南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第15話「思わぬ知らせの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

 

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第15話 思わぬ知らせの巻

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【登場人物紹介】

 

大田原:現・東京都高野連会長。原作『キャプテン』では、全国中学野球連盟の委員長を務めていた。かつて地区大会決勝で、規則違反を犯した青葉学院に対し、墨谷二中と再試合を実施させるという英断を下した。僧のような頭と口元の白髭が印象的な、威厳ある人物。

 

中岡:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の監督。春の甲子園において、準決勝で谷原を熱戦の末下すなどして、優勝を果たした。年齢は四十台半ば。インテリ然とした眼鏡が印象的な知将である。

 

1.速球対策!

 

 翌、月曜日の墨高グラウンド。

 校舎の時計は、ちょうど四時半を差す。キャプテン谷口は、通常のメニューを一通り消化した後、一旦ナイン達を集合させた。

「昨日に続いて、これから谷原の村井、東実の佐野を打つための特訓を行う」

 円座の中央で、谷口はそう開口一番に告げる。

「なるべく一人当たりの量を増やしたいので、二グループに別れてもらう。レギュラー陣には俺が、控えメンバーには松川が、それぞれ打撃投手を務める」

 キャプテン、と加藤が問うてくる。

「今日もレギュラー組は、三メートル短くするんですか?」

「もちろんだ」

 そう返事すると、加藤は溜息混じりに言った。

「き、キャプテンだって……十分速いと思いますけど」

 加藤の真向かいで、戸室が「まったくだ」と同調する。

「俺なんて、ぜんぜんボール見えなかったもんね」

「……あの、キャプテン」

 おずおずと挙手したのは、島田だった。

「昨日のミーティングでは、全員打てなくてもいいって話だったじゃないですか。打ち返す力量のない者は、バントで揺さぶったりファールで粘ったり、いろいろ工夫した方が効率的じゃありませんか?」

「いや、それはダメだ」

 谷口は、きっぱりと答えた。

「島田、それにみんなも聞いてくれ。ここは大事なトコなんだ」

 語気を強めて言うと、周囲は静まり返る。

「俺はきのう、谷原戦はわれわれの勇気が試されると、言ったはずだ。つまり、最初から打てないと思っていては、勝負にならないということだ。同じ凡打でも、打つつもりで打席に入ったのとそうじゃなかったのとでは、相手に与える印象がまるでちがう」

「キャプテンに賛成です」

 イガラシが、淡々とした口調で言った。

「べつに小細工を否定するわけじゃありませんがね。ただピッチャーの立場から言わせてもらえば、打力のないチームにそれをやられても、ぜんぜん脅威じゃないんですよ。ぎゃくに自信のなさを見透かされて、調子づかせちゃうだけかと」

「まあ、そういうことだ」

 谷口が微笑んで言うと、島田は「分かりました」とうなずいた。

「け、けどよ谷口」

 割って入ったのは、横井だった。まだ腑に落ちないらしい。

「あれだけのピッチャーだぞ。バントしたりファールで粘ったりだって、それなりに鍛錬を積まなくちゃできねぇと思うが」

「うむ。そのとおりだ」

「お、おうっ」

 谷口があっさり認めると、横井は拍子抜けした顔になる。

「ありがとう横井。いろいろ意見を出してくれて、たすかるよ」

 素直に気持ちを伝えた。

 この頃、横井はチームのことを考えて、よく動いてくれている。昨日のミーティングでも、音頭を取ったのは彼だ。上級生としての自覚が出てきたのだろう。全体を指揮しなければならない谷口にとって、とても心強かった。

「よ、よせやい。ただ思ったことを言ったまでさ」

 言葉とは裏腹に、横井はにやけ面だ。戸室がじとっとした目を向ける。

「しかし、心配には及ばんよ」

 声を明るくして、谷口は答える。

「全体練習の締めくくりに、毎日シートバッティングを組み込む。小ワザの練習は、その時にすればいいんだ。もちろんピッチャーには本気で投げてもらう。どうせなら、より実戦に近い形でやった方が効果的だろう」

「あ……けっきょく、両方やるってことね」

 横井のずっこける仕草に、周囲から笑いがこぼれた。

 ほどなく、ナイン達はレギュラー組と控え組に別れ、特訓の準備に取り掛かった。打者とその後続一人、バッテリー以外のメンバーは、グラブを持って球拾いに回る。

「松川、ちょっといいか」

 控え組の特訓へ向かおうとする後輩を、谷口は呼び止める。

「今日から、カーブも混ぜろ。松川から見て、まるで対応できていない者は、どんどん素振りを命じていい。基礎のできていない者が、いくら打っても無意味だからな」

「は、はい」

「じゅうぶん対応できている者は、レギュラー組に行かせてくれ。数人でも打力のある者を増やしたいし、こっちのメンバーの刺激にもなる」

「分かりました」

 谷口は「頼むぞ」と言い置き、マウンドへ駆ける。

 ホームベース奥では、倉橋が捕手用プロテクターを装着していた。谷口はマウンドに上り、軽くスパイクで足元を均す。三メートルも縮めると、まるで至近距離の感覚だ。

 倉橋は準備を終えると、すぐに屈んでミットを構えた。

「よし。いつでも来い」

「おうよっ」

 ボールを握り、投球動作へと移りかけたが、ふと思い至り手を下ろす。

「どうした?」

「さ、最初は……軽くいこうか」

 気遣ったつもりだったが、倉橋に「ばかいえ」と突っ返される。

「んなコトしてたら、日が暮れちまうわ。何年キャッチャーやってると思ってんだ。肩ができてるのなら、すぐ全力で投げろ」

「わ、分かったよ」

 谷口は振りかぶり、全力の真っすぐを投じた。それを二球、三球と繰り返す。ズバン、ズバン……と迫力ある音が鳴る。

 ホームベース横で素振りしていた丸井が、「ひゃあっ」と感嘆の声を発した。

「さっすが倉橋さん。こんな近くでも、カンタンに捕っちゃうんですね」

「おい、ずいぶん気楽そうに言ってくれるな」

 倉橋は苦笑いした。

「こちとら一球一球、必死よ。ただでさえ谷口のやつ、最近またスピードが増してきてるからな。このまえ肘を傷めて、一時ボールを放らなかったのが、かえって幸いしたらしい」

「なるほど、ケガの功名ってやつスね」

 呑気に返事した丸井だったが、ひとたび打席に立つと、やはり真剣な面構えになる。

「お願いします!」

 挑むような眼差しが、なんとも頼もしい。

 谷口はまたも全力で、ど真ん中へ速球を投じた。丸井のバットが回り、パシッと快音が響く。ライナー性の打球がセンター方向へ飛ぶ。

 さすがレギュラーの一番打者だな、と胸の内につぶやく。特訓二日目にして、もうスピードに目が慣れてきている。

「当てにいってるぞ」

 それでも、谷口はあえて注文を付けた。

「バットは振り抜け。真っすぐだと分かっているからミートできるが、変化球も混ぜられたら、このスイングじゃ対応できないぞ」

「はいっ」

 丸井はめげる様子もなく、再びバットを構える。二球目も、ど真ん中の速球。今度は、速いゴロが三塁方向へ飛んだ。

「あちゃあ、引っかけちまったい」

 唇を歪める後輩に、谷口は「悪くないぞ」と声を掛けた。

「へっ、そうなんですか?」

「うむ。たしかに引っかけたが、打球はいまの方が速かったろう。これが試合なら、三遊間を破っていたさ。しっかり振り抜けた証拠だ」

「ありがとうございます。ただ……いまのは打つポイントがまえすぎたので、もっと引きつけてみますね」

「いいぞ丸井。そうやって調整していけば、だんだんタイミングが分かってくる」

 しかし三球目、四球目は振り遅れてしまい、小フライとなった。球拾いに回っていた横井が、難なく捕球する。

「イテテ……ちょっとでもタイミングがずれると、こうなっちゃうんだから」

 痺れる手を振りながら、丸井が悔しげに空を仰ぐ。

「始めはそんなものさ。ほれ、どんどんいくぞ」

 後輩を励まし、谷口はまた振りかぶる。

 それから六球。丸井は、振り遅れたり引っ掛けたりを繰り返し、なかなか思うようなバッティングができずにいた。

「……よし。ラスト一球」

「えっもう、終わりですか」

 丸井は驚いた声を発した。

「なに。一人十球だから、またすぐ順番が回ってくるさ」

 そう言って、谷口はすぐに十球目の投球動作へと移る。丸井がバットを振り抜く。

 バシッ。鋭いライナーが、センター方向へ伸びていく。外野の島田が懸命に背走し、飛び付くが、その数メートル先でバウンドした。フェンスに当たって跳ね返る。

「ナイスバッティング!」

 褒めると、丸井は照れた顔になる。

「いやぁ。たった一本じゃ、まだまだですよ」

「む、その意気だ」

 この後、他のメンバーも交替ずつ打席に立った。さすがにレギュラーなだけあって、始めの数球こそ手こずるものの、段々とヒット性の当たりが増えていく。次回からは、コースに投げ分けたり変化球を混ぜたりして、もう少し難易度を上げても良さそうだ。

 視線をグラウンドの奥へと移す。ちょうど、松川がカーブを投じたところだった。打席には、一年生の岡村が立つ。そのバットが、あっけなく空を切る。

 谷口は、ひそかに溜息をついた。

「岡村、おまえも外れてろ」

 松川に怒鳴られ、岡村は肩を竦めた。そして、すごすごとキャッチャーの背後へ下がり、素振りを始める。バッティングから外されたのは、これで四人目のようだ。

 岡村は代走か、守備固めかな。肩といい脚といい、持っている能力はすばらしいが、いかんせん変化球に弱すぎる。当てるのがやっとじゃ、レギュラーは厳しいぞ……

 実力者揃いの一年生だが、こと変化球への対応という点で、バラつきが目立つ。イガラシや久保、井口のようにさほど苦にしない者と、そうでない者との差が開き始めている。概ね順調なチーム作りにおいて、数少ない誤算の一つだった。

「お願いします」

 イガラシが打席に入り、軽く会釈する。

「む。いくぞっ」

 一声掛け、谷口はさっきまでと同様に、ど真ん中へ速球を投じる。イガラシが鋭くバットを振り抜いた。

 ドンッ。まるで閃光のような打球が、ノーバウンドで外野フェンスを直撃する。

 二球目、三球目と続けるが、結果は同じだった。いずれもフェンスの一番深い場所へ打球が飛んでいく。

「す、すげぇな」

 マウンドの数メートル後方で、横井が目を丸くした。

「あいつ、まるで一年の時の谷口を見ているようだぜ」

「そ、そうだっけ」

 当人に視線を戻すと、涼しい顔で足元を均している。

「イガラシ。ちょっと」

 呼んでみると、相手は「はい?」とまなじりを上げた。

「どうも、おまえにはカンタンすぎるようだ。もっとコースに散らしていいか」

「あ……そうですね。お願いします」

 投球動作に移ろうとした時、ふいに「キャプテン」と呼ばれる。

「どうした?」

「できれば、スローボールも混ぜてもらえますか」

 ほぉ……と、思わず吐息をつく。面白い提案だと思った。

「なるほど。緩急をつけられても、ちゃんと対応できるようにってことか」

「ええ、泳いだり振り遅れたりしないように」

 谷口は振りかぶり、早速スローボールを投じた。

「……くっ」

 さすがにイガラシは体勢を崩したが、それでもバットで掬うようにして、センター方向へ打ち返す。ボールは島田の前で、ワンバウンドした。

「ほう。よく最後まで、バットを残したな」

 倉橋が感心げに言うと、イガラシは首を横に振る。

「いえ……こんなに体勢を崩されちゃ、ダメです」

 その返答に、倉橋は「言うねこいつ」とでも言いたげに、谷口と目を見合わせる。

 続く五球目は、一転して速球を内角高めに投じた。これは僅かにずれ、ファールボールがバックネットに当たる。

「スイングは悪くない。あとは、タイミングだな」

 一言だけアドバイスすると、イガラシは「はい」とうなずいた。

 六球目と七球目は、内外角の低めを突く。これはきっちり捉えて、それぞれレフト線とライト線へ低いライナーを弾き返した。

「ううむ。これだと、いい内野手には捕られちゃうな」

 本人は満足できないらしく、一旦打席を外し二、三度素振りする。

 このイガラシに加え、井口そして久保。中学時代より馴染みの者が、練習試合や紅白戦で結果を残し、レギュラーを手中に収めつつある。

 経験って大きいのだなと、谷口は納得した。イガラシ達は、中学の地区予選決勝や全国大会で、力のある投手としのぎを削ってきている。他の一年生に足りないのは、まさにその部分だ。こればかりは、今すぐどうにかできるものではない。

「よし、あと三球だ」

 そう言って、谷口は再びスローボールを投じる。

 イガラシは、体勢を崩さず振り抜いた。今度はレフト方向へ、ボールが伸びていく。そして、またもダイレクトでフェンスを直撃する。

「へへっ。いまのは、ちゃんと振り抜けたぞ」

 やっと満足げに笑い、イガラシはすぐにバットを構える。

 ラスト二球は、速球とスローボールを投じた。いずれもジャストミートされる。一球はセンター、もう一球はライトのフェンスを直撃した。

「あれまぁ、けっきょく同じでねぇの」

 横井があんぐり口を開け、呆れたように笑う。

「さすがだな。もう、タイミングをつかんだのか」

 谷口は、微笑んで言った。

「い、いえ……その」

 グラブを拾い上げると、なぜかイガラシが気まずそうな顔になる。

「なんだよヘンな顔して」

「言いにくいんですけど。なに投げるか、フォームで丸分かりでした」

 後輩の一言に、思わず「あらっ」とずっこける。

「それより、あれ……だいじょうぶスかね?」

 イガラシは冷静な口調で、グラウンド奥を指差す。

「……ああ、マズイな」

 控え組を見ると、素振りメンバーが五人に増えてしまっていた。つい溜息が漏れる。

「なぁ谷口」

 倉橋がマスクを取り、立ち上がった。

「いま素振りしてるやつら、こっちに呼んだらどうだ。まずスピードに慣れさせて、真っすぐだけでも打てるようにするのが、早いかもしんねぇぞ」

「む、そうするか」

 首肯すると、イガラシが「ぼく呼んできます」と気を利かせる。

「ああ頼む。ついでに、しばらく控え組に混じって、ちょっとアドバイスしてやってくれ」

 後輩は「えっ」と戸惑いの声を発した。

「そんな、悪いですよ。先輩をさしおいて」

「ヘンな遠慮するなよ。おまえらしくもない」

 そう言って、谷口は笑った。

「いつも個人練習の時、みんなイガラシの話を聞きたがるじゃないか。あれと同じように、思ったことを伝えてくれればいい。俺としても、なかなか手が回らないから、その方がたすかる」

「……分かりました。キャプテンが、そう言うのなら」

 イガラシはうなずくと、グラウンド奥へ駆けていく。

「ははぁん、読めたぜ」

 マスクを被り直し、倉橋がおどけた口調で言った。

「な、なんだい倉橋」

「イガラシのリーダー性を見込んで、いまのうちから英才教育してやろうってか」

「まさか。とてもじゃないが、そこまで考える余裕はないさ」

 本心だった。先のことまで見通す余裕は、まったくない。

 昨日、墨高野球部は大きな決断を下した。谷原に勝つため、エース村井の勝負球をあえて狙い、打ち崩すと。そう腹は決まったものの、不安はある。

 しかし、もう引き返すことはできない。

 チームの雰囲気は良い。この様子なら、ナイン達は来るべき決戦の時まで、懸命に取り組んでくれるはず。だからこそ、自分達のやってきたことが間違いではないという確証、それが持てるあと一押しが欲しい。

 初夏の空を仰ぎ、谷口は僅かに首を傾げた。

 

2.名監督登場

 ここは神宮球場より数キロの地点にある、東京都高野連事務局の一室である。

 会長用デスクの手前には、二対の来客用ソファとテーブル。壁付けのショーケースには、優勝旗や記念盾、賞状等が所狭しと並べられている。

 

 ファイルを積んだデスクに向かい、東京都高野連会長・大田原は、しばし瞑目していた。傍らでは、若い男性職員が受話器を片手に、相手方と話し込んでいる。

「……はぁ、ダメ。ご都合がつかないと。わ、分かりました」

 受話器を置き、職員は溜息をつく。

「か、会長。明善高さんも、招待野球には出られないとのことです」

「むう……いよいよ、これは由々しき事態ではないか」

 口元の白髭をひと撫でして、大田原は唸る。

「きみぃ、分かってるのかね。これは伝統ある都高野連の、名誉に関わるのだぞ。広陽と西将学園、いずれも有名校だ。こっちから招待しておいて、対戦相手が見つかりませんなんて、そんな言い訳通るはずなかろう」

 つい口調がきつくなった。

「そ、それは承知しているのですが」

 職員がしどろもどろになったので、さすがに気の毒になる。

「ああスマン。君を責めるのは筋違いだったね……しかし、話がちがいすぎる。前任者は、各校関係者から首尾よく返事がもらえたと言っていたが」

 大田原は、前年まで全国中学野球連盟の委員長を務めており、高野連に携わるのは今年度からである。その最初の大仕事が、この年からスタートする招待野球の実施だったが、いきなり暗礁に乗り上げてしまった。

「は、はぁ。それは高野連加盟校の責任者による定例会で、各校の指導者の方々から、たしかに『よろこんで出場します』とお約束いただいたのですが」

「書面による確約は、取りつけたのかね?」

 眼鏡越しの鋭い眼光が、職員に向けられる。

「はっ。し、書面ですか」

「わしが連日、なにをしていると思う。加盟校による招待野球出場を承諾する旨の書類をずっと探しているのだが、見当たらんのだ」

「……そ、それは」

「まさか口約束だけで、すませちゃいないだろうね」

「も、申し訳ありません」

 やはり……と、大田原は僧のような頭を抱えた。

「きみぃ。これは、基本だぞ」

 溜息混じりの声になる。

「この頃のアマチュアスポーツには、なんでも勝ちゃいいという風潮がはびこっておる。残念なことだが……われわれは、その現実を踏まえたうえで、事を運ばにゃならんのだよ」

 若い職員は、うなだれて肩を竦めた。

「都のレベルアップを図るために、他府県から有力校を招いて強化試合を行う。たしかに試みとしては、素晴らしい。しかし……目先の勝ちにこだわる学校は、偵察されるのを恐れて、とくにこの時期は出たがらないものだよ」

「な、なるほど」

「聞くところによれば、学校によってはメディアの取材さえ、断るところもあるそうだ。まったく嘆かわしいかぎりだが……しかし、グチってもいられない。こちらには、招待した側としての責任があるのだから」

 そう言って、大田原は立ち上がる。

「出かける。君は、車を回してくれたまえ」

「え……会長、どちらへ?」

「決まっておろう。谷原以外の、都内有力校へ順々に出向く。こうなったら、わしが直々に頭を下げるしかあるまい」

 その時、扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 仕方なく、大田原は一旦椅子に腰掛ける。

「失礼します」

 扉が開き、女性職員が顔をのぞかせる。こちらも若い。

「会長、あの……西将学園の中岡監督が、お見えになっています」

「なにぃっ。せ、西将の」

 よりによって……と、大田原は眉間にしわを寄せた。西将学園は、来る日曜日に試合する予定だ。その表敬訪問だろうが、まさか相手が決まっていないとは言えない。

「じ、事前に連絡は受けとらんが。いま立て込んでいると伝えてくれんかのう」

 大田原が苦しい言い訳をすると、扉の奥から快活な声が聴こえてきた。

「そうカタイことおっしゃらないでくださいよ」

 紺のスーツに眼鏡を掛けた、いかにもインテリ然とした男が姿を現す。

「大田原先生、ご無沙汰しております」

 その男、西将学園野球部監督・中岡は、思わぬ言葉を発した。

「む……ああ、きっ君は」

 相手の面影に、見覚えがあった。

「な、中岡君じゃないか」

「やっと思い出していただけましたか」

 中岡は、大田原が中学校で指導していた頃の、教え子だった。

「いやぁ……あの頃はひょろっとして、目立たない子だったからな。いまと、まったく雰囲気がちがっておる」

「ははっ、懐かしいなぁ。同期のやつらに、よくモヤシだとからかわれたものです」

「しかし……わしもウカツだったよ。いまや天下の名将・中岡監督が、あの中岡君だと、いまのいままで気づかなんだ」

「よしてくださいよ。私など、まだまだです」

「なにを言うとるかね。今回の優勝で、もう春夏合わせて三度目だったろう。西将の名は、いまや全国に轟いておろう」

「ははっ恐れ入ります。お褒めの言葉、ありがたく受け取りますよ」

 中岡を来客用のソファに座らせ、大田原も真向かいに腰を下ろした。ほどなく、女性職員が二人分の茶を運んでくる。

 椀の茶を一口すすり、中岡は「ところで先生」と切り出した。

「まだ我々の相手がどこか、連絡をいただけていないのですが」

 大田原は、あやうく茶を吹きそうになる。

「そ、それについては……明後日に連絡する予定なんだが」

「おやおや。先生にしては、歯切れがよろしくありませんね」

「そうかね? まあ、わしも年を取ったもんでな」

「先生……この期に及んで、隠し事はナシですよ。先生と私の仲じゃありませんか」

 ふふっ、と中岡は含み笑いを漏らした。

「おおかた招待野球への出場を、有力校に渋られているのでしょう」

 ずばり言い当てられ、露骨なほど咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……う、うむ」

 もはや観念するほかない。大田原は、潔く認めることにした。

「君の言うとおりだ。中岡君、申し訳ない」

 テーブルに両手をつき、深く頭を下げる。

「いや、先生どうか気に病まないでください。なにせ初めての取り組みですから、いろいろ調整が難しいだろうというのは、想像つきますよ」

「ありがとう中岡君。しかし、こちらの手落ちであることに変わりない。もちろん君達には、けっして迷惑をかけないと約束する」

 ふと見ると、男性職員が大田原の斜め後方で、物言いたげな顔をしている。

「どうしたのかね?」

「じつは、その……まだシード校で連絡していないチームがありまして」

「な、なんじゃとっ」

 つい語気が強くなり、咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……か、かまうな。それでどこの学校だね」

「し、しかし……そこは甲子園に出たことがなく、部員数も二十名ちょっとだけです。そんなチームを、西将学園さんのような名門校に当てるのは、失礼ではないかと」

 その時、中岡が「ひょっとして」と割り込んでくる。

「墨谷、という学校じゃありませんか?」

 大田原と職員は、同時に目を向ける。

「中岡君。どうして、墨谷のことを」

「ははっ先生、我々を見くびってもらっちゃ困りますな。知ってのとおり、うちは全国優勝を期待されるチームです。甲子園でライバルになりそうな他地区の動向は、常にチェックを怠りませんよ」

「な、なるほど」

「それと……じつは午前中、何校かあいさつ回りをさせていただきましてね。時期柄、やはり地区予選の展望についての話題になりましたよ」

「では、その時に聞いたのだね?」

「ええ。各校の指導者は、口を揃えて“ダークホースは墨谷”とおっしゃっていました。うちと春の甲子園で戦った、谷原の監督さんに至っては、『底知れぬ可能性を秘めたチーム』だと評しておられましたよ」

 ふと大田原の脳裏に、予感めいたものが閃く。

「君。わしのデスクに、選手名簿のファイルはあるかね?」

「は、はぁ……こちらに」

 職員に手渡されたファイルをめくり、墨谷の頁を開く。そして、大田原は「ほうっ」と声を発した。

 名簿の一番上に、懐かしい名前があった――「キャプテン・谷口タカオ」と。

 やはりあの子か……と、胸の内につぶやく。かつて新聞記者とともに自分を訪ねてきた、純朴そうな少年の顔が浮かぶ。

「おや。谷口タカオ君といえば、あの墨谷二中の元キャプテンじゃありませんか」

 中岡がファイルを覗き込んでくる。

「知っているのかね?」

 大田原は驚いて、問い返した。

「もちろんですとも。三年前でしたか……青葉の不正に端を発した、中学選手権の決勝戦再試合。当時かなりニュースになっていましたから。それが先生のご英断によるものということも、ちゃんと耳にしていますよ」

 愉快そうに、中岡が答える。

「それと、うちにも青葉学院出身の子が、何人かいましてね。なにせ前代未聞の出来事で、さらに試合も激闘だったからか、未だに語り草となっているのですよ」

 傍らで、職員が「どういたしましょう」と尋ねてくる。

「やはり、ここは墨谷に」

「待ちたまえ。いくらわしと縁があるからといって、だから墨谷をあてがうというのは、さすがに安易じゃぞ」

 早まる職員を、大田原は制した。

「君が案じていたように、墨谷はまだ力量不足だ。あまりに一方的な試合となってしまっては、招待する側として失礼だからな」

「ハハハッ」

 ふいに中岡が、高笑いする。

「先生、そんなことを心配しておられたのですか」

「ど、どういう意味だね?」

「ここ数年、われわれと互角に戦えたのは、強打の谷原と試合巧者の箕輪だけです。それ以外のどこが出て来ようが、大して結果はちがわないと思いますよ」

 傲岸な言葉だが、大田原は何も言い返せない。けっして思い上がりではなく、それは事実だからだ。

 中岡は、ちらっと腕時計に目をやり、立ち上がった。

「さて、少々長居しすぎたようです。この後も予定がありますので……そろそろ」

 こう告げて、両手を差し出す。

「うむ。君も、さらなる活躍を期待しているよ」

 大田原も立ち上がり、元教え子と固く握手を交わす。

「はっ。では先生、お元気で」

 中岡を見送った後、大田原は一旦自分の席に戻る。しばし瞑目して、考え込む。束の間の沈黙。時計のカチカチという音だけが、静かに響く。

 やがて大田原は目を見開く。職員に顔を向け、短く伝えた。

「……きみ。電話を、墨谷にたのむ」

 

 シートバッティングの後、谷口はナイン達に素振り百回を命じた。円の隊形になり、お互いバットが当たらないよう約五メートルずつ感覚を空ける。

「みんな、ただ漫然と振るんじゃないぞっ」

 自分もバットを振りながら、全体に指示していく。

「どのボールをねらうのか。あるいはランナーがどこにいて、カウントはいくつなのか。そういう具体的な状況をイメージするんだ」

 ナイン達は、力強く「はいっ」と応えた。

 ふと斜め前方に目をやると、井口がブツブツとつぶやきながら、バットを振っている。どうやら高め、低め、内外角とコースを打ち分けているようだ。

「おい井口」

 谷口が一声掛けると、井口は「はっ」と驚いた顔になる。

「な、なんでしょう」

「いまどんなことを考えてたか、教えてくれ」

「ああ……そ、それは」

 やや戸惑いながらも、井口は答えた。

「ノーアウト一塁で、ヒットエンドラン。それが相手に読まれたっていう場面です」

「……ほう。続けてくれ」

「はい。なので高めに外されたタマを、上から引っぱたく。もしくは低めに落とされたのを、なんとか転がす」

「なるほど、いいぞ井口。かなり実戦をイメージできてるじゃないか」

「ど、どうも」

 照れた顔で、井口はうつむき加減になる。褒められるとは思わなかったらしい。

「ただ……控え組のやつら、おまえらには早いからな」

 倉橋が、そう釘を刺した。

「おまえらは、真っすぐをコースにさからわず、打ち返すことをイメージしろ。腰を入れて、手打ちにならないようにな」

「倉橋の言うとおりだ」

 素振りの手を止め、谷口は同意した。

「物事には、順序ってものがある。焦ってアレコレやっても身につかない。まず自分にできること、すべきことを確実にこなすんだ。けっきょく、それが上達の早道だぞ」

 控え組の一年生達が、素直に「はい」「分かりました」と返事する。

 その時、遠くから「オオイ」と呼ぶ声がした。グラウンドを囲む金網フェンスの向こうから、こちらに駆けてくる影がある。田所だと、すぐに分かった。

 ナイン達の数メートル近くまで来ると、田所は膝に手をつき「あ、あのよ……」と息切れ声を発した。

「息を整えてからでだいじょうぶですよ」

 谷口は、つい苦笑いしてしまう。

「す、すまねぇな……ゼイゼイ」

「そうそう。介抱させられちゃ、かないませんのでね」

 後方で、横井がおどけて言った。怒鳴り返すかと思いきや、田所は「それどころじゃねぇやい」と取り合わない。

 よほど大事な話なのだろうと察して、谷口はナイン達を集めた。バットはベンチの上に並べてさせ、それから小さく円座になるよう指示する。

 呼吸が落ち着くと、田所は切迫した口調で切り出した。

「あ、あのよ……さっき部長と会って、伝言をたのまれたんだ。おまえら急な話で、きっと驚くだろうが、落ち着いて聞いてくれ」

 そこで一呼吸置き、短く告げる。

「ほんの十五分ほど前、高野連から電話があったそうだ。つぎの日曜日……招待野球に、ぜひとも墨谷に出場してもらいたいと」

 途端、ナイン達からどよめきが起こる。

「そ……それは、ほんとうですか?」

 顔が引きつってしまう。谷口自身、にわかには信じられない気持ちだった。

「き、キャプテン!」

 ふいに半田が、すっとんきょうな声を発した。

「つぎの日曜日といったら、相手は……まさか」

「えっ、ああ。そういえば」

 再び田所に顔を向けると、相手はゆっくりとうなずく。

「その、まさかだぜ。相手は、なんと……あの西将学園だ!」

 周囲がもう一度、大きくどよめいた。

 

 

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