南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

夏井いつき先生の功績は、俳句を“庶民の文化”という本来の位置に戻したこと!

 

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<はじめに>

 

 夏井いつき先生といえば、人気バラエティ番組「プレバト」俳句査定コーナーにおける“毒舌先生”として、いまや最も有名な俳人といっても過言ではないだろう。

 

 私自身も、夏井先生とプレバトの大ファンである。一方で、俳句をバラエティの舞台に持ち込むなど、これまで数々の「前例のない活動」を行ってきた彼女には、少なからず批判の声があるということも、ちらほら耳にする。

 

 先生のファンである私は、そうした声にすぐさま言い返したくなってしまう(笑)。だが、こういう場合……反論したところで、ますます相手に火をつけてしまう。段々こっちもヒートアップしてきて、疲れてしまうのがオチだ。

 

 そこで、なぜこうした話が出てきてしまうのか、自分なりに考察してみたい。

 

1.夏井先生の“虎の威を借る”ヤツがいるのでは!?

 

 「プレバト」を見て俳句を始めた方の中には、夏井先生の言うことが“絶対”だと信じ込んでしまう人もいるのではないだろうか。

 

 こういう人が、例えば近所の句会に出掛けていくと、どうなるか。おそらく中には、主宰の先生に対して「夏井先生はこんなこと言わなかったのに」などと、失礼な態度を取ってしまう者もいるのだろう。

 

 また句会という場所は、一定のしきたり・ルールというものが存在する。本人に悪気はなくても、それを知らず(学ぼうとせず)に参加すると、主宰や他の参加者にとっては愉快ではないだろう。

 

 ルール知らずの参加者の多くが「プレバトを見て俳句を始めました」と口にするため、ブーム以前から俳句を始めている人が「プレバト(夏井いつき)ふざけんなよ」と思ってしまうのも、無理からぬことかもしれない。

 

 また、中には「プレバト」における夏井先生の“毒舌”の表層的な部分だけを真似て、初心者に対して、かなり尊大な態度を取る人もいると思われる。

 

 夏井先生とは関係ないが、地元で私が俳句をかじっていると話した際、自分もやっているという年配の方に、ものすごく上から目線でマウントを取られたことがある。曰く「おまえは頭がカタイから向いてない」とのこと。内心(なんでオマエにそんなこと言われないといけねーんだよ)と思ったものだ。

 

 ここまで述べたように、いわゆる夏井先生の“虎の威”を借り、句会の主宰や参加者、俳句初心者の方に対して、不愉快な思いをさせる者が、一定数いるということなのだろう。

 

2.「夏井いつきは俳句を“金儲けの道具”にしている」という馬鹿げた批判

 

 これも未だに言われるらしい。申し訳ないが、その点についてはまったく共感できない。二重の意味で的外れだと私は思う。

 

 まず……客観的に見て、夏井先生の活動は、もはや「金儲けが目的」という範疇をとっくに超えている。

 

 「プレバト」を始めとする数々のTV・ラジオ番組の出演。さらに句会ライブや講演会などの全国行脚。そして、私も投句している「俳句ポスト365」や「俳句生活」(通販生活)の審査。休む暇があるのかと思えるほどの、多忙な日々だ。

 

 数々の著書がベストセラーになり、印税収入もかなりあるだろうから、もう少しゆっくりしても良さそうなのだが、彼女に足を止める気配はない。

 

 なぜかと言えば……これはもう、夏井先生の“情熱”と言うほかないだろう。俳句の素晴らしさを多くの人に伝えたいという、彼女のパッションがそうさせているとしか思えない。

 

 さらに付け加えておこう。もし仮に、夏井先生の第一目的が“金儲け”だとして、いったい何が悪いというのだろう。

 

 彼女にだって、食い扶持は必要だ。また、句会ライブや俳句甲子園を始め、様々なイベントを主催するのに、資金はいくらあっても足りないだろう。

 

 この件に限らず、我が国では「金儲けは良くない」という感覚が依然として残っているが、それは危険な考えだと思う。

 

 いわば「収入の大きさ=責任の大きさ」である。

 

 対価が得られるからこそ、人はベストを尽くす。ボランティアで良いというのなら、その分だけ手を抜いても、責任を問われないことになる。

 

 やや話は逸れたが……夏井先生の活動動機が何であれ、現実に多くの人を楽しませているし、それによって俳句に興味を持つ人(特に若年層)が増えていることは、誰にも否定できない。その対価を、むしろ先生は堂々と受け取るべきだろう(笑)。

 

3.夏井先生の意見を“絶対”だと捉える人は、上達できない!

 

 これは「1」の項目とも関連する。たしかにプレバトでの夏井先生は、かなり言い切りの口調のため、「これが絶対」だと錯覚する人もいるのだろう。

 

 ただ……申し訳ないが、これは当人の意識が低いと言わざるを得ない。

 

 プレバト視聴者で、かつ俳句ポストに長く投句している方は、きっと共感していただけると思う。プレバトにおける夏井先生の採点は、あれでもだいぶ手加減している(笑)。

 

 とりわけ<才能アリ>査定。もちろん「さすが」と感嘆する句もあるが、中には(これが本当に才能アリかよ?)と思ってしまう句もある。少なくとも“ちょうど70点”レベルの句は、俳句ポストでは人に採ってもらえないだろう。

 

 思うに、いままで夏井先生が果たしてきた主な役割というのは、俳句に「興味がない人に興味を持たせる」ことである(もちろん、中級者以上向けの著書も出版されている)。

 

 プレバトあるいは初心者向けの本で、夏井先生の言う通りにやれば、たしかに初心者にでも“それなりの句”は詠める(実はそれが一番スゴイのだが!)。

 

 しかし、そこからさらに上達しようと思えば、他の俳人からも学ぶ必要がある。またその途上で、自分のやりやすい型を覚えられれば、句のレベルが安定してくる。

 

 話を戻そう……要するに、夏井先生の言うこと“しか”聞かないというのは、単に本人が意固地かつ勉強不足なだけである。これまで彼女のせいにするのは、言いがかりがすぎる。

 

4.“功罪”ではなく“成果と課題”という見方をすれば良いのでは!?

 

 そろそろ結論を出すとしよう。

 

 思うのだが、この“功罪”という言い方が、良くないように思える。これだと「良い所もありますけど、実は悪い所もあるんですよ」と、少なからず攻撃的な印象を与えてしまう。

 

 そうではなく――“成果と課題”というふうに、表現を変えたらどうだろうか。

 

 夏井先生(とプレバト)の活躍により、俳句に興味を持つ人が増えた。これはもう、間違いなく“成果”である。

 

一方で、プレバトが人気を博す以前に、俳句会を支えていた方に対して敬意が払われない。あるいは、俳句をカン違いする人も少なからず出てきている。これを“課題”として、今後どうするか考えていけば良い。ただ、それだけの話である。

 

5.夏井いつき先生の“危機感”を理解せよ!

 

 これでもまだ、夏井先生の活動にイチャモンを付ける人は、「俳句の種まき」を始めた当初の、彼女の“このままだと俳句は根腐れする”という危機感を理解できるだろうか。

 

 プレバトが始まる前は、私もどこか「俳句は別世界のモノ」という印象があった。いわば“伝統芸能”であり、そう気軽には立ち入れない世界だと思っていた。

 

 ただ……それは、俳句本来の性質ではないのである。

 

 歴史を遡れば、貴族が嗜んでいた「歌」を、五・七・五の調べはそのままに、庶民でも楽しめるように改良したのが「俳句」の始まりだった(※かなり大雑把に言っています)。すなわち、以前のように一部の人達だけのモノという在り様自体、「庶民も楽しめるように」という俳句の本質に反していたのである。

 

 夏井いつきの功績を一言で表すなら……“伝統芸能”となりかけていた俳句を、“庶民の文化”という本来の位置に戻したことである。それがどれだけ大きいことだったかは、きっと歴史が証明するだろう。

 

 

 

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