、入部以来初めて見る、迫力ある姿だ。睨むような目で、一言だけを発する。
「あのボール、使うぞ」
ほどなくプレーが再開される。
三番打者の鶴岡が、左バッターボックスに入った。実力的には、四番の高山に匹敵する強打者である。前打席では、その打力を警戒し歩かせていた。
ただ今回は、ノーアウト。逃げるわけにはいかない。
松川はセットポジションから、まず二塁へ牽制球を送る。続けて、もう一球。盗塁を警戒するというより、間を取る意味合いなのだが、おそらく見てくるつもりの相手打者に、効果があるかどうかは分からない。
初球。直球が、外角低めいっぱいに決まる。二球目も同じ球、同じコース。やはり鶴岡は、手を出してこない。これでツーストライク。
そして三球目。倉橋は、鶴岡の膝元にミットを構えた。
内角低め。打者が最も打ちにくい所だが、同時に投手にとっても制球が難しく、投げるには勇気の要るコースでもある。イガラシは、思わずため息をついた。
覚悟を決めたな、松川さん。
またもセットポジションから、松川は投球動作へと移る。その指先から、まるでスローモーションのようにボールが放たれる。狙い通り、内角低めを突く。鶴岡は肘を畳み、掬うようにバットを回す。
バットの軌道。その数十センチ手前で、ボールが急激に沈む。
一瞬の静寂。その直後、スタンドが大きくどよめいた。少し遅れて、驚いたようなアンパイアの甲高い声が、球場全体に響く。
「ストライク、バッターアウト!」
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