1.丸井刑事(デカ)―スペシャル「丸井刑事・怒りと涙の三日間!」―
その1:プロローグ―追憶の酒―
―― 五年前、とある未明の居酒屋にて。
丸井:(心内語)その日。俺は一人の男と、酒席をともにしていた。向かい側に座る、このサルかラッキョウのような男の名は、イガラシ。ほんらいは本庁勤めのエリートだが、規定により今日まで所轄署勤務だった。週明けより、本庁へ戻る。
イガラシ:(徳利を一口飲み干し)ふぅ……丸井さん、聞いてください(生真面目な顔で)。
丸井:(テキーラを一気飲みし)プハアッ。な、なんでぇ? 今日はなんでも聞くぞーい(おどけた口調で)。
イガラシ:俺は、上にいきます。上に、上に……いずれ警察のトップへ。
丸井:ははっ、そりゃいい志じゃねーか。俺はちとココ(自分の頭を指さし)が足りねーから、あきらめてるがな。男なら、えらくなりてぇと思うのが、当然よ。
イガラシ:ちがう。そうじゃないんですよ、丸井さん(一瞬鋭い眼差しになる)。
丸井:(きょとんとして)なんだよ、そんなあらたまって。
イガラシ:墨谷署でしばらく過ごして、思ったんスよ。やはり上がしっかりしないと、現場の者が苦労する。だから俺、上に行って……現場の者が動きやすいように、仕組みを整えようと思ってます。
丸井:はっ。オメーにしちゃ、青くさい理想論だこと。所轄にきたエリートの若造は、みんなそう言うんだよ。本庁へ戻れば、所轄時代に言ったことなんざ忘れたかのように、俺っちらを見下げやがる。
イガラシ:丸井さん(まじまじとこちらの目を見つめ)。
丸井:……む、わりぃ。シャクに障ったか?
イガラシ:今まで俺が、少なくとも丸井さんのまえで、できもしないことを口にしたこと、ありましたか?(少し語気を強める)
丸井:お、おう……(目を丸くする。酔いが醒めてしまう)
丸井:(心内語)イガラシの言うとおりだ。この男は、単なる理想論を語るようなやつじゃない。その日までコンビを組んでいた俺だが、若造にしてはあまりにも現実的すぎて、むしろ可愛げのないくらいだった。
しかし、この男が「やる」と言ったことは、どんなに不可能に思えても百パーセント実行された。やつの力で解決された難事件は、一つや二つじゃない。
イガラシ:(手元にグラスを置き)その代わりね、丸井さん。頼みがあるんですよ。
丸井:な、なんだよ(ずっと目を見開いたまま)。
イガラシ:頭のカタイ上層部へ訴えかける際には、ぜひあなたの話をさせてください。墨谷署の丸井刑事のような、優秀な刑事を生かせないような組織じゃ、ニッポンの警察に未来はありませんよ、ってね。
丸井:けっ。いつの間にか、人をノセることを覚えてやがる(照れた顔で)。
イガラシ:なにをおっしゃる。ですから……ぼくが上に行く時まで、優秀な丸井刑事でいてください。
丸井:ふん、エラそうに……わーったよ。ホシ(犯人)を片っ端から捕まえて、この町から悪者がいなくなるようにしてやるぜ。
(その時。通り掛かった一人の男が「あれ、丸井じゃないの」と声を掛けてきた)
丸井:へ……ああっ、半ちゃん!
丸井:(心内語)このつぶらな瞳の優男は、俺の高校の同級生。半田こと“半ちゃん”だ。
親父は医者の坊ちゃん育ちだが、親父の病院が経営難で潰れかけたため、学生時代は自ら郵便局のアルバイトで家計の足しにしていた苦労も味わっている。そのことをからかう心無い連中もいたが、そいつらは俺がぶっ飛ばしてやった。
以来、ずっと親友だ。卒業後もちょくちょく会って飲んだりしている。
丸井:半年前に会ったきりだっけ。どうだい、仕事の方は。
半田:まぁまぁってトコさ。あ、そちらの方は?(イガラシをちらっと見て)
丸井:ああ。この男はイガラシって、俺の後輩だ。つっても、この男はエリートで、明日から本庁に戻る。今日はその送別会よ。
イガラシ:はじめまして、半田さん(軽く会釈)。あ、立ち話もなんですし……よかったら一緒にどうですか?
半田:(目をぱちくりさせて)え、でも……送別会だったら悪いですよ。なぁ丸井。
丸井:む、まぁな(どうしようか迷っている)
イガラシ:構いませんよ。お世話になった丸井先輩のご友人の方でしたら、大歓迎です。
丸井:ま、おまえがそう言うなら……よし決まった。半ちゃん、一緒に飲んでけよ。今夜は俺がおごるからさ。
半田:そ、それじゃ……お言葉に甘えて。
(三人で乾杯した後……)
イガラシ:半田さんは、何のお仕事をなさっているのですか?
半田:郵便局です。学生時分からアルバイトしていたので、その縁で。
丸井:そうなんだよ。コイツ、親父が医者だってのに……あっ(思わず口をつぐむ)。
丸井:(心内語)俺っちとしたことが、とんだ失言だった。半ちゃんの親父の病院は、経営難で泣く泣く町外れに移転せざるを得なかった挙句、その数日後に近くの川が氾濫。親父は、帰らぬ人となったのだ。
(事情を知らないイガラシは、きょとんとして「なにか?」と尋ねる)
半田:ああ。ぼくの父は、五年前の〇〇川の氾濫で、流されちゃって……
丸井:は、半ちゃん!(慌てて止めようとする) なにも今言わなくたって。
半田:いいんだ。もう済んだことだし……じつは今日、親父の命日でね。夕方に法要を済ませたトコ。
イガラシ:ああ、そういえば……ちょうど今の時期でしたね。
(しばし気まずい沈黙が流れる)
イガラシ:……しかし半田さん。(場を取りなすように)子供がこうして、災禍に負けることなく立派に暮らしているのですから。それが親父さんへの、何よりの供養だと思いますよ。
半田:あ、ありがとうイガラシさん。
丸井:(気を取り直して)よぉーし。天国の親父さんに、三人で乾杯だ!
―― 現在。未明の同じ居酒屋、同じ席にて。
丸井:だからな近藤。張り込みの時は、物陰から一歩もはみ出ちゃいけないと、何べん言ったら分かるんだ!(ゲンコツぽかり)
近藤:テッ。す、すいまへーん!
丸井:(心内語)イガラシが本庁に行った直後、コンビを組まされたのが近藤だ。それからどうなったかは……この状況で、お察しいただきたい(苦笑)。
その2:後輩との再会
―― 墨谷署の大会議室。所属係の別なく、刑事達が集められた。室内はピリピリムード。前方の黒板の前で、谷口署長が立ち、マイクを握る。
谷口:諸君。今月の三日、八日、十二日に連続して発生した連続爆弾殺傷事件だが、諸君らの奮闘にも関わらず、依然として犯人の足取りがつかめていない。
丸井:(心内語)谷口署長の声が、いつになく険しい。この墨谷署の管内にて、三件も爆弾殺傷事件が発生したのだから、当然だ。
しかも被害者は、代議士に医者、大企業社長と、みな社会的地位の高い人物だ。このまま解決が長引けば、谷口署長への風当たりはますます強くなるだろう。下手すりゃ責任を取らされ、地方へ飛ばされるなんてことも、十分ありうる。
俺っちとしては腹立たしい限りだが、それが警察ギョーカイというものだ。
丸井:(後方の席にて、こぶしを握り)くそっ。俺にもっと力があれば、谷口署長を追いつめずに済んだってのに……
松尾:(丸井の隣に座っている)まぁまぁ。そうならないように、上層部も手を打つって話ですから。
丸井:むぅ……(黙って話の続きを聞く)
谷口:そこでだ。本日より、本庁捜査一課と合同捜査を行うこととなった。
(途端、会議室内がざわつく)
丸井:なにぃっ、本庁と合同捜査だと!?(声が裏返る)
松尾:なるほど。今回の被害者は、社会的地位の高い人ばかり。これ以上解決が長引けば、うちの署だけでなく、警察全体の名誉に関わるというわけですね。
丸井:しかし、また本店(注:警察隠語で警視庁の意味)の連中にデカイ面されるのは、ゴメンだなぁ。ま、しゃーないが。
谷口:んん、コホン……(一つ咳払いして)ではさっそく、本事案の主任捜査官を紹介したい。さ、どうぞお入りください。
(刑事たちの視線が集まる中、前方のドアより主任捜査官が入ってくる。サルかラッキョウによく似た、見覚えのある顔)
丸井:(心内語)……い、イガラシじゃねぇか!
イガラシ:墨谷署の皆さん、ご無沙汰しております。本庁のイガラシ警視です。懐かしい顔ぶれもありますが……時間がない。すぐ本題に移らせてください。
(イガラシの部下が、黒板に近辺の地図を貼る)
イガラシ:この後、皆さんには手分けして、近辺の聞き込みに当たってもらいます。
土地勘のある墨谷署の諸君には、赤で塗ったA地区を。本庁派遣のメンバーには、青く塗った主要道路周辺のB地区を。それぞれ分担して行います。これから取りかかって……夜八時には、再度ここに集まり、情報共有を行います。
では諸君、健闘を祈ります。私からは以上!
丸井:(心内語)それから日中、俺達は足を棒にしながら聞き込みに当たった。
俺は近藤とのコンビで、事件現場周辺を回る。しかし何人に聞いても、あやしい人物の目撃談は、さっぱり出てこない。やがて日も暮れ、暗くなり……
その3:予想外の言葉
―― 再び大会議室にて。刑事達が聞き込みで得た情報を、次々に報告していく。
近藤:(後方の席にて、ヒソヒソ声で)丸井はん、どないします? あやしい人物の情報、まるで出てきまへんでした。これじゃイガラシ主任に、報告できまへんで。
丸井:いや、近藤。あやしいヤツがいないってのも、一つの有力情報になるんだぜ。
近藤:どういうことです?
丸井:あやしいヤツはいなかったが、建物周辺に出入りした人間は、少なくなかったろう。
近藤:ええ、そりゃエライ人ばかりですから。付き合いはぎょうさんあるでしょうし。
丸井:む、つまりだ。犯人は……わりかし被害者と近しい人間の可能性が、高いってことよ。
近藤:な、なるほど!
(丸井が挙手すると、すぐにイガラシ主任が「どうぞ」と当てる)
丸井:一件目の事件が発生した、A地区の××町担当の丸井です。聞き込みにより、とくに怪しい人物の目撃談は得られませんでしたが、一方で被害者の建物には、見知りの者や業者が数多く出入りしたそうです。このことから、ホシ(犯人)は被害者に近しい人物の可能性が高いのではないかと。
イガラシ:……ハァ(わざとらしい溜息)。
丸井:(予想外の反応に)へっ?
イガラシ:丸井巡査部長。そういう憶測による発言は、困ります。客観的事実からいえば、怪しい人物の目撃談は出てこなかった。ただそれだけでしょう。
丸井:……(ムッとして、しばし立ち尽くす)
イガラシ:他にないのなら、お座りください。では次の方……
(小一時間、報告が続いた後……)
イガラシ:では、今日はこれにて解散。明日また、今後の捜査方針を説明します。あ……そうだ、丸井巡査部長。
丸井:……イッ?
イガラシ:あなたはどうも、予断に陥りやすいようだ。明日より、この聞き込み作業からは、外れてもらう。
丸井:な、なんですって!?(頭に血がのぼる。なにもみんなのまえで、恥をかかせなくたって……と喉まで出かかる)
イガラシ:(涼しい顔で数枚の紙を取り出し)ここにあるのは、次にねらわれる可能性がある人物のリストです。ここへ来る前に、被害者の交友関係の情報から、部下と一緒に作成したものです。事実でないことを述べるなら、せめてこれぐらいの根拠を示していただきたい。
丸井:ぐっ……(下を向いて怒りをこらえる)
イガラシ:あなたには明日より、このリストをもとに、リストにある人物宅周辺の見回りへ行ってください。
丸井:そ、そんなの……いくらでも警備員がいるでしょうよ!
イガラシ:何をおっしゃる。市民の安全を守るのは、警察官の務めです。それと……捜査主任は、この私です。主任の命令に逆らうおつもりですか?
丸井:(心内語)い、言わせておけば……!!
その4:爆発
丸井:(心内語)翌朝。俺はイガラシ主任から受け取ったリストを手に、次にねらわれる可能性が高い人物の自宅、さらに職場周辺の見回りを始めた。なぜか近藤も一緒だ。
丸井:(電柱の影より)こら近藤。てめぇは松尾達と、A地区の残りの聞き込みに行かなきゃならんはずだぞ。
近藤:そんな殺生な。昨晩あんなことがあったのに、丸井はんを一人にできますか?
丸井:けっ、つまんねー気を利かせやがって。オメーに同情されるいわれはねぇよ。
近藤:せ、せやけど……署長が「ついててやれ」と。
丸井:(ハッとして)なにっ、谷口署長が?
丸井:(心内語)どうやら心配かけてしまっていたらしい。心の中で谷口署長に謝りながら、俺は見回りを続けた。
―― 丸井と近藤は、ある代議士事務所の前にいる。二番目の被害者と同じ政党に所属する、大物与党議員だ。その議員が、事務所の奥にて執務に当たる姿が、窓越しに確認できた。
丸井:……よしっ、特に異常はなさそうだな。行こうか近藤。
近藤:は、はいな。
―― 二人が立ち去ろうとした時、背後より「あれ?」と声をかけられる。
丸井:(見張り中なので慌てて)オイ、しーっ! って……半ちゃん。
半田:(郵便局員の服装で)どうしたの、こんなところで……って、ゴメン。張り込み中だったかい?
丸井:え、まぁ……そんなトコだ(苦笑いして)。半ちゃんも、仕事かい?
半田:うん、配達にね(肩から黒い箱を提げている。手紙類が入っているらしい)。
近藤:丸井はん、この人誰ですの?
丸井:ああ。俺の高校の同級生、半ちゃんこと半田君だ。郵便局員だから、オメーもなにかと世話になってるはずだ。
近藤:へぇ……あ、はじめまして。丸井はんの後輩、近藤です。
半田:ふぅん……(目をパチクリさせ)なんだか、前にコンビを組んでた人と、ずいぶん雰囲気がちがうね。
近藤:は? そりゃ、どういう意味ですの。
丸井:(プッと吹き出し)半ちゃん、そりゃ近藤に酷ってもんだぜ。なにせまえに組んでた男は、本庁のエリート……(胸に苦い思いが広がる)ああ、んなこたぁどうでもいいか。
半田:(顔色が変わった友に)どうしたの? なんだか、怒ってるみたいだけど。
丸井:いや、なんでもねーよ(笑って取り繕う)。こっちの話だ。それより半ちゃん……おまえ親父のつながりで、医者の知り合いっているか?
半田:え? ああ、何人かは……それがどうかしたの。
丸井:半ちゃんも知ってるだろう、例の連続爆弾事件。被害者の一人が、医者なんだ。その知り合いに会ったら、警戒するように伝えてくれ。
半田:う、うん。わかったよ……それじゃ。(路肩に停めていたスクーターに乗り、その場を去っていく)
近藤:あの人のお父さん、お医者さんですの?
丸井:ああ……といっても、もう亡くなってるがな。ま、この話はまた今度。
近藤:はいな。し、しかし丸井はん……なんだか焦げ臭くありまへんか?
丸井:む、そういや……えっ(その瞬間、代議士事務所の窓に閃光が走る)
近藤:あ、あぶない丸井はん!
丸井:ワップ(近藤が覆い被さってきて)……ああっ。
――ドンッという衝撃音とともに、爆風が周囲を包む。次の瞬間、代議士事務所は煙と炎に包まれていた。
丸井:な、なんてこった……(呆然と炎上する事務所を眺めている)
その5:追放
――墨谷署の医務室にて。丸井は、一時署に戻っていた松尾に手当てを受ける。
松尾:ちょっとしみますよ……(肘に消毒液をたらす)
丸井:イッ……(顔をしかめる)な、なぁ松尾。傷の手当てぐらい、自分でできるよ。
丸井:(心内語)消火活動の後、代議士のA氏とその秘書二名が、現場より遺体で発見された。現場検証の結果、小型の時限爆弾が発見される。
残念ながら、新たな犠牲者を出してしまったわけだ。谷口署長への風当たりがさらに強くなることは、これで確実だろう。
松尾:手当てするためだけじゃ、ありませんよ(ニッと笑う)。ちょっと耳寄りな情報を仕入れてきましたので、晩の会議より先に、先輩にお伝えしようと思いましてね。
丸井:な、なんだと!?
松尾:じつは……今日殺害されたA氏も含む被害者連中、どうやら近隣住民には、かなり評判が悪かったようです。
丸井:いっ、そうなのか。
松尾:はい。調べたところ……被害者全員が、とある与党の大物議員と同じ派閥、もしくは後援会のメンバーらしくて。
丸井:……おいおい、かなりキナ臭い話だな。
松尾:ええ。票集めのため、大型ショッピングモールや工場建設用の土地を収奪するため、かなり強引な手段で、住民に立ち退きを迫ったようです。カネで買収して住民同士を分断させたり、地上げ屋を使ったなんてウワサもあります。
丸井:ほほう、これが事実なら被害者とはいえ……かなりアクドイ連中ってことか。
松尾:はい。ですから、大きな声じゃ言えませんが……近隣住民の中には、今回の爆弾犯に喝采を叫んだ者もいるようです。「天罰」だなんて声も。
丸井:へぇ……やるじゃねぇか松尾。よくここまで調べたな。
松尾:(苦笑いして)いえ、それが……住民はかなり鬱憤を溜め込んでいたらしく、こっちがゲンナリするほど、たくさん話してくれましたよ。
どうもその大物議員、以前からそういう手口を使ってたそうで。中には保育所や病院、老人ホームといった住民生活に切り離せない施設まで、移転せざるを得なくなったケースもあるのだとか。
丸井:そ、そりゃひでぇ……
―― その時、医務室のドアがノックされる。丸井が「どうぞ」と返事すると、さっきコーヒーを買いに出ていた近藤が顔をのぞかせる。
丸井:おう近藤、遅かったじゃねーか。
近藤:ま、丸井はん……イガラシ主任がお呼びです(なにやら恐る恐るといった表情)。
丸井:(訝しく思いながら)わ、わかった。今行く。
(近藤の案内で、丸井は主任控室へ向かう。部屋のドアを開けると、イガラシ主任が机に向かい、傍らに谷口署長も立っている)
丸井:い、イガラシ主任。お呼びでしょうか?
イガラシ:(露骨に顔を歪めて)丸井巡査部長、あなたには失望した。
丸井:へっ……ど、どういうことですか?
イガラシ:君の目と鼻の先で、新たな犠牲者を出してしまうとはどういうことですか? 聞き取りはおろか、ただの見回りもロクにできてない。この件に関して、あなたはまるで戦力になっていないと言わざるを得ません。
丸井:(頭に血がのぼる)な、なんだとぉっ!
イガラシ:ほら、そうやってすぐ感情的になる(冷たい口調で)。この事件は墨谷署だけでなく、警察全体の名誉に関わるのだと分からないのですか。もう、よろしい……あなたには今後一切、本件の捜査から外れてもらう。
丸井:て、テメェ……こっちが下手に出りゃ、いい気になりやがって。何様のつもりだ!
イガラシ:(一瞬チラッと、谷口署長に目配せし)「謹慎」と言いたいところだが、あなたには新米時代、世話になった恩がある。そこで丸井巡査部長、あなたには一ヶ月の休暇を命じる。そうだな……どこか旅行へでも行って、少し頭を冷やしてくるといい。
丸井:(上着のジャケットを床に投げ捨てる)……ああ、そうかい。分かりましたよ。そんなに俺がジャマだっつうのなら、旅行へでもどこへでも行ってやるよ。テメーの望みどおり、ここから消えてやるっ。
イガラシ:いまの暴言は聞かなかったことにする。分かったら、下がりたまえ。
丸井:(両手のこぶしを握り、体を震わせ)……か、変わっちまったな。少しでも現場の刑事が報われるように、上へ行って組織を変える。そんなテメーの青くさい台詞を信じようとした俺が、とんだ間抜けだったらしい。くそったれ!
―― 丸井はジャケットを拾い、部屋を出ていく。
その6:イガラシ主任の真意
―― 主任控室にて、イガラシと谷口の二人だけが残る。
谷口:……フフフ(唐突に笑い出す)。
イガラシ:(ぎょっとした顔で)な、なにがオカシイんです?
谷口:いや失敬。なんというか……あなたは昔から、変わりませんね。事件解決のためなら、周りに誤解されても、自分の身を犠牲にしてでも、やれることを実行する。
イガラシ:警察官として、当然の務めじゃありませんか。
谷口:ハハ、たしかに。しかし……悪者になったままで、よろしいのですか? あなただって、かつて世話になった先輩に嫌われるのは、忍びないはずだ。
イガラシ:(小さく溜息をつく)……仕方ありません。真相を知ったら、あの人の中にある正義の炎が、消えてしまうかもしれない。それだけは避けたい……むっ。
(その時、部屋のドアが激しくノックされる。イガラシが「どうぞ」と返事すると、近藤が怒りの形相で飛び込んできた)
近藤:い、イガラシ主任。これ、どういうことですの!?(捜査資料の紙をかざす)この資料に書かれている内容って、きのうの会議で丸井はんが発言したものと、ほぼ重複してるじゃありませんか。丸井はんをあんなふうに侮辱しといて……いくらなんでも、不義理がすぎるんじゃおまへんか!
イガラシ:(冷静な口調で)分かってる。君の、それに私の先輩でもある丸井巡査部長は、墨谷署にとって欠かせない、優秀な刑事だ。そうだろう?
近藤:は、はぁ……(あっけに取られた顔。目を丸くする)
イガラシ:そして近藤君。君は丸井巡査部長に厚く信頼を置かれる人材だ。そんな君を見込んで……私の真意を聞いてもらいたい。もちろん、丸井巡査部長をケアするためにね。
近藤:け、ケアって……
イガラシ:(しばし瞑目し、それから口を開く)近藤君。今はここにいる谷口署長と、君だけに話しておく。じつを言うと……もう犯人の目星は、ついているのだよ。
近藤:(声を上ずらせ)ほ、ほんまでっか!?
イガラシ:うむ。いま証拠固めをしている最中だが……おっ、きたか(室内の緊急連絡用電話が鳴る。イガラシは受話器を取り「分かった」とだけ返事する)。
近藤:しかし……それと丸井はんへの仕打ちと、なにい関係があるんでっか?
イガラシ:それが大アリなのだよ。いいかい、よく聞けよ。
(イガラシ主任は、ささやくように誰が犯人かを告げる)
近藤:……な、なんですって?(驚愕して、目を見開く)
イガラシ:これで分かったろう、近藤君。なぜ私が、丸井巡査部長を捜査から遠ざけたのか。まだ私に反発して、怒りに打ち震えている方が、よほどラクじゃないかね。
近藤:は、はいな……(力なくうなだれるほかない)
その7:悲しい真相
丸井:(心内語)翌朝。こっそり墨谷署を訪れた俺は、裏口から入り会議室へと向かった。
ところがそこは、もぬけの殻。それどころかイガラシ主任はおろか、捜査員のメンバーの姿もなかった。何か大きな動きがあったと悟ったおれは、会議室に置かれていた地図を手掛かりに、同僚達の足取りを追った。
(約一時間後。丸井は電車を乗り継ぎ、とある高級住宅街に辿り着く)
丸井:(辺りを見回しながら)む……ここって、イガラシからの人物リストにあった、例の大物与党議員の自宅近くじゃねーか。
―― しばらく歩いていると、どこかから「そっちへ行きましたで!」という怒鳴り声が聴こえた。署の後輩・近藤の声だとすぐに分かる。
丸井:え……ああっ。
(一ブロック先の塀の影から、黒い覆面姿の小柄な男が飛び出してきた。そしてこちらへダッシュしてくる)
丸井:くっ、こんニャロ……逃がすか!!
(丸井は鋭くダッシュし、男の身柄を押さえる)
男:は、離せっ。離せよチキショー!!(丸井の腕の中で、ジタバタ暴れる)
丸井:へん。離せたって、離すものか。む……(なんだか聴き覚えの声だな)。
―― 僅かに訝しがりながらも、男の覆面を剥ぐ。そして……「あっ」と、丸井は絶句した。
丸井:……は、半ちゃん。(相手の顔を見た瞬間、全身の力が抜ける。)
―― 声を聴きつけ駆け付けた刑事達が、逃げようとした半田を取り押さえる。その眼前に、イガラシ主任が立ち塞がった。
イガラシ:やはり、半田さんでしたか。あなたは五年前、〇〇川氾濫にて犠牲になった半田医師の一人息子ですね。あなたのお父さんの病院が経営難に陥ったのは、代議士のA氏のグループによるあくどい工作が原因だったと、調べはついています。
(半田はぐっと唇を噛み締め、刑事達を睨んでいる)
イガラシ:あなたを容疑者の一人としてリストアップしてから、ずっと足取りを探っていたのですよ。(淡々とした語り口で)すると昨日、さらには三件目の事件の際も、なぜか郵便配達の担当箇所でもない地区で、あなたの姿が目撃されたのです。
聞けば最初の事件発生の五日前に、勤めていた郵便局を突如として退職されたそうですね。そのあなたが、なぜか郵便局員の格好をして、事件現場近くに現れた。偶然とは言わせませんよ。
―― イガラシの話を、丸井は半ば上の空で聴いている。
イガラシ:まぁ、知恵を絞ったのは認めますがね。たしかに郵便局員なら、他人の家に出入りしたとしても、不思議じゃありませんから。どうりで、なかなか捜査線上に浮かばなかったワケだ。しかし、何度もそう同じ手が、通じるものじゃありません。
(そう言って、イガラシは手錠を取り出しかけたが、すぐに引っ込める。)
イガラシ:丸井巡査部長、さっかく来たんだ。あなたが手錠をかけてやりなさい。
丸井:(心内語)俺はこの時、イガラシの命令口調に、どこか温情のようなものを感じ取った。
丸井:(すっくと立ち上がり)……半ちゃん。爆発物取締罰則違反で、おまえを逮捕する(後ろ手にガチャッと手錠を嵌める)。ば、バカヤロウ……なんでこんな。
イガラシ:(半田の身柄を引き取り)……やれやれ、来てしまいましたか。こうなるのが分かってたから、しばらく大人しくしていて欲しかったのですが(小さくかぶりを振る。丸井はその場にへたり込んだ)。
―― ほどなくイガラシ主任が、半田を連れて歩き出す。丸井の同僚刑事達も、後に続く。その中には、近藤や松尾の姿もあった。近藤に「行きましょか」と促され、丸井も列に加わる。こうして事件は、幕を閉じたのであった。
その8:エピローグ
丸井:(心内語)事件解決の翌日。昼過ぎになって、俺はイガラシ主任に呼び出される。部屋を訪ねると、イガラシ主任そして谷口署長の姿があった。
イガラシ:(椅子から立ち上がって)丸井巡査部長。この度は、あなたに大変失礼なことをしました。大勢の前で、恥をかかせるようなことを言ったりして。ほんとうに申し訳ありません(深々と頭を下げる)。
丸井:よ、よせやいっ。本庁のエリート警視に、こんなことさせたら、バチが当たらぁ。しっかし……ほんと、ガラにもない気遣いしやがって。まったく……うう、くそったれが(泣けてくる)。
イガラシ:(一つ吐息をつき)まだ本人は、何も喋っていないのですが……周囲の証言は、続々と集まっています。どうやら犯人……半田さんは、郵便局員として地域を回る中で、住民の苦悩を知り、その原因がかつて、父親を破滅させたあの大物議員のグループの仕業だということに、やがて気づいていったようですね。
丸井:え、どうしてそれを?
イガラシ:ほら……(一冊のメモ帳を取り出し)ここに彼の思考の過程が、事細かに綴られています。自分の父親の仇が、今また動き出して罪なき人々を苦しめていることが、彼には耐えられなかったのでしょう。
丸井:……あ、あのヤロウ。俺が警察官だと知りながら、ふざけたマネを(両手をパシッと打ち鳴らす)。
イガラシ:(ふいに険しい顔になり)そういつまでも、悔やんでいる場合じゃありませんよ。丸井巡査部長!
丸井:は、はいっ。(ピンと背筋を伸ばす)
イガラシ:幸か不幸か……この事件により、例の大物与党議員のグループによる犯罪行為が、少しずつ明るみになってきました。
通常、政治家の絡む事件というのは、なかなか手が出しにくい。しかしこれだけ大事になった以上、本庁としても捜査の手を緩めるわけにはいかない。だから、勝負はこれからなのです。半田さんのお父さんの無念を、晴らすためにもね。
(イガラシ主任は席に戻り、フフと微笑む)
イガラシ:先ほど本庁より、今日付で連絡がありました。この件の捜査、引き続き私が担当することとなった。今度こそ、丸井巡査部長……あなたの力が必要なのです。
丸井:い、イガラシ主任……(自然と表情がほぐれる)
イガラシ:それともう一つ。半田容疑者が、なかなか口を割らない。そこで彼の取り調べを、是非ともあなたに依頼……いや、私も一緒に行いたい。協力していただけますね?
丸井:(しばし思案した後)……ええ、もちろんです。
イガラシ:首尾よく終わったら……退勤後、久しぶりに一杯どうですか?
丸井:おっ、そりゃいい。
イガラシ:せっかくですから、あの近藤君も誘ってみてはいかがでしょう。あ……よかったら、谷口署長もご一緒に。
谷口:ははっ。なんだか、ちょっとした同窓会のようですね。是非行きましょう。丸井君も、それでいいだろう?
丸井:ええ……お二人となら、かまわないですがね。あの近藤も一緒なのは、ちょっと。
(室内より「ハハハ」と、男達の高らかな笑い声。その頃、強行犯係のデスクにて。)
近藤:ヘーックション。だ、誰かワイの噂しとるな。まっエエか……
【完】
2.丸井刑事(デカ)―とあるバーにて―
※「太陽にほえろ!」のジャズバージョンBGM。
丸井:(Yシャツボタンを二つ開け)ういー、ヒック。ママぁ、テキーラもう一杯~。
ママ:(大柄、なぜか後ろ姿しか見せない)ちょっと丸ちゃん、飲みすぎよ。
丸井:うるへー、これが飲まずにいられるかってんだ。
ママ:(顔は見せないが、おにぎりの形)丸ちゃん、まーた後輩の近藤君のこと?
丸井:おうよ。あんバカ、ホシ(犯人)と揉み合って捕まえたはいいが、骨折させちまって、始末書と謹慎喰らってやんの。やつが駆け出しの頃、テメーは怪力なんだから、少し加減しろってあれほど言い聞かせたのに。
ママ:そう。でもその犯人、巷を騒がせてた通り魔だったそうじゃない。捕まったと聞いて、みんな喝采だったわよ。
丸井:分かってらい。余計なことしなきゃ、いまごろ近藤は讃えられてたはずなんだ。上の連中も、ホシをあぶり出すのに苦労してたからよ。ほんとうなら、やつの大手柄さ。なのに、あんバカ……(テキーラを一気飲み)フイー。
ママ:丸ちゃんほんと、近藤君が可愛くてしかたないのね。
丸井:あぁ? んなわけあるかっ、あんなボケナス(明らかにムキになる)。
ママ:はいはい(クスッ)。で、彼はまた謹慎なのね?
丸井:ああ。少し油断すりゃ、謹慎してるうちに一年が過ぎるくらいだ。へへ、ざまーみろい。もう一生、謹慎してろ。ヒック……
ママ:まったく素直じゃないんだから。
丸井:うるへーなぁ。こうなったら、やつをまた飲みに連れていって、もう一度刑事のなんたるかを……(ブツブツ)
ママ:おーきに、丸井はん(突然口調が変わる)
丸井:なにが? 礼なんて言われる筋合い……えっ?(恐る恐る顔を上げて)
ママ:丸井はん。ワイも丸井はんのこと、大好きでっせ。
丸井:へっ、ママなにを急に……ああっ!
ママ:(こっちに振り向く)丸井はん(なんと口紅をぬった近藤の顔、その唇)ほな、チュー!(ママもとい近藤が、口づけしようとしてくる)
丸井:うわあぁぁ……!
(気が付くと、鳥のさえずりが外から聴こえ、朝日が差し込んでくる)
丸井:(ベッドから体を起こし)ゆ、夢かぁ……変な汗かいたぜ。さて支度すっか。
(約一時間後、墨谷署にて)
丸井:おはよう、みんな。
近藤:おはようございます、丸井はん。
丸井:おは……な、なにーっ!
(近藤が口紅を塗って、こっちを見つめている)
丸井:ひーっ、助けて~!!(一目散に逃げだす)
近藤:はれ? なんや丸井はん。ワイ、来週の忘年会の出し物、これでいいかどうか聞こうと思うてたのに。ま、エエか……
【完】
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