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第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻
1.松川の気迫
大飛球が、レフト頭上を襲う。
代わったばかりの戸室が、懸命にバックする。とうとう背中がフェンスに付いた。ボールが落ちてくる。
「……くっ」
左腕をめいっぱい伸ばす。差し出したグラブの先端に、ボールが引っ掛かる。
「あ、アウト!」
三塁塁審が、右拳を高く上げた。
すかさず西将の二塁と三塁のランナーが、同時にタッチアップする。戸室は助走を付け、中継の横井に送球した。この間、三塁ランナーに生還を許す。
外野スタンドから、拍手が起こった。
「すげぇっ。満塁ホームランをもぎ取りやがった」
「よく捕ったぞレフト!」
「あきらめるなよ墨谷。まだチャンスはあるぞっ」
横井からの返球を捕り、谷口は「ナイスガッツよ戸室!」と声を掛けた。そしてボールを持ったまま、マウンドへと駆け寄る。
こちらの顔を見ると、松川は「スミマセン」と頭を下げた。
「低めをねらったんですが、浮いちゃいました」
「分かってるならいいんだ」
谷口は微笑みかけ、ボールを手渡す。
「それより、いま腕をしっかり振れてたろ。球威があった分、フェンスオーバーはされなかった。だいぶ真っすぐにチカラついてきたじゃないか」
「いや……それでも、点取られちゃったので」
朴訥とした口調で言うと、目を見上げる。
「つぎは外野にまで、飛ばさせません」
へぇ、と谷口は驚かされた。
松川の口から、ここまで強気の言葉を聴くのは、おそらく初めてのことだ。思えばこの半月ばかり、彼はどこか雰囲気が変わりつつある。
「む。たのむぞ松川」
そう励ますと、松川は低い声で「はい」と返事した。
―― 二番ショート、田中君。
打順は上位に回っていた。この田中は何でもできる巧打者だが、さらに長打もある。前進守備を敷きたいが、強攻されると間を破られそうなので、通常の守備隊形を選ぶ。
コンッ。ちょうど三塁線とマウンドの中間に、スクイズバントの打球が転がった。西将のランナーが、躊躇いなくスタートを切る。
「まかせろっ!」
松川がマウンドを駆け下り、滑らかなフィールディングで捕球した。しかしホームは間に合わない。すかさず一塁へ送球する。打者は駿足だったが、間一髪アウト。
「オーケー。いい判断だぞ、松川」
声を掛けると、倉橋も同調した。
「ああ、無理することはない。いまはアウトカウントを増やそう」
先輩二人の言葉に、松川は渋い顔ながらうなずく。
―― 三番ファースト、椿原君
鈍い音が響いた。バットが折れたらしく、木屑が飛び散る。こちらも強打者の椿原が、痛そうに左手を振りながら、一塁へと駆け出す。
「し、しもた……」
高いフライが、三塁側ファールグラウンドに上がっていた。谷口はすぐに落下点へと入り、ベンチの数メートル手前で捕球する。
「アウト、チェンジ!」
三塁塁審のコール。やや疲れた足取りで、墨高ナインはベンチへ向かう。
松川に、またも驚かされる。球質が重いことは知っていたが、西将のバッターが力負けするほどの威力だとは思わなかった。
す、スゴイな。いまのは椿原が、ボール気味のタマを無造作に打ってくれたとはいえ、まさかバットをへし折るなんて。
そういえば……と、谷口は思い出す。
この頃、松川は遅くまで投げ込みしたり、フォームを修正したりして、ずっと地道な努力を続けてきたんだったな。その成果が、だんだん実を結び始めたか。
ファールラインを踏み越えたところで、ふと後方を振り返る。スコアボードの五回表と六回表の枠に、こちらの失点を示す「3」が並んでいる。
二対六。けっきょく四点差、つけられちゃったか。あのピッチャーを相手にして、やはり四点は重いな。でもみんな、それぞれ力を出してくれている。結果はどうあれ、最後まで喰らいついていくんだ。
「おい谷口。みんな待ってるぞ」
その時、倉橋の声に呼ばれた。視線を向けると、他のナイン達が三塁側ベンチ手前で、すでに円陣を組んでいる。
「……あ、スマン」
輪に加わった時、谷口はあることに気付いた。
「……あれ、井口は?」
つい十分ほど前、青ざめた顔でベンチへ下がっていく姿を、見送ったばかりだ。満足にフォローもできなかったので、気に掛かっていた。
「やつなら、心配いりませんよ」
鈴木がそう言って、ベンチ横を指差す。
「え……な、なにしてんだ」
なんと井口はブルペンにいた。向かい側に、同学年の平山を座らせ、投球練習を行っている。隣には片瀬と根岸、さらにイガラシも付き添う。
「帰ってきてしばらくは、おとなしくしてたんスけどね。松川の力投に、いてもたってもいられらくなっちゃったみたいで。カーブを練習してきます、だって」
愉快そうに述べる鈴木を、丸井がじろっと横目で睨む。
「こら鈴木、感心してる場合かよ。あれだけ後輩が台頭してきてるんだ。てめぇも負けないように、隠れて練習するくらいじゃなきゃダメじゃないのか」
向かい側で、倉橋が「うむ。そうだな」と首肯する。
「いまからでも、素振りとかしてきたらどうだ。たしかバットが一本余ってたろ」
「は、はいっ」
鈴木はそそくさと輪を抜け、一旦ベンチに引っ込む。やがてバットを探し出すと、それを持ってブルペンへ走った。
「ふん。あのノンビリ屋め」
丸井の一言に、くすくすと周囲から笑いがこぼれる。
「ま……彼のがんばりには、これから期待するとして」
一つ咳払いをして、谷口は話を始める。
「このとおり、厳しい展開だ。さすが甲子園優勝校と言うほかないよな」
ナイン達は苦笑いした。それでも皆黙って、真剣に耳を傾けている。
「でも……われわれだって、無抵抗だったわけじゃない」
谷口は、力を込めて言った。
「少ないながらチャンスを作り、何度もピンチをしのいできた。どんな状況でもあきらめずに戦う。今日まで作り上げてきた墨高の野球が、あの西将を相手にできているんだ。これを最後まで貫こう」
やや声を潜めて、さらに付け加える。
「さっきイガラシにかき回されて……あのピッチャー、少し制球を乱してた。どうも揺さぶられると、過剰に意識してしまうクセがあるようだ」
あっ……と、ナイン達が目を丸くした。
「だから、少しでも喰らいついていこう。そうすればチャンスも出てくるぞ」
谷口は、語気を強めた。
2.意地の一振り
キャプテン谷口の励ましに応え、墨高ナインは必死の抵抗を見せた。
リリーフの松川が、七回も力投し無失点で切り抜けると、八回からは谷口が登板。西将の強力打線にピンチは作られるも、バックの再三の好守と、谷口の緩急を使った巧みなピッチングにより、またも得点は許さず。終盤の三イニングをなんと零封したのだった。
しかし……竹田と高山の西将バッテリーは、やはり難攻不落である。
快速球に加え、多彩な変化球。なんとか喰らいつこうとするナイン達だったが、回を追うごとに当てることすら、ままならなくなっていった。
そして――試合は二対六のまま、ついに九回裏を迎える。
先頭の丸井と続く島田は、いずれも追い込まれてから粘ったものの、最後はフォークボールで三振に仕留められた。
ツーアウト、ランナーなし。墨高はとうとう追いつめられる。
―― 四番キャッチャー、倉橋君。
ネクストバッターズサークルに、谷口は控える。マスコットバットで素振りしながら、倉橋の打席を見守った。
チッ。辛うじてバットに当てた打球が、バックネットへ転がっていく。
「くそっ、振り遅れちまった」
倉橋は一旦打席を外し、軽く左手を振る。どうやら痺れたらしい。
「ドウモ」
会釈して打席に戻ると、バットの握りをさらに短くした。
「ふふん。そんな持ち方で、打ち返せるのかいな」
高山が揶揄してきたが、倉橋は無視した。
二球目。露骨にアウトコースへ投じてきた速球を、踏み込んで狙い打つ。ところが力負けしてしまい、一塁側ファールグラウンドへ打球が上がる。
「し、しまった……」
倉橋が顔を歪めた。しかしフライが風に流され、スタンドに落ちる。
「ファール!」
一塁塁審のコールに、打者は「あぶねぇ」と吐息をつく。
「おたく、命拾いしたな」
マスクを被りながら、高山がまた挑発してくる。
「ねらってくると思うとったで。ま……たとえねらわれても、竹田のタマはそう容易に打てないからな」
「あ、そう。大した自信だこと」
打者は軽く受け流し、さっきと同様にバットを構える。
いいぞ倉橋。高山のちょっかいに、少しも惑わされてない。ちゃんと集中を保って、ねらいダマを見定めてる。
ただ……と、谷口はひそかに溜息をつく。
これでツーストライク、追い込まれちゃったな。そうなると向こうのバッテリーは、きっとフォークを投げてくる。ほかのボールも厄介だが、あれはちょっと別格だ。いくら倉橋でも、さすがに厳しいだろう。
そして三球目。竹田は、やはりフォークを投じてきた。
倉橋は一瞬バットを出しかけるが、寸前で止める。内角を突いたボールが、倉橋の足元でワンバウンドした。
アンパイアが立ち上がり、パチンと膝を打つジェスチャーをした。そして一塁を指差し、やや甲高い声で告げる。
「デッドボール!」
死球の判定に、僅かながらスタンドがざわめく。
「こ、こら竹田。ねらいすぎやで」
高山がマスクを取り、苦笑いした。その傍らで、倉橋は「やれやれ」とつぶやき、小走りで一塁へと向かう。ベースを踏むと、こちらに顔を向ける。
「よく見たぞ倉橋!」
声を掛けると、相手は渋い顔で「おう」と返事した。
「つぎはフォークと踏んでたんだ。イチかバチかだったが、見逃せばボールだと思って、振らないことにしたんだ。あやうく手が出そうになったがな」
そうだ、思いきりだ……と、谷口は自分に言い聞かせる。危険を承知のうえで、迷いなくプレーする。それを学ぶための戦いが、今日の試合なのだ。
―― 五番ピッチャー、谷口君。
アナウンスを聴き、打席へと入る。一度深呼吸し肩を上下させ、力を抜く。それから速球に備えるため、やはりバットの握りを短くした。
横目で、ちらっと高山を見やる。何か言ってくるかと思ったが、意外にも今度は、こちらに目もくれず。代わりに、マウンド上の竹田へ声を掛ける。
「おい竹田。ここまで来たんだ、もうバッターのことは考えなくてええぞ。投げ込みのつもりで、あと三球、おまえのベストボールを見せてくれや」
へぇ、うまい言い方だな。投げ込みのつもりで、ベストボールを……か。たしかに、これだけのタマを投げられるピッチャーなのだから、バッターより投げることに集中させるのも、一つのテではあるな。
他人事のように思った後、つい含み笑いが漏れた。
でも……わざわざ口にするってことは、やはりこういう場面で、竹田は力んでしまうクセがあるんだ。倉橋にツーナッシングから、死球を与えたくらいだからな。焦りというより、たぶんきれいに終わらせようとしすぎなんだろう。
初球。おそらく引っ掛かったのだろう、ホームベース手前でバウンドする。高山が両肩を回し「ラクに」と合図した。
おや、と谷口は気付く。
いまのボール、あまり力がなかったな。力むとうまく指にかからなくて、こういうタマを投げちゃうんだ。ここに来て、やっと彼の弱点が見えてきたぞ。
「うーん。たまに、変なタマ投げてきよる」
高山がおどけた声を発した。
「つぎ、もし顔とかにきたら……カンニンな。ちゃんとよけるんやで」
脅しているのだと、すぐに察した。
「だいじょうぶだよ」
微笑んで、谷口は答えた。
「うちの野球部、至近距離でノックとかよくやるし」
事実を答えただけなのだが、高山は「おっかな」と顔をしかめる。
谷口がバットを構えると、キャッチャーもようやく屈み込んだ。サインを交換すると、マウンド上の竹田が投球動作へと移る。
アウトコース高めに、抜けダマがきた。
やはり力がない。高山が慌てた様子で、腰を浮かせミットの左手を伸ばす。明かなボール球だったが、谷口はこれを強振した。
「……くわっ!」
パシッ。打球は、ライト頭上へ舞い上がる。上がりすぎたかと一瞬思ったが、西将の右翼手がじりじりと後退し、とうとう背中が外野フェンスに付く。
ボールは、そのままスタンドへと吸い込まれた。ツーランホームラン。
「や、やった」
小走りにダイヤモンドを回りながら、谷口はぐっと右拳を握り込んだ。
土壇場に飛び出した一発。内外野のスタンドは、大いに沸き上がる。
「す、すげぇ。西将のエースからホームラン打っちゃうなんて」
「墨谷って、こんなに強いのかよ。初めてシードされたばかりなんだろ」
「それより二点差だ。こりゃ、まだ分からんぞ」
観客のそんな声が聴こえてきた。どよめきは、やがて拍手へと変わっていく。
「……けっ、判官贔屓もええとこやで。こんなん焼け石に水やないか」
高山がぼやくと、竹田は「そうだな。ははっ」と笑い声を上げた。
「こら、そこのエース」
すかさず突っ込みを入れる。
「打たれといて、笑うとる場合か。なんやあの力のないタマは」
「わ、わりぃ。ちょっと滑っちゃって」
「あたりまえや。足元のロージンは、飾りか?」
竹田は慌ててロージンバックを拾い、指先に馴染ませる。
「ふん、ええクスリになったやろ。もうちょいシャキッとしぃや」
そう言って、ひそかに溜息をつく。
にしても……まさかあの抜けダマを、ねらってくるとは。ランナーを出すと、ああいうボールを投げよる。気にはしてたが、どうせストライクにならへんから、いままで矯正しなかったんや。フツウ、誰もあんなクソボール打たへんし。
くくっ、と思わず笑ってしまう。
けど、考えてみりゃ……わりと合理的やな。いくらボール球でも、力のないタマをねらった方が、ヒットにできる確率は高い。やつらホンマに、僅かでも突破口を見つけたら、強引にでもこじ開けよる。
その時、ウグイス嬢のアナウンスが流れた。
―― 墨谷高校、選手の交代をお知らせ致します。六番の岡村君に代わりまして、根岸君。バッターは、根岸君。
ほう、ここで代打かい。やつらまだ……あきらめてへんってことやな。
わりと大柄なバッターが、右打席に入ってきた。イガラシが負傷した時、連れにきた選手だと気付く。その後は、ずっとブルペン捕手を務めている。
根岸は、白線の内側ぎりぎりに立ち、バスターの構えをした。
こいつ……なんや、その構えと立ち位置は。インコースを投げにくくさせようとしているのか、それとも誘っているのか。あるいはアウトコース一本に絞っているのか。
高山は屈み込み、サインを出した。要求はアウトコースの速球。
何を考えてようが、カンケ―あらへん。ここはもう、竹田のベストボールを引き出すだけや。打てるもんなら打ってみぃ。
マウンド上。竹田はうなずき、投球動作へと移る。ワインドアップから、強く右腕をしならせ、第一球を投じた。
眼前の右打席。根岸は、一転してヒッティングの構え。やはりバスターだ。おっつけるようにバットを差し出す。
ガッ。鈍い音が響くのと同時に、根岸は「くそっ」と唇を噛んだ。
速球の威力に、打者は力負けした。しかし思いのほか伸びる。セカンド平石の頭上を越え、外野の芝へと落ちていく。
「……あ、アウト!」
ボールは、差し出したグラブの先に引っ掛かっていた。三塁塁審が、大きく右手を突き上げる。内外野のスタンドから、安堵と落胆の混じった溜息が漏れた。
招待野球第二試合は、こうして幕を閉じた。
春の甲子園優勝校・西将学園に対し、墨谷は最後まで食い下がるも、あと一歩及ばず。四対六。地力に勝る西将が、墨谷を振り切ったのである。
予想外ともいえる白熱した好勝負に、観客達は胸を打たれる。試合後には、両校のナインに対し、スタンドから惜しみない拍手が送られたのだった。
3.戦いの後で……
三塁側選手控室に、墨高ナインは集まっていた。
ほとんどの者が、すでに着替えを済ませ帰り支度を整えている。試合後にも関わらず、疲れているのか敗戦の悔しさなのか、口を開く者は少ない。
「……お待たせしました」
通路へ出るドアが開き、イガラシが医務室から戻ってくる。負傷した直後、一度手当てを受けているが、念のため試合後にも行かせていた。
「おう。どうだった?」
キャッチャー用具をまとめながら、倉橋が尋ねる。
「倉橋さんの言ったとおりでした」
包帯の左手を掲げ、イガラシは苦笑いした。
「打ぼくと軽いねんざだと言われました。いまは、かなり腫れていますけど。夏の大会には、なんとか間に合いそうです」
谷口は、胸を撫で下ろした。周囲からも安堵の吐息が漏れる。
「……おまえってやつは。ほんとに、ムチャしやがって」
傍らで、倉橋が「まったくだぜ」と首肯する。
「イガラシ。あまり谷口のマネばかり、すんじゃねぇぞ」
「あっ」
ついずっこけてしまう。ぷぷっと、数人が吹き出した。しばし重かったナイン達の雰囲気に、ほんの少し明るさが戻る。
「ところでイガラシ」
ちょうど着替え終えた丸井が、声を掛ける。
「向こうの高山ってキャッチャーに、なんで突っかかっていったんだ。アタマにきてるふうでもなかったし。なにか意図でもあったのか?」
「ははっ。さすが丸井さん、気づいてましたか」
イガラシは、笑って返答した。
「おしゃべりな人でしたからね。うまくノセておけば、ぽろっと谷原の弱点とか、口にしてくれるんじゃないかと」
「そ、そうかっ。やつら甲子園で、あの谷原と戦ってるんだ」
そう言って、丸井はイガラシの左手をつかむ。
「……テッ。ま、丸井さん。左手はちょっと」
「あぁスマン。しかし……いまからでも、遅くないぞ」
「えっ、なにがです?」
「決まってるだろ。あの高山をつかまえて、谷原の攻りゃく法を聞き出すんだよ」
「ううむ……それは、どうでしょう」
後輩は、小さくかぶりを振った。
「あの人が口をすべらせるならともかく、親切に教えてくれるとは思えませんし」
「む。たしかに、意地悪そうな感じだったな」
「それに考えてみりゃ、うちとはチームの特徴も戦力も大きくちがうので。聞いたところで参考にならないんじゃないかと」
よくそこまで頭が回るものだなと、谷口は半ば呆れながらも感心した。もしイガラシが最後まで出場できていたら、今日の結果は違っていただろう。
「なあ丸井。それに、みんなも」
静かに問いかける。
「どう谷原と戦うべきか。それはもう、ほとんど分かってるだろう」
「え……まぁ、そうスね」
はっとしたように、丸井がうなずく。
「今日だって、みんな最後まで、粘り強く戦えたじゃないか。負けたとはいえ当初のテーマは、完遂できた。あとは……どれだけ鍛錬を積めるかだよ」
谷口の言葉に、倉橋が「うむ」と相槌を打つ。
「相手は強かったが、なにもできなかったワケじゃない。井口はよく投げてたし、リリーフの二人も。七回から点はやらなかったしな」
横井が「それによ」と割り込む。
「第一、俺らが谷原用の特訓を始めて、まだ一週間もならないからな。それですぐ、あのクラスのチームを倒そうなんて、虫が良すぎるか」
ええ、とイガラシも首肯する。
「横井さんの言うとおりですよ。正直、思ったよりは渡り合えたので、やり方はあれでいいと思います。及ばなかったのは……けっきょく、まだ練習が足りないんです」
「とくに俺は、竹田の変化球にやられすぎたのが、反省だよ」
バツの悪そうに横井が言うと、戸室が隣で「そりゃ俺もだ」と苦笑いした。
「まぁまぁ。あれは、慣れの問題もありますし」
イガラシはそう言って、ふと何かを考え込むような顔をした。
「あの……学校に帰ったら、ぼくが打撃投手やりましょうか? フォークは投げられないですけど、落ちるシュートとチェンジアップなら」
ええっ、と周囲がどよめく。
「ばか。ケガしてるってのに、なに言ってんだよ」
丸井がたしなめると、イガラシは「なーに」と笑う。
「利き腕じゃないですし、投げるだけならワケないですよ。もちろん打球は捕れませんけど。たしか防御用ネットがあったので、それを使わせてもらえば」
ナイン達のやり取りに、谷口は感嘆の吐息を漏らした。
みんな……す、スゴイじゃないか。負けて悔しがるだけじゃなく、つぎなにをすればいいかまで、自分達で話し合えるなんて。これなら、うちはもっと強くなれる。あの谷原にも、勝てるかもしれないぞ。
「ありがとうイガラシ」
無鉄砲な後輩と目を見合わせ、谷口は一つ咳払いして言った。
「でも、それは俺がやる。なにかあったら困るからな」
「それより井口のランニングにつき合ってくれ。まだウエイトを落とさなきゃならん」
井口が「へっ?」と、間の抜けた声を発した。
「あ、なるほど。分かりました」
イガラシは素直に返事して、口を半開きにしている幼馴染を小突く。
「……テッ」
「なんだよ。その間抜けヅラは」
「俺、西将相手に投げて、疲れてんだぞ」
「だからこそのランニングじゃないか。肩や肘の負担も、気にしなくていいしな」
「うっ。トホホ……」
しょんぼりと井口が下を向く。周囲から、くすくすと笑いがこぼれた。
その時、控室のドアがノックされる。
「どうぞ」
谷口が返事すると、すぐにドアが開く。若い男が姿を現した。
白地のポロシャツに「実行委員会」と記された腕章。どうやら招待野球の運営に携わる球場係員らしい。
「失礼します。キャプテンの谷口君は、きみかい?」
「ええ、そうですが」
「きみにお客さんが来てる。そんなに時間は取らせないので、ちょっといいかな」
「は、はぁ……」
戸惑いながらも、谷口は男に付き添われ、通路に出た。
「監督。墨谷のキャプテン、谷口君をお連れしました」
彼が手をかざした先に、もう一人の立っていた。野球のユニフォームに、ウインドブレーカーを身に纏っている。眼鏡を掛け、いかにもインテリ然とした紳士。
その人物が誰なのか、谷口はすぐに思い当たる。
「あ……さ、さっきはドウモ」
彼こそ西将学園の監督、中岡その人であった。思わぬ敵指揮官との対面に、つい狼狽えてしまう。
「おおっ来てくれたか。休んでいるところ、すまないね」
「いえ、そんな……わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「ハハハ。そう、かしこまることはない。あらためて……中岡です、よろしく」
中岡はそう言って、右手を差し出した。
「たっ谷口です。こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は固く握手した。百戦錬磨の男の手は、意外にも柔らかい。
「さて。あまり時間がないので、急ぎ用件を伝える」
名将は柔らかな表情で、話し始める。
「まずは……この招待野球に参加してくれて、感謝するよ」
「か、感謝ですか?」
やや訝しく思いながらも、谷口は答えた。
「そんな……とんでもありません。ぼくらこそ、貴重な経験になりました」
「ふふっ、すまない。説明不足だったね」
中岡は、にやりとして言った。
「あの……と、おっしゃいますと?」
「きみも知っているだろうが、なかなかうちの相手が決まらなくて、困っていたのだよ。君達が引き受けてくれて、助かったんだ。そればかりか、こんなに良い戦いをしてくれて……おかげで私の恩師が、面目を保てたよ」
「は、はぁ……恩師の方が」
「うむ。ちなみに、きみも知っている人だ」
思わぬ一言に、谷口は目を見開く。
「きみも覚えているだろう」
相手は、愉快そうに告げる。
「昨年まで、全国中学野球連盟の委員長を務めておられた、大田原先生だよ。私は先生の、中学教員時代の生徒でね」
「お、大田原先生って……ああっ」
思わず声を上げていた。
「以前、青葉との再試合を決めた」
数々のトロフィーや賞状の飾られた一室で、自分と新聞記者を出迎えた、あの気難しそうな顔が浮かぶ。
「きみと墨高の活やくを期待している、と先生からの伝言だ。今日の内容を聞いたら、きっと喜んでくれるだろう」
中岡はそう言って、さらに「もう一つ」と付け加える。
「試合の後、観戦に来ていた知り合いの監督達と、何人か会ってね。来週、この近辺まで遠征に来るそうだが、ぜひ練習試合がしたいと言ってたよ」
「えっ、ぼくらとですか?」
こちらの戸惑いをよそに、中岡は一枚の紙を差し出す。
「これがリストだ。お互いの都合もあるだろうから、あとは調整してくれと伝えたよ」
紙を広げると、三つの学校と連絡先が記されていた。その名前に驚かされる。
「あ、あの……ここってもしや、ぜんぶ春の甲子園に出てたトコじゃ」
「うむ。そうだが」
名将は、事もなげに答えた。
「いいんですか? ぼくらが、こんな……」
「なにをうろたえているのかね、いまさら」
可笑しそうに肩を揺する。
「うちとあそこまで渡り合えたのだから、もうコワイものはなかろう」
「ええっ。そ、それは」
帽子を被り直し、名将は穏やかに微笑んだ。
「きみらはもう……どこと戦っても、恥ずかしくない試合ができるはずだよ。じかにやり合った、この私が保障する。自信を持ちたまえ」
そう言って、また右手を差し出す。
「ありがとうございます。ご期待に沿うよう、がんばります」
谷口は深く一礼して、もう一度中岡と握手を交わした。
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