<はじめに>
この時期、本来なら選抜大会で盛り上がっている頃なのだが、あいにくのコロナ禍により大会が中止。どうにか春季沖縄県大会は開催できたものの、球春到来の楽しみがだいぶ減ってしまった。
そこで、少しでも大会中止の埋め合わせになるように、平成における沖縄勢の甲子園での戦いぶりを、改めて振り返ってみようと思う。
前回の記事から、だいぶ期間が空いてしまった(m(__)m)。今回は、いよいよ第5~1位までの五試合を発表することとしたい。
【目次】
- <はじめに>
- 第5位――またも山場は準決勝!“完封負けムード”をひっくり返した終盤の逆転劇!!
- 第4位――大飛球の行方は…… 沖縄県勢・初めて夏の甲子園制覇を掴み掛けた一戦!
- 第3位 気迫で投げ抜いた212球! 誰もが知る名門校を撃破し、県勢悲願の全国制覇を手繰り寄せた延長十二回の死闘!!
- 第2位 切なげに響く「コパカバーナ」の旋律…… ベテラン記者が「彼らも決勝戦に連れて行ってやりたい」と絶賛! 美しく散った奇跡のチーム!!
- 第1位 春夏連覇を狙う“絶対王者”に立ち向かう“最強挑戦者”の気迫! 波乱の序盤戦、しかしやはり王者は強かった……
第5位――またも山場は準決勝!“完封負けムード”をひっくり返した終盤の逆転劇!!
<沖縄尚学 4-2 東洋大姫路(2008年選抜大会・準決勝)>
言うまでもなく沖縄尚学二度目の選抜制覇へ向け、最大の山場(またも山場は準決勝!)となった一戦である。
沖尚・東浜巨と東洋大姫路・佐藤翔太の緊迫した投げ合い。両チームの堅守。足の負傷を押しての東浜の力投。そして八回裏の鮮やかな逆転劇。地元代表という贔屓目を差し引いても、高校野球の魅力がたくさん詰まった好勝負だと記憶している。
初回に先制を許し、そのままズルズル追い付けず終盤へ。そして七回に追加点を奪われる。展開としては、ここまで完全に沖尚の“負けゲーム”だった。それをひっくり返した試合だが、ポイントは二つあったと思われる。
一つ目は、点差を広げられた直後、押せ押せムードで強攻に出た次打者を、きっちり併殺に仕留めたこと。あれで相手の勢いは止まり、逆にこちらは早く切りかえることができた。
二つ目は、八回裏二死三塁の場面で、三番西銘生悟が四球を選んだこと。二戦目(三回戦)の明徳義塾戦でホームランを放つなど、大会通じて好調だった西銘だが、この試合に限っては佐藤の前にタイミングが合っていなかった。それでもしぶとく出塁したことで打線がつながり、直後の四番仲宗根一晟のタイムリー、さらに満塁から七番嶺井博希の逆転打を呼び込んだ。
ちなみに、この大会における東浜の自責点は、僅か三点。二年後の興南・島袋洋奨をも上回る数字である。まさに難攻不落のスーパーエースであった。その彼を、まさか夏の県大会で打ち崩すチームが現れようとは、誰がこの時想像できただろう。
第4位――大飛球の行方は…… 沖縄県勢・初めて夏の甲子園制覇を掴み掛けた一戦!
<沖縄水産 0-1 天理(1990年選手権大会・決勝)>
今の三十代の方であれば、最後のレフトライナーのシーンを思い浮かべる方が多いのではないだろうか。
当時まだ幼かった私には、残念ながら沖水快進撃の熱気をリアルタイムで味わっていない。しかし当時の記録を読み返すだけで、この年の沖水がいかに強力なチームだったか十分伝わってくる。
なにせ初戦から準決勝まで、すべて三点差以上を付けての快勝である。
この決勝戦も、エース神谷が好投。犠牲フライによる一点だけで、あとは散発に抑える。一方、打線も天理の倍近い安打を放ち、再三チャンスを作り出す。内容では、むしろ沖水が押していたと言える。
惜しむらくは、準決勝まで面白いように決まったバントが、決勝ではことごとく失敗してしまった点。力量では全国制覇の資質十分だったが、あとは細部のツメ。その分だけ、ほんのわずか優勝旗に手が届かなかった。
君達はもっと強くなれる。またここに戻ってこい……あのレフトライナーは、野球の神様から沖縄高校野球へのメッセージだったのかもしれない。
第3位 気迫で投げ抜いた212球! 誰もが知る名門校を撃破し、県勢悲願の全国制覇を手繰り寄せた延長十二回の死闘!!
<沖縄尚学8-6PL学園(1999年選抜大会・準決勝)>
まさか勝てるとは思わなかった――結果の衝撃度でいえば、この試合が史上最大ではないだろうか。
何せ、相手はあのPL学園である。PL=全国制覇。野球の名門校といえばPL。甲子園=PL。……このように表現しても過言ではあるまい。
優勝こそ87年の春夏連覇以降遠ざかっていたものの、依然としてそのブランド力は健在であった。とりわけ当時は、PLは前年の98年夏、あの松坂大輔擁する横浜と球史に残る延長十七回の死闘を演じた印象が色濃く残っている。
さらにこの大会、PLは初戦でその横浜にリベンジを果たすと、以降の二戦はいずれも大差で勝ち上がった。とりわけ準々決勝で、平安を六対〇と一蹴した際には「もう優勝はPLで決まり」という空気さえ漂っていた。
そのPLと、我が地元の沖尚が対戦する。このこと自体、何だか現実味がないことのように思えたほどだ。まして、勝てるなんて。
ところが……ふたを開けてみれば、予想外の展開となった。なんと初回、沖尚が二点を先制。PLの反撃に遭いながらも、終始リードを奪う。まさか、すぐひっくり返されるに決まってる。そう思いつつ、気づけば終盤。
それでも七回表、二点を追加し三点差とした段階で、初めて「もしかしたら」と思った。ところがそれも束の間、直後の七回裏あっという間に同点とされる。やはりそう甘くないか、と諦めかけたものだ。同様に感じた方も、きっと少なくないだろう。
しかし……スタンドやテレビの前のファンをよそに、沖尚ナインは驚くほど冷静だった。とりわけエース比嘉公也は、足の負傷で明らかに本調子でなかったものの、再三ピンチを作られながら紙一重のところで凌ぎ続ける。その精神力の強靭さは、当時まだ少年だった私にも伝わってきた。
迎えた十二回裏・ゲームセットの場面。カウントツースリーから、内角低めいっぱいに直球が決まる。その数秒間が、まるでスローモーションのように感じられた。
この翌日――沖尚は水戸商業に七対二と快勝。ついに沖縄県勢悲願の甲子園初優勝を成し遂げたのである。
第2位 切なげに響く「コパカバーナ」の旋律…… ベテラン記者が「彼らも決勝戦に連れて行ってやりたい」と絶賛! 美しく散った奇跡のチーム!!
<浦添商業0-1智弁和歌山(1997年選手権大会・準決勝)>
智弁和歌山の応援曲といえば、今では「ジョックロック」が一般に定着している。個人的には、今でも時々使われる「コパカバーナ」の印象が強い。夏の夕日を思わせる、ラテン系でありながら、どこか切ないメロディ。まさにこの試合の雰囲気にピッタリの曲だった。
それはさておき。この次に発表する試合がなければ一位としたいほど、私にとって思い入れの強い一戦である。
なぜそこまで、この浦商-智弁戦を推したいのか。それには二つの理由がある。
一つ目は、沖縄勢が久しぶりに全国制覇へと迫った瞬間だったという点。
沖水の連続準優勝以降、県勢は停滞期に入りつつあった。沖水に暴力事件が発覚し、夏の予選を辞退。この影響もあってか、沖水は96年選抜で一勝を挙げるに留まり、以後はそれまでの勢いに陰りが見え始める。この間、沖縄尚学や那覇商業が神奈川勢を撃破するなど健闘するが、どうしても夏二勝の壁を超えることができなかった。
そんな中での、浦商旋風。初戦で岩倉に快勝し勢いに乗ると、瞬く間に準決勝へ。三回戦で優勝候補の一角・春日部共栄に逆転勝ちするなど堂々たる勝ち上がりであった。
二つ目は、「どこが出ても強い沖縄勢」の流れを作ったこと。
浦商以前の沖縄勢で甲子園二勝以上を挙げたことがあったのは、栽弘義監督率いる豊見城と沖水、そして私学の興南の三校のみ。つまり、甲子園にはそこ以外が出ても期待できないムードがあったのだ。
しかし浦商の活躍により、県内のどのチームもチャンスがあること、「次は自分達がやってやる」と思えるようになった。
事実――2年後の選抜にて、ついに沖尚が初の全国制覇。その2年後には“21世紀枠”宜野座が4強。さらに06年には八重浜商工の健闘。沖縄高校野球は、まさに群雄割拠の時代を迎えたのである。
前置きが長くなってしまった……
そうした背景を抜きにしても、本当に素晴らしいゲームだった。といっても激闘、死闘といったフレーズは、あまり似つかわしくないように思える。そう――「清々しい」という表現が、一番ピッタリくだろうか。
両チームとも互いにチャンスを作りながら、どうしても得点できない。それぞれの投手の粘り強いピッチング、バックの再三の好守備。これだけ中身の濃いスコアレスの展開を、私は他に知らない。
とりわけ智弁和歌山の強力打線に立ち向かった浦商のエース・上間豊の力投は、胸を打つものがあった。人によっては「智弁は97年のチームが最強」と評するほどの相手を、九回零封。球場を包む「コパカバーナ」の旋律が、心なしか上間を励ますかのように、切なげに響き渡る。
しかし、援護の一点が遠い。幾度となく訪れたチャンスも、スクイズ失敗や相手の好プレーに阻まれる。最大のチャンスが九回表。二死一・三塁の場面。レフトへの大飛球……これを智弁の左翼手・鵜瀬が背面キャッチ。
そして迎えた十回裏、最後は犠牲フライでサヨナラ……
試合後。智弁のキャプテン中谷仁は、NHKアナウンサーのインタビューに「(浦商は)本当に強くて……これで負けたらしゃあないと思ってました」と、率直に胸の内を語った。彼のコメントだけでなく、メディア等で目にした試合を評するフレーズが、いちいち泣かせるのである。
あのベテラン記者は「彼らも決勝戦へ連れて行ってやりたかった」「最高の敗者」と、浦商ナインを讃えた。また、当時NHKに開設されていた「スタジオ甲子園」において、アナウンサーがこの試合のことを「いい小説を一気に読み終えた後のような清々しい気分」と述べたのも印象的である。
沖縄の高校野球史上、とりわけ美しく散ったチームだと私は思う。負け試合ではあるものの、相手との力関係やその後の県勢への影響から、私はこの一戦を二位とさせてもらった。
第1位 春夏連覇を狙う“絶対王者”に立ち向かう“最強挑戦者”の気迫! 波乱の序盤戦、しかしやはり王者は強かった……
この試合はもう、誰が選んでもこの順位とするだろう。沖縄の高校野球ファンのみならず、多くの県民の脳裏に刻み込まれた、伝説の一戦である。
簡単に試合展開を振り返ってみる。報徳学園の巧みなバッティングが、興南のエース島袋洋奨をいきなり捉える。初回に一点、続く二回には一挙四点。春夏連覇を狙う絶対王者が、まさかの五点ビハインドという波乱の序盤戦となった。
しかし……それも今思えば、興南の快挙を彩るための、野球の神様による演出の一つだったと思えてならない。
当時、私もさすがに「マジかよ」とは思った。だが、不思議と焦りはなかった。勝てるかどうかは別として、この点差は射程圏内だろう、と。
案の定、興南打線は報徳のエース・大西一成をすぐに捉え出し、得点こそ五回まで待たねばならなかったものの、徐々に塁上を賑わせていく。
そして五六七回の集中打で、当たり前のようにひっくり返してしまった。
試合後の我喜屋監督のコメントに、このチームの強さがよく表れていたように思う――興南の野球をすれば必ずひっくり返せる。そのかわり、色気を出して大きいの(長打)をねらうなよ、と。
バッティングの基本はセンター返し。まさにそれを忠実にやってのけたのである。五点ビハインドという逆境にも慌てない冷静さ、そして彼らの「厳しいコースでも打ち返す」高い技術力が、報徳ナインに見えざるプレッシャーを与えていたことは想像に難くない。実際、報徳の永田裕治監督も「(点差が縮まって)負ける気はしなかったが、勝っている気もしなかった」と語っている。
逆転劇と同じく印象深いのは、九回裏の緊迫の攻防である。
先頭打者のライト前へ抜けそうな当たりを好捕した、セカンド国吉大陸のファインプレー。その後出塁を許し、三番中島一夢、四番越井勇樹と島袋の手に汗握る真っ向勝負。最後は二死三塁と一打同点のピンチを迎えるも、中軸を連続三振に仕留めゲームセット。何年経っても色褪せることのない名場面だ。
さて、もう一つ付け加えなければならないことがある。この試合を素晴らしいゲームにしたのは、相手の報徳ナインの気迫だ。
明らかなファールの打球を、金網によじ登ってまで捕ろうとしたレフト木下裕揮を始め、随所に必死なプレーを見せ、九回も二死三塁と最後の最後まで食い下がった。敵ながら、感動を覚えるほどの奮闘ぶりであった。
しかし……やはり、“絶対王者”は強かった。
思えば二回。点差を五点に広げられた場面で、興南の我喜屋優監督は伝令すら出さなかった。さらに同点三塁打を放った我如古盛次は「相手を刺激したくなかった」とガッツポーズを控える。何という冷静さ。
緊迫した試合だったからこそ、よりいっそう興南の強さが際立った。興南が「勝つべくして勝った試合」だったと言えるだろう。
※「その1」はコチラです。
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