南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

「球数制限」の導入に賛成できない二つの理由<2019年選手権・沖縄県大会>

【目次】

 

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

 

0.はじめに

 

 延長十三回の死闘となった、沖縄尚学興南の一戦。

 

www.youtube.com

 

 Twitter始めネット上では、疲労困憊ながら最後まで投げ抜いた興南の主戦投手・宮城大弥を讃えるコメントで溢れた。一方で、宮城のあまりの消耗具合を心配する声や、そこから「球数制限」の議論へとつなげる意見も見られる。

 

 とりわけ、まさしく「球数制限」の議論が沸き起こる契機となった“当事者の一人”である、元沖縄水産大野倫氏の以下の文章は注目を集めた。

 

yakyumirairyukyu.ti-da.net

 

 

 大野氏だけでなく様々な声があることを承知の上で、今回はこの「球数制限」の議論について、私なりの見解を述べてみることとしたい。

 

 結論から言えば――私は、高校野球における「球数制限」の導入に“反対”である。

 

1.他にやれることがあるのでは?

 

 反対の理由については、後述する。また、高校球児に過大な負担を強いている現状については、当然変えなければならないとも思う。ただ、もっと他にやれることがあるのではないだろうか。

 

 具体的には、大会の「試合開始時刻」や「日程」。

 

 試合開始時刻については、これだけ酷暑が毎年問題となっているのだから、せめて昼間の最も暑さの厳しい時間帯は避けるべきだ。

 

 例えば……思い切って、夏の大会でも一日3試合とする。さらに、朝1試合(8時~10時半頃)、夕方2試合(4時~)というふうに設定する。そうすれば、球児だけでなく観客の熱中症予防にもなる。

 

 また日程については、もっと試合の間隔を空ける。現行では準々決勝と準決勝との間を休養日としているが、他にも三回戦と準々決勝、準決勝と決勝との間に、それぞれ二~三日くらいずつ設定すれば、もっと球児の負担を軽減することができる。

 

 ただ、甲子園球場をそう長い期間使う訳にもいかない事情があるのは分かる。プロ野球公式戦、その他の行事等との絡みがある。

 

 そこで提案だが――甲子園球場だけでなく、複数の球場で大会を実施するというのはどうだろう。

 

 何もそう難しい話ではない。高校サッカーがそのように実施しているし、高校野球も以前は西宮球場で全国大会を行っていた時期があった(ちなみに我が沖縄の全国大会初勝利も西宮球場)。

 

 もちろん、甲子園を目指してきた球児達にとっては、そこの球場で試合ができないというのは面白くないだろう。

 

 それなら、例えば――まず初戦は、どの試合も甲子園球場で行う。

 二戦目以降は、それ以外の球場で。そしてラスト3日間、準々決勝以降は再び甲子園球場で。こうすれば「甲子園で戦いたい」という球児の夢を潰すこともないし、日程にも余裕を持たせることができる。

 

 このように、「球数制限」を導入する前に、やれることは幾らでもある。

 

2.「球数制限」に賛成できない二つの理由

 

 私が「球数制限」に賛成できない理由は、次の二点である。

 

①“野球の質”の低下を招く

 

 高校野球において、レベルの高い試合になればなるほど、一球を巡る駆け引きが激しく繰り広げられる。わざと一球外してみる。あえて見逃す。ファールで粘る。……といった部分である。

 

 ところが「球数制限」が導入されると、この“駆け引き”の部分がごっそり削られてしまう。これは明らかに“野球の質”の低下を招くことになる。

 

 また、次のようなケースも考えられる。

 

 仮に、球数制限が「100球」だとする。

 

 私が高校野球の監督をしており、相手チームに好投手がいれば、自チームの選手にはファールで粘らせる。ボールを真っ向から打ち返すのではなく、ファールで粘る練習を積ませる。そうして100球に達すれば、相手投手は強制的にマウンドから降りざるを得なくなる。

 

……こんな野球、やる方も見る方も、つまらないだろう。

 

高校野球は、“野球少年の集大成”である

 

 あまり言われていないことだが、高校球児達の中には「野球は高校まで」と決めている者も多い。大学や社会人、ましてプロまで野球を続けていく方が、むしろ少数だろう。

 

 で、あれば……なるべく彼らに「納得のいく終わり方」をさせたい。

 

 何千校とある中で、最後まで勝って終われるのは、たったの一校である。他はすべて、負けて終わるのだ。すっきりとした思いで引退していく者は、あまりいないのではないだろうか。

 

 だからこそ、少しでも彼らが「納得」して終われるように、舞台を整えるべきだ。

 

 打たれたのでもなく負けたのではなく、ルール上の「球数制限」で強制的に降板させられる。それが最後のマウンドとなった場合、本人はその終わり方に“納得”できるのだろか。

 

3.各校の野球部は、“方針”を明確にすべき

 

 もう一つ提案したいのだが、各校の野球部は“方針”を明確にすべきだと思う。つまり、チームの目的が「甲子園で勝つこと」なのか「プロ選手を育てること」なのか。

 

 ここをはっきりさせておけば、将来プロに進みたい子が、連投で故障するリスクも減る。方針を「プロ選手を育てること」としているのに、選手を酷使する野球部があれば、容赦なく批判すれば良い。

 

 また、それでも「甲子園で勝ちたい」という子は、多少の無理も承知の上で、無理に耐えられるように日頃の練習から備えていく。

 

 中途半端が、一番良くない。目標が「将来プロで活躍すること」なのか「甲子園で勝つこと」なのか、はっきりさせておけば、本人も周囲も納得の上で、あるいは“覚悟”を持ってプレーすることができる。

 

4.まとめ

 

 とはいえ、「球数制限」を提案する方の気持ちも分かる。繰り返すが、球児に過大な負担を強いる高校野球の現状を、そのままにしておいて良いはずがない。

 

 ただ改善の方法として、「球数制限」はあまり適してないと考えているだけだ。

 

 球児達の負担を軽減する方法を探っていくのは、当然である。それと同時に、球児達が「納得」した上でプレーできること、さらに試合の質そのものが低下しないような改善策であることにも留意したい。

 

 難しいことは承知しているが、何とか両者のバランスの取った具体策を提案してみた。近い将来、それが実現に向かうことを願う。

 

 【関連記事一覧】

 

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com