南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

大船渡・佐々木朗希の起用法を”英断”と讃えるのは良いが、返す刀で興南・宮城大弥の229球を貶めるな!<沖縄の高校野球>

【目次】

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

0.はじめに

 

 先に断っておくが、私は興南高校野球部の関係者ではないし、我喜屋優監督の信望者というわけでもない。

 

 また、大船渡高校・佐々木朗希を巡る岩手県大会決勝の選手起用に関しても、さして意見することはない。佐々木温存を“英断”と見る人も、批判的に見る人もいるだろうことは、双方理解できる。以前も書いたが、あれは“当事者”が納得すれば良いだけだ。

 

 ただ……これだけは、言わせていただこう。

 

 繰り返すが、佐々木温存を“英断”と讃えるのは良い。しかし、返す刀で興南の宮城大弥が229球投じたことを「古い野球」などと頭ごなしに否定するのは、暴論である。

 

(↓特に違和感があったのは、こちらの記事。 日程に関してはその通りだと思うのだが、一部筆が滑り過ぎたのかもしれない。)
blogos.com

 

1.夏の高校野球岩手県大会の“異常な日程”

 

 そもそも岩手県大会と沖縄県大会は、試合日程からして全然違うのだ。

 

 今年の沖縄県大会は、6月22日から7月21日までの約一ヶ月間。台風接近による順延はあったものの、基本的には土日と祝祭日を使って試合が行われている。

 

 一方、岩手県大会は7月11日に開幕し、決勝戦は同月の25日。何と二週間ちょっとの短い日程で行われている。しかも、四回戦から決勝戦まで、僅か5日。決勝進出校は、5日間で4試合をこなさなければならない。

 

 梅雨入りの時期や、その他諸事情があるのかもしれないが、岩手県大会の日程はどう見ても異常である。選手起用がどうこう以前に、私は岩手県の高校球児達と野球部関係者の方々に、同情する。

 

 決勝戦後、球場で野次を飛ばした不届き者がいたらしいが、大船渡の監督よりも選手達よりも、まず県高野連に抗議すべきだろう。

 

2.興南は、宮城が「連投しても大丈夫」なように準備していた

 

 もう一つ言い据えておきたいのは、興南ベンチが、主戦投手・宮城を決して“酷使”していたわけではない、ということ。

 

 準々決勝を終えた時点で、興南はそれまでの4試合のうち、宮城が完投したのは二試合である。

 

 あとの試合は、他の投手を先発させていた。また、完投した二試合のうち、もう一試合は雨で中止となっているが、その試合も宮城以外の投手を先発させていた(試合が成立しなかったので、記録には残らない)。

 

 また、過去を振り返ってみると、興南ベンチは宮城が相手打線に捕まりかけると、比較的早い段階でスイッチしている。昨秋の県大会決勝・沖縄水産戦然り、夏の甲子園二回戦・木更津総合戦然り。早すぎるんじゃないかと思うほどだった。

 

 さらに、宮城は一年生時から主戦投手級ではあったが、先発完投というよりは、リリーフ・抑えという形での登板が多かった。

 昨夏は、準決勝では温存し、決勝戦で先発。昨秋こそ準決勝・決勝と連投になったが、前述のように早い回で降板している。

 今春も、準決勝で延長十四回を投げ抜いたことを考慮したのか、第1シードの掛かった決勝戦で先発回避。

 

 このように、今までの投手起用法を見ても、興南はなるべく宮城に「無茶をさせない」よう気遣っていたことが分かる。

 

 だから、夏の大会において、宮城が準決勝に続き、決勝戦のマウンドに立った時、私は感慨深かった。最後の夏を迎え、彼も連投できるほど、タフさを身に付けたのだな、と。

 

 そして、これは強く言いたいのだが……興南首脳陣が、宮城が「連投しても大丈夫なように準備を進めてきた」ということ。

 

 ここまで書いてきたように、興南は今まで、宮城を安易に連投させたり、エースだからと打ち込まれた試合で無理に引っ張ることはなかった。その興南が、宮城を二日連続でマウンドに送ったということは、それなりの“根拠”があったはずである。

 

 それを、結果として229球投げたという事実だけを以って「古い野球」などと切って捨てるのは、興南というチーム、さらには宮城本人の努力に対して、あまりに無礼ではないだろうか。

 

 何度でも言うが、大船渡・佐々木朗希の件は“当事者”が納得すれば良いことである。それを殊更持ち上げるつもりも、批判するつもりも、私にはない。しかし……

 

 あの日、宮城大弥の投じた229球は、やはり讃えられなければならない。

 

 これは単に「感動をありがとう」などという、安っぽい話ではない。

 

 連投しても怪我をしないように調整を重ねてきた、興南というチームの苦心と知恵、さらには宮城本人が入学時から重ねてきた努力に対して、きちんと敬意を払うべきだと思うからである。

 

 最後に――宣伝のようになってしまうのだが、興南の我喜屋監督が、宮城を始め引退する三年生部員に対して掛けた、最後の言葉である。やはり深い。

 

 

 【関連記事一覧】

 

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

 

 

stand16.hatenablog.com