南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第28話「白熱の頭脳戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

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 第28話 白熱の頭脳戦!の巻

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1.田淵の采配

 

 逆転直後。二点目のホームを踏んだ墨高のキャプテン谷口は、一旦ベンチに戻るも、グラブを取っただけですぐに出てきた。そしてブルペンへと駆けていく。

「ふむ。先に動いたか」

 一塁側ベンチ。田淵は、首を軽くひねった。

 リードを奪った後のエース投入は、たしかに定石通りだ。過去の傾向を見ても、墨高は複数投手の継投を多用している。しかし、どこか引っ掛かるものがあった。

 四回五回と、松川は調子を上げてきている。うちが捉え出したわけじゃない。始めからその予定だったか。あるいは……まだなにか、別のねらいを隠しているのか。

「ボール!」

 アンパイアのコールに、はっとした。

「スリーボール、ワンストライク」

 すでに試合は再開されている。適時打の横井が一塁、敬遠四球のイガラシは三塁まで進んでいた。依然としてピンチが続く。

 やれやれ……と、小さくかぶりを振る。

 いかんな、監督役の俺がこんなこっちゃ。いま考えるべきは、敵のことよりも自分達のことだ。あいつらの迷いを、まず取り除いてやらないと。

 横に視線を移すと、控えメンバーが戦況を見守っていた。どうにかレギュラー陣を盛り立てようと、懸命に声援を送り続けている。

「へいっ、攻めろバッテリー」

「ビビるな高野。向かっていけ」

 打席には、五回まで力投の松川に代わり、岡村という一年生が入っていた。小兵ながら選球眼に優れ、際どいコースをことごとく見極められている。

「ボール、フォア!」

 五球目の判定に、高野が露骨に顔を歪めた。

 アンパイアは一塁ベースを指さす。岡村がバットを置いて歩き出し、一塁ランナーの横井が進塁する。これでツーアウト満塁。

 そろそろこっちも、手を打っておこう。

「……石川、来い」

 控えメンバーの一人に、田淵は声を掛けた。

「あ、はいっ」

 長身の選手が立ち上がる。そしてこちらに来ると、直立不動の姿勢になった。

「次期エースと噂されているのは、おまえだったな」

「えっ。は、はぁ」

 石川と呼ばれた選手は、二年生の左腕投手である。層の厚い川北投手陣にあって、エース高野に次ぐ実力者と言われていた。

「いますぐブルペンで、肩をあたためてくるんだ」

 その一言に、他のメンバー達がざわめく。

「おい。ぼんやりしてる時間はないぞ」

 なおも戸惑う石川を、急き立てる。

「早ければ、つぎの六回から登板てこともあるかもしれん。いつでも行けるように、急いで準備してくれ」

 周囲のざわめきが、さらに大きくなる。それでも石川は「分かりました」と、表情を引き締めた。どうやら危機感が伝わったらしい。

「ひととおりウォーミングアップは終えています。肩をあたためるのに、そこまで時間はかからないはずです」

「うむ。アテにしているぞ、石川」

 後輩はうなずくと、控え捕手を伴ってブルペンへ走った。

 二人を見送りつつ、田淵は「おまえ達もだ」と、残りのメンバーにも告げる。

「この回が終わったら、全員よく体を動かしておけ。調子のいい者から、代打や守備固めで使っていく」

 控えメンバー達は、戸惑いながらも「はいっ」と返事した。

「……せ、先輩」

 記録員の部員が、こちらに驚いた目を向ける。

「エースの高野ばかりか、レギュラーを下げるとおっしゃるのですか」

 田淵は「そうだ」と、即答した。

「ここまでも展開を考えれば、分かるだろう」

「そ、それは……しかし」

「もうなりふり構ってる場合じゃない」

 相手のやりきれない気持ちを察しながらも、きっぱりと答える。

「あらゆる手を尽くさなければ、われわれは負ける」

 記録員はぐっと押し黙る。田淵は、もう一度「負けるんだぞ」と繰り返した。

「……せ、センター!」

 パシッという快音と同時に、キャッチャー秋葉が叫ぶ。墨高の八番打者加藤の放ったライナー性の打球が、ぐんぐん伸びていく。ツーアウトのため、三人のランナーは一斉にスタートを切った。

「ぬ、抜けろっ」

「捕ってくれ。たのむ!」

 歓声と悲鳴が交錯する中を、中堅手の柳井は、快足を飛ばし背走。そして外野フェンスの数メートル手前でジャンプした。そのグラブの先に、辛うじてボールが収まる。

 着地した柳井は、バランスを崩し転がった。それでもボールはこぼれない。二塁塁審が走り寄り、右拳を高く掲げる。

「……アウト!」

 その瞬間、周囲から安堵の溜息が漏れた。ピンチを凌いだファインプレーに、一塁側スタンドが大いに沸く。

 田淵はしばし瞑目した。ここからが勝負だと、胸の内につぶやく。

 まだ一点差、しかも残り四イニングある。情報が足りず、後手に回ってしまったが、これは仕方がない。いつもの川北のプレーさえできれば、必ずひっくり返せるはずだ。

 ほどなく、レギュラー陣が引き上げてきた。

 田淵は、控えメンバーにウォーミングアップを命じ、レギュラーだけ「そのまま来るんだ」とベンチ奥へ集合させた。

 明らかに雰囲気が重い。とりわけ高野と秋葉のバッテリーは、逆転を許したショックからか、頬の辺りがこわばっている。

「なにをうろたえてるんだ」

 あえて厳しい口調で、田淵は言った。

「昨秋四強止まりだったおまえ達が、シード校を簡単に倒せるとでも思ってたのか」

「……い、いえ」

 田淵が小さく返事した。

「だったら、そうショボくれた顔するな」

 少し声を明るくして、話を続ける。

「あと四イニングもあるんだぞ。おまえ達が、ほんらいの力を出しさえすれば、いつでもひっくり返せる。まさか、たった一点で勝とうなんて、ムシのいいこと考えてたわけじゃあるまい」

 くすっと笑い声が漏れた。ナイン達の表情が、幾分和らぐ。

「ようし。では、後半の作戦を言う」

 田淵がそう告げると、後輩達は口元を引き締める。

「ここからは中軸だけじゃなく、全員思いきりバットを振り抜くんだ」

 ええっ、と戸惑いの声が聴かれた。田淵は構わず続ける。

「内か外か。もしくは真っすぐか変化球か。ねらい球をはっきり決めて、フルスイングしろ」

「し……しかし、先輩」

 仲間の思いを代弁するように、秋葉が質問した。

「ただでさえ打ちあぐねているのに、フルスイングなんてしたら。ますますミートできなくなってしまうんじゃ」

「うむ。そのミートしなければという考えこそ、墨谷の思うツボなんだ」

 予想外の返答に、相手は口をつぐむ。

「いまおまえ達は、選球眼をくるわされている」

 田淵はさらに畳み掛ける。

「四回あたりから、ボール球を打たされるケースが増えてきたろう。それは偶然じゃない。向こうのバッテリーが、少しずつコースを外しているからだ」

 ああっ、と数人が声を上げた。

「それでやつら、わざとこっちの得意コースに」

「む。好きな所にくるからと、ついなんでも手を出しがちになってたのか。相手がボールをずらしていると気づかずに」

 高野と秋葉が続けて言った。さすがにバッテリーは、飲み込みが早い。

「そういうことだ」

 声をひそめ、田淵はうなずく。

「修正するためには、打つ球と捨てるタマをよく見きわめることだ。見ろ」

 川北ナインが振り向いた視線の先。三塁側ブルペンでは、谷口が投球練習を続けていた。受ける控え捕手のミットが、何度も小気味よい音を鳴らす。

「つぎの回から、墨高はエースの谷口を登板させるだろう。やつの特長は、正確なコントロールと多彩な変化球。そんな相手に、どれでも合わせようという気でいたら、ますます凡打の山を築いてしまうぞ」

 ここで少し間を置く。そして拳を握り、檄を飛ばす。

「いいか。なにより大事なのは、うちほんらいのプレーをすることだ。おまえ達がその力を発揮しさえすれば、いくらでもばん回できる。自信を持っていけ!」

 ナイン達は、声を揃えて「はいっ」と返事した。

 

 

2.谷口登板

 

 六回表。いよいよ谷口が、マウンドに上がった。

 川北の打順は、上位に回る。谷口の眼前。さっき好守備を見せた一番柳井が、ゆっくりと右打席に入ってきた。その眼光は鋭い。

 すでに回始めの投球練習は済んでいた。ロージンバックを指に馴染ませながら、谷口は相手打者を観察する。

 控えメンバーに準備させたうえで、ずいぶん入念にミーティングしてたな。ひょっとして代打を使ってくるかもと思ったが、上位でそれはしてこなかったか。ただこの回、なにかしら仕掛けてくることは間違いない。

 一旦プレートを外し、内野陣の面々を見回す。谷口の抜けたサードには、さっき代打として送った岡村がそのまま入る。あとはそのままの布陣だ。

 谷口はふと、あることに思い至った。ここでタイムを取り、一人の後輩を呼ぶ。

「イガラシ。ちょっと」

「は、はいっ」

 一瞬戸惑った目をしながらも、イガラシはすぐに駆け寄る。

「なにか?」

「この後、おまえ投げられるか」

 相手は「えっ」と、意外そうな目をした。

「キャプテン。さっき井口へ、肩をあたためておくように指示してたんじゃ」

 その井口は、今ブルペンにいる。控え捕手の根岸を立たせ、ボールの握り方を確かめながら、山なりで放っている。

「次戦の準備だと、井口には伝えた。それと相手への目くらましも兼ねてる」

「ああ、なるほど」

 飲み込み早く、イガラシはすぐにうなずいた。

「もちろん行けと言われれば、行きますけど」

 そう言って、くすっと笑みを浮かべる。

「もしやキャプテン。打たれるんじゃないかと、弱気になっちゃいましたか」

「ははっ、まさか」

 後輩の懸念を、谷口は一笑に付す。

「おさえる気じゃなきゃ、マウンドには立たないさ。しかし手を打っておくに越したことはないだろう」

 イガラシは「よく分かりました」と、素直に返事した。

「最後のツメってわけですね。そういうことなら、ちゃんと準備しておきますよ」

 念のため、一つ尋ねてみる。

「あまり肩をあたためる時間はないだろうが、だいじょうぶか?」

「なーに、平気ですよ」

 後輩はそう言って、にやりと笑う。

「急なリリーフには慣れてるので。キャプテンも、よく知ってるでしょう」

 まるで物怖じしない態度に、心配いらないなと確信する。

「む。それじゃ、頼んだぞ」

「ええ、まかせといてください」

 それだけ言葉を交わし、後輩はポジションへ戻っていく。

 ほどなくタイムが解かれ、アンパイアが「プレイ!」とコールした。右打席に立つ柳井は、すぐにバットを構える。

 初球。倉橋はフォークボールのサインを出し、ミットを「ここよ」とアウトコース低めに構えた。なるほど……と、谷口は胸の内につぶやく。

 考えたな倉橋。まずはボールになる変化球で、探ろうってことか。

 サインにうなずき、投球動作を始めた。ワインドアップモーション。左足を上げて踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 谷口の投じた第一球は、途中まで真っすぐと同じ軌道ながら、ホームベース手前ですうっと沈んだ。その上っ面を、柳井のバットが掠める。チッと音がした。

「ファール!」

 アンパイアが両腕を大きく広げた。柳井は「くそうっ」と、唇を歪める。

「どしたい柳井」

 ベンチからすかさず、田淵が檄を飛ばす。

「いまのはボール球だぞ。もっとよく見るんだ」

「は、はいっ」

 短く返事して、柳井は足元を均す。

「谷口。ほれ、ボール」

「あ、うむ」

 倉橋からの返球を捕り、谷口は小さく吐息をついた。

 いま強く振ってきたのは、やはり指示があったのか。しかも選球眼をくるわされていることに、どうも気づいたようだ。さすが田淵さん。いぜん苦戦させられただけあって、後輩メンバーへの采配も的確だ。

 二球目もアウトコース低め。ただし次は、カーブを投じた。

 またも柳井のバットが回り、快音が響く。ライト線へ鋭いライナーが飛んだ。しかし一塁ベース上付近でスライスし、そのまま川北応援団の陣取るスタンドへ吸い込まれる。二球続けてファール、これでツーナッシングと追い込んだ。

「こら柳井。いまのも外れてるぞ」

 今度は、正捕手の秋葉が怒鳴る。

「きさま一番のくせに、ストライクとボールの区別もつかんのか」

「す、スマン」

 気まずそうに言った後、ぼそっとつぶやく。

「おかしいな。好きなコースだってのに」

 この瞬間、谷口は「しめた」と思った。そして倉橋と目を見合わせる。相手も同じ気持ちだったらしく、かすかにうなずいた。

 どうやら田淵さんは、ねらいをしぼって強振するように伝えただけで、なにをねらうかまでは指示していない。だからこのバッターは、自分の好きなアウトコースに手を出してきたんだ。となれば……打ち合わせたとおり、いけるぞ倉橋。

 そして三球目。倉橋の出したサインに、谷口は迷わずうなずいた。

 再びワインドアップモーションから、投球動作へと移る。左足を踏み出し、倉橋のミット目掛けてボールを放つ。

 ズバン、と小気味よい音がした。

 インコース低めの真っすぐ。柳井が、最も苦手とするコースだ。アウトコースばかり意識していた彼は、手が出ない。

「ストライク、バッターアウト!」

 谷口は、小さく「やった」と声を発した。周囲も湧き上がる。

「いいぞ谷口。ナイスボール」

 珍しく倉橋が、満足げに笑う。

「ナイスピッチング、さすがキャプテン」

「この調子でいきましょう」

 ナイン達も口々に声援を送る。

「さあ、まだワンアウトだ」

 チームメイトを心強く思いながらも、谷口は口元を引き締める。

「つぎはバッター二番よ。いくぞバック!」

 キャプテンの声に、墨高ナインは「おうよっ」と力強く応えた。

 

 

 一塁側ベンチは、なかなかざわめきが収まらない。

「こ、ここでインコース低めだと」

「向こうのバッテリー、俺らに対策されるのをおそれて、苦手コースには投げてこないはずじゃなかったのかよ」

 ほどなく柳井が引き上げてくる。チームメイト達と目を合わせ、苦笑いを浮かべた。

「スマン。まさか、うちの打線をおさえてきた組み立てを、ここで変えてくるとは」

 ヘルメットを脱ぎ、数回かぶりを振る。

「ストライク、ツー!」

 アンパイアの声が響く。二番打者も、あっという間に追い込まれる。

 そして三球目。ガッ、と鈍い音がした。ほぼ一塁ベースの真上に、凡フライ。一塁手の加藤が、定位置から動かず捕球する。これでツーアウト。

「ああ、またボール球を」

 記録員が溜息混じりに言った。

「苦手なインコースを続けられたからな」

 話に割り込んできたのは、柳井だった。

「追い込まれた後で、ようやく待ってたアウトコースがきたものだから、つい手が出ちまったんだ」

 ベンチが静まり返る。一旦は前向きになりかけたムードが、再び沈んでいく。

「……そういうことか」

 後輩達の傍らで、田淵はほぞを噛む。

 分かったぞ、墨谷の本当のねらいが。単にウラをかいたというだけじゃない。やつら始めから、こういう筋書きを作ってたんだ。

 ガシッ。三番打者の池田が、アウトコース低めのフォークを空振りした。スイング音と同時に、ボールがホームベース横で跳ねる。

「いまの、けっこう落ちたぞ」

 高野が呻くように言った。

「昨秋の大会で見た時よりも、フォークの落差が増してやがる」

 やっかいだな、と柳井がうなずく。

「しかも変化球は多彩だし、コントロールの良さもあいかわらずだ。池田のやつ、苦手なアウトコースにヤマを張ってたようだが、まんまとボールを振らされちまった」

「む。けど三番が、あんなワンバウンドに手を出しちゃいかんだろう」

「しかたないさ」

 自分が三振を喫したからか、柳井は庇うように言った。

「こちとら、得意コースさえ打ちあぐねてたからな。そこへ持ってきて、苦手コースにも投げ分けられたら、ますます混乱しちまう」

 それなんだよ、と田淵は胸の内につぶやく。

 墨谷は始めから、そのつもりだったんだ。打ち込まれる危険を冒して、こっちの得意コースに投げてきたのは、対策されると見越したからじゃない。大事な場面で、苦手コースをかく実に打てなくさせるためだ。

 バシッ。倉橋のミットが、乾いた音を立てる。アウトコース低めいっぱいの真っすぐに、池田は手が出ない。

「ストライク、バッターアウト。チェンジ!」

 無情にも、アンパイアのコール。ナイン達から「ああっ」と、深い溜息が漏れる。

「やいてめぇら、イチイチ暗い顔するんじゃねぇっ」

 ふいに大声を発したのは、高野だった。

「カンタンに勝てる相手じゃないのは、最初から分かってたろ。それと、さっき田淵さんも言ってたが、まだイニングはある。たった一点差、どうにでもなるじゃないか」

「お、おうっ」

 エースの剣幕に押され、ナイン達は戸惑いの声を発した。

 仲間の弱気を一喝すると、エースはグラブを手に立ち上がる。その背中に、田淵は「おい高野」と呼び掛けた。相手はこちらの目を見上げる。

「気合はいいが、けっして焦るなよ。この分だと、後半もガマン比べになりそうだし、力まず丁寧に投げていくんだ」

「分かってます」

 微笑んで、高野は言った。

「苦しい時に踏んばれてこそ、川北のエースです。これぐらいの劣勢で、ずっこけやしませんよ」

「む、その意気だ」

 田淵は「おまえ達もな」と、他のメンバーにも顔を向けた。

「向こうのバッテリーが、組み立てを変えてきたとはいえ、こっちのやることは同じだ。ねらい球をしぼり、思いきり振りぬく」

 語気を強めて、さらに付け加えた。

「すぐに打てなくてもいい。ただ、迷うな。最後にひっくり返すつもりでいけ」

 今度は声を揃えて、ナイン達は「はいっ」と返事した。

 エース高野を先頭に、レギュラー陣はグラウンドへと散っていく。後輩達を見守りつつ、田淵は墨谷ナインの控える三塁側ベンチへと視線を映した。

 キャプテン谷口、そして正捕手の倉橋が、六回裏の攻撃に備え何ごとか話している。

 警戒はしていたが、予想以上だったな。まさか墨谷が、ここまでち密な策を立ててくるとは思わなかったぜ。しかし……まだ打つ手は、ある!

 ベンチの隅に立ち、田淵はひそかに決心を固めた。

 

 

3.川北の対抗策

 

 六回裏。墨高はヒット性の当たりを連発するも、川北守備陣の好プレーに阻まれ出塁ならず。けっきょく三人で攻撃を終える。

 続く七回表。川北は先頭の四番秋葉が、谷口のカーブに泳がされセンターフライ。ワンアウトランナーなしで、五番打者の高野を迎えた。

 

 バットを担ぎ、秋葉はうつむき加減で引き上げていく。期待の主軸が打ち取られ、一塁側ベンチとスタンドから、落胆の声が漏れる。

「しっかりしろい」

 気落ちするナイン達へ、田淵は檄を飛ばす。

「そうやってしょんぼりしてたら、ますます力が出せないじゃえぇか。ほれ、みんなで高野を元気づけてやるんだ」

「は、はい」

 先輩に促され、川北は後続のエース高野へ声援を送る。

「高野、思いきりいけよ」

「打てるタマだけねらうんだっ」

 マウンド上。足元にロージンバックを放り、谷口は打者を観察した。

「さぁ来いっ」

 気合のこもった声を発し、高野は右打席へと入る。

 おや、と谷口は思った。相手打者はバッターボックスのホームベース側のラインぎりぎりに立ち、バットをかなり短く持つ。

 いよいよ川北も、捨て身できたな。ここは注意しないと。

 どうやら倉橋も同じことを感じたらしい。初球は、ミットを外にボール二個分ずらし、カーブのサインを出す。まず様子を探るという球種とコースだ。

 む、と谷口はうなずく。そしてワインドアップモーションから、第一球を投じた。

 くくっと逃げる軌道で、ボールは鋭く曲がる。高野は左足を踏み込み、叩き付けるようにバットを振り下ろした。

「……くわっ」

 ザッという音。打球はワンバウンドし、三塁手岡村の頭上へ高々と上がる。

「さ、サード!」

 谷口は指示を飛ばす。しかし、ボールが岡村のグラブに収まった時、一塁ベースに高野がヘッドスライディングしていた。内野安打、ワンアウト一塁。

「よしっ。ランナーが出たぞ」

「ナイスガッツ、高野!」

 久しぶりに一塁側ベンチ、そしてスタンドが湧く。

「す、すみません。キャプテン」

 岡村がぺこっと頭を下げ、返球してくる。

「少し迷ってしまいました」

「ドンマイよ岡村。いまのは、仕方ないさ」

 後輩を励ましつつも、気掛かりな点が脳裏に浮かぶ。

 嫌な形で出塁されたな。エースのしゅう念で、ようやくチャンスを得た。味方は大いに勇気づけられるだろう。これで勢いづかせないようにしなきゃ。

「高野の気迫、ムダにしないぞ」

「ここから一気に同点、そして逆転だっ」

 懸念した通り、一塁側ベンチは俄かに活気づいてきた。

「た、タイム!」

 倉橋がマウンドに歩み寄ってくる。

「うまくボール球を打たせたんだがな。運のいいやつめ」

 どうやら同じことを感じたらしく、憂うような表情だ。

「まあツキのあるなしは、お互いさまだ。つぎはこっちに転がってくれるさ」

 冗談混じりに返して、谷口は表情を引き締める。

「それより倉橋。向こうはこの機に、きっとなにか仕掛けてくるぞ」

「む、俺も同感だ」

 正捕手はうなずいた。

「もう終盤だし、おまけに打順も下位。ひょっとして足を使ってくることも」

「うむ。十分ありうるな」

 首肯して、谷口は相手ベンチを見やる。

「彼らはいま捨て身になりつつある。どんな策を用いてくるか……」

 その時だった。

「審判!」

 ふいに一塁側ベンチより、田淵が出てきた。そしてアンパイアへ告げる。

「六番バッター、戸田に代わります」

 この声と同時に、ネクストバッターズサークルから選手が引き上げていく。そして入れ替わるように、大柄なバッターが姿を現した。マスコットバットを軽々と振り回し、ゆっくりと打席へ向かう。

 なるほど、と倉橋が吐息混じりに言った。

「代打ときたか。そういや、ここから打順は下位だしな」

「ああ。たしかにあの六番、ここまで当たってないが」

 そう言って、谷口は束の間考え込む。

 しかし得点圏でないのに、ここで代えてくるのか。七回も含め、まだ三イニングあるというのに。そもそも川北は、さほど代打策を使うチームじゃないはずだが……

「どうした?」

 訝しげに倉橋が問うてくる。

「あ、いや……」

 谷口は小さくかぶりを振り、きっぱりと返答した。

「とにかく。この戸田を、かく実に打ち取ろう。向こうに流れを渡さないためにも」

「よしきたっ」

 快活に言って、倉橋はポジションに戻る。そして、戸田が右打席へと入ってきた。

 指先にロージンバックを馴染ませつつ、谷口はバッターと相手ベンチの様子を伺う。ここは慎重にいかなければならないと心得ていた。

 采配を振るう田淵や他のナインに、目立った動きはない。一方、戸田は「来いっ」と気合の声を発し、バットを長く持つ。いわゆる長距離ヒッターの構えだ。

 ここは素直に、打たせるようだな。あとはねらい球だ。真っすぐか変化球か、それともコースをしぼってくるのか。

 初球。倉橋がアウトコース低めに、フォークのサインを出した。谷口はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。

 鈍い音がした。ボールの上っ面を叩いた打球が、三塁側ファールグラウンドに転がる。ファールとなりワンストライク。しかし迷いのないスイングに、谷口は脅威を感じた。

 外角をねらってたのか。フォークにしておいて、よかった。しかし代わったバッターは、得意不得意の情報がないから、ちょっと攻めづらいぞ。

 三球目は、インコース低めに真っすぐを投じた。

 またも戸田は手を出す。一塁線へ、今度は鋭い当たり。ショートバウンドの打球が、飛び付いたファースト加藤のグラブを弾く。

「ファール、ファール!」

 一塁塁審が二度コールし、両腕を大きく広げた。

 あぶない。少しでも甘く入ってたら、フェアだったな。しかしコースじゃなく、真っすぐ一本にしぼってるのか。それなら……

 三球目は、初球と同じアウトコース低め。ただしボール二個分外せというサイン。倉橋が「ここよ」とミットを構えた。む、と谷口はうなずき、投球動作を始める。

 バシッと倉橋のミットが鳴る。戸田はぴくりとも動かない。

「ボール!」

 アンパイアのコールに、周囲から「おおっ」と溜息が漏れる。

「ナイスボール。おしかったな」

 苦笑いが、倉橋のまなじりに浮かぶ。見られちまったかと言いたげだ。

 続く四球目。またもアウトコース低めに、今度はシュートを投じた。ストライクからボールになる軌道。これも戸田は見極め、イーブンカウントとなる。

 谷口は「ううむ」と、首を傾げた。

 レギュラーとちがって、きわどいコースもしっかり選球できてるな。しかも見るだけじゃなく、ねらい球は思いきり振ってくる。けっこう、やっかいだぞ。

 この時、ふと閃くものがあった。ちらっと一塁側ベンチに目をやる。田淵が腕組みしながら、グラウンドへ鋭い眼差しを向けている。

 そうか、分かったぞ。この代打策は、単にチャンスを作るというだけじゃない。こっちの作戦をつぶすためのものだったんだ。

 五球目。倉橋が、インコース高めの真っすぐを要求してきた。バッターの脇の甘さに気付いたらしい。谷口はサイン通りのボールを放る。

 ズバン。戸田のバットが、空を切る。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアが右手を突き上げる。戸田は「くそっ」とバットを足元に叩き付け、ベンチへ帰っていく。これでツーアウト。

「タイム!」

 一塁側ベンチ。またも田淵が出てきて、アンパイアへ告げた。

「七番バッター、野木に代わります」

 やはり、と谷口はつぶやいた。

 ベンチ手前で、野木は数回素振りしてから打席へと向かう。上背はあるものの、かなり細身だ。さほどパンチ力はなさそうだが、動きは俊敏。小技には長けているだろう。

「た、谷口。ちょっと」

 倉橋がマウンドに駆けてくる。

「こりゃ予想外だな。半田達の情報では、やつらが続けざまに代打を送ってくるなんて話、なかったはずだが」

「ああ、そうだな」

 一塁ランナーの高野に聞かれないよう、互いに声を潜める。

「やつら、よほどこの回に勝負をかけてるのか」

「む……たぶん、それはちがうと思う」

 思わぬ返答に、正捕手は目を丸くした。

「どういうことだ?」

「彼らは、こっちの策に対抗してきたのさ。よく考えついたもんだ。たしかに代打なら、バッターの得意不得意の情報がないし、まだ選球眼もずらされてないから」

「なんだとっ。あ……」

 つい大声を発してしまい、相手が慌てて口元を覆う。

「こっちは川北が、よほどのことがない限りレギュラーを下げないと分かって、あの作戦を立てたんだ。それを見抜いて、すぐに手を打ってくるとは」

 谷口は、素直に感心した。

「さすが田淵さん。かつてキャプテンを任されただけのことはある」

「オイオイ。敵をほめちゃって、どうすんだよ」

 苦笑い混じりに、倉橋は言った。

「このままじゃ、向こうを勢いづかせちまうぞ」

「なーに。やることは、けっきょく一緒じゃないか」

 気楽そうに答える。

「バッターをよく観察して、じっくり打ち取っていくだけだ」

「む、それもそうだな」

 正捕手は納得したのか、踵を返しポジションへと戻っていく。ほどなくタイムが解かれ、アンパイアが「プレイ!」とコールした。

 野木は左打席に入り、バントの構えをする。足を使ってくる気だと、すぐに察した。

 初球。倉橋がアウトコース高めに、真っすぐのサインを出す。もちろん外す球だ。谷口はセットポジションにつき、ランナーがスタートを切りづらいよう十分に間を取ってから、第一球を投じた。

 果たして、やはり高野はスタートを切る。バッテリーの読み通りだ。

 すかさずセカンドの丸井が、二塁ベースカバーに走る。ところが野木は、高めのボール球を強引に引っぱった。

 パシッ。土を這うような打球が、広く空いた一・二塁間を抜けていく。

「く……こなくそっ」

 逆を突かれた丸井が、懸命にグラブを差し出すも届かない。

「ライト、中継だ!」

 谷口は指示を飛ばしつつ、三塁側ファールグラウンドへ走った。高野はすでに二塁ベースを蹴り、さらに加速して三塁ベースへと向かう。

「く、くそうっ」

 前進してきた久保がようやくボールを拾い、中継へ投げ返す。捕球した丸井は、そのまま送球しようとしたが、すでに高野は三塁を陥れていた。

 一塁側ベンチ、そしてスタンドがさらに活気づく。

「さすが野木。ねらいどおり、右へ打ち返したぞ」

「高野もよく走った。ナイスガッツだ!」

 対照的に、三塁側ベンチとスタンドはざわめき始める。じわじわと押し返してきた川北の底力を、多くの者が感じ取っていた。

「……た、タイム!」

 アンパイアに断ってから、倉橋は内野陣をマウンドへ集めた。

 

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