南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第19話「つらぬけ、墨高野球!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

 

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第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻

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1.松川の気迫

 

 大飛球が、レフト頭上を襲う。

 代わったばかりの戸室が、懸命にバックする。とうとう背中がフェンスに付いた。ボールが落ちてくる。

「……くっ」

 左腕をめいっぱい伸ばす。差し出したグラブの先端に、ボールが引っ掛かる。

「あ、アウト!」

 三塁塁審が、右拳を高く上げた。

 すかさず西将の二塁と三塁のランナーが、同時にタッチアップする。戸室は助走を付け、中継の横井に送球した。この間、三塁ランナーに生還を許す。

 外野スタンドから、拍手が起こった。

「すげぇっ。満塁ホームランをもぎ取りやがった」

「よく捕ったぞレフト!」

「あきらめるなよ墨谷。まだチャンスはあるぞっ」

 横井からの返球を捕り、谷口は「ナイスガッツよ戸室!」と声を掛けた。そしてボールを持ったまま、マウンドへと駆け寄る。

 こちらの顔を見ると、松川は「スミマセン」と頭を下げた。

「低めをねらったんですが、浮いちゃいました」

「分かってるならいいんだ」

 谷口は微笑みかけ、ボールを手渡す。

「それより、いま腕をしっかり振れてたろ。球威があった分、フェンスオーバーはされなかった。だいぶ真っすぐにチカラついてきたじゃないか」

「いや……それでも、点取られちゃったので」

 朴訥とした口調で言うと、目を見上げる。

「つぎは外野にまで、飛ばさせません」

 へぇ、と谷口は驚かされた。

 松川の口から、ここまで強気の言葉を聴くのは、おそらく初めてのことだ。思えばこの半月ばかり、彼はどこか雰囲気が変わりつつある。

「む。たのむぞ松川」

 そう励ますと、松川は低い声で「はい」と返事した。

―― 二番ショート、田中君。

 打順は上位に回っていた。この田中は何でもできる巧打者だが、さらに長打もある。前進守備を敷きたいが、強攻されると間を破られそうなので、通常の守備隊形を選ぶ。

 コンッ。ちょうど三塁線とマウンドの中間に、スクイズバントの打球が転がった。西将のランナーが、躊躇いなくスタートを切る。

「まかせろっ!」

 松川がマウンドを駆け下り、滑らかなフィールディングで捕球した。しかしホームは間に合わない。すかさず一塁へ送球する。打者は駿足だったが、間一髪アウト。

「オーケー。いい判断だぞ、松川」

 声を掛けると、倉橋も同調した。

「ああ、無理することはない。いまはアウトカウントを増やそう」

 先輩二人の言葉に、松川は渋い顔ながらうなずく。

―― 三番ファースト、椿原君

 鈍い音が響いた。バットが折れたらしく、木屑が飛び散る。こちらも強打者の椿原が、痛そうに左手を振りながら、一塁へと駆け出す。

「し、しもた……」

 高いフライが、三塁側ファールグラウンドに上がっていた。谷口はすぐに落下点へと入り、ベンチの数メートル手前で捕球する。

「アウト、チェンジ!」

 三塁塁審のコール。やや疲れた足取りで、墨高ナインはベンチへ向かう。

 松川に、またも驚かされる。球質が重いことは知っていたが、西将のバッターが力負けするほどの威力だとは思わなかった。

 す、スゴイな。いまのは椿原が、ボール気味のタマを無造作に打ってくれたとはいえ、まさかバットをへし折るなんて。

 そういえば……と、谷口は思い出す。

 この頃、松川は遅くまで投げ込みしたり、フォームを修正したりして、ずっと地道な努力を続けてきたんだったな。その成果が、だんだん実を結び始めたか。

 ファールラインを踏み越えたところで、ふと後方を振り返る。スコアボードの五回表と六回表の枠に、こちらの失点を示す「3」が並んでいる。

 二対六。けっきょく四点差、つけられちゃったか。あのピッチャーを相手にして、やはり四点は重いな。でもみんな、それぞれ力を出してくれている。結果はどうあれ、最後まで喰らいついていくんだ。

「おい谷口。みんな待ってるぞ」

 その時、倉橋の声に呼ばれた。視線を向けると、他のナイン達が三塁側ベンチ手前で、すでに円陣を組んでいる。

「……あ、スマン」

 輪に加わった時、谷口はあることに気付いた。

「……あれ、井口は?」

 つい十分ほど前、青ざめた顔でベンチへ下がっていく姿を、見送ったばかりだ。満足にフォローもできなかったので、気に掛かっていた。

「やつなら、心配いりませんよ」

 鈴木がそう言って、ベンチ横を指差す。

「え……な、なにしてんだ」

 なんと井口はブルペンにいた。向かい側に、同学年の平山を座らせ、投球練習を行っている。隣には片瀬と根岸、さらにイガラシも付き添う。

「帰ってきてしばらくは、おとなしくしてたんスけどね。松川の力投に、いてもたってもいられらくなっちゃったみたいで。カーブを練習してきます、だって」

 愉快そうに述べる鈴木を、丸井がじろっと横目で睨む。

「こら鈴木、感心してる場合かよ。あれだけ後輩が台頭してきてるんだ。てめぇも負けないように、隠れて練習するくらいじゃなきゃダメじゃないのか」

 向かい側で、倉橋が「うむ。そうだな」と首肯する。

「いまからでも、素振りとかしてきたらどうだ。たしかバットが一本余ってたろ」

「は、はいっ」

 鈴木はそそくさと輪を抜け、一旦ベンチに引っ込む。やがてバットを探し出すと、それを持ってブルペンへ走った。

「ふん。あのノンビリ屋め」

 丸井の一言に、くすくすと周囲から笑いがこぼれる。

「ま……彼のがんばりには、これから期待するとして」

 一つ咳払いをして、谷口は話を始める。

「このとおり、厳しい展開だ。さすが甲子園優勝校と言うほかないよな」

 ナイン達は苦笑いした。それでも皆黙って、真剣に耳を傾けている。

「でも……われわれだって、無抵抗だったわけじゃない」

 谷口は、力を込めて言った。

「少ないながらチャンスを作り、何度もピンチをしのいできた。どんな状況でもあきらめずに戦う。今日まで作り上げてきた墨高の野球が、あの西将を相手にできているんだ。これを最後まで貫こう」

 やや声を潜めて、さらに付け加える。

「さっきイガラシにかき回されて……あのピッチャー、少し制球を乱してた。どうも揺さぶられると、過剰に意識してしまうクセがあるようだ」

 あっ……と、ナイン達が目を丸くした。

「だから、少しでも喰らいついていこう。そうすればチャンスも出てくるぞ」

 谷口は、語気を強めた。

 

 

2.意地の一振り

 

 キャプテン谷口の励ましに応え、墨高ナインは必死の抵抗を見せた。

 リリーフの松川が、七回も力投し無失点で切り抜けると、八回からは谷口が登板。西将の強力打線にピンチは作られるも、バックの再三の好守と、谷口の緩急を使った巧みなピッチングにより、またも得点は許さず。終盤の三イニングをなんと零封したのだった。

 しかし……竹田と高山の西将バッテリーは、やはり難攻不落である。

 快速球に加え、多彩な変化球。なんとか喰らいつこうとするナイン達だったが、回を追うごとに当てることすら、ままならなくなっていった。

 

 そして――試合は二対六のまま、ついに九回裏を迎える。

 

 先頭の丸井と続く島田は、いずれも追い込まれてから粘ったものの、最後はフォークボールで三振に仕留められた。

 ツーアウト、ランナーなし。墨高はとうとう追いつめられる。

 

 

―― 四番キャッチャー、倉橋君。

 ネクストバッターズサークルに、谷口は控える。マスコットバットで素振りしながら、倉橋の打席を見守った。

 チッ。辛うじてバットに当てた打球が、バックネットへ転がっていく。

「くそっ、振り遅れちまった」

 倉橋は一旦打席を外し、軽く左手を振る。どうやら痺れたらしい。

「ドウモ」

 会釈して打席に戻ると、バットの握りをさらに短くした。

「ふふん。そんな持ち方で、打ち返せるのかいな」

 高山が揶揄してきたが、倉橋は無視した。

 二球目。露骨にアウトコースへ投じてきた速球を、踏み込んで狙い打つ。ところが力負けしてしまい、一塁側ファールグラウンドへ打球が上がる。

「し、しまった……」

 倉橋が顔を歪めた。しかしフライが風に流され、スタンドに落ちる。

「ファール!」

 一塁塁審のコールに、打者は「あぶねぇ」と吐息をつく。

「おたく、命拾いしたな」

 マスクを被りながら、高山がまた挑発してくる。

「ねらってくると思うとったで。ま……たとえねらわれても、竹田のタマはそう容易に打てないからな」

「あ、そう。大した自信だこと」

 打者は軽く受け流し、さっきと同様にバットを構える。

 いいぞ倉橋。高山のちょっかいに、少しも惑わされてない。ちゃんと集中を保って、ねらいダマを見定めてる。

 ただ……と、谷口はひそかに溜息をつく。

 これでツーストライク、追い込まれちゃったな。そうなると向こうのバッテリーは、きっとフォークを投げてくる。ほかのボールも厄介だが、あれはちょっと別格だ。いくら倉橋でも、さすがに厳しいだろう。

 そして三球目。竹田は、やはりフォークを投じてきた。

 倉橋は一瞬バットを出しかけるが、寸前で止める。内角を突いたボールが、倉橋の足元でワンバウンドした。

 アンパイアが立ち上がり、パチンと膝を打つジェスチャーをした。そして一塁を指差し、やや甲高い声で告げる。

「デッドボール!」

 死球の判定に、僅かながらスタンドがざわめく。

「こ、こら竹田。ねらいすぎやで」

 高山がマスクを取り、苦笑いした。その傍らで、倉橋は「やれやれ」とつぶやき、小走りで一塁へと向かう。ベースを踏むと、こちらに顔を向ける。

「よく見たぞ倉橋!」

 声を掛けると、相手は渋い顔で「おう」と返事した。

「つぎはフォークと踏んでたんだ。イチかバチかだったが、見逃せばボールだと思って、振らないことにしたんだ。あやうく手が出そうになったがな」

 そうだ、思いきりだ……と、谷口は自分に言い聞かせる。危険を承知のうえで、迷いなくプレーする。それを学ぶための戦いが、今日の試合なのだ。

―― 五番ピッチャー、谷口君。

 アナウンスを聴き、打席へと入る。一度深呼吸し肩を上下させ、力を抜く。それから速球に備えるため、やはりバットの握りを短くした。

 横目で、ちらっと高山を見やる。何か言ってくるかと思ったが、意外にも今度は、こちらに目もくれず。代わりに、マウンド上の竹田へ声を掛ける。

「おい竹田。ここまで来たんだ、もうバッターのことは考えなくてええぞ。投げ込みのつもりで、あと三球、おまえのベストボールを見せてくれや」

 へぇ、うまい言い方だな。投げ込みのつもりで、ベストボールを……か。たしかに、これだけのタマを投げられるピッチャーなのだから、バッターより投げることに集中させるのも、一つのテではあるな。

 他人事のように思った後、つい含み笑いが漏れた。

 でも……わざわざ口にするってことは、やはりこういう場面で、竹田は力んでしまうクセがあるんだ。倉橋にツーナッシングから、死球を与えたくらいだからな。焦りというより、たぶんきれいに終わらせようとしすぎなんだろう。

 初球。おそらく引っ掛かったのだろう、ホームベース手前でバウンドする。高山が両肩を回し「ラクに」と合図した。

 おや、と谷口は気付く。

 いまのボール、あまり力がなかったな。力むとうまく指にかからなくて、こういうタマを投げちゃうんだ。ここに来て、やっと彼の弱点が見えてきたぞ。

「うーん。たまに、変なタマ投げてきよる」

 高山がおどけた声を発した。

「つぎ、もし顔とかにきたら……カンニンな。ちゃんとよけるんやで」

 脅しているのだと、すぐに察した。

「だいじょうぶだよ」

 微笑んで、谷口は答えた。

「うちの野球部、至近距離でノックとかよくやるし」

 事実を答えただけなのだが、高山は「おっかな」と顔をしかめる。

 谷口がバットを構えると、キャッチャーもようやく屈み込んだ。サインを交換すると、マウンド上の竹田が投球動作へと移る。

 アウトコース高めに、抜けダマがきた。

 やはり力がない。高山が慌てた様子で、腰を浮かせミットの左手を伸ばす。明かなボール球だったが、谷口はこれを強振した。

「……くわっ!」

 パシッ。打球は、ライト頭上へ舞い上がる。上がりすぎたかと一瞬思ったが、西将の右翼手がじりじりと後退し、とうとう背中が外野フェンスに付く。

 ボールは、そのままスタンドへと吸い込まれた。ツーランホームラン。

「や、やった」

 小走りにダイヤモンドを回りながら、谷口はぐっと右拳を握り込んだ。

 

 

 土壇場に飛び出した一発。内外野のスタンドは、大いに沸き上がる。

「す、すげぇ。西将のエースからホームラン打っちゃうなんて」

「墨谷って、こんなに強いのかよ。初めてシードされたばかりなんだろ」

「それより二点差だ。こりゃ、まだ分からんぞ」

 観客のそんな声が聴こえてきた。どよめきは、やがて拍手へと変わっていく。

「……けっ、判官贔屓もええとこやで。こんなん焼け石に水やないか」

 高山がぼやくと、竹田は「そうだな。ははっ」と笑い声を上げた。

「こら、そこのエース」

 すかさず突っ込みを入れる。

「打たれといて、笑うとる場合か。なんやあの力のないタマは」

「わ、わりぃ。ちょっと滑っちゃって」

「あたりまえや。足元のロージンは、飾りか?」

 竹田は慌ててロージンバックを拾い、指先に馴染ませる。

「ふん、ええクスリになったやろ。もうちょいシャキッとしぃや」

 そう言って、ひそかに溜息をつく。

 にしても……まさかあの抜けダマを、ねらってくるとは。ランナーを出すと、ああいうボールを投げよる。気にはしてたが、どうせストライクにならへんから、いままで矯正しなかったんや。フツウ、誰もあんなクソボール打たへんし。

 くくっ、と思わず笑ってしまう。

 けど、考えてみりゃ……わりと合理的やな。いくらボール球でも、力のないタマをねらった方が、ヒットにできる確率は高い。やつらホンマに、僅かでも突破口を見つけたら、強引にでもこじ開けよる。

 その時、ウグイス嬢のアナウンスが流れた。

―― 墨谷高校、選手の交代をお知らせ致します。六番の岡村君に代わりまして、根岸君。バッターは、根岸君。

 ほう、ここで代打かい。やつらまだ……あきらめてへんってことやな。

 わりと大柄なバッターが、右打席に入ってきた。イガラシが負傷した時、連れにきた選手だと気付く。その後は、ずっとブルペン捕手を務めている。

 根岸は、白線の内側ぎりぎりに立ち、バスターの構えをした。

 こいつ……なんや、その構えと立ち位置は。インコースを投げにくくさせようとしているのか、それとも誘っているのか。あるいはアウトコース一本に絞っているのか。

 高山は屈み込み、サインを出した。要求はアウトコースの速球。

 何を考えてようが、カンケ―あらへん。ここはもう、竹田のベストボールを引き出すだけや。打てるもんなら打ってみぃ。

 マウンド上。竹田はうなずき、投球動作へと移る。ワインドアップから、強く右腕をしならせ、第一球を投じた。

 眼前の右打席。根岸は、一転してヒッティングの構え。やはりバスターだ。おっつけるようにバットを差し出す。

 ガッ。鈍い音が響くのと同時に、根岸は「くそっ」と唇を噛んだ。

 速球の威力に、打者は力負けした。しかし思いのほか伸びる。セカンド平石の頭上を越え、外野の芝へと落ちていく。

 その瞬間、ダッシュしてきた右翼手が飛び付いた。

「……あ、アウト!」

 ボールは、差し出したグラブの先に引っ掛かっていた。三塁塁審が、大きく右手を突き上げる。内外野のスタンドから、安堵と落胆の混じった溜息が漏れた。

 

 招待野球第二試合は、こうして幕を閉じた。

 春の甲子園優勝校・西将学園に対し、墨谷は最後まで食い下がるも、あと一歩及ばず。四対六。地力に勝る西将が、墨谷を振り切ったのである。

 予想外ともいえる白熱した好勝負に、観客達は胸を打たれる。試合後には、両校のナインに対し、スタンドから惜しみない拍手が送られたのだった。

 

 

3.戦いの後で……

 

 三塁側選手控室に、墨高ナインは集まっていた。

 ほとんどの者が、すでに着替えを済ませ帰り支度を整えている。試合後にも関わらず、疲れているのか敗戦の悔しさなのか、口を開く者は少ない。

「……お待たせしました」

 通路へ出るドアが開き、イガラシが医務室から戻ってくる。負傷した直後、一度手当てを受けているが、念のため試合後にも行かせていた。

「おう。どうだった?」

 キャッチャー用具をまとめながら、倉橋が尋ねる。

「倉橋さんの言ったとおりでした」

 包帯の左手を掲げ、イガラシは苦笑いした。

「打ぼくと軽いねんざだと言われました。いまは、かなり腫れていますけど。夏の大会には、なんとか間に合いそうです」

 谷口は、胸を撫で下ろした。周囲からも安堵の吐息が漏れる。

「……おまえってやつは。ほんとに、ムチャしやがって」

 傍らで、倉橋が「まったくだぜ」と首肯する。

「イガラシ。あまり谷口のマネばかり、すんじゃねぇぞ」

「あっ」

 ついずっこけてしまう。ぷぷっと、数人が吹き出した。しばし重かったナイン達の雰囲気に、ほんの少し明るさが戻る。

「ところでイガラシ」

 ちょうど着替え終えた丸井が、声を掛ける。

「向こうの高山ってキャッチャーに、なんで突っかかっていったんだ。アタマにきてるふうでもなかったし。なにか意図でもあったのか?」

「ははっ。さすが丸井さん、気づいてましたか」

 イガラシは、笑って返答した。

「おしゃべりな人でしたからね。うまくノセておけば、ぽろっと谷原の弱点とか、口にしてくれるんじゃないかと」

「そ、そうかっ。やつら甲子園で、あの谷原と戦ってるんだ」

 そう言って、丸井はイガラシの左手をつかむ。

「……テッ。ま、丸井さん。左手はちょっと」

「あぁスマン。しかし……いまからでも、遅くないぞ」

「えっ、なにがです?」

「決まってるだろ。あの高山をつかまえて、谷原の攻りゃく法を聞き出すんだよ」

「ううむ……それは、どうでしょう」

 後輩は、小さくかぶりを振った。

「あの人が口をすべらせるならともかく、親切に教えてくれるとは思えませんし」

「む。たしかに、意地悪そうな感じだったな」

「それに考えてみりゃ、うちとはチームの特徴も戦力も大きくちがうので。聞いたところで参考にならないんじゃないかと」

 よくそこまで頭が回るものだなと、谷口は半ば呆れながらも感心した。もしイガラシが最後まで出場できていたら、今日の結果は違っていただろう。

「なあ丸井。それに、みんなも」

 静かに問いかける。

「どう谷原と戦うべきか。それはもう、ほとんど分かってるだろう」

「え……まぁ、そうスね」

 はっとしたように、丸井がうなずく。

「今日だって、みんな最後まで、粘り強く戦えたじゃないか。負けたとはいえ当初のテーマは、完遂できた。あとは……どれだけ鍛錬を積めるかだよ」

 谷口の言葉に、倉橋が「うむ」と相槌を打つ。

「相手は強かったが、なにもできなかったワケじゃない。井口はよく投げてたし、リリーフの二人も。七回から点はやらなかったしな」

 横井が「それによ」と割り込む。

「第一、俺らが谷原用の特訓を始めて、まだ一週間もならないからな。それですぐ、あのクラスのチームを倒そうなんて、虫が良すぎるか」

 ええ、とイガラシも首肯する。

「横井さんの言うとおりですよ。正直、思ったよりは渡り合えたので、やり方はあれでいいと思います。及ばなかったのは……けっきょく、まだ練習が足りないんです」

「とくに俺は、竹田の変化球にやられすぎたのが、反省だよ」

 バツの悪そうに横井が言うと、戸室が隣で「そりゃ俺もだ」と苦笑いした。

「まぁまぁ。あれは、慣れの問題もありますし」

 イガラシはそう言って、ふと何かを考え込むような顔をした。

「あの……学校に帰ったら、ぼくが打撃投手やりましょうか? フォークは投げられないですけど、落ちるシュートとチェンジアップなら」

 ええっ、と周囲がどよめく。

「ばか。ケガしてるってのに、なに言ってんだよ」

 丸井がたしなめると、イガラシは「なーに」と笑う。

「利き腕じゃないですし、投げるだけならワケないですよ。もちろん打球は捕れませんけど。たしか防御用ネットがあったので、それを使わせてもらえば」

 ナイン達のやり取りに、谷口は感嘆の吐息を漏らした。

 みんな……す、スゴイじゃないか。負けて悔しがるだけじゃなく、つぎなにをすればいいかまで、自分達で話し合えるなんて。これなら、うちはもっと強くなれる。あの谷原にも、勝てるかもしれないぞ。

「ありがとうイガラシ」

 無鉄砲な後輩と目を見合わせ、谷口は一つ咳払いして言った。

「でも、それは俺がやる。なにかあったら困るからな」

「キャプテン」

「それより井口のランニングにつき合ってくれ。まだウエイトを落とさなきゃならん」

 井口が「へっ?」と、間の抜けた声を発した。

「あ、なるほど。分かりました」

 イガラシは素直に返事して、口を半開きにしている幼馴染を小突く。

「……テッ」

「なんだよ。その間抜けヅラは」

「俺、西将相手に投げて、疲れてんだぞ」

「だからこそのランニングじゃないか。肩や肘の負担も、気にしなくていいしな」

「うっ。トホホ……」

 しょんぼりと井口が下を向く。周囲から、くすくすと笑いがこぼれた。

 

 

 その時、控室のドアがノックされる。

「どうぞ」

 谷口が返事すると、すぐにドアが開く。若い男が姿を現した。

 白地のポロシャツに「実行委員会」と記された腕章。どうやら招待野球の運営に携わる球場係員らしい。

「失礼します。キャプテンの谷口君は、きみかい?」

「ええ、そうですが」

「きみにお客さんが来てる。そんなに時間は取らせないので、ちょっといいかな」

「は、はぁ……」

 戸惑いながらも、谷口は男に付き添われ、通路に出た。

「監督。墨谷のキャプテン、谷口君をお連れしました」

 彼が手をかざした先に、もう一人の立っていた。野球のユニフォームに、ウインドブレーカーを身に纏っている。眼鏡を掛け、いかにもインテリ然とした紳士。

 その人物が誰なのか、谷口はすぐに思い当たる。

「あ……さ、さっきはドウモ」

 彼こそ西将学園の監督、中岡その人であった。思わぬ敵指揮官との対面に、つい狼狽えてしまう。

「おおっ来てくれたか。休んでいるところ、すまないね」

「いえ、そんな……わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」

「ハハハ。そう、かしこまることはない。あらためて……中岡です、よろしく」

 中岡はそう言って、右手を差し出した。

「たっ谷口です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人は固く握手した。百戦錬磨の男の手は、意外にも柔らかい。

「さて。あまり時間がないので、急ぎ用件を伝える」

 名将は柔らかな表情で、話し始める。

「まずは……この招待野球に参加してくれて、感謝するよ」

「か、感謝ですか?」

 やや訝しく思いながらも、谷口は答えた。

「そんな……とんでもありません。ぼくらこそ、貴重な経験になりました」

「ふふっ、すまない。説明不足だったね」

 中岡は、にやりとして言った。

「あの……と、おっしゃいますと?」

「きみも知っているだろうが、なかなかうちの相手が決まらなくて、困っていたのだよ。君達が引き受けてくれて、助かったんだ。そればかりか、こんなに良い戦いをしてくれて……おかげで私の恩師が、面目を保てたよ」

「は、はぁ……恩師の方が」

「うむ。ちなみに、きみも知っている人だ」

 思わぬ一言に、谷口は目を見開く。

「きみも覚えているだろう」

 相手は、愉快そうに告げる。

「昨年まで、全国中学野球連盟の委員長を務めておられた、大田原先生だよ。私は先生の、中学教員時代の生徒でね」

「お、大田原先生って……ああっ」

 思わず声を上げていた。

「以前、青葉との再試合を決めた」

 数々のトロフィーや賞状の飾られた一室で、自分と新聞記者を出迎えた、あの気難しそうな顔が浮かぶ。

「きみと墨高の活やくを期待している、と先生からの伝言だ。今日の内容を聞いたら、きっと喜んでくれるだろう」

 中岡はそう言って、さらに「もう一つ」と付け加える。

「試合の後、観戦に来ていた知り合いの監督達と、何人か会ってね。来週、この近辺まで遠征に来るそうだが、ぜひ練習試合がしたいと言ってたよ」

「えっ、ぼくらとですか?」

 こちらの戸惑いをよそに、中岡は一枚の紙を差し出す。

「これがリストだ。お互いの都合もあるだろうから、あとは調整してくれと伝えたよ」

 紙を広げると、三つの学校と連絡先が記されていた。その名前に驚かされる。

「あ、あの……ここってもしや、ぜんぶ春の甲子園に出てたトコじゃ」

「うむ。そうだが」

 名将は、事もなげに答えた。

「いいんですか? ぼくらが、こんな……」

「なにをうろたえているのかね、いまさら」

 可笑しそうに肩を揺する。

「うちとあそこまで渡り合えたのだから、もうコワイものはなかろう」

「ええっ。そ、それは」

 帽子を被り直し、名将は穏やかに微笑んだ。

「きみらはもう……どこと戦っても、恥ずかしくない試合ができるはずだよ。じかにやり合った、この私が保障する。自信を持ちたまえ」

 そう言って、また右手を差し出す。

「ありがとうございます。ご期待に沿うよう、がんばります」

 谷口は深く一礼して、もう一度中岡と握手を交わした。

 

 

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