南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【独り言】“不登校ユーチューバー”に問いたい「宿題をやる意味」<雑記帳「日々、考えたこと・感じたこと」>

  この一件、元をただせば、子供の単なる(まさしく子供らしい)ワガママが始まりである。

 

 宿題をやりたくない。勉強をやりたくない。それよりも遊んでいたい。子供ならば、ほとんど誰でも口にするし、また思うことである(実は大人も一緒)。でも、それを口にした瞬間、周囲の大人に「うるさい!」「黙ってやれ」と一喝されて、終わりである……“普通”は。

 

 少年にとって不幸だったのは、彼の周囲に、彼を一喝してくれるマトモな大人がいなかったこと。さらには、新聞やらテレビやら、インターネットラジオやらで、一部の芸能人・文化人達が、その他愛もないワガママを“肯定”してしまったこと。

 

 私は、ただただ「気の毒」という感情しか沸かない。本人は「不登校は不幸じゃない」などと宣っているようだが、その通り、不幸なのは「不登校を続けていること」じゃない。(繰り返すが)ワガママをきちんと正してくれる、マトモな大人が周囲にいなかったことだ。

 

 さて、ここからが本題。この少年に限らず――我々は子供の頃、しばしば「どうして宿題しなくちゃいけないの」と口にしたはずだ。

 

 20代の頃、私も教育関係の仕事に就いていた関係で、子供達からまさにこの質問を、よく投げかけられたものだ。その際、私なりに「学校の勉強のおさらいだよ」とか「大人になって仕事をする時の練習だよ」とか、色々と言葉を尽くして説明した。

 

 が……そうして説明して、心底納得してくれた子供は、少数である。

 

 まぁ、私の説明が下手だったことは否定しない(苦笑)。だが、それ以上に大きいと思われるのが……「どうして宿題しなくちゃいけないの」と質問してくる子供の大半が、内心では宿題を“しなくていい理由”を探したかったからである。

 

 ほんとは「宿題をしなきゃいけない理由なんてない」と思いたかったのに、説明されてしまった。何だよ、やっぱりしなきゃいけないのかよっ! ……こんな具合だろう。

 

 そして、私の説明で納得してくれた子供達というのは……言うまでもなく、宿題を一生懸命やってくる子達である。当然、彼ら・彼女らは、宿題を「やって良かった」理由を聞きに来たのである。私からその理由を聞けて、安心したというわけだ。

 

 今なら、宿題をやりたくなくて聞いてきた子には、こう言うだろう――「それが分からないから、やらなきゃいけないんだよ」と。

 

 つまり……宿題をやる意味というのは、“本人が自分で見つけ出すもの”なのだ。

 

 「学校の勉強のおさらい」でも「大人になった時の仕事の練習」でも、何でも良し。もっと言えば、大人になって「宿題なんてやる意味なかった」という結論に達しても、構わないと思う。そういう人は、勉強と縁遠い職業を選べば良いだけの話だ。

 

 件の少年に、一つだけ忠告するとするならば――「世界に発信」とやらをしていくのなら、せめて“宿題をやる意味”くらい、自分で見つけ出せるんだろうな。それができないなら、おとなしく学校に行って、ちゃんと宿題をやった方がいいぞ、と。