南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

白球の”リアル”【第24話】<「バックネット裏の”刺客”」の巻> ~ ちばあきお原作『プレイボール』もう一つの続編 ~

目次

 

 

 ※前回<第23話「消えたエース」の巻>
stand16.hatenablog.com

 

 

 第24話「バックネット裏の“刺客”」の巻

 

 荒川球場。スタンドは、静まり返っている。

 グラウンド上空に、灰色の雲が集まってきていた。湿気が纏わりついてくる。今朝の予報によれば、正午頃から雷を伴う雨となるらしい。

「これ、九回まで保ちますかね」

 イガラシは、頭上を睨んで言った。

「ただ夏大を思えば、雨天時のゲームを経験しておくのは悪くないですけど」

「おまえ……よくそんな、先のことまで考えてられるな」

 倉橋が腕組みしながら、呆れたように笑う。

「随分余裕じゃねぇか、これから甲子園優勝校相手に投げようっていう一年生がよ。西将戦では、同学年の井口が七点も取られてるってのに」

「余裕? いえ、そういうわけじゃ」

 球場入りしてから、何だか落ち着かない。この今にも崩れそうな空模様が、試合の波乱含みの展開を暗示しているようにさえ思える。無論、口には出さないが。

「……でも、大丈夫ですよ」

 努めて、事もなげに返答する。

「少なくとも西将の打線ほど“精鋭揃い”ってわけじゃなさそうなので。丹念にコースを突いていけば、そう点は取られないと思います」

 相手にというより、自分自身にそう言い聞かせる。

「それで打たれるようなら……どうぞ遠慮なく、僕を交代させてください」

「オイオイ。何だか強気なのか弱気なのか、分かんねぇ奴だな」

 倉橋は苦笑いを浮かべた。

「まぁ地に足は付いているようだから、リードする側としちゃあ一安心だけどよ」

 三塁側ブルペン。イガラシは倉橋とペアを組み、入念に試合前のウォーミングアップを行っていた。

 軽い準備運動とキャッチボールの後、柔軟体操へと移る。こういう悪天候の日は、大きな怪我をしやすいから、いつも以上に神経を使う。二人の傍らで、すでに他のナイン達はキャッチボールを始めている。

「さて。そろそろ、行きましょうか」

 イガラシが横に除けていたグラブを手に取ると、倉橋は「よし来た」と力強く応じる。

 ブルペンのマウンドに登る。視線の先、十八点四四メートル先のホームベース上で、倉橋がミットを構えた。

 足をプレートに掛け、振りかぶる。左足を踏み出す。グラブを突き出し、右腕をしならせ、手首を返す。指先が、ボールの縫い目を切る。

 バシッ。倉橋のミットが小気味よい音を立てた。

「ナイスボール!」

 掛け声とともに、返球される。

 最初は五割程度から始め、少しずつ力を入れていく。丁寧にウォーミングアップを行ったからか、肩はすぐに温まる。指の掛かり具合、スナップを利かせる感触も悪くない。自分でも、まずまずの調子だと思った。

「よぉし。そろそろ全力で来い!」

 倉橋の指示に、小さくうなずく。

「行きますよ」

 まず五球続けて、イガラシは速球を投げ込んだ。倉橋は内外角の高め、低め、真ん中とすべてコースを変えたが、いずれもミットを動かすことなく捕球する。

「調子良さそうだな」

 谷口がキャッチボールの列を抜け、こちらに駆け寄ってくる。

「全部キャッチャーの構え通り。しかも、また速くなったんじゃないか」

「はい。でも……まだ球質の軽さは直ってないので、どこまで通用するか」

 倉橋に「次カーブ行きます」と、声を掛ける。

 右打者を想定し、カーブを投じた。打者の胸元から巻き込むようにして、ミットに吸い込まれる……かに思えたが、そこからさらに鋭く曲がる。

「おっと」

 ボールはミットを弾き、レフトのファールグラウンドに転がった。

「あ、スミマセン」

「いや、これは俺の捕球ミスだ。今のスピードで、こんなに曲がるとはな」

 ボールは戸室が拾っており、すぐ投げ返される。

 イガラシは、ちらっと一塁側ベンチの方に目をやった。墨谷ナインと同様、箕輪の選手達もキャッチボールを始めている。

「ほれイガラシ」

 倉橋が傍に来て、ボールを直接手渡した。

「あっスミマセン」

「なぁに構わんよ。それより気になるか、奴らの様子」

「ええ。何というか……ちょっと拍子抜け、しちゃうっていうか」

 苦笑い混じりに答えると、倉橋は「いや分かるぞ」とうなずく。

「俺も正直、似たようなことを感じてたからな」

 思いのほか、穏やかな雰囲気なのだ。

 掛け声に活気はあるものの、試合前から近寄るのも遠慮したくなるほど鋭い眼光を放っていた西将ナインとは、明らかに異なる。元は墨谷と同じ普通公立校ということもあってか、どことなく素朴な空気感が漂う。

 体躯自体も、何人か長距離ヒッタータイプの選手は目に付いたものの、全体的には華奢な印象を受ける。イガラシは、胸の内でつぶやいた。

 これが本当に、昨年春の選抜甲子園を制したチームなのかよ……

「あーっ、わりぃっ」

 遠くから呼ぶ声がした。顔を向けると、半田が駆けてきた。その後方で、戸室は呆れ顔で立っている。どうやら半田が捕り損ねたらしい。視線を移すと、ボールはバックネットの真下付近まで転がっていた。

「あちゃあ。半田の奴、試合前から何やってんだよ」

 倉橋が呆れ顔になる。イガラシは「ちょっと注意してきます」と言い置き、バックネット下へ走った。先にボールを拾い、駆けてくる半田に投げ返す。

「半田さん、ボールから目を切っちゃダメですよ。捕球するまでよく見てないと」

「あっうん。ゴメン」

 後輩に注意されたにも関わらず、半田は素直にうなずく。これじゃどっちが先輩か分かんねぇな……と、さすがに苦笑しかける。

 その時だった。

 ふいに視線を感じ、イガラシは後方に振り向く。バックスタンド中央の最前列。ウインドブレーカー姿の小柄な少年が、不敵な笑みを浮かべこちらに眼差しを向けている。

 少年の胸元には、漢字で「東実」の二文字。

 もっとも、そんなものなどなくても、容易に少年の名前を諳んずることができる。イガラシだけでなく、谷口や丸井も同様だろう。それほど因縁深い相手だ。

 目が合うと、少年は「やぁ」と朗らかに言った。

「……佐野、さん」

「しばらくだな。イガラシ」

 佐野は、言わずと知れた元青葉学院中学の主戦投手だ。一年生の秋からは“エースナンバー”を背負い、数々の栄光を手にしている。

 現在は、都内の強豪校として知られる東都実業野球部に入部したと、谷口から聞かされている。秋季大会では、墨高とブロック予選決勝で対戦した際にリリーフ登板し、無失点に抑えたらしい。この夏は二年生ながら“エースナンバー”を背負うという噂もある。

 かつてイガラシ達のいた墨谷二中とは、三度(みたび)死闘を繰り広げた。結果的に勝ち越すことができたものの、こちらも傷つき、後にしばらく影響を引きずるほど、激しい消耗を強いられた。

 当然、佐野自身の力量もまざまざと見せ付けられている。

 小柄な体格に似つかわしくないほどの威力ある速球と、切れ味鋭い変化球。また、年を経るごとに進化する“成長力”にも、目を見張るものがある。この厄介な好敵手とは、いずれまた対峙しなければならないと、イガラシは警戒を強めていた。

「ご無沙汰してます」

 イガラシは帽子を取り、わざとらしいほど丁寧に挨拶した。

「練習を抜けてのんびり野球観戦とは、余裕がありますね」

 皮肉を言うと、佐野は「ふふっ」と含み笑いを漏らした。

「なぁに。学校で合宿中のそちらと違って、こっちは関西遠征から昨日帰ってきたばかりでな。今日は休みをもらったんだよ」

 言外に、野球部としての活動スケールの大きさの違いを見せ付けようとしていることは、すぐに分かった。相変わらずだな……と、密かに舌打ちする。

「あ、そうそう……紹介しとくぜ」

 佐野がふいに、右手を肩付近にかざした。ほぼ同時に、後列の席に座っていた長身の少年が、すっくと立ち上がる。

「はじめまして、倉田です」

 倉田と名乗った少年が一礼すると、佐野は苦笑いした。

「オイオイ。何もそんな、かしこまるこたぁないだろ。おまえら同い年なんだし」

「はい、それに……」

 イガラシはうなずき、倉田の方に顔を向ける。

「こうやって会うのは初めてでも、お互いの顔は分かるはずだ。君は、昨年の青葉学院のエースだったろう」

 ほぅ、と倉田は目を見開く。

「俺のこと知っているのか」

「地区の四回戦だったっけか。格下相手とはいえ、圧倒的な投球を見せてもらった」

 ボール自体の威力は、さほど佐野と変わらなかった。むしろ上背がある分、打者にとっての威圧感は倉田の方が上かもしれない。

 ただ何度も全国大会の舞台を踏んでいた佐野と比べ、高いレベルの試合で勝ち切った経験が不足していたからか、準決勝では井口擁する江田川の前に不覚を取った。

「皮肉かよ」

 佐野が笑って言った。

「ほんと情けねぇ。こちとら部長に頼まれて、墨谷二中“攻略メモ”をわざわざ準備してたってのに、こいつらその前でコケてやがる。って、おまえらに二度も決勝で負けた俺が言えた義理じゃねぇがよ」

「そんなことより……どうして今日、うちが箕輪と試合すると知ってたんですか」

 尋ねると、佐野は「あちゃぁ」とわざとらしく顔を覆う。

「シード校だってのに、まだまだ脇が甘いな。この時期、都内上位校は夏大の目障りになるライバル校の動向を、お互いに探るもんさ。かつておまえら墨谷二中が、俺らを相手にやったようにな。フン、相手を研究するのは、何もおまえらだけの専売特許じゃねぇんだ」

 イガラシの脳裏に、西将の監督・中岡の言葉が反すうされる。

―― 君だけじゃなく、墨谷ナインの諸君は、自分達がどう見られているかということに対して、あまりにも自覚がなさ過ぎる。

「……ましてうちは、一度おまえらに敗れている」

 やや声のトーンを落とし、佐野は話を続けた。

「うちの監督なんか、血眼になって“墨谷攻略法”を練っているぞ。遠征に帯同しないメンバーに、招待野球も含めておまえらの様子を探らせてた。そしたら、何の縁があったのか知らんが、おまえら墨高があの箕輪と練習試合するという情報をキャッチしてな。たまたま暇だったんで、こうして出向いたというわけさ」

 

 一塁側に戻ると、他のナイン達は一旦ベンチに引き上げていた。

「あ、戻ってきたぞ」

「お……おい、イガラシ」

 皆それぞれ噂していたらしい。イガラシの顔を見た途端、口々に問うてくる。

「バックネット裏に座ってた奴、佐野だろう」

「あいつどうやって、うちが箕輪と試合すること嗅ぎ付けたんだ」

 束の間ベンチが騒がしくなる。

「あの……ち、ちょっと」

 イガラシが制止しようとしかけた時、ベンチの後列で谷口が怒鳴った。

「落ち着けみんなっ」

 周囲は一瞬にして静まり返る。

「今、佐野や東実のことを考えても始まらない。これから戦うのは“箕輪”だ。せっかくの機会、集中して試合に臨もう」

「キャプテンの言う通りだ」

 倉橋が相槌を打つ。

「それに佐野が偵察してるからって、こんなに浮足立ってちゃ、奴らに弱みを晒すことになる。“墨谷はシード校のわりに大したことない”って、他校に喧伝されるぞ。それでもいいのか」

 イガラシは、ぐっと唇を噛んだ。

 他のナインを笑えねぇな。佐野との再会に気を取られ、これから戦う相手のことが束の間でも頭から飛んでいたのは、俺も同じだ。ったく、情けねぇ……

「……おい、イガラシ」

 ふいに呼ばれ、はっとする。

「はっ……あ、はい」

 顔を上げると、谷口がこちらのユニフォームの袖を軽く引っ張っていた。

「ちょっといいか」

「え、はい……」

 ベンチ奥の扉から、外に連れ出される。そのまま通路に出ると、谷口はむしろ穏やかな口調で問うてきた。

「佐野は、何か言ってたか」

「ええ……でも、別に大したことは」

 正直に答える。

「昨日関西遠征から帰ってきたとかいう、自慢なのか威嚇なのかよく分からない話とか、シード校はこうやってお互いに探りを入れるんだぞ、とか。やけに自信ありげなのは分かりましたけど……ああっ、そうだ」

「まだ何かあるのか」

「はい。東実に、また新たな戦力が加わったようです。倉田っていう……佐野さんの後輩にして、去年青葉の主戦投手だった奴です」

 そう言うと、さすがに谷口の顔色が変わった。

「何だって。それで……その倉田というピッチャーは、どれほどの奴なんだ」

「佐野さんと同じ左投げで、ボール自体の威力はそう変わりません。昨年は経験不足が祟って、井口のいた江田川にやられましたけど……あれから、もっと成長しているでしょうし」

「そうかぁ……東実は、佐野さえ打ち崩せば何とかなると思ってたんだがなぁ。こりゃ、秋までとは別のチームだと思った方が良さそうだ」

 しばし考え込む仕草をしたが、すぐに顔を上げる。

「ただイガラシ。いずれにしても、東実のことを考えるのは後にしろ」

「分かってますよ」

「……本当に、そうか?」

 キャプテンが珍しく、訝しむ眼差しを向けてくる。

「おまえのことだ。さっきの倉橋の言葉を真に受けて、東実に弱みを晒さない投球はどうすべきかとか、すでに考え始めているんじゃないのか」

 一瞬、言葉に詰まる。確かに図星だった。

「ほら。やっぱりそうだろ」

「そ、それは……当たり前じゃないですか」

 やや語気を強めて返答する。

「僕らの目標は、来る都大会に優勝して、甲子園へ行くことのはずです。そこに少しでも懸念材料があるのなら、取り除いていく必要があります。たとえ練習試合であっても……違いますか、キャプテン」

「ああ。それは、間違っていない」

 穏やかな口調のまま、キャプテンは言った。

「同時に……俺はもっと、先のことも考えている。確かに今年は、甲子園に出るのが目標だ。けど、おまえはそれで満足するタマじゃないだろう」

「……全国制覇」

 イガラシの自然と口を突いて出た言葉に、谷口は深くうなずく。

「そうだ。今の一年生……イガラシや井口、根岸に片瀬。順調に成長すれば、本当の頂点さえ狙える可能性だってある。当然、おまえはその主軸を担うべき男だ」

「だから、今は『無理するな』と言いたいわけですか」

 吐息混じりに言った。

「あの……昨日も思ったんですけど、何だか話が矛盾してませんか」

 今度はわざとらしく、ため息をついてみる。 

「僕に『無理するな』と念押ししたわりに、みんなには『勝ちに行く』と言う。今だって、まずは『箕輪戦に集中しろ』と言ったかと思いきや、突然未来の話を持ち出す。らしくないですよ。一体、どうしたんですか」

 あることに思い至り、くすっと笑い声がこぼれる。

「谷口さん。もうちょっと、僕のこと信用してもらえませんか」

 不意を突かれたらしく、キャプテンは一瞬目を丸くする。やがて「まったく……」と、ため息混じりにつぶやいた。

「丸井の奴、余計なことを」

「キャプテンこそ、余計な心配しないで欲しいですね。僕が中学の時みたいに、無茶な投球で肩を壊すと思ってるんでしょう」

「む。あ……あのな、イガラシ」

 谷口は真顔になり、諭すように言った。

「おまえに限った話じゃない。片瀬にしても、誰にしても、部員の心身の状態を気遣う。キャプテンとして、当然の務めだ」

 そう告げると、今度は口調を和らげる。

「確かに当初、チーム事情だけでなく過去の故障のことも勘案して、当面イガラシは内野手専念でと構想した。ところが知っての通り……」

 やがてその顔が、渋い表情へと変わる。

「あの谷原戦で俺自身が捕まり、うちの投手力が万全でないことを痛感したわけさ。おまけに直後、片瀬も怪我で一時離脱せざるを得なくなる……そんな時、おまえが自分から『ピッチャーをやりたい』と言ってくれたのは、内心ほっとしたよ」

 イガラシの背中をぽんと叩き、話を続ける。

「だからこそ……今また、おまえに怪我でもされちゃ困るんだよ。それで『無理するなよ』と言ったまでだ。あまり、そうムキになるなよ」

「……えっ」

 思わず、小さく声を発していた。

 ムキになる? 俺……今、そんな頑なな顔してたのか。少なくとも谷口さんには、そういうふうに見えるってことか。

「イガラシ?」

 声を聴き、ふと我に返る。

「え……あっ」

 顔を上げると、谷口の怪訝げな眼差しにぶつかる。

「大丈夫か。急に黙り込んだりして」

「……はい。スミマセン」

「オイ。ほんと、どうしたんだよ」

 人の好いキャプテンは、苦笑いを浮かべた。

「いつもなら、もっと突っ掛かってくるはずなのに。おまえこそらしくないぞ」

 その時、ふいに扉の開く音がした。

「わっ。あ……」

 ぎょっとして振り向くと、半田がひょっこり顔を出す。

「あの……キャプテン、イガラシ君。審判員の人達が出てきたよ」

「しまった。もう、開始時刻か」

 谷口は慌てて、ベンチ入口へと駆け込んでいく。

「ほら、イガラシ君も」

「……あっ、はい」

 半田に促され、イガラシはキャプテンの後に続いた。

  

 

※次回<第25話「」の巻>へのリンク

 

 ※第1話~第22話へのリンクstand16.hatenablog.com

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