南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第6話「敵を知れ!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 ※半田の学年は、連載終了時の二年生に修正しました。(2019.10.17)

  

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【目次】

  

【前話へのリンク】stand16.hatenablog.com

 

 

 <登場人物紹介(その6)>

 

半田:二年生。小柄で可愛らしい外見通り、穏やかで人当たりの良い性格である。

 ポジションはライト(そこしか守れる所がない……)。野球の実力そのものは乏しいが、前向きに練習に取り組む姿勢は、キャプテンの谷口も認めている。もっとも最近では、マネージャー的な仕事に比重が傾きつつあるが。

 大会期間中は、他校への偵察でも力を尽くしている。その眼力は適確で、半田の気づきを元に、強豪校のエースを打ち崩したこともあった。

(※学年は、アニメ版『プレイボール』に合わせます。)

 

片瀬:一年生。ポジションはピッチャー。かつてリトルリーグで、チームを優勝へと導いた実力者。礼儀に厳しい丸井をして「エリートのわりに腰が低い」と言わしめるほど、丁寧な言葉遣いと謙虚な姿勢が印象的。中学時代は野球部に所属せず、長いブランクがある。それでも大きな試合は必ず見ており、初対面の丸井や久保のことも知っていた。

ー ※ここからはオリジナル設定 ー

 中学に上がる直前、成長期が重なった影響からフォームを崩し、早く元に戻そうと焦ったあまり、膝を傷めてしまう。そのため、野球部への入部は断念。高校での復活に賭け、一人リハビリとトレーニングに励む苦悩の日々を送っていた。

 

第6話 敵を知れ!の巻

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1.早朝の部室

 

 土曜日の午前六時。長距離を走り終えたイガラシは、部室に一旦戻りスパイクを磨いた。

 朝練習のため、ほどなく他の部員達も集まってくる。ユニフォームに着替えながら、どうしても谷口の怪我の具合についての話題となった。誰もが心配そうにしている。

「だいじょうぶですよ」

 イガラシが口を挟むと、戸室が意外そうに言った。

「なんだよ。イガラシが一番、心配してたじゃないか」

「このままほうっておけば、マズイなと思ってただけです。ちゃんと病院へ行って、きちんと治療してもらったら、べつに問題ないと思いますよ」

「……うむ。だといいが」

 その時、部室のドアが開く。

「やぁ。おはよう、みんな」

 当の谷口が、いつも通りやって来た。白い三角巾で右腕を吊っている。左手には、なぜか大きな紙袋を提げていた。

「たっ谷口じゃねぇか」

「おいおい。練習、来てよかったのかよ」

 すぐに倉橋と丸井ら、数人の部員が駆け寄る。

「のんきに挨拶してる場合か。どうだったんだよ、ケガの具合」

 倉橋が強い口調で問う。谷口は顔を赤らめ、うつむき加減で答えた。

「お、思ったより……大したことなかったよ。十日もすれば治るってさ。ただし、関節が炎症を起こしているから、治るまでボールを投げちゃダメだと言われたけど」

 谷口の返答に、倉橋は「そうかぁ……」と脱力した。丸井や戸室、他の部員達も、皆一様に安堵の表情を浮かべる。

「と、ところで……」

 気を取り直すかのように、谷口は微笑んだ。

「さっき部長に会った。五月の連休で、また勉強会をするってさ」

「え……ええっ」

 素っ頓狂な声を発したのは、丸井だった。

「なんでも、四月の実力テストが悪かったから、補習をしたいらしい。特に……丸井、おまえがいちばん心配らしい」

 谷口は苦笑い混じりに言った。

「そ、そんなぁ……カンベンしてくださいよ」

 丸井は両手を握り合わせ、オーマイガーの仕草をした。勉強が苦手な彼は、部長から成績について問い質されるのが、たまらなく辛いらしい。

「授業中に、居眠りしてるからだよ」

 今年同じクラスになった鈴木が、容赦なく突っ込む。

「けど……あいかわらず、勉強のことは執念深いなぁ」

「この分だと、定期試験のたびにやられそうだ。おーコワッ」

 横井と戸室が、揃って肩を竦める。谷口は「まあまあ」と部員達をなだめた。

「そう言うな。あれで部長も、俺達を思ってくれてるんだし。あ、ほら……これ部長からの差し入れ」

 持っていた紙袋を、部室中央のテーブルに置く。中には、パックの牛乳が何十個も入っていた。しかも直前まで、きちんと冷蔵していたようだ。

「酪農家の知り合いから、分けてもらったんだってさ。よく冷えているから、今のうちにいただこうぜ」

「へーっ、あの部長がねぇ。見かけによらず気が利くな」

 現金な横井は、さっきの悪態を忘れたように、満面の笑みを浮かべている。

 部室の中は暑いので、部員達は外の木陰に移動した。もう青空が広がっている。まだ風は冷たいが、日差しは少しずつ強さを増していくようだ。

「美味いな、この牛乳。おかわりいいか?」

 掌サイズの牛乳一パックを飲み干したばかりの横井が、まだ底の膨らんだ紙袋の中に手を伸ばす。

「オイオイ。そんな一気にたくさん飲んだら、腹壊すぞ」

 倉橋の注意に、横井は「平気だって」とあっけらかんとして笑う。

「俺ガキの頃から、毎朝牛乳を三杯飲んでるんだ。おかげで……ホラ、背も伸びたし」

「それは羨ましいことよ」

 三年生の中では小柄な戸室が、皮肉混じりに突っ込む。

「もうちょい野球の方の実力も伸びてたら良かったのにな」

「うるせっ。戸室、おめぇにだけは言われたかねぇ」

 上級生の他愛ないやり取りに、イガラシはつい吹き出してしまう。

「ほれ見ろ横井」

 戸室はすぐに反応する。

「おまえ、イガラシにも笑われてるぞ」

「なにぃ。おめぇが言うか」

「……まぁまぁ。けど、横井さん」

 笑いをこらえながら、先輩二人をなだめる。

「牛乳は、もうちょっとゆっくり……こう口の中で、噛むように飲んだ方がいいらしいですよ。その方が、ちゃんと栄養になるんだそうです」

「ほぉ……こう、かな? ムグムグ」

 横井は二個目のバックを開けると、一口含み唇の辺りを動かす。

「え、ええ。それにこっちの方が、じっくり味わえるでしょう」

 島田が「さすがイガラシ」と、からかう口調で言った。

「実家が中華ソバ屋なだけあって、食品関係には詳しいな」

「ど、ドウモ」

 褒められると、何だかむずがゆい。少しうつむいてしまう。

「ったく。呑気だなぁ、おまえら」

 倉橋はそう言って、ため息をついた。

「強敵と戦うことになりそうだってのに、少しは緊張とかねぇのかよ」

 その時、木の陰から「ただいまぁ」と可愛らしい声が降ってきた。制帽姿の半田が、ひょっこりと姿を現す。イガラシは、あやうくずっこけそうになった。

「どこ行ってたんだよ半田。こんな時間に、偵察でもあるまい」

 倉橋が尋ねると、代わりに谷口が答えた。

「半田には図書室に行ってもらって、三月の新聞を取ってないか、探させてたんだ」

「新聞? なんで、また」

「もちろん……箕輪の、春の甲子園大会の記事が目当てさ」

 途端、その場をぴりっとした空気が覆う。

「谷原戦の反省は、しっかり生かさないとな」

 穏やかな口調ながらも、谷口は決意を宿した目で告げる。

「マトモにぶつかれば、あの時と同じ結果になる。練習試合とはいえ、まったく歯が立たず、自信をなくして終わる……ということだけは、避けたい。やはり情報を集めないと」

「まったく同感だ」

 倉橋が同調する。

「それに、ほんきで甲子園をねらうのなら……いくつも格上のチームを倒さなきゃならねぇ。相手を研究して、攻略法を探す。そのプロセスを、今のうちに経験しておかねぇと」

 谷口はうなずくと、半田に「どうだった?」と尋ねる。

「ええと……言いにくいんですけど、かなりの強敵なようです」

「なんで、そんなことが言えるんだ?」

 戸室が質問すると、半田は聞き返した。

春の甲子園大会で、谷原がどこに負けたかごぞんじですか?」

「それは……たしか準決勝で、大阪の西将学園ってトコだったろ。惜しくも僅差で負けたんだったよな。けっきょく、その西将が優勝したんじゃなかったか」

「はい。箕輪は、その西将と二回戦で当たって、負けちゃったんですけど……延長戦まで粘ってるんです。すごい試合だったみたいで」

 半田は「ほら」と、その新聞記事を広げる。ナイン達の目に『延長十二回の死闘』『箕輪、タレント軍団を追いつめる』の見出しが、飛び込んできた。

「や、谷原もかなわなかったチームと、互角なのかよ」

 さしもの横井も顔が引きつる。

 イガラシは、半田から「ちょっと見せてください」と新聞を貸してもらい、戦評に一通り目を通す。そして、ダメだ……と小さくかぶりを振った。

「どうしたの?」

 半田が不思議そうに問うてくる。

「もう少しくわしい情報、どこかで手に入りませんかね。今ざっと読んだ限りじゃ、粘り強く戦ったということだけです。もっと、どんなふうにプレーしたから、大会の優勝校を追いつめられたのか……具体的なコトが知りたいなぁって」

「ふむ。なるほど……後でもうちょっと、記事を探してみようかな」

 二人のやり取りに、谷口が「ははっ」と笑いかけた。

「イガラシも、すぐムキになるんだな。練習試合なんだから、もうちょっと気楽にかまえていいんだぞ」

「おいおい、よく言うぜ谷口」

 すぐに横井が突っ込む。

「おまえこそ、谷原だろうがどこだろうが、相手かまわずムキになる男だろうに。おかげでこちとら、どれだけ振り回されたか」

 明らかに冗談を言ったのだが、谷口は生真面目な顔で考え込む。そして、また顔を赤らめて言った。

「言われてみれば……たしかに、そうだったな」

 キャプテンの素朴すぎる返答に、ナイン達は「あーあー」とずっこけた。

 

 

2.片瀬の過去

 

「イガラシ君」

 朝練を終えて教室へ向かう途中、ふいに背後から呼ばれた。振り向くと、意外な人物が立っている。

「お、おう。しばらくだな」

 片瀬だった。その端正な顔立ちの少年は、小脇に松葉杖を抱えて体を支えている。谷原戦の直後、膝の痛みを訴え、全治三週間と診断されていた。治療に専念するということで、あれから野球部の練習には顔を出していない。

「膝はどうだ?」

「だいぶ良くなったよ。まだ曲げ伸ばしする時、少し痛むけどね。お医者さんも、順調に回復してるとおっしゃってる。早ければ、再来週には練習に復帰できそうだよ。それまで体力を落とさないように、筋トレは続けてる」

「あんま無理すんじゃねぇぞ。あせって余計に悪くさせちまったら、コトだかんな」

 イガラシは、ぽんと片瀬の背中を叩いた。

「丸井さんから聞いたけど、おめぇブランクを取り戻したいからって、一人で毎晩、ムチャな投げ込みを続けてたそうじゃないか。痛みのを無視してよ」

「メンボクない」

「中学野球を棒に振ったのも、ケガの影響らしいな。くせつくと厄介だぞ。原因、ちゃんと自分で分かってんのか?」

「まぁ、言い訳なんだけどね」

 片瀬は苦笑いして、肩を竦めた。

「じつは中学に上がる直前、背が急に伸びてね。体の重心がおかしくなっちゃって」

 ああ、悪いこと言っちゃったな……と、イガラシはひそかに悔いた。小学校の野球部のコーチから、似たような話を聞いたこともある。これは、本人のせいではない。

「それで……入学直前だったもんだから、焦っちゃってね。あとは同じパターンさ」

 こちらの気も知らず、片瀬は穏やかな表情で話し続けた。

「ケガしては治して、治ってはまたケガして……ずっとその繰り返しさ。これじゃあ入部しても、仲間に迷惑をかけてしまうってことで、遠慮させてもらったよ」

 そこまで話し終えると、ふいに声を潜める。

「イガラシ君。君には、あやまらないといけないな」

「えっ、なんでだよ」

「僕がこの体たらくなもんで、イガラシ君もピッチャー陣に加わらなきゃいけなくなったそうじゃないか。負担をかけてしまって、本当にすまない」

「ははっ。なんだ、んなこと気にしてたのか」

 片瀬の柔らかな物腰を、イガラシは不思議に思った。リトルリーグ優勝投手という経歴を持つ片瀬だが、エリートにありがちなプライドの高さ、有り体に言えば取っつきにくさが、この男にはまるで感じられない。

「おまえのケガは、あまり関係ねぇよ」

 変わったやつだなと思いながら、返答した。

「ちょっと時期が早まっただけだ。どっちみち三年生が引退したら、そうしなきゃいけないと思ってたからな。もともと中学の時は、内野とピッチャーを兼任してたし」

「そうだったね」

 片瀬は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「テレビで見てたよ。君と、あの……近藤君だっけ。二人の力投はよくおぼえてるさ」

 この時、イガラシはふと気付く。

 そういやぁ片瀬って、あの箕輪高の東さんと、どことなく雰囲気が似てるな。野球をやめるか続けるか、ギリギリのラインに立たされた人間は、皆こういう雰囲気を纏うようになるものなのか。む、ひょっとして……

 ふいに一つ、あることが閃いた。

「……あ、あのよ片瀬」

「なんだい?」

「おまえ、中学野球だけじゃなくて……甲子園も見てたか?」

 勢い込んで問われたからか、片瀬は戸惑った顔になる。

「え……ああ。そりゃ見るよ、一番人気の大会だもの」

「じゃあ、箕輪って聞いたことあるか? 明日うちと、試合することになったんだが」

 イガラシの言葉に、片瀬は大きく目を見開いた。

「なんだって、そりゃ本当かい。あの、和歌山の箕輪と……うちが戦うなんて」

「知ってるのか?」

「もちろんさ。なにせ初出場のチームが、名の知れた強豪をバッタバッタと倒していくのが痛快で、けっきょく全部の試合を見てしまったよ」

「……おい、片瀬」

 イガラシは、にやりとして言った。

「くわしく話してくれないか。箕輪のやつらが、どんな戦い方をしていたのか」

 

 

3.キャプテンの決意

 

 午前中の授業が終わると、この日も墨高ナインは河川敷グラウンドへと移動した。

 ユニフォームに着替えた後、ナイン達はグラウンド脇の草原で車座になる。この場で事前ミーティングが開かれ、キャプテン谷口から、箕輪戦の対策練習を行う旨が伝えられた。

その時、イガラシが挙手し、片瀬から箕輪の特徴を聞いてきたと発言する。

 

「ほぉ、そいつは助かる」

 谷口は、率直に言った。その傍らで、丸井がうなずく。

「そういやぁ……片瀬のやつ、大きな試合はかならず見てたと言ってたもんな」

「まっなんにしても、ありがたいぜ」

 倉橋も同意した。

「近くのちょっと強いチームと当たるのとは、ワケがちがうんだ。情報もなくぶつかって、コテンパンにやられるのは、もう谷原戦でこりごりだからな

「ああ。そういうわけで、頼むよイガラシ」

 谷口がそう促すと、イガラシは「はい」と立ち上がった。その隣で、半田がノートと鉛筆を手に取り、メモの用意をしている。

「一言でいうと……ねばっこくて、こまかい野球を仕掛けてくるチームらしいです。とくに注意しなければならないのが、やつらのバットコントロールと機動力かと」

 イガラシは時折間を取りながら、要所を押さえて話すので、理解しやすかった。

「谷原ほどのパワーはないそうですが、どんなボールにも対応するやわらかさがあるようです。しかもランナーを出すと、盗塁、バスター、エンドラン……多彩な攻撃パターンを持っていると」

 淡々と語られた内容に、ナイン達の表情が引きつっていく。

「……ち、ちょっと待てよ」

 たまりかねたのか、横井が口を挟んだ。

「昨年の話だろ。今年は……優勝校に善戦したとはいえ、ちと落ちるんじゃないか」

「いえ、それはないです」

 イガラシは、きっぱりと答える。

「箕輪はそもそも、昨年は一、二年生主体だったんですよ。エースが抜けて、もちろん投手力は落ちてますけど、むしろ総合的にはレベルアップしてるかもしれません。じっさい優勝した西将から、ゆいいつ三点取ってますし」

 この返答がダメ押しとなり、誰もが押し黙った。

 ちょっと生々しすぎたかな……と、谷口はナイン達の反応に思う。イガラシも察したのか、こちらに苦笑いを向けた。言い過ぎましたか、とでも言いたげだ。谷口は、小さく首を横に振る。

 イガラシは、きちんと事実を伝えただけだ。話を受けて、みんなをやる気にさせるのが、俺の仕事……谷口がそう思って、口を開きかけた時だった。

「ほらみんな、しっかりしろ」

 周囲をそう励ましたのは、いましがたイガラシの説明に口をつぐんでいた、横井だった。

「とくに三年。今までだって、俺達とても敵わないと思ったトコに、いい勝負したり勝ったりしてきたじゃねぇか」

「俺もそう思う」

 傍らで、戸室も強くうなずく。

「ちょっと谷原にやられたからって、ずっとびびってたんじゃ、つまんねーからな」

 倉橋が「よく言ってくれた」と微笑を浮かべる。

「しかも今回は、情報がある。せっかくだし生かさなきゃな」

「ああ。いい勝負できれば、自信を持って夏の大会に臨める。もしやられたとしても、貴重な経験にはなる。どっちに転んでも、損はねぇだろ」

 横井はそう言うと、こちらに顔をくるりと向けた。

「あとは……しっかり練習して、備える。これでいいか谷口」

 おどけた顔ながら、力強い眼差しだ。

「ばーか横井。おまえが、カッコつけてんじゃねぇ」

 いつもの通り、戸室が突っ込む。

「な……こら戸室。人がせっかく、みんなを盛り上げようと」

 二人の他愛のないやり取りに、どっと周囲が沸いた。谷口はもう一度、他のナイン達を見回す。誰もが顔を上げ、引きしまった表情だ。

 なるほど倉橋、チームを信じる……か。

 ほどなく、ナイン達は腰を上げ、その日の練習が始まった。谷口も柔軟体操とランニングには参加したが、キャッチボールから抜けた。一人ベースを運び、ダイヤモンドの形に置いていく。一年生が何人か、手伝いに来ようとするのを「いいから」と断る。

 土曜日は時間がたっぷり取れるので、すぐにベースは使わず、トスバッティングから始められた。

 二人一組になり、一人がトスを上げ、もう一人が外野へ打ち返す。当然、ただ打てば良いのではなく、交互に左右へという条件だ。広角に打ち分けること、さらに緩い球をミートできるようになることが狙いである。

 さらにもう一つ。脚力を鍛えるという目的もあった。打者以外の者は、センターで一列に並び、順にレフトかライトか、どちらかに飛んでいくボールを追いかける。

「こらぁ井口! タラタラ走ってんじゃねぇっ」

 最初の打者、丸井の檄が飛ぶ。トス役はイガラシだ。外野では、井口が息を弾ませながら、のそのそとボールを追う。

「ははっ。相変わらず、足の遅いやつめ」

 イガラシが苦笑いして、「どんどんいきますよ」とトスを続けていく。丸井は、さすがトップバッターを務めるだけあって、器用に打ち分けていく。

うまいじゃないか、と褒めようとしたら、その前にイガラシが指摘する。

「悪くはないですけど、右へ打とうとする時、ちょっとヘッドが下がり気味です」

「あ、ああ……こうかな」

 丸井は頬をひくっとさせたが、すぐに動作を確認する。そして次のバッティングでは、見事に修正していた。

「どうだっ。見たかイガラシ」

「な、ナイスバッティング!」

 さしものイガラシも、褒めるしかなかったようだ。

 やがて、イガラシの打つ番となる。やはり中軸打者らしく、丸井以上に鋭い打球をレフトへライトへと弾き返していく。その迫力あるスイング音に、丸井は「相変わらずだな」と苦笑いした。外野では、ナイン達が悲鳴のような声を発しながら、打球を追う。

 二人に近づき、谷口は声を掛けた。

「調子よさそうだな」

 丸井とイガラシは、すぐに帽子を取り「ありがとうございます」と一礼する。イガラシはなんだか照れているようだが、礼儀に厳しい丸井を立てたのだろう。

「ただイガラシ。今のままでも、悪くはないのだが……ちょっと上から叩く意識が強すぎるかもしれない」

「ああ……はい。言われてみれば」

 睨み返されると思ったが、意外にもイガラシは素直に聞き入れた。

「といっても、基本は変わらない。おまえがいつも意識してる、わきをしめてシャープに振るっていう、あれでじゅうぶん対応できる」

「はい」

「ただ、俺の経験上……高校レベルになると、落ちる変化球を投げるピッチャーが増えてくる。おまえが最近、チェンジアップを覚えたようにな」

「たしかに落ちるボールだと、上から叩こうとしたら、バットの軌道と合いませんものね」

「そういうことだ。この話は、ぶきような者に言うと、アッパースイングになってしまう。けど、イガラシなら巧くやれると思ってな」

「分かりました。つぎから、試してみます」

 再び一礼すると、イガラシは残りのボールを打ち始めた。

 ひそかに溜息をつく。他の投手陣、とくにイガラシ。やはり無理させるわけにはいかないな……と、胸の内につぶやいた。

 最悪の状況も考えておかなければ、と谷口は考える。

 実績とイガラシの話から、そうとうレベルの高いチームと見てよさそうだ。タイプこそ違えど、谷原と互角か、それ以上かもしれない。

 松川、井口、それにイガラシ。少し間違えば、三人ともメッタ打ちにされるということも、じゅうぶんにあり得る。もし、そうなったら……

「谷口。ちょっと」

 呼ばれて、はっとする。いつの間にか、倉橋が手前に来ていた。

「どうした?」

「わりぃが、この後のノック任せていいか? 俺は、ピッチャー連中の投球練習に付き合わねぇと。それと、時間もいつもより長めに取りたいんだが」

「うむ。相手を考えると、そっちが賢明だな。助かるよ」

「そうそう、投手起用はどう考えてる?」

「先発は松川、次が井口。二人で四イニングずつ投げて、最後はイガラシという順だ。イガラシを先に投げさせると、消耗してバッティングに影響が出かねないからな」

「俺も同意見だ。あとは、松川と井口がなるべく踏ん張ってくれりゃ……けどよ」

 倉橋がふいに、声を潜める。

「考えたくはねぇが……相手のレベルを考えると、三人ともメッタ打ちにされるって可能性もある。無理に続投させれば、おまえみたいにケガしかねない」

「あはは、メンボクない」

「その場合、どうする?」

「……決まってる」

 谷口は、きっぱりと答えた。

「向こうに頼んで、中止にしてもらうさ」

 

 

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