南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第1話「不安の再出発の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

  

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【目次】

  

 <登場人物紹介(その1)> 

谷口タカオ:三年生。墨谷高校野球部キャプテン。投手兼三塁手。ひたむきに努力する姿勢で、チームを引っ張る。

 

丸井:二年生。谷口の墨谷二中時代からの後輩。情に厚く、面倒見が良い。どんな時にも努力を惜しまない姿勢は、チームメイトの誰もが認める。

  

イガラシ:一年生。投手兼内野手。天才肌でありながら、努力の量は同じ墨谷二中出身の谷口や丸井にも引けを取らない。

 

第1話 不安の再出発の巻

 

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1.フリーバッティング

 

 四月半ば。夏のシード校となった墨谷高校野球部は、全国屈指の名門、谷原(やはら)高と練習試合を行った。

 春の選抜大会で4強入りを果たした強豪相手に、墨高は五回に一挙5点を奪うなど健闘したものの、終わってみれば五対十九と大敗。甲子園出場への道の険しさを思い知らされることとなった。

 それでもキャプテン・谷口タカオ以下、墨高ナインはめげずに前を向く。母校のグラウンドへと戻り、早速午後の練習に取り組み始めた。

 ところが……

 

 鋭いライナーが、センター方向へ飛ぶ。
「バックだ!」
 谷口タカオは、捕手用マスクを取り叫んだ。駿足の島田が、懸命に背走し飛び付くが、その数メートル前でワンバウンドする。
 傍らの右打席で、新入部員の根岸が「へへっと」得意げな笑みを浮かべた。
「や、やるじゃないか」
 素直に賞賛する。真ん中高めの打ちやすいコースではあったが、打撃投手を務める松川の直球は、重い。それを逆らわず、いとも簡単に打ち返した。
「どうってことありませんよ。さぁ、どんどんいきましょう」
 明朗な質らしく、根岸は白い歯を見せて笑う。長身にがっしりとした体躯は、ピッチャーの井口と双璧である。ポジションはキャッチャー。リトルリーグ時代には、四番打者を務めていたほどの実力だという。
「さすが。真っすぐには、強いな」
 後方から、幾分棘を含んだ声。根岸は「あらっ」と、ずっこける仕草をした。
「うるせぇっ。人がせっかく、気分よく打ってるのに」
「こ、これっ」
 ムキになる根岸をたしなめつつも、谷口は苦笑いした。
 金網の手前で、イガラシが意地悪な笑みを浮かべている。素振りしながら、「すぐ調子に乗るからだよ」と毒づく。
 イガラシは、墨谷二中時代からの谷口の後輩だ。小柄な体躯ながら、走攻守すべてにおいて秀でたセンスを持つ。それでいて、人一倍努力を惜しまない。昨年はキャプテンとして、チームを全国優勝に導いている。
 マスクを被り直し、谷口は根岸に囁いた。
「つぎ、カーブいくが。だいじょうぶか?」
「だっだいじょうぶスよ」
 若干狼狽えながらも、根岸はうなずく。
 谷口は予告通り、カーブのサインを出した。マウンド上の松川がうなずき、投球動作へと移る。
「……うっ」
 ガシャンと音を立て、ボールは金網に当たった。イガラシが拾い、すぐに投げ返す。
「ボールを追いかけてるぞ」
 松川に返球してから、谷口はアドバイスした。
「ポイントに呼び込んでから、肘を使ってはらうように打ってみろ」
「は、はいっ」
 バツが悪そうに、根岸は返事する。
 次もカーブを頼んだ。松川が足を上げ、指先からボールを放つ。ホームベース手前から鋭く曲がり、外へ逃げていく軌道となる。
「む……とっ」
 根岸は大きく体勢を崩した。力のない打球が、一塁方向へ転がる。ファーストの加藤が難なく捕球した。
 あーあ……と、ひそかに溜息をつく。
 リトルリーグで鳴らした根岸だったが、中学では野球部に所属していなかったという。進学した西武台中学は弱小で、入部し甲斐がないと判断したらしい。その弊害しとして、変化球への対応はからっきしだ。
 さらに七球、カーブを続けが、根岸はいずれも捉えることができなかった。これ以上やると、フォームそのものを崩しかねない。
「もういい。ブルペンへ行って、平山を呼べ。おまえが代わりに受けるんだ」
「はい。分かりましたっ」
 しょげるかと思いきや、根岸は明るく返事して、ブルペンへと駆けていく。入れ替わるように、イガラシが右打席に入ってきた。
「キャプテン。松川さんて」
 軽く素振りをして、尋ねてくる。
「球種は、真っすぐとカーブだけでしたっけ」
「ああ、さっきのが普通のカーブ。他にもスローカーブに、シュートも投げられる」
「でしたら、お願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「全部の球種を、予告なしで投げてもらえませんか?」
 さっきと打って変わり、イガラシは真顔で言った。
「なにか意図があるのか」
「はい。さっき対戦した谷原の村井さんってピッチャー、速球に加えて何種類もの変化球を使ってたので。とっさに対応できるようにしとかなきゃと思って」
 ほぅ、と胸の内につぶやく。
 さすが考えてるな。たしかに、どんなボールにも反応できないと、トップクラスの投手は打てない。
「分かった。でも、予告なしで打てるほど、松川は甘くないぞ」
「知ってます。だからこそ、頼みたいんです」
 イガラシは「お願いします」と一礼して、バットを構えた。その傍らにしゃがみ、サインを出してミットを構える。
 まずは、カーブ。イガラシは肘をたたみ、難なくセンターへ弾き返した。次は、外角へ真っすぐ。これもおっつけるようにして、ライト前に運ぶ。
「悪くはないが、まだ当てにいっている」
 バットコントロールの巧みさに感心しながらも、谷口はあえて注文を付けた。
「コンパクトなスイングでも、きちんと振り抜かないと。コースが甘かったからヒットになったが、厳しいコースを突かれたら、打ち取られてるぞ」
 イガラシは「はい」と返事して、一度足元を均した。それから再びバットを構える。
 三球目からは、スローカーブとシュートも混ぜる。しかしイガラシは、ほぼ真ん中のコースとはいえ、どのボールも捉えてきた。段々とスイングの鋭さも増していく。
「……よし。次がラストだ」
「はい」
 最後は、コースも指定した。内角低めにシュート。
 詰まらせるつもりだったが、イガラシは狙いすましたように、振り抜いた。鋭いライナー性の打球が、あっという間にレフトフェンスを越える。ドンッと、ボールが何かにぶつかる音がした。
「こらっ。レフトはせまいんだから、かげんしろと言ってるだろ」
 注意すると、イガラシは「すみません」と苦笑いする。
「ちょっと様子、見てきます」
「うむ。今……岡村が行ったから、だいじょうぶだ。ところでイガラシ」
「はい?」
 踵を返しかけた横顔に、問うてみる。
「高校での初試合、どうだった?」
「どうって……そりゃ、中学とは違うなと思いましたよ。高校の、しかも全国トップクラスのチームですし」
 イガラシらしい、淡々とした口調で答えた。
「そういや、初ヒットもあったな。しかも谷原のエースの村井から」
「打ったうちに入りませんよ。球威に押されて、何とか打ち返したのが、たまたま良い所に飛んだだけじゃないですか」
 そう言って、後輩はふと渋い顔になる。
「……あの、ちょっと言いにくいんですけど」
「なんだよ」
「キャプテン。あれじゃあ、打たれますよ」
 思わぬ一言に、しばし口をつぐむ。
「ぽんぽん簡単にストライクを入れてましたよね。しかも、ほとんど同じテンポで。倉橋さんが、何度もけん制のサイン出してたの、おぼえてますか?」
「……む、ああ」
「あれは走者を気にしてたんじゃなく、間を取ってバッターの打ち気をそらそうとしてたと思いますよ。もっとも倉橋さんも慌ててたので、ちゃんと意図を伝えきれてなかったみたいでしたけど」
 らしくないですよ、とイガラシは微笑した。
「相手は強かったです。たしかに、別格のチームでした。けど……いつものキャプテンなら、もう少し何とかしてたと思うんですよ。新入生に、いいトコ見せようとか、余計なことを考えてたんじゃないですか」
 ぎくっとする。痛い所を突かれたと、谷口は思った。
 試合直後は、あまりにも圧倒的な力量差に、ぼう然としていた。それでも、少し時間が経ち落ち着いてくると、違う見方もできるようになる。

 イガラシの言うとおりだな。たしかに、少しおごりがあったのかもしれない。そもそも昨日、谷原と急に対戦が決まったもんで、うちは準備不足だったんだ。なおさら、もっと試合に集中すべきだったのに。

 長らく低迷していた墨高野球部。しかし谷口の入部以後、めきめきと力をつけ、昨年の夏と秋には続けて八強進出。今年は初めてシード校となり、さらに有望な一年生を迎え入れた。

 そう、あまりにも順調すぎたのだ。

 だからこそ彼我の力量差よりも、自分達のチカラを試したいという気持ちを優先させてしまった。今まで相手を十分研究し、格上の相手とも渡り合ってきた墨高にとって、実にらしくない戦い方である。

 なるほど。考えてみれば、当然の結果というわけか……

 谷原は都内どころか、全国でも五指に入るチームだ。初めてシードを獲得したばかりの自分達が、まともにぶつかって敵うはずがない。

「……だったら、イガラシ」
 ふと興味が沸き、問うてみる。
「おまえなら、谷原相手にどう攻める?」
「そうですね。僕なら……わざと何球か、ぶつけます」
「ええっ」
 一瞬ふざけているのかと思ったが、後輩の目は真剣だ。
「コントロールの悪い投手だと思わせるんですよ。それから、変化球でストライクを取ります。立っていても出塁できるなと思うと、バッターは集中を切らしがちなので」
「なるほど。たしかに妙案かもしれないな、イガラシ」
「はい」
「おまえ……」
 あやうく口をついて出かけた言葉を、寸前で飲み込む。
「なにか?」
「いや……すまん、なんでもない」
 おまえ、ピッチャーに戻るか? そう言いかけたが、「やっぱりダメだ」とかぶりを振る。イガラシは、野手に専念してもらった方が良い。

 少なくとも当分は……と、胸の内につぶやく。
 まだまだ攻守ともに甘い。とりわけ外野守備に、大きな不安が残る。そこで今日のように、イガラシをショートで起用すれば、横井を外野に回せる。横井なら、内外野ともソツなくこなせるからな。

 谷口は、さらに思案を巡らせる。
 あるいは俺が投げる時、イガラシか横井のどちらかをサードに置くテもある。そうなれば、松川はリリーフの準備に専念させられるぞ。それに……

「キャプテン」

 ふいに呼ばれ、はっとする。イガラシが訝しげな目を向けていた。

「どうしたんです? 急に黙り込んだりして」

「あ……スマン、なんでもない」

 笑って誤魔化し、座ってマスクを被る。

「ノーサインでいいんだったな。さ、どんどんいこうか」

「は、はぁ……」

 後輩は戸惑いながらも、バットを構えると真剣な面持ちになる。

 イガラシを投手に戻すと、また無茶しかねないからな。過去二回も肩を痛めて、あやうく二度と野球ができないところだった。昨年の全国優勝の後も、一月ほど右肩が上がらなかったみたいだし。

 再び故障するようなことがあれば、今度こそ選手生命が断たれかねない。谷口自身、怪我で野球を諦めようとしていた時期があった。同じ思いを、将来ある後輩にさせるわけにはいかない。
「それはそうと、キャプテン」
 相手がふと、不思議そうな眼差しを向ける。
「なんだ?」
「練習の補助ばかりしてないで、キャプテンも打ったらどうですか。なんでしたら、今だけ僕がキャッチャーやりますよ」
「ああ……いや、いいんだ。後で、倉橋に頼むから」
 つい慌てた口調になる。
「そんなこと気にしてないで、ほら。おまえはショートの守備に着くんだ。今日出たからといって、まだレギュラーを確保できたわけじゃないんだからな」
 やや怪訝そうな顔をしたが、イガラシは「はい」と素直に返事して、グラブを取りに駆けていく。ふぅ、と思わず吐息をついた。
 さすが元キャプテン。プレーだけでなく、観察眼にも磨きがかかってきたな。でも今、悟られるわけにはいかない……
 七回辺りか。肘に違和感があった。痛みとは違う、どちらかというと痒いような感覚だった。必死だったせいか、すぐに忘れてしまい、それで完投できた。

 だが、試合を終えて安堵したからだろう、またぶり返している。それがますます強まっていく。大事に至ると不味いので、なるべく負荷が掛からないようにしていた。バッティングも、打ち損じると肘に衝撃がくるので、避けている。

 その時だった。

 

2 片瀬の涙


「おーい谷口。すぐ来てくれっ」
 声のした方に顔を向けると、倉橋が部室の前に立っていた。血相を変えている。
 キャッチャーを他の部員に代わってもらい、谷口は部室へと駆け出す。すでに胸騒ぎを覚えていた。冷静な倉橋が、あのような形相をするのは、只事ではない。
 嫌な予感は的中した。
 部室に駆け込むと、一年生の片瀬がベンチに座り、膝に氷袋を当てている。谷口の顔を見ると、苦笑いして「大したことないです」と告げたが、すぐに口元がゆがむ。
「何が『大したことない』だ、そんな青ざめた顔して」
 倉橋が、叱り付けるように言った。
「いつから痛みがあったんだ?」
「と、十日ほど前です」
「十日前って……おまえ達が、入部してきた頃じゃねぇか。なぜ黙ってた。筋肉痛や打撲とは、ワケが違うんだぞ」
「まあまあ倉橋。そう、怒鳴らなくても」
「これが黙ってられるか。片瀬てめぇ、入部早々、野球ができない体になりてぇのか」
「落ち着けって。でも……片瀬」
 うつむく背中をぽんと叩き、さとすように言った。
「故障を隠してたのは、たしかに良くない。特に、おまえはピッチャーだ。チームの勝敗を左右する、大事なポジションだってことぐらい、分かるだろう」
 他の一年生達と同じく、片瀬も目を引く経歴の持ち主だ。かつてリトルリーグで、エースとしてチームを優勝に導いている。
 ただ根岸と同じく、片瀬も中学野球を経験していない。
 不思議だったのは、根岸のケースと異なり、片瀬の出身中学はさほど弱小というわけでもなかったのだ。いつも四回戦辺りまでは勝ち上がってくる。
 エリート特有のプライドの高さかとも思ったが、謙虚な片瀬の性格からは考えにくい。丸井の話では、昨年の中学選手権を始め、大きな試合は必ずチェックしていたというから、リトルの優勝で燃え尽きたわけでもなさそうだ。
「……平気です。ほんとに」
 片瀬は、掠れた声を発した。
「痛みが治まったら、すぐ練習に戻りますから」
「戻るだと? ばか言ってんじゃねぇよ」
 倉橋が怒鳴った。
「すぐ病院へ行け。谷口、この後田所さん来るんだろ」
「ああ」
「なら田所さんに、連れてってもらえ。以前、谷口が診てもらった病院だ。ちゃんと治療して、この分だと……しばらく練習には出なくていい」
 ふいに片瀬の頬を、涙が伝う。
「お、おい片瀬」
 倉橋が珍しく戸惑った顔をした。自分の頬を、指先でぽりぽりと掻く。
「なにも、泣くこたぁねぇんだよ。練習熱心なのは感心だが、故障してまでやることじゃねぇってこった」
「……すみません」
 顔を上げると、片瀬は微笑する。明らかに自嘲の笑みだった。
「ちゃんと治してきたつもりだったのですが。大事な時に、迷惑をかけてしまって」
「治したって、おまえ……前にも」
 ようやく腑に落ちる。同時に、胸を締め付けられる思いがした。
 片瀬がしばらく野球から遠ざかっていたのは、故障を抱えていたせいだ。リトルの頃に投げ過ぎたのか。あるいは成長に伴い、体のバランスを崩したのかもしれない。いずれにしても、さぞ辛かったろう。
 無意識のうちに、谷口は自分の肘をさすっていた。
 マズイな。投手陣は四人体制で、昨年よりは余裕を持って戦えると思ったんだが。これで片瀬が離脱。井口はまだ、硬球に慣れていない。

 倉橋と目を見合わせ、小さく溜息をつく。
 何より、肝心の俺がメッタ打ちにされた上に、肘を怪我してしまった。計算できるのは、今のところ松川一人。これは、どう考えても……ピッチャーが不安だぞ。

 

 

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