南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第2話「行こう甲子園へ!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)H20.9.20修正

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【目次】

  

 <登場人物紹介(その2)> 

 

倉橋豊:三年生。墨谷高校野球部の正捕手にして、名参謀。長身の堂々たる体躯。
 入部当初は、歯に衣着せぬ発言で周囲と軋轢があったが、それもチームを思ってのこと。なんだかんだで面倒見が良く、現在では良好な人間関係を築いている。
 隅田中学出身。当時、地区随一の名捕手と噂されていた。松川とは、この頃からバッテリーを組む。地区大会準決勝では、谷口擁する墨谷二中と対戦。延長戦に縺れ込む激闘の末、惜敗した。

 

井口源次:一年生。イガラシの幼馴染にして、因縁のライバル。江田川中学出身。
 イガラシ曰く、わりと単純で、かげひなたのない性格。ただし、頭に血が上るとみさかいが付かなくなることがあり、小学生の頃に教師を殴り、停学を喰らった経歴の持ち主。
 野球の才能は、イガラシをも凌ぐ。中学自体は、豪速球と「直角に曲がる」シュートを武器に、あの青葉学院を完封。決勝でイガラシ率いる墨谷二中と激闘を繰り広げた。

 

根岸:一年生。西武台中学出身。原作には名前のみ登場。
 リトルリーグ時代には四番打者も務めたスラッガーだが、中学では野球部が弱小だったため入部せず、ブランクが長い。そのため変化球への対応に苦しみ、現在は控えに甘んじているものの、前向きに努力する姿勢はイガラシも認めている。
 勝気ながら明朗な性格であり、キャッチャーらしい冷静さ、観察眼も備えている。

 

 

第2話 行こう甲子園へ!の巻

 

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1.工場裏の空き地

 

 すっかり日は落ちていた。それでも工場裏の空き地は、建物の明かりに照らされ、昼間と変わらずモノがよく見える。

「いくぞ!」

 制服姿のイガラシ、足元を軽く均した。そして投球動作へと移る。

「ナイスボール!」

 弟の慎二が、片膝立ちで捕球した。

「真っすぐ、また速くなったんじゃない」

「へへっ、まぁな。中学野球を引退してから、一人で毎日走り込みを続けてたが、その成果が出てきたようだぜ」

 返球を捕り、イガラシは「そういや……」と弟に尋ねる。

「この空き地、最近はもう使ってないのか」

「うん。ちいとも」

 慎二は苦笑いを浮かべた。

「現キャプテンの近藤さんが、長く練習するのはよくないって考えだもの」

「フフ、そうか。近藤らしいな」

 近藤というのは、墨谷二中時代の一期下の後輩だ。少々練習態度や協調性に問題はあるが、投打ともに秀でた力を持つ男である。昨夏の中学選手権後、イガラシは自らの後任キャプテンとして指名していた。

「なに感心したみたいに言ってるのさ」

 珍しく、慎二が露骨に溜息をつく。

「みんな不安がってるよ。地区大会まで、もう三ヶ月を切ってるのに。こんな生ぬるい練習でだいじょうぶかって」

「む。例年なら、そろそろ夏へ向けて特訓機関に入る頃だが」

「ひとごとだと思って。近藤さんをキャプテンにしたのは、アニキのくせに」

 まあまあ、と弟をなだめた。

「だからこうして、夜間練習につき合ってやってるんじゃねえか。それとな慎二」

 イガラシはふと、口調を険しくする。

「不満があるのなら、俺にグチってないで、直接近藤に言えよ。でなきゃ始まらないぜ」

 うっ……と、さしもの慎二も口をつぐむ。

「つぎ、カーブな」

「あ、うん」

 短く言葉を交わし、兄弟は投球練習を続けた。

「……わっ」

「あ、わりぃ」

 想定よりも大きく曲がった。慎二のグラブが、ボールを弾く。

「ううむ……カーブを思うように制球するのは、簡単じゃないな」

「内と外は投げ分けられてるし、十分だろう。ちゃんと低めにも集まってるから」

 慎二がボールを拾い、投げ返す。

「いいや、そうはいかん」

 きっぱりとイガラシは答えた。

「中学野球では通用しても、高校ではさらに力のあるバッターを相手にしなきゃならんからな。少しでも制球をよくしないと」

 あれ、と慎二が首を捻る。

「兄ちゃん、とうぶんは内野手でって言われたんだろ」

「なぁに。よく言うだろ、備えあれば憂いなしって」

 笑って答えたものの、内心には切迫感があった。

 内野手に専念できれば、たしかにラクではあるが……そうはいくまい。井口も片瀬も、まだ未知数だし。なにより谷口さんが、あれだけ打ち込まれたんだ。俺だって、やれることはしとかねえと。

「さ、どんどん投げるぞ」

 一声掛け、さらに付け加える。

「この後、おまえノック受けるだろ?」

「もちろん」

 そこから二十球、投げ込んだ。速球、カーブ、シュート、シンカー(落ちるシュート)と一つ一つ、制球やキレを確かめながら放っていく。

「……よし。どれもキレは問題ねぇが、やっぱりカーブの制球だな」

 グラブを置き、バットに持ち替える。

「どうする、ちょっと休むか?」

 やや挑発的に言うと、慎二は「まさか」と返事した。

「兄ちゃんのボールを受けるぐらいじゃ、疲れないよ」

「ちぇっ、言ってくれるじゃねえか」

 バットを構え、弟へ告げる。

「そら、いくぞ」

「よしきた」

 いきなり強いゴロを打ったが、慎二は難なくグラブに収めた。続けて右へ、左へと打ち分けるが、どれも追い付いて捕球する。

「ようし。これなら、どうだっ」

 イガラシは、小フライを打った。いわゆるポテンヒットになる打球だ。

 慎二は、落下点めがけて一直線に走る。そして半身の体勢でジャンプした。そのまま倒れ込んだが、こちらに顔を向け「へへっ」と、挑発的な笑みを浮かべる。

「ぼやっとすんな。ほら、つぎがくるぞ」

「さぁこい」

 続けて十球、どれも難しい当たりを打ったが、慎二はすべて捕球した。憎たらしく思いながら、それでも感心する。

 こいつ。なかなかどうして、うでを上げてきてやがる。

「まだまだぁっ」

 バットを構えようとした時、ふいに砂利を踏む音が聴こえた。

 顔を向けると、意外な人物がこちらに歩いてくる。自分と同程度の背丈。こう言うと本人は怒るだろうが、おにぎりのような顔の輪郭。

「……丸井さん」

「やはりここだったか」

 丸井は、まだ帰宅していないらしく、制服のままだった。懐に、小さな紙袋を一つ抱えている。

「またユニフォームに着替えたのかよ。おまえら兄弟は、あいかわらずだな」

 すぐに慎二が駆けてきて、一礼する。

「丸井先輩、おひさしぶりです」

「やあ慎二くん。見ていたが、うでを上げたじゃないか」

「はい、おかげさまで。これも先輩のご指導のたまものです」

 二人の傍らで、イガラシは頬をぽりぽりと引っ掻いた。

 けっ。あいかわらず、口の達者なやつめ。つまんねぇ気ぃ、きかせやがって。

「で、なんの用です?」

 何だか面白くなくて、つい素っ気ない口調になる。

「そうツンツンすんなよ。おそくなったが、ちょっとした俺っちからの入学祝いだ」

 丸井は、紙袋を差し出した。受け取ると温かい。

「ほら、開けてみな」

 袋を開ると、中に鯛焼きが六個入っていた。

「うわぁ。おいしそうな鯛焼き!」

 慎二が無邪気に喜ぶ。イガラシは、さすがに少し恐縮した。

「ありがとうございます。でも、こんなにたくさん……」

「なぁに。鯛焼きのオヤジが、作りおきが余ってるってんで、ただでくれたのよ。さっ冷めないうちに、食っちまおうぜ」

 三人は、空き地の隅のベンチに座り、鯛焼きを分け合った。

「この鯛焼きおいしいです。先輩、よく見つけてきましたね」

 一個をたいらげると、慎二はそれとなく丸井を持ち上げる。

「いぜん、谷口さんにもみやげに持っていったのよ。谷口さんも、たいそう気に入ってくれてな。あっという間に、ぺろりだったよ」

 イガラシは自分の分を取り、紙袋を丸井に差し出す。

「丸井さんも、お一つどうぞ」

「ガラにもなく気ぃ遣うなよ。入学祝いだって、言ってんだろ」

「気持ちはうれしいですけど、先輩が食べてないと負担感じちゃいますよ」

「へぇ。おまえ、意外に気をつかうやつなんだな」

 丸井は笑い、鯛焼きを「んあー」と頭からかぶり付く。イガラシもしっぽから齧った。

「……へぇ。この鯛焼き、小豆の甘みがさっぱりしてますね」

「そうだろ? 変に甘ったるくなくて、食べやすいんだよ」

「これ、塩が効いてるんスよ」

「塩だと? アンコにか」

「ええ。砂糖だけだと甘ったるくなっちゃうんですけど、ちょっと塩を効かせると、こんな感じで甘みが引き立つんですよ」

「なんでこんなコト、知ってんだよ」

「だって……うちが、中華ソバ屋なので」

「そういやぁ中学の合宿ん時、おまえラーメンを作ってたっけ」

「ヘンなこと覚えてますね」

「ああ。おまえのラーメン、みょうに美味かったからな」

「みょうに、は余計ですよ」

 イガラシは、慎二に紙袋を手渡した。中にまだ二個残っている。

「これ、おやじとおふくろに持っていってくれ。すまんが、先に帰って、店の手伝いしててくんねぇか。店じまいの時は、俺が代わるから」

「うん、分かった」

 慎二はほどなく、荷物をまとめて制服に着替え、その場を立ち去った。

「……ははぁん」

 丸井がこちらに流し目を向け、にやりと笑みを浮かべる。

「な、なにか」

「イガラシって、あんがい家族思いなんだな」

「ほっといてください。それより、ほんとうは何の用件ですか?」

「うむ、それなんだが」

 丸井はみるみるうちに、深刻そうな顔になる。

「……マズイことになった」

 ああ、とうなずき答える。

「片瀬のことですね」

 はっとしたように、丸井が大きく目を見開く。

「なんだ。知ってたのか」

「というより……急に帰ったので、そりゃ何かあったと思うのが自然でしょう」

 淡々と、イガラシは答えた。

「それに谷口さんと倉橋さんも、明らかに様子がおかしかったですし」

「……なるほど」

 丸井は、大きくため息をついた。

「そこまで察しているのなら、話は早い。じつはな」

「やはり、重傷でしたか?」

 後輩の返答に、丸井は「あらっ」とずっこける。

「なんでそこまで」

「見てりゃ分かりますよ」

 苦笑いしつつ、イガラシは話を続けた。

「はじめは俺も、ブランクが長いせいかと思ってたんですけどね。しかし十日近くたっても、まるでフォームが安定してなかったですし、このごろボールも全部浮いてたので。これはきっと、どこかケガしてるんじゃないかと」

 丸井はしばし瞑目し、やがてぽつりと言った。

「……少なくとも、三週間は運動禁止だそうだ」

「三週間! やはり、けっこう重いですね」

「うむ。ひざに負担がくる運動は、一切しちゃダメだってよ」

「それじゃあ……ピッチングどころか、走り込みさえできないじゃありませんか」

 思わず溜息が漏れる。

「順調に回復できたとしても、そこから体力やら持久力やら、ちょっとずつ戻していかなきゃいけないですよね。どんなに一所懸命やっても……」

 ああ、と丸井がうなずく。

「夏の大会に間に合うかどうかは、よくて五分五分といったところだろう」

「となると……夏まで投手陣は、三人体制でってことになりますね」

 これじゃ厳しいぞ、と胸の内につぶやく。

「くそっ」

 丸井がふいに、足元の小石を蹴った。

「イガラシ、おらぁ悔しいぜ。戦力的に痛手ってのもあるが、それ以上に……片瀬のやつ、がんばってたじゃねぇかよ。知ってるだろ? あいつが、昨年のおまえ達が優勝した大会を見に来てたってこと」

「ええ。すでに俺の名前を知ってたので、おどろきましたよ」

「よほど野球をあきらめたくなかったんだな。あえて中学の野球部には入らずに、一人でくさらずリハビリを続けてたんだ。なのに、こんな……」

 まぁまぁ、とイガラシは先輩をなだめる。

「なにも野球ができなくなったわけじゃないですし。夏には間に合わないにしても、あいつには来年、再来年とあるので。そこへ向けてがんばるだけですよ」

「……そ、そうだったな」

 気を取り直すように、丸井が微笑む。

「ケガのつらさは、おまえもよく知ってたな」

「え、ええ……ほめられたことじゃありませんが」

 イガラシは頬を掻きつつ、苦笑いした。

「ところで丸井さん」

 そして、ふと口元を引き締める。

「いまのうちに、確認しておきたいことがあるんですけど」

「お、おう。なんだよ」

 丸井も真顔になり、こちらと目を見合わせる。

「いまのチーム。正直なところ、どこまで目標にしてます?」

「どこまでって、そりゃ……」

 幾分ためらいながらも、きっぱりと答えた。

「甲子園にきまってるだろ」

 イガラシは、無言でうなずく。

「少なくとも谷口さんは、本気でそう思ってるはずさ。だから……谷原にあんな負け方して、そうとうショックだったろうよ」

「ええ……でもね、丸井さん。今日の負けにうろたえてるようじゃ、とうてい甲子園にはたどりつけませんよ」

「な、なにいっ」

 途端、丸井が睨む目付きになった。

「誤解しないでください」

 すぐにそう付け加える。

「谷口さんを中心に、シードをかく得するくらいには強くなった。そこは自信を持っていいと思うんです。ただ、そうだな……登山にたとえると分かりやすいかも」

「と、登山だって?」

「ええ。いまのうちは、ガムシャラにがんばって、なんとか山の中腹までは来ました。でも、そこからさらに進めば、今までとまったく景色がちがってくるんです」

 なるほど、と丸井は目を丸くした。

「つまり……今日の俺っちらは、初めて見る景色にめんくらって、自分を見失っちまったってことか」

「そういうことです」

 丸井の理解の早さが、イガラシは嬉しかった。

「でも、これで全員、よく分かったと思うんですよ。五回戦あたりまで勝つのと、準々決勝、準決勝、決勝とさらに進んでいくのとは、まるで次元の違う話だってことが」

 一つ吐息をつき、率直に思いを告げる。

「分かった上で、覚悟しさえすれば……俺はじゅうぶん行けると思いますよ、甲子園」

 丸井は、呆れたような笑みを浮かべる。

「ずいぶん、カンタンに言いやがるな。あれだけコテンパンにされた後だってのに」

「数字上はね。でも丸井さん、もっと冷静に振り返ってみましょうよ」

 イガラシは、ふふっと含み笑いを漏らす。

「少なくとも今日の試合から教訓になったことは……力の差がある相手に、なんの準備もしないでぶつかったら、ああいう結果になるってことだけですよ」

 なっ……と、丸井が口をあんぐり開ける。どうやら意表を突かれたらしい。

「これが公式戦なら、きちんと相手のことを調べて対さくもしてから、試合にのぞむはずじゃないですか」

「た、たしかに……」

「今回はやられましたけど。これで谷原が、どういうチームかよく知れたので、つぎはぜったい同じ結果にはならないですよ」

 丸井が、ははっと笑い声を発した。

「なんだかイガラシの話を聞いていたら、ほんとにやれそうな気がしてきたぜ」

「もちろん口で言うほど、やるのはカンタンじゃありませんけどね」

 イガラシはそう言って、すっくと立ち上がる。

 どこかで警笛が鳴った。やや遅れて、路面電車が走り去る音。春の夜風を吸い込み、傍らのグラブを拾い上げる。

「帰りましょうか」

「む、そうだな」

 荷物をまとめつつ、イガラシは「ようし」とつぶやく。ひそかに一つの決意を固めていた。

 

 

2.河川敷グラウンド

 

 谷原との練習試合から、五日間が過ぎた。

 土曜日。墨高野球部は、OB会が借用してくれた河川敷グラウンドにて、大島工業と練習試合を行っていた。

 すでに試合は、七回まで進んでいる。墨高ナインは、守備に着いていた。マウンドには、二年生投手・松川が立つ。

 

 

 三遊間に速いゴロが飛んだ。

「おおっ……あぁ」

センターへ抜けたと思ったのか、束の間沸き立つ相手ベンチを、イガラシは視界の隅に捉える。左腕を目一杯伸ばしたが、飛び付くまでもなく、ある程度余裕を持って捕球した。

「へいっ」

丸井がタイミングを合わせながら、二塁ベースに入る。

「セカン!」

イガラシが右手で素早くトスすると、丸井はすぐに一塁へ転送した。一瞬にして、ダブルプレーが成立。

「タイミングばっちりです、丸井さん」

 そう言うと、丸井はにやっと笑みを浮かべた。

「ふふっ、そうだろう。今のもおまえが捕ると予測して、ちゃんとタイミングを計ってベースに着いたんだ。これも長年の経験のたまものってやつさ」

「欲をいえば、さっきの内野安打はアウトにしてもらいたかったですけど」

 ありゃっ、と丸井がずっこける仕草をする。

「わ、悪かったな」

「すみません。丸井さんには、どうしても期待しちゃうので」

「おっおう。期待してくれ……って、こらイガラシ。人をからかいやがって」

 イガラシは笑いをこらえながら、二本指を立てて頭上に掲げる。

「……つ、ツーアウト! しまっていこうよ」

 視線を流していくと、谷口の眼差しとぶつかった。微笑んで「ナイスプレー」と声を掛けられる。

「ほんとに、どこでも守れるんだな。丸井との連携も問題なさそうだ」

「え、ええ。まぁ練習もしてましたし」

 おや、とイガラシは思った。谷口の表情に、心なしか陰りがある。

 鈍い打球音が響く。松川の内角への直球に、相手打者が力負けしたようだ。ホームベースのやや後方へ、白球が高々と上がる。

「オーライ!」

 倉橋が右手を上げ、数歩下がっただけで捕球した。キャッチャーファールフライ、スリーアウト。簡易スコアボードの八回裏の枠に、控え部員が「0」と書き込む。

「よぉし松川、ナイスピッチング」

「この段階で、八回を一失点。上々じゃないの」

「守備もここまでノーエラーだ。最後まで、しめてこうぜ」

 ナイン達は声を掛け合いながら、足早にベンチへと引き上げる。

 土曜日ということもあり、周囲には多くのギャラリーが集まっていた。中には、制帽を被った男子生徒の姿も、ちらほら見える。墨高のものではない。どうやらライバル校の偵察部隊らしい。

「ふふっ、わざわざご苦労なこった。これじゃ……ろくな収穫はないだろうが」

  イガラシはひそかに、含み笑いを漏らす。

 この日の対戦相手、大島工業は強打が売りらしく、見た目にも腕っぷしの強そうな選手が揃っていた。しかし、なまじバッティングに自信があるせいか、大振りが目立つ。

 先発の松川と倉橋のバッテリーは、その弱点を突くピッチングを披露した。緩急を付け、コースを投げ分ける。それだけで、あっけないほど簡単に仕留められた。

「やつら、あいかわらず振り回しやがる」

 心底呆れたように、キャッチャー倉橋が吐き捨てる。この大島工と、墨高は昨夏の都大会でも対戦し、二対〇と完封していた。その時の対策が、まだ通用したらしい。

「ちっとも成長してねぇ」

 正捕手の辛辣な発言に、同じ三年生の横井も「まったくだ」とうなずく。

「まだこりてないってんなら、ちゃんと思い出させねえとな」

 オウヨ、と戸室も同調した。

「墨谷の恐ろしさ、イヤってほど味わわせてやる」

 試合は三年生達の、まさに言葉通りの展開となった。

 松川の好投に応えるように、打線も力を発揮する。初回と三回に1点ずつ挙げると、一点差とされた直後の四回裏に一挙3点。七回にも2点を追加した。大島工の主戦投手、さらにはリリーフも打ち崩し、八回を終えて七対一と大きくリードを奪う。

 五番ショートで先発起用されたイガラシも、二本の三塁打を放つなど三打数三安打。レギュラー奪取へ向け、ほとんど申し分のない結果を残す。

「おいイガラシ。何ぼうっとしてるんだ」

 袖を軽く引っ張られる。丸井が、怪訝げな目をこちらに向けていた。

「そろそろ打席の準備しとかねぇと。谷口さんの次、おまえだろ」

「あ……すみません」

「どしたい、なにか悩みごとか。俺っちでよければ聞くぞ」

「べつに……ただ、回の先頭だったはずの丸井さんが、どうしてここにいるんだろうって」

 つい憎まれ口を叩いてしまう。

「うるせぇよ。とらえた当たりが、センターのまっ正面だ。悪かったな、凡フライの加藤よりマシ……おおっ」

 周囲から歓声が上がる。倉橋がレフト線へ二塁打を放った。続いて谷口が、ゆっくりと打席へ入っていく。

 イガラシは、無人となったネクストバッターズサークルに入った。マスコットバットを拾い上げ、軽く素振りを繰り返す。

 谷口が、四球で出塁した。ストレートの四球だ。相手バッテリーは、主軸打者を警戒しすぎたか、際どいコースを狙った球がことごとく外れてしまう。しょせんは控え投手だな、とイガラシは鼻白む。

 打席に入ると、相手投手は肩で息をしていた。もはや誰の目にも限界だと分かる。

その初球。変化球がすっぽ抜けたのか、力のない球が真ん中高めに入ってくる。躊躇なくフルスイングした。

ライナー性の打球が、レフト頭上を襲う。そのまま川面へと飛び込んだ。小走りにダイヤモンドを回り、倉橋、谷口に続いてホームベースを踏む。

 ベンチに帰ると、谷口が「ナイスバッティング」と声を掛けてきた。

「あ、はい。失投……というか、すっぽ抜けでしたが」

「いまの打席だけじゃないさ。今日は攻守ともに、文句のつけようがない」

「はぁ……どうも」

 手放しの賞賛に、少し戸惑う。

「ほんと大したものだ。軟球から硬球に変わっても、戸惑いなくプレーできるとは」

「ええ。中学野球を引退して、もう半年近くたってますし。硬球に慣れる練習は、ずっとしてきましたから」

 先輩と言葉を交わしつつ、イガラシは「おや?」と思った。

 谷口さん、なんだか元気ないみたいだ。谷原戦で大敗したショックを、まだ引きずってるんだろうか。

「ところで、肩の方はどうなんだ?」

「えっ。肩ですか」

 思わぬ質問に、目を見上げる。

「ぼく……ケガしてたなんて、言いましたっけ」

「丸井から聞いたんだ。昨年の選手権で、おまえだいぶ無理して、しばらく茶碗も持てなかったそうじゃないか」

 そうか、と胸の内につぶやく。

 谷口さんが俺を内野手に専念させようとしてるのは、チーム事情として攻守の穴をうめるだけじゃなく、ひょっとして俺の肩を心配してくれたのかもしれんな……

「どうなんだ、イガラシ」

「それは……なおったから、こうしてプレーしてるんじゃありませんか」

 二人の間に、しばし気まずい沈黙が流れる。

 

 

 九回、墨高は攻撃の手をゆるめず。イガラシのスリーランホームランなどで、一挙6点を追加したのである。

 その裏。墨高は松川に代えて、谷口タカオをマウンドへ送った。

 谷原戦のショックが心配された谷口だったが、大量失点に気落ちした相手打線を寄せ付けず、三者連続三振で試合を締める。

 

 けっきょく試合は、十三対一と墨高の圧勝に終わったのだった。

 

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