南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第25話「川北戦開始!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

 

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第25話 川北戦開始!の巻

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 <登場人物紹介>

 

田淵:川北高のOB。元エース兼キャプテン。隅田中学出身、倉橋の先輩である。一昨年の墨高との練習試合では、監督として采配を振るった。

(以下、オリジナル設定)

 川北高卒業後は、大学に進み活躍中。秋季大会にて、谷原に完敗した後輩達を心配していた。夏の大会のベンチ入りを要請され、多忙な中、快く引き受ける。

 

高野:(※原作「プレイボール」には、名前のみ登場。学年の記載なし)川北の現エース。右投げのアンダーハンド。打撃センスもあり、五番打者も務める。フォームといい、ホップする速球とカーブといい、前エースの小野田と瓜二つである。

 

 

1.それぞれの試合前

 

 木曜日の午後四時。再び、荒川球場。

 墨高ナインは、今日も三塁側ベンチに陣取る。先にシートノックを終え、いまは対戦相手となる川北の練習を見守っていた。

 

 

「あいかわらず、みんなデカイこと」

 横井が、呆れたように言った。

「やつら……毎日なにを食って、ああなるんだか」

「うむ。しかし、ナリだけじゃないぞ」

 隣で、戸室も苦笑いする。

「見ろよ、どいつもこいつも俊敏じゃねぇか。デカイだけで、ちと鈍いとかなら、つけ入るスキはあるんだがなぁ」

 眼前では、シートノックの川北ナインが、グラウンドを縦横に駆け回る。さらに矢のような送球が、幾度となく飛び交う。

「へいっ、レフト!」

「サード、バックホームだっ」

 フットワーク、スローイング、掛け声。どれを取っても隙がない。

「ちょっと先輩方!」

 丸井が、窘めるように言った。

「やるまえから、相手を認めてどうするんですか。もっと強気でいかないと」

「し、仕方ないだろ」

 そう言って、横井は肩を竦める。

「ほら……隣の芝生は青いって、よく言うだろ。あれさ」

「む。それでなくても、都内四強の一角と噂されるチームだからな」

 戸室が同調して、うなずく。

「……よう。なんでぇ、おまえら」

 やがて倉橋か戻ってきた。ずっとブルペンで、松下のウォーミングアップと投球練習に付き合っていたのだ。ベンチ内を見渡し、苦笑いする。

「そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔しちゃって。ハハァン……さては川北の練習を見て、怖じ気づいたな」

「お、怖じ気づくだなんて。人聞きが悪い」

 横井がムキになって言い返す。

「こちとら連日遅くまで残って、飽きるほど練習したんだ。じつを言うと、早くその成果を試したいって、ウズウズしてるくらいよ。な、戸室」

「お、おう。対策は十分だ。試合になれば、自然と体が動くさ」

「ほう。そいつは、頼もしいな」

 ナイン達の様子を、谷口はベンチの隅で見守っていた。

 ははっ。横井も戸室も、ああして言い返す元気があるのなら、心配いらないな。この数日、みんなわき目もふらず練習したことで、ほんらいのガムシャラさが戻ってきてる。これなら十分戦えそうだ。

「……倉橋、それよりも」

 正捕手に声を掛け、もう一つの懸案事項を確かめる。

「驚いたな。あの人が、向こうのベンチにいるなんて」

「うむ。このタイミングで、まさか顔を合わすことになろうとは」

 倉橋もグラウンドに視線を移し、溜息混じりに言った。二人の眼前でノックバットを振るうのは、一昨年のエースにしてキャプテン、田淵である。

「試合前に、話せたか?」

「球場入りする時に、少しだけな。どうも春先から、ずっとベンチ入りしてほしいと頼まれてたらしい。ただ、あの人もいま、大学に進んで忙しいからな。やっと都合がついて、今日ということになったんだと」

 やりにくいな……と、さしもの倉橋もこぼす。

「そうか。倉橋にとっては、中学の先輩でもあるんだよな」

「ああ、こっちの手の内を知られてる。メンドウなことになりそうだぜ」

「なーに。いぜんと比べて、うちは格段に力をつけてきている。いくら田淵さんが、倉橋のことを知っているといっても、すべて筒抜けということにはならないさ」

「ま、それもそうだな」

 ところで……と、谷口は話題を変えた。

「松川の調子はどうだ?」

「うむ。かなり良さそうだぞ」

 ブルペンに視線を戻し、正捕手は目を細める。

「タマは走っているし、高めに浮きがちになる悪癖も出ていない。しかも川北相手ということでカタくならないか心配したが、あいつ『自分の投球をするだけです』なんて、一丁前なことをヌカしやがった」

 いま松川は、根岸と軽くキャッチボールしていた。その傍らで、イガラシが平山を相手に投げ込んでいる。

「このところ、松川は頼もしくなったな」

 谷口も満足して、うなずいた。

「ああしてイガラシを、早めのリリーフに備えさせているが、必要なかったか」

「いや……念には念を入れるのに、越したことはないさ」

 ほどなく川北ナインがシートノックを終え、一旦グラウンドから退いていく。

 そのタイミングで、谷口は「集合!」とチームメイト達へ声を掛けた。こうして全員をベンチ奥に呼び集める。

「いよいよシード校との対戦だ。しかし、なにも恐れることはない」

 開口一番、そう告げた。

「なぜなら……すでに谷原を始め、われわれは全国トップクラスとの対戦を経験していている。たしかに川北は手ごわいが、もはや未知の強敵ではないはずだ」

 強いチームと戦う際には、味方をリラックスさせることに努める。心に決めている鉄則を、今日も貫く。

「とはいえ、やはり楽な展開にはならないだろう。うちの主力をよく知る人物が、向こうのベンチに控える。これは……ちょっと計算外の事態だ」

 懸念材料については、全員で共有した方が良いと判断した。数人、とくに三年生達が「たしかに」と苦笑いを浮かべる。

「あの田淵さんが、どんな戦法で臨んでくるかは、始まってみないと分からない。もっとも……ポイントは、はっきりしている」

 やや声を潜めて、端的に告げる。

「まず慌てないこと。そして、なにより気持ちで負けないことだ。どんな展開でも……じっくり慌てず、われわれがベストだと思えるプレーを続けていこう。いいなっ」

 キャプテンの掛け声に、ナイン達は「はい!」と快活に応じた。

 

 

 一塁側ベンチ。田淵は腕組みして、グラウンド上を凝視していた。

 すでに両軍ナインが、ホームベースを挟んで並び、試合前の挨拶に臨む。アンパイアの合図の下、互いに脱帽し「お願いします!」と威勢よく声を発した。

「田淵さん。今日は、ほんと助かります」

 記録員を務める部員が、声を掛けてくる。

「なに、ずっと動向は気になってたんだ。おまえら……秋の準決勝で、谷原に手も足も出なかったらしいからな。まったく情けない」

 後輩は「あらっ」とずっこける。

 挨拶が済むと、先攻となる川北ナインはすぐに引き上げてきた。一番打者がネクストバッターズサークルへ向かった以外、ほぼ全員がベンチ手前で円座になる。

「……よし。みんないいかっ」

 音頭を取ったのは、エースにしてキャプテンを務める高野だった。

「墨谷の特徴は分かってるな。やつらは相手をよく研究して、弱点を突いてくる。おそらく、うちの各バッターの苦手も、きっと探り出してることだろう」

 高野の言葉に、ナイン達は黙ってうなずく。

「そこで……やつらの戦法を、われわれは逆手に取る。自分の苦手コースこそ、積極的にねらっていけ。もちろん大振りせず、かく実にミートだ。練習でやったようにな」

 そう告げて、エースは含み笑いを漏らす。

「アテが外れりゃ、向こうは混乱するはず。そこを一気に叩くんだ」

「おう!」

 掛け声の後、高野は一旦ブルペンへ向かう。この裏の投球に備えるらしい。

「ようし、初回から出鼻をくじいてやれ」

「向こうが少しでもひるんだら、すぐに畳みかけるぞっ」

 メンバー達は、そう互いに声を掛け合う。

 田淵は黙って眺めていた。この時点で口を挟むつもりはない。後輩達の判断を、まずは尊重しようと思う。

 しかし、気掛かりな点があった。

 相手をよく研究するのが、墨谷の特徴……か。まちがっちゃいないが、それだけだと思っていたら、きっと痛い目にあうぞ。そこんとこ、分かっていたらいいのだが。

 マウンド上。ほどなく松川が投球練習を終え、キャッチャー倉橋が二塁へ送球する。

「バッターラップ!」

 アンパイアの合図。そして川北の先頭打者が、右打席へと入っていく。

 

 

2.両軍の駆け引き!

 

 マスクを被り、倉橋は胸の内につぶやいた。

「……ふん、あいかわらずだな」

 ホームベース後方で、川北の一番打者が素振りを繰り返す。ビュッ、ビュッ……と、スイングが風を切った。筋肉の盛り上がりが、ユニフォーム越しにも分かる。

 こいつか……まえの試合で四安打したという、柳井ってやつは。背丈といいガタイといい、ほんと熊みてぇだ。少しまちがえば、カンタンに柵を越されちまうな。

「大事な初回だ。しっかり守っていこうよ!」

 声を掛けると、ナイン達も力強く返してきた。

「おうよっ」

「バッテリーも、思い切っていけ!」

 スパイクで足元を均し、屈み込む。すぐに柳井も右打席へと入ってきた。それとほぼ同時に、アンパイアが右手を高く掲げる。

「プレイボール!」

 試合開始を告げるサイレンが、球場内に鳴り響く。

 眼前のマウンド上。松川が、ロージンバックを軽く揉んでいた。引きしまった口元から、気力の充実していることが伺える。やがて前傾し、こちらのサインを待つ。

 倉橋は、早くも頭をフル回転させた。

 半田の記録によれば、この人はインコース……とくに低めが苦手だったな。いっぽうアウトコースが得意で、少々ボール気味でも、おっつけて打てると。ふつうなら、苦手なインコースを中心に攻めるトコだが。

 初球は、インコースの速球。それもワンバウンドを要求した。その通りのボールが、ホームベース手前で弾む。ミットを立てて捕球する。

 この時、柳井のバットが一瞬出かかるのを、倉橋は見逃さなかった。

 ふむ……こんなワンバウンドにも反応しちまうってことは、やはり苦手を突いてくると踏んでたな。田淵さんの差し金なのかどうかは不明だが、思ったとおりだぜ。

 二球目。速球を、アウトコース低めに要求した。こちらがミットを構えた所に、そのまま飛び込んでくる。

「ストライク!」

 倉橋は「ナイスボール」と、微笑んで返球した。その瞬間、柳井が目を向く。明らかに驚いている様子だ。

 ふふん。まさかの得意コースに投げられて、拍子抜けしたってツラだな。

 三球目は、速球をまたもアウトコース低めに投じさせた。まさか続けてくるとは思わなかったらしく、柳井は手がでない。

 そして四球目。またもアウトコースへ、今度はカーブを要求した。さすがに柳井は、はらうようにバットを出す。

 パシッ。痛烈なゴロが、一・二塁間を襲う。しかし丸井が、横っ飛びで捕球した。すかさず一塁手の加藤へトスする。

「ナイスセカン!」

 キャプテン谷口が声を掛けた。丸井は「ど、ドウモ」と、照れた顔になる。

 ははっ、やはり外は得意らしいな。読みとちがっても、ヒット性の当たりを打ち返せるんだから。あらかじめセカンドを下げておいて良かったぜ。

 続く二番打者は、小柄ながら体躯はがっしりしていた。素振りを見ると、やはりスイングは速い。こちらもパンチ力がありそうだ。こちらは左打席に入る。

 倉橋は手振りで、外野の三人へ下がるように指示した。

 ええと……こいつも、アウトコースが得意だったな。柳井との違いは、どうも高めが好きらしいってことか。

 その初球、シュートをアウトコース高めに要求した。

 パシッ。ライナー性の打球が、レフト頭上を襲う。スライスが掛かり、ボールは外へ逃げていく。横井がフェンスを沿うようにして、ポール方向へダッシュした。そしてライン際で飛び付く。

「……くわっ」

 ぎりぎりまで伸ばしたグラブの先に、ボールが引っ掛かる。

「あ、アウト!」

 打球の確認に走った三塁塁審が、右手を高く突き上げた。

「よっと……ふぅ、あぶなかった」

 横井は起き上がると、苦笑いしてボールを投げ返す。

「ナイスレフト!」

「横井さん、助かりましたっ」

 谷口と松川の声援に、横井は軽くグラブの左手を掲げる。立て続けの好プレーに、墨高応援団の陣取る三塁側スタンドは、大いに沸き上がった。

 ふふっ。横井のやつ、いろいろグチりながら……どうしてどうして。試合になれば、いいプレーしてくれるじゃねぇか。

 その時、ふと「倉橋さん」と呼ばれた。松川が渋い顔を向けている。

「すみません、ちょっと中に入っちゃいました」

「分かってるならいいさ。それに球威があったから、詰まらせられた」

 ちらっと一塁側ベンチを見やる。隅田中学時代の先輩、田淵が腕組みしていた。

 田淵さんも、この松川の成長ぶりは、さすがに計算してなかったろうぜ。これだけ球威があるからこそ、思い切った組み立てができるってもんだ。

 続く三番打者も、左打席に入ってきた。

 この池田ってやつは、秋の大会で七割を超えてたんだったな。大柄のわりに、スイングが柔らかい。ちょっと緩急をつけるくらいじゃ、合わせられちまうだろう。

 バッテリーはそれでも、むやみに恐れることはしない。

 こいつは一、二番とちがって、インコースが得意。ぎゃくにアウトコールは、引っかけることが多いと。

 初球は、あえて得意のインコース低めに投じさせた。池田のバットが回る。パシッという快音を残し、打球はライトのポール際へ飛んだ。おおっ、と川北応援団の三塁側スタンドが沸く。しかし外へスライスが掛かる。

「ファール!」

 一塁塁審が両腕を広げた。安堵と落胆の溜息が、球場内を交差する。

「……す、すげぇパワー」

「ああ。ちょっとズレてりゃ、叩き込まれてたぞ」

 なるほど……と、倉橋はひそかにつぶやいた。

 さっきの一、二番は迷いながらだったが、この三番は躊躇いなく振ってきたな。どうやら苦手コースを突くやり方でないと、気づいたらしい。だが……なぜそうしないのか、果たしてここまで分かるかな。

 次の二球は、いずれもアウトコース低めに投じさせた。一球は僅かに外れ、もう一球はコースいっぱいに決まる。池田はぴくりとも反応せず。

 フフ、あくまでも得意のインコースねらいか。それなら……

 迎えた四球目。倉橋は、あえて池田が待っているインコースを要求する。ただし低めに、今度はシュートを投じさせた。

 池田のバットが回る。ライナー性の打球が、右中間へ飛んだ。しかし芯を外した分、さほど伸びずに失速していく。

「ライト!」

 谷口の掛け声よりも早く、右翼手の久保が十メートルほど背走したものの、最後は余裕を持って捕球した。スリーアウト。

「ナイスピッチングよ、松川」

 マウンド上の後輩に、すかさず声を掛けた。相手は「はいっ」と短く返事して、足早にベンチへと退いていく。

 ようし、相手にクサビを打ち込むことができたぞ。これが後手に回れば、向こうの好き放題にされるからな。あとは田淵さんが、どう対応してくるかだが。

 倉橋は一つ吐息をつき、少し遅れて駆け出した。

 

 

「……ううむ、アテが外れたな」

 一塁側ベンチ。ブルペンから戻ってきた高野が、首を傾げて言った。

「てっきり苦手を突いてくると思ったんだが」

 そうだな……と、先頭打者だった柳井もうなずく。

「まさか墨谷のやつら、うちを調べ忘れたんじゃ」

「いや、それはあるまい」

 高野は即答した。

「秋の大会でも、向こうの部員の一人が、スタンドで偵察してたからな。相手をよく調べるのが、やつらのウリだ。ここにきて封じるはずなかろう」

「ま、それもそうだな」

「……なあ、ひょっとして」

 ライトライナーに倒れたばかりの池田が、割って入る。

「うちがどうこうじゃなく、ピッチャーの長所を出すようにしてるんじゃねぇか」

 柳井が「なるほど」と、目を見開く。

「たしかに、あの松川ってピッチャーは、なかなかのレベルだぞ」

「む。俺に投げてきた真っすぐなんか、けっこう威力あったぞ。手元にきて、こう……ぐいっと押し込んでくる感じだ」

「ほう……池田がそう思うくらいなら、よっぽどだな」

 それにしても、と柳井が小さくかぶりを振る。

「あんな投球をするってことは、やつら力勝負で勝とうっていう気なのか」

 高野が「そうじゃないのか」と、忌々しげに答える。

「ピッチャーの力さえ出せば、うちを抑えられると思ってるんだろ」

 その一言に、数人が熱くなり出す。

「な、ナメやがって」

「いい度胸してるじゃねぇか」

 後輩達のやり取りを、田淵はしばし静観していた。それでも、これは良くないぞ……とベンチの雰囲気を察する。

「そこまでだ!」

 低いトーンの声で、一喝した。

「さっさと守備につけ。アタマを切りかえないと、つけ込まれるぞ」

「は、はいっ」

 OBの叱責に、川北ナインは慌ててグラウンドへ飛び出していく。

「……せ、先輩。助かりました」

 記録員がスコアブックを手にしたまま、立って一礼する。

「なーに。ま……連中が困惑するのも、分かるが」

「先輩も、高野達が言うように、墨谷が力勝負を挑んできていると?」

「む。そう見えなくもないが、断定はできない。いま言えるのは……この時点で決めてかかるのは、危険だってことさ」

「なるほど、まだ向こうのテを探る段階ってことスね」

「そうだ。こういう場合、先に動いた方がやられる」

 田淵には、一つ腑に落ちないことがあった。

 この大事な初回。どのバッターにも、インコースのボールを見せ球にして、勝負はアウトコースか。たまたま池田はボール球に手を出しやがったが……もし見逃していれば、最後は外という組み立てだ。あの倉橋にしては、単純すぎる。

「先輩、そういえば……」

 ふと記録員が尋ねてくる。

「墨谷はいぜん、うちに胸を借りに来てたんですよね。先輩がキャプテンをなさってた時に」

「ああ。もっとも、最後はだいぶ食い下がられて、冷や汗モノだったよ。ま……当時のメンバーには、いいクスリだったろうが。」

 そうなんだよ、と胸の内につぶやく。

 苦戦させられた要因の一つは、うちのバッターの弱点を、倉橋がしつように突いてきたことだ。そんなやつが、ちょっとピッチャーの力がついてきたからって、なにも考えず力勝負を挑んでくるはずがない。これはきっと、意図があるはずだ。

 

 

3.キャプテン谷口の判断!

 

 マウンド上。高野は、指にロージンバックを馴染ませていた。

 ふん……たかが招待野球で、西将と接戦したからって、いい気になるなよ。シードをとりたての相手に、公式戦で足をすくわれるほど、うちは甘かねぇんだ。

「バッターラップ!」

 アンパイアに促され、墨高の一番打者・丸井が右打席に入ってくる。

 こいつが丸井ってのか。たしか……うちと練習試合した後に、編入したんだっけ。体は小さいが、すばしっこそうだ。塁に出すとメンドウだろうな。

 眼前で、キャッチャーの秋葉が立ち上がる。

「一番バッターだ。しっかり守っていくぞ!」

 川北ナインは「おうっ」と力強く応えた。

 秋葉が屈み、マスクを被るとの同時に、アンパイアが「プレイ!」とコールした。すぐにサインが出され、高野は投球動作へと移る。

 初球は、インコース高めへ投じた。アンダーハンドから放たれた速球は、打者の胸元でホップする。キャッチャーのミットが、迫力ある音を鳴らす。

「ボール、ハイ!」

 判定を聞き、丸井が「ふぅ」と吐息を漏らす。

 ほう、よく見たな。もしくは手が出なかったのか。ま……打ちにいったところで、そうカンタンには捉えられないだろうが。

 二球目もインコース高め。ただし今度は、カーブを投じた。

「……おっと」

 丸井は一瞬バットを出し掛かるが、寸前で止める。

「ボール、ツー!」

 返球を捕り、思わず唇を噛む。

 くそぅ……ちゃんと見てやがる。いぜん小野田さん達と戦った時は、最初ボールに怖じ気づいてやがったのに。やはり、あの時とはちがうのか。

 次の二球は、アウトコース高めに投じた。速球とカーブがいずれも決まる。五球目は、インコース高めの速球を見極められた。これでフルカウント。続く六球目、今度は高めのカーブをカットされる。

 けっ、可愛げのねぇやつ。しかし、ああしてカットしたところを見ると、どうやら高めの速球にだいぶ目を慣らしてきたようだな。ちとシャクだが、そうくるなら……

 高野はひそかに、含み笑いを漏らす。

 迎えた七球目。サインにうなずくと、一転してアウトコース低めへ投じる。この高さを狙っていたのだろう、丸井はバットを差し出す。

 ところが……ホームベース手前で、ボールはすっと沈んだ。

 丸井は「うっ」と体勢を崩し、前へ泳ぎかける。それでも辛うじてヘッドを残し、はらうように打ち返した。

「……し、しまった!」

 速いゴロが二遊間へ飛ぶ。それでも二塁手が、逆シングルで打球を押さえ、すかさず一塁へトス。滑らかな一連の動作だった。丸井のヘッドスライディングも及ばず、一塁塁審が「アウト!」とコールする。

 どうだ、見たかっ。そっちが高めを捨ててくるのは、想定ずみなんだよ!

 

 

「……ま、まさかっ」

 丸井がセカンドゴロに打ち取られた瞬間、戸室が驚嘆の声を発した。その周囲で、他のナイン達もざわめく。

「ドロップなんて、聞いてねーぞ。あのヤロウ隠してやがったな」

「戸室、落ち着けよ」

 なだめるように、谷口は言った。

「しかし……こうなったら、作戦を変えていかなきゃ」

 傍らで、横井が割って入る。

「球威が落ちるまでは、なるべく高めを捨てて、ベルトから下のボールを狙おうって話だったろ。やつらこれを想定して、始めからドロップで打ち取る算段だったんだ」

「じ、じゃあ……つぎの島田に、ねらい球を変えてけって伝えないと」

 ベンチから出かかる戸室を、谷口は「いいから」と制す。

「島田には、俺が伝えてくる。みんな待っててくれ」

 そう告げて、急いでネクストバッターズサークルへと駆け出した。

 すでにバッターラックが掛かり、島田は打席に入ろうとしていた。そこでタイムを取り、こちらに呼び戻す。

「……あ、キャプテン」

 先に戻ってきた丸井が、気を利かせ伝えてくる。

「落ちるボールのことは、ぼくが島田に言いましたよ」

「ありがとう。しかし、付け足すことがあるんだ」

 丸井は一瞬訝しむ目をしたが、素直に「分かりました」と引き上げていく。それと入れ替わるように、島田が駆けてきた。

「キャプテン、あのボールのことですか」

「そうだ。ひとまず、いまは手短に伝える」

 内野のダイヤモンドに背を向け、二人は中腰になる。

「……いいか、よく聞けよ」

 声を潜めて、ポイントだけを告げた。

「作戦は変えない。そのまま低めをねらえ」

 島田は「えっ?」と目を見開く。

「ワケは後で話す。さ、いけっ」

「は、はぁ……」

 戸惑いながらも、後輩は打席に戻った。

「……な、なぁ谷口」

 ベンチに帰ると、すぐに横井が問うてきた。

「島田になんて、指示したんだ?」

「ん……そのまま低めをねらえ、作戦は変えないって伝えたよ」

 ええっ、とナイン達が声を上げる。

「つ、強気でいくってのも……まぁ分かるけどよ」

 横井は苦笑い混じりに言った。

「そりゃ場合によるんじゃねぇか。なにせ、相手が相手だし」

「いや、それはちがう」

 確信を持って、谷口は答える。

「これは強気がどうのって問題じゃない。ちゃんと理由があるんだ」

 自然にナイン達が集まってきた。しばし間を置き、谷口は話を続ける。

「ドロップのことは、半田のノートにもなかった。ということは……秋の時点で、高野はまだ投げてなかったこと。そうだな、半田?」

 半田はきっぱりと返事した。

「はい、ちゃんと確認しました」

「それがこんな短期間で、どうしてドロップを覚えようと思ったのか。しかも、わざわざ隠してまで。向こうの立場で、考えてみろよ」

 ふいに数人から、ああ……と溜息が漏れた。島田がドロップを引っ掛け、ショートゴロに打ち取られる。これでツーアウト。

「……カンタンなことじゃないですか」

 口元に笑みを浮かべ、イガラシが発言した。

「川北は、高めを見られるのが……やっぱりイヤなんですよ」

 はっとしたように、ナイン達は「そ、そうかっ」と声を発した。

「うむ。いませっかく、ボールの見きわめができているんだ。ドロップを避けようとして、高めに手を出すようになれば、かえって向こうの策にハマってしまう」

 声を潜め、さらに続ける。

「さっきも言ったが、慌てなくていい。こうして揺さぶってくることは、もともと想定してた。すぐに打てなくていい、まず動じないこと。これを相手に見せつけてやろう。そうすれば、向こうが焦ってくるはずだ」

「は、はい!」

 ナイン達の声に、力強さが戻った。

 

 

「……く、くそうっ」

 ショートゴロに倒れた島田が、悔しげに引き上げてくる。

「惜しかったな」

 すれ違い際、倉橋はそう声を掛けた。

「少し引っかけちまったが、ねらいは悪くねーよ。慣れりゃミートできるさ」

「はい……あ、そうだ」

 分かってるよ、と先回りする。

「低めをねらうって作戦は、変えないんだろ?」

「え、どうしてそれを」

「俺もその方がいいと思ってたのさ。やつらの小細工に踊らされて、こっちからペースを崩すどうりはねぇからな」

 島田を見送り、軽く二、三度素振りして打席に入る。

 マウンド上。高野は、すぐに投球動作を始めた。ダイナミックなアンダーハンドのフォームから、第一球を投じる。上背だけでなく、長い腕。まるで、こちらのすぐ目の前でボールを離されるようだ。

 ズバン。快速球が、インコース高めに決まる。

 やはり手元でホップしてきたか。それにしてもフォームといい、タマの軌道といい、ほんと小野田さんに瓜二つだぜ。いや……むしろ制球は、高野が上回っているかもな。

 二球目、今度はカーブを投じてきた。やはりインコース高め。倉橋はこれを見送り、判定はボール。その時、僅かながら高野の口元が歪む。

 ハハァン。高めをじっくり見られるのは、やはりイヤらしいな。球数が増えれば、どうしたって球威が落ちてくる。谷口の判断は、どうやら正しかったらしいぞ。

 次の二球は、いずれもアウトコース高め。三球目のカーブは見きわめ、四球目の速球はカットする。これでイーブンカウントとなった。

 ふむ。ここまで、すべて高め。そろそろ目先を変えてくるだろう。速球かドロップか……ここはひとつ、ヤマを張ってみるか。

 そして五球目。果たして、高野は低めを突いてきた。ところが読みに反して、球種は真っすぐ。ボールの威力に、バットが押し込まれる。

「センター!」

 振り向きざまに、高野が叫ぶ。

 打球は詰まった分、ふらふらっと二塁ベース後方に上がった。あわやポテンヒットかと思われたが、鋭くダッシュしてきた中堅手が飛び付き、グラブに収める。

「……あ、アウト!」

 二塁塁審のコールに、倉橋は苦笑いを浮かべた。

 あーあ、読みを外しちまったか。にしても速球は、さすがの威力だ。しっかり振り切らないと、いまみたいに押されちまうな。ただ……

 高野が眼前を通りすぎ、ベンチへ引き上げていく。その眼差しは険しい。

 あれは、思うようにいかなかったってツラだな。そりゃそうだ。こちとら、打てないまでもカットするか、際どいコースを見きわめられるだけの技りょうは、ちゃんと身につけてきたんだ。いつまでも、昔のままなワケねぇだろ。

 

 

「みんな来てくれ」

 三塁側ベンチ。田淵は、初めてナイン達を集合させる。

 バットの収納スタンド手前で、全員を円座にさせた。その脇に、自分も屈み込む。メンバーの神妙な視線が、彼に注がれる。

「申し訳ないが……まだ向こうのねらいを、俺はつかみ切れていない」

 見栄を張っても仕方がない。そこは、素直に認めた。

「たしかなのは、墨谷が非常にしぶといチームということだ。一昨年にうちと戦った時は、かなり力量差があったにも関わらず、あわやという展開を強いられた。諸君らの中には、覚えがある者もいるだろう」

 当時ベンチ入りしていた高野を始め、数人がうなずく。

「そんな相手に、意図を読めぬままズルズルいくのは、危険だ。かといって、いぜんのように力で圧倒できるほどの差は、もはやない。そこで……ここは一揉みしてみよう」

 そう告げて、田淵は「秋葉、高野」と中軸二人を呼んだ。

「は、はいっ」

「なにか作戦でしょうか?」

 田淵は、短く趣旨を伝える。

「強振してみろ」

 やや戸惑ったふうに、二人は目を見合わせる。

「向こうのバッテリーの組み立ては、いまのところインコースを見せて、最後はアウトコースで勝負というパターンだ。あの倉橋にしては、単純すぎる。何人かが言っていたように、ピッチャーの球威をアテにしてるのかもしれんが……どうも解せない」

 なるほど……と、高野がつぶやいた。

「打たれた時の、やつらの反応を見るわけですね」

「ああ。もし単に、ピッチャー頼みというだけなら、慌ててパターンを変えてくるだろう。そうなったら、いくらでもつけ込めるが」

 ちがうだろうな、と田淵はひそかにつぶやく。

「ま、いずれにしても……向こうの手のひらで踊らされるのは、面白くないだろ。ここらで、やつらのハラを暴いてやろうじゃないか!」

 川北ナインは、威勢よく「はいっ」と返事した。

 

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