南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第11話「ほんとうの勝負球!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

 

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第11話 ほんとうの勝負球!の巻

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1.唐突な幕切れ

 

 八回表――守る墨谷は、この試合で最大のピンチを招いていた。

 先頭の上林にエラーで出塁を許すと、足攻にかき回され、ついにノーアウト満塁。しかも迎えるバッターは、初回にスリーランホームランを放っている、四番の堤野である。

 

 初球。イガラシは、内角へシュートを投じた。

 堤野のバットが回る。快音が響いた。打球は、レフトスタンドのポール際へ飛んでいく。周囲から「うわぁ」「やられた」と、悲鳴のような声が上がる。

 三塁塁審が、両腕を大きく左右に開いた。

「ファール!」

 ショートの横井が、軽く怒鳴る。

「おいおい。いまの、あぶねぇぞ」

 イガラシは振り返り、まぁまぁ……と笑った。向き直り、倉橋と目を見合わせる。こちらは冷静だ。返球を捕り、次のサインを確認する。

 さすがのパワーだぜ。けど、いまのはボール球だ。打ってもファールにしかならない。これに手を出してきたということは、ちょっと打ち気にはやってるぞ。

 すべて、バッテリーの計算通りだった。

 二球目は、内角低めに速球を投じた。これは見逃し、ツーストライク。やっぱりな、と胸の内につぶやく。

 この堤野というバッター、広角に打てる技術はあるが、ほんらいは外寄りのボールを引っぱるのが好きなようだ。しかも満塁なもんで、こちらがストライク先行でくると踏んでいるのか、得意なバッティングをしたがっている。

 推測を確かめるため、三球目は速球を外角低めへ。無理に引っ張ると内野ゴロ。堤野は、やはりカットしてきた。これで確信する。

 思ったとおり、好きなコースを待っているな。それなら……

 四球目。外のボール気味のコースに、チェンジアップを投じた。これは見極められ、イーブンカウントとなる。

 この時、僅かながら堤野のまなじりに笑みが浮かぶ。イガラシと倉橋は、互いに目を見合わせる。相手打者の表情の変化を、バッテリーは鋭く捉えた。

 そして五球目。倉橋がついに勝負球のサインを出す。イガラシはうなずき、ボールをグラブの中で握った。これから投じる球の軌道、腕の使い方を再度強くイメージする。

 ふん。決め球のチェンジアップを見送られて、こっちが慌てると思ったな。あいにくだが、ほんとうの勝負球は……こっちだ!

 グラブを突き出し、スパイクの左足を踏み込む。右腕を思い切りしならせる。

 ボールが、打者の左肘にぶつかる軌道で投じられる。堤野が「わっ」と叫び、除けるようにして身を屈める。

 しかし、ボールは二、三メートル手前から、鋭く変化して打者の膝元に飛び込んだ。

 キャッチャーミットの乾いた音が鳴る。束の間の静寂。

「……ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアが右拳を突き上げ、いつになく声を張り上げた。

「すげぇぞイガラシっ」

 真っ先に声を発したのは、丸井だった。

「こんなカーブがあるのなら、もっと早く投げろよ。勿体ぶりやがって」

 その隣で、加藤が微笑んで言った。

「一瞬デッドボール、押し出しかと思ったけどな。さすがのコントロール

 横井が「ああ」と相槌を打つ。

「俺もドキッとしたぜ。あの内角へのカーブ、ずっと試してたやつだろ。満塁で投げようっていう度胸がすげぇよ」

「正直……まだ七割程度だったから、投げさせたくなかったけどな」

 倉橋はマスクを取り、小さく吐息をついた。

「こんな場面で、ドンピシャ決めてくるとは。おそれ入ったよ」

「ち、ちょっと皆さんっ。あまり褒め過ぎないでくださいよ」

 後方で、丸井が軽く抗議する。

「イガラシのやつが調子に乗るじゃないですか。まだピンチを脱したわけでもないですし」

「丸井。そんなこと言って、おまえが一番にやけ顔だぞ」

 加藤に突っ込まれ、丸井は「んなことねぇよっ」と分かりやすく反応する。

 箕輪の打順は、五番の中谷に回った。こちらも油断ならない打者だ。イガラシは頭の中で、戦況と箕輪の心理状態を分析する。

 向こうからすれば、ノーアウト満塁の絶好機に、もっとも頼りにしている打者が三振に倒れた。まだリードは保っている。あせるほどじゃないが、相手に傾きかけた流れを断ち切りたいと思っているはず。となると……おそらく、初球を狙ってくる。

 倉橋のサインにうなずく。セットポジションに着くと同時に、ファーストの加藤がすっと下がるのを、横目で確認した。そして第一球を投じる。

 バットの届きにくい外角低めに、チェンジアップ。バッテリーの計算では、さすがの中谷は、これを読んでいたのか、体勢を崩すことなく流し打つ。一、二塁間へ速いゴロが飛ぶ。

 しかし、これも墨高バッテリーの計算通りだった。

「ファースト!」

 倉橋の声よりも先に、あらかじめ深めに守っていた加藤が、難なく捕球する。そしてすかさずバックホームした。打球がショートバウンドのため、三塁ランナー上林のスタートが遅れる。

「へいっ、丸井」

 本塁フォースアウト。さらに間髪入れず、倉橋は矢のような送球をファーストへ投じた。中谷がベースに滑り込むより一瞬早く、丸井が捕球する。

「アウト! スリーアウト、チェンジっ」

 アンパイアの甲高いコールが響く。

 丸井と加藤は、互いに顔を見合わせ、にやっと笑った。その傍らで、ダブルプレーに倒れた中谷が、腰に手を突きうなだれる。

 墨谷ナインがベンチに引き上げると、キャプテン谷口が拳を小さく突き上げた。

「ナイスプレーよ、加藤に倉橋!」

 それから、少し遅れて帰ってきたイガラシに、穏やかな眼差しを向ける。

「よくしのいだな。どうやら、俺の老婆心がすぎたらしい。ナイスボール!」

 イガラシは小さくかぶりを振り、にやっと笑った。

「なぁに、あれしき。これからですよ」

 

 バックスタンド。佐野は腕組みしながら、「へぇ」と声を発した。

 数十メートル先のグラウンドでは、絶好機を逃したばかりの箕輪ナインが、各ポジションへと散っていく。心なしか、やや足取りが重い。

「ま、まさか。箕輪が一点も取れないなんて」

 傍らで、倉田が頭を抱えた。その横顔に問うてみる。

「なぁ倉田。おまえなら、投げられるか?」

「はっ。ああ、さっきのカーブですね。ううむ……さすがに躊躇するかもしれません」

 実直な後輩が「すみません」と頭を下げるので、軽く叱り付けた。

「ばぁか。誰だって一緒だ。カーブは曲がりが大きい分、制球が難しいからな」

「佐野さんなら、もっと精密に投げられるんでしょうけど」

「買いかぶりすぎだ。俺だって、内か外か、高めか低めか、くらいは投げ分けようとするが、インコース低めいっぱいに制球しようなんて発想、したことねぇよ。それを満塁で投げようなんざ、正気の沙汰じゃねぇ」

「でも、ほんとイガラシには驚かされます」

 倉田は、吐息混じりに言った。

「俺らが江田川に負けた翌日、墨二との決勝を観に行ったんですけど、あの時と比べてもかなり成長してますよ。コントロールの良さは相変わらずですけど、球種も増えましたし、おまけに球のキレもスピードも」

「ふん。イガラシに限らず、墨二の連中は歴代そういう奴ばかりだ。不器用なくせに、あきらめが悪くてしぶとい」

「……あの、先輩」

 振り向くと、倉田が不思議そうな眼差しを向けている。

「何だよ。そんな、まじまじと見つめやがって。気色わりぃ」

「いえ、その……先輩、うれしそうですね。墨高がもり返してきたので」

 呑気そうな後輩の頭を、平手で思い切りはたく。

「あたっ」

「おしゃべりがすぎるぞ。つまんねぇこと言ってないで、よく見とけ」

 

 倉橋が、ホームベースへ払うようにバットを差し出す。パシッと小気味よい音がした。速いゴロが、二遊間を抜けていく。センター前ヒット。

 後方で、ベンチが沸いた。

「うまいっ。さすが四番」

「いまのフォークだろ。引きつけて、よく打ち返したな」

 ネクストバッターズサークル。イガラシは、そっと円の中央にマスコットバットを置き、立ち上がる。

 さすが倉橋さん。はじめから、あのフォークをねらってたんだな。

 イガラシが打席に立つと、マウンド上の児玉はすぐに投球動作を始めた。初球、あの重い速球をど真ん中へ。ズバン、とキャッチャーミットが鳴った。

 つい含み笑いが漏れる。キャッチャーの中谷が、不審そうな眼差しを向けてきた。胸の内に、その手はもう喰わねぇよ……とつぶやく。

 アンタらのねらいは、とっくにお見通しだ。早いカウントでは、わざと真っすぐを高めに集めて、こっちが早打ちになるよう仕向けてたんだろう。けど……それに何度も引っかかるほど、うちは甘かねぇ。

 そこから五球、速球と変化球をいずれもコーナーに投げ分けられたが、イガラシはすべて対応した。ボール球は見極め、際どいコースはカットする。

 ふん。どれも悪くないボールだが、いったん見慣れてしまえば、なんとでもならぁ。ふつうのタマじゃ、この俺は打ち取れねぇぞ。

 マウンド上。サインを確認したのだろう、児玉が神妙な顔でうなずく。ほどなくセットポジションから、第七球を投じてきた。

 速いカーブが、膝元を抉るように飛び込んでくる。しかしイガラシは、その軌道をはっきりと両眼に捉えていた。躊躇なく、フルスイングする。

 手応えがあった。バットを放り、走り出す。

 視界の端に、ボールがレフト頭上を越えていくのが見えた。伸びる。まだ、伸びる。やがて、コーンという音が聴こえた。

 イガラシの打球は、レフトの外野席に飛び込む。ツーランホームラン。

「まさか。うそだろっ」

「す、すげぇ……イガラシ!」

 墨高ベンチが、喜ぶよりも先に驚きの声を発した。対照的に、グラウンド上の箕輪ナインは、無言で立ち尽くしている。誰もが、半ば呆れたような表情だ。

 小走りにダイヤモンドを一周しながら、イガラシは小さく舌を出した。

 ホームランたぁ、ちと出来すぎだな。ほんとうは、もうちょいジワジワ攻めて、逆転への布石を残したかったんだが。ま、とりあえず同点。これから、もう一押しといくか。

 一塁ランナーの倉橋に続き、イガラシもホームベースを踏む。このままベンチへ引き上げようとした、その刹那だった。

 カッ。上空が、青白く発光した。少し遅れて、恐ろしいほどの雷鳴が轟く。そして、さっきまで小降りだった雨足が、一気に激しさを増した。気付けば、グラウンドに溢れるほど水が溜まっていく。

「タイム!」

 アンパイアが右手を上げ、ゲームの進行を止めた。

「両軍の選手は、いったんベンチへ。危険だから急ぎなさい」

 眼前で、箕輪ナインが一斉に引き上げてくる。

 あちゃぁ……と、イガラシは小さく声を発した。ホームベース付近に放っていたバットを拾い、急いでベンチへと向かう。

 

 審判員達の協議により、雷雨のためゲーム続行は不可能と判断される。その結果、墨高と箕輪の練習試合は、八回途中ながら五対五の引き分けに終わることとなった。

 

 雷が去るまで、両チームはひとまず、それぞれの控室にて待機することとなった。

 キャプテン谷口は、全員が移動したのを確認してから、一人通路に残る。ほうっと、大きく溜息をついた。

 よかったぁ。なんとか、けが人を出すことなく終えられたぞ。

「ふふ……まだ自分が試合に出る方が、気はラクだよなぁ」

 はっとして、振り向く。箕輪の元エース・東がそこに立っていた。

「あ、どうも。あいさつが遅れてしまって」

「なぁに。この悪天候で、慌ただしかったからね。ああ同学年だし、敬語はよそう」

 二人は、固く握手を交わす。谷口は、この東という男が同学年だというのが、どうにも不思議な気がした。長身というだけでなく、なにかを悟ったような落ち着き払った雰囲気をしている。たとえるなら、修行僧に近いだろうか。

「今日は、ありがとう。箕輪高さんのようなレベルの高いチームと試合ができて、とても良い経験ができたよ」

 谷口が礼を言うと、東は「うむ。おたがいにね」と笑った。

「引き分けだからではなく、心から言わせてもらうよ。君達は、ほんとうに素晴らしいチームだ。試合中、どんどん成長していくさまが、見て取れたよ」

 そう言うと、ふいに苦笑いを浮かべる。

「われわれとしては、自分達の原点を思い出すことができた試合だったよ。いまの君達と同じように、ガムシャラだった頃の自分達をね。最近、どうもイカンのだ。甲子園だなんだと上ばかり見て、足元がおろそかになりがちだったからな」

「そ、そんな……ぼくらこそ、まだまだです」

「ふむ。まぁ、そうだな」

 真顔のまま、東は言った。

「とくに先発の松川君、いきなり四失点というのはいただけない。それと二番手の井口君。ボール自体は素晴らしかったが、速球とシュートの二択では、やがて慣れられる。どうもカーブの制球が思わしくなかったようだね」

 束の間あっけに取られていると、相手はまた笑う。

「いや、すまない。君達がよく戦えていたからこそ、改善点が目についたんだ。あとは言うことないよ。今日は、あのイガラシ君が目立ったが、他の選手もよく鍛えられている。内外野の守備、また途中出場の岡村君もスムーズに試合へ入れていた」

 よく見てるな、この人……と内心苦笑いする。同じ地区じゃないのが幸いだ。もしそうなら、予選では痛い目にあわされたことだろう。

「で、でも……そちらはいろいろと試してたろう? 公式戦では、こうはいくまい」

 谷口が尋ねると、東は小さくかぶりを振った。

「君達だって、今日は七割程度だろう。なにせ……キャプテンが出てなかったんだからな。もし君が出ていたら、おそらくひっくり返されてた」

 元エースは、にやりと笑った。

「だから、つぎは甲子園で戦おう。もちろん……今度はおたがい、グラウンドでだ」

 えっ……と思っていると、東はくるっと右肩を回して見せた。

「……あ、ああっ。東君もしかして」

 驚いていると、東は「それじゃ」と踵を返した。そのまま通路の奥へと進みながら、「君にはできる、何かが……」と、どこかで聴いたような歌を口ずさむ。

 谷口は後になって、東が馴染みの曲の歌詞を間違えていたのだと気付き、一人で吹き出してしまったが。

 

2.打倒!谷原への道

 

 選抜出場校・箕輪高との善戦は、ナイン達に貴重な経験と、大きな自信を与えることとなった。谷原戦の大敗で、しぼみかけていた「甲子園出場」の夢が、彼らの中に蘇ってくる。むしろ、いまや誰しもが、それを現実的な目標として捉えられるようになった。

 彼らにもたらされたものは、それだけではない。

 墨高が箕輪に引き分けたという情報は、すぐさま近隣有力校の間に広まる。これにより、都内だけでなく千葉や埼玉、首都圏のシード校クラスのチームから、練習試合の申し込みが殺到することとなった。

 また、負傷で一時離脱していたキャプテン谷口も、ほどなく復帰。さらに十日後、一人リハビリを続けていた片瀬も戻ってきた。

 やがて五月も半ばを過ぎる。墨高野球部は、合宿や各校との練習試合を重ねながら、着実にチーム強化を図っていく。四月当初の悲壮感が信じられないほど、すべて順調。

 しかし、人間とは贅沢な生き物。順調な時でさえ、新たな悩みは出てくるものだ……

 

 日曜日の朝。イガラシは長距離走を終えて、学校のグラウンドに戻ってきた。

 やはり、まだ誰も来ていない。スパイクに履き替え、グラブを抱えて、すぐにブルペンへと向かう。ストレッチをこなしていると、一つ足音が近付いてくる。

「おお。早いじゃないか」

 片瀬だった。全体練習には、つい三日前に復帰したばかりだ。

「イガラシ君こそ、まだ六時前だよ。いつもこの時間に来てるのかい?」

「まぁ習慣でな。すぐ谷口さんと倉橋さん、それに根岸も来ると思うぞ。松川さんは、ちと家が遠いから、もうちょいかな」

「バッテリー陣は、せいりょく的だもの……れ、井口君は?」

「井口? ほっとけ、あのネボスケは」

 イガラシは鼻で笑い、すぐ真顔に戻る。

「けど片瀬、おまえはムリすんなよ。せっかく順調に回復してるんだ。いまは上半身の筋トレと、ストレッチさえ続けときゃいい」

「ありがとう。しかし、それで夏大に間に合うだろうか」

「なに、出番があるとしたら……おそらく終盤戦だ。その頃には、きっと俺も含めて、みんな疲労してる。だからせめて、おまえには元気でいてもらわねぇと」

「わかった。それまで、しっかり備えておくよ」

 片瀬はそう言うと、ふいにおどけた笑みを浮かべた。

「と……言ったそばから、すまないが」

「むっ。なんだよ」

「ぼくのボール、受けてくれないか。ほんの十球程度でいい」

 露骨なほど、イガラシは溜息をついた。

「……おまえ。休んでる間、一人で余計なコトしてたろ」

「と、とんでもないっ」

 穏やかな片瀬が、やや狼狽えた口調になる。

「ちゃんと病院に通って、リハビリしてたさ」

「どうだか。ま……おまえらしいがよ。ほれ、さっそく始めるぞ。」

 お互い十メートルほど距離を取り、キャッチボールから始めた。以前と比べ、だいぶフォームが滑らかになっている。やはり怪我の影響は大きかったらしい。

「それで、なにを試したいんだよ」

 問うてみると、片瀬は「えっ」と声を発した。

「いまさら隠すことは、あるまい。リハビリの最中、こっそり自主練までして、なにを身につけようとしてたんだ?」

「はははっ。やはりイガラシ君には、かなわないなぁ。いや、ちゃんと説明するつもりだったんだが」

 しばし間を置き、短く告げる。

サイドスローだよ」

「へぇ、いいじゃないか」

 イガラシの言葉に、片瀬は目を見開いた。

「まだボールを見てもいないのに、賛成してくれるのかい」

「ああ。じつは、おまえが戻ってきたら、すすめようと思ってたんだ」

「どうして?」

「俺なりに、ちと調べてみたのよ。そしたら、片瀬のように上背のあるピッチャーは、けっこう膝をいためることが多いそうじゃないか」

 自分が小柄なもんで気づかなかったが、と苦笑いする。

オーバースローだと、上から下へ投げおろす分、どうしても膝に負担がくるらしい。おまえさんはそこに成長期も重なったから、よけいにシンドかったろう」

「……そうか」

 ふいに片瀬が、力なく笑う。

「中学の時、もし君がチームメイトなら……三年間も棒に振らずにすんだのかも」

「なに言ってやがる」

 イガラシは、わざと露悪的に言った。

「俺と同じチームだったら、おまえは三年間ずっと控えだ。いや……どっちみち試合にすら、出られなかったかもな。そのうち後悔することになっても、知らねぇぞ」

「ははっ、おそれ入ったよ」

 数分ほどキャッチボールを行った後、イガラシはホームベースを手前にしゃがみ、捕手用ミットを左手に嵌める。

「でも……ちょっと、意外だったよ」

 片瀬が足元を均しながら、ぽつりと言った。

「ん? なにか言ったか」

「故障上がりのぼくが、投げるなんて言ったら。もしかして君なら止めるんじゃないかと思ってたんだ」

 吐息をつく。こいつ、やっぱり賢いや……と感心する。

「どうかしたのかい?」

「あ、いや……すまん話は後だ。さ、どんどん投げろ」

 片瀬は戸惑いながらも、投球動作に移った。思った以上に、自然なサイドスローのフォームだった。速球が、ミットに飛び込んでくる。

「……あっ」

 難なく捕球したはずのミットから、ボールがこぼれ落ちる。

「わ、わりぃ」

 苦笑いしながら、投げ返す。相手は捕球すると、無言のまま次のボールを投じてきた。

 バシッ。今度こそ、とミットを構えたが、またも弾かれる。こりゃおかしいぞ、とさすがに気付く。ただの速球を、二球続けて捕り損ねるわけがない。

「なるほど。びみょうに、ボールのにぎりを変えているのか」

 返球すると、片瀬は朗らかに笑った。

「さすがイガラシ君、よく気づいたね。見てくれ」

 片瀬はこちらに駆け寄ると、イガラシの見ている前で、ボールの縫い目に指を掛けた。やはり通常の二本指でなく、ずらした位置に添えている。

「こうすると……ほんの小さくだけど、打者の手元で変化するんだ。指のかけ方によって、左右どちらにも曲がる。もっと深くにぎれば、少し落とすこともできる」

「ほぉ、やるじゃないか。こんなボールまで習得していたとは。あとは、緩急だな」

 イガラシの言葉に、片瀬はにやっと笑った。

「そう言うと思ってたよ。なら、もう少し受けてくれ」

「お、おう」

 再びホームベース手前にしゃがむ。片瀬はすぐに、投球動作へと移った。ブレーキのあるカーブが投じられ、ミットを構えたところにそのまま飛び込んでくる。

「つぎは、内角低めいっぱい」

 相手の言葉に驚く。言われたコースに構えながらも、イガラシは言った。

「なんだと。カーブをここに、制球するってのか」

 イガラシ自身が何百球と投げ込み、ようやく制球できるようになったコースだ。片瀬は無言でうなずき、投球する。

 鋭く変化したボールは、またも構えたところに飛び込んでくる。イガラシは、僅かもミットを動かさなかった。

「もう少し続けられるか」

「もちろんさ」

 片瀬は、そこから十球続けて投げ込む。

 イガラシが驚かされたのは、カーブの制球だった。内外角いずれも、ミットを構えたところに飛び込んでくる。また速球の球威も申し分ない。井口のように剛速球とまではいかないが、初見では十分「速い」と感じられるボールだ。

「ナイスボール!」

 世辞でなく、率直に言った。

「怪我さえ治りゃ、さすが元リトルの優勝投手だな」

「ありがとう。しかし、見てのとおり……真っすぐのコントロールが良くないんだ」

 片瀬の言うように、制球力抜群だったカーブと比べ、速球は少々ばらつきがあった。

「……いや。ムリに矯正する必要は、ないと思う」

 相手は、意外そうな目をした。

「どういうことだい?」

「このまえ箕輪と対戦して感じたんだが。コントロールのいいピッチャーというのは、相手からすれば、ねらい球をしぼりやすいという一面もあるんだ」

「な、なるほど」

「もちろんストライクが入らないんじゃ、話にならねぇがな。けど、おまえはそういうんじゃないし、せっかくクセ球という武器がある。これを磨いていけば、なまじバッティングに自信のあるチームほど、嫌がるタイプのピッチャーになれるんじゃねぇか」

 そう返答すると、片瀬は「ふふっ」と含み笑いを漏らす。

「どうだろう、あの谷原にも通じるだろうか」

 はっとして、イガラシは目を見開いた。

「おい。ずいぶん、大きく出たな」

「だって……君がこの頃悩んでいるのは、そのことだろう?」

 苦笑いしてしまう。なんだかこいつ、喰えねぇやつだな。丸井さんや近藤の方が、まだ分かりやすくて可愛げがある。

「片瀬。この春の甲子園で、谷原は準決勝まで進んだのだっけな」

 答える代わりに質問する。

「うむ、そうだよ」

「谷原を破ったのは、たしか大阪の……」

「西将学園ってところさ。なにせエースの竹田というピッチャーが、すごくてね。今年のドラフトで、複数のプロ球団がねらってるって話だよ」

「その西将に負けるまで、谷原はどんな勝ち上がりをしてたんだ」

「あ、あぁ……」

 片瀬は引きつった顔で答えた。

「初戦からすべて、二ケタ得点だよ」

「つまりデータ上は、プロにねらわれるほどの投手じゃないと、あの打線をおさえるのは不可能ってことになる。けどな」

 にやっと笑い、付け加える。

「通じるの、通じないのっつう話じゃねぇ。これはおまえが、長年苦しんで手にした、おまえにしか投げられないボールだ。ずっと野球をあきらめなかったその気持ち、見せつけてやれ。谷原のやつらにも」

「あ、ありがとう。イガラシ君」

 片瀬は照れくさそうに、鼻の下をこする。

「しかし……君って、いがいに情熱家なんだね」

 あらっ、とイガラシはずっこけた。

 

 校門をくぐろうとした時、谷口は一学年下の後輩、加藤と一緒になった。

「キャプテン。おはようございます」

「おはよう。どうしたんだ加藤、朝からそんな顔して」

 加藤はまるで、何か恐ろしいものを見たような表情を浮かべている。

「じ、じつは……家の近所に、ほかの学校の野球部のやつがいるんですけど。そいつが昨日、谷原と専修館の練習試合を見たそうなんですよ」

「へぇ、あの専修館が……谷原と」

 専修館とは、昨夏の五回戦で対戦し、墨高は奇跡的な勝利を収めることができた。しかし、明らかに底力は向こうの方が上だったと、谷口は思っている。現に、彼らは続く秋の大会で準決勝まで勝ち進み、シード権を獲得。新チームになっても、その強さは健在だ。

「われわれは歯が立たなかったが……専修館なら、きっと良い試合をしたのだろうな」

「い、いえ。それが」

 青ざめた顔で、加藤が言った。

「結果は……六対十八で、谷原の圧勝だったそうです。しかも専修館は、エースを先発させたそうなのですが、三回までに八点を取られたらしくて」

 思わず「なんだとっ」と、声を上げた。

 あの専修館でさえ、エースを投げさせて大量点を取られるとは。どうりで、俺がちょっと工夫したくらいじゃ、おさえられなかったはずだ。

 小さくかぶりを振る。ここ最近の懸案事項が、頭をもたげてきた。

 箕輪に善戦してから、毎週のように練習試合が組めるようになったのは、確かにありがたい。それでも、せいぜい各地の八強レベルだ。全国トップクラスのチームともなると、すでに予定を組み、強豪同士の対外試合でお互いに高め合っている。

 谷原と箕輪。考えてみれば、この二校と対戦できたことは、すごく運が良かったんだ。あのレベルを体感したことで、みんなの意識が変わってきた。あとは……

 谷口は、深く溜息をついた。

 夏の大会まで、のこり一ヶ月弱。せめて一試合、あと一試合だけでいいから……どこかで全国トップレベルのチームと、手合わせできないだろうか。

 

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