南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第36話「ピンチの後にチャンスあり!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

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 第36話 ピンチの後にチャンスあり!の巻

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1.キャプテン谷口の決断

 

「うっ……」

 キャッチャー小室は、一瞬目を瞑りかけた。

 火を吹くようなライナーが、ライト頭上を襲う。井口の打球は、あっという間に外野フェンスを直撃した。バァン、と大きな音が響く。

「や、やった!」

 三塁側。意気消沈しかけていたベンチとスタンドが、湧き上がる。

「回れ回れ!」

 ベースコーチャーの鳥嶋が、右腕をぐるぐると回した。すでにスタートを切っていた谷口は、ボールが中継に返ってくるのを見届けながら、ゆっくりとホームベースを踏んだ。この間、バッター井口は二塁に到達。

 タイムリーツーベースヒット。墨高、ついに明善から初得点をもぎ取る。

 ベンチへ駆けながら、谷口はちらっとスコアボードを見やる。その一枠がパタンとめくれ「1」と記された。ぐっと右拳を握りしめる。

 よし、すぐに一点を返せたぞ。これでナインの士気が上がってくれば……

「キャプテン、ナイスバッティングです!」

 ベンチに帰ると、丸井が破顔して出迎えた。

「読みがバッチリ当たりましたね」

「ああ。最初のファールで、向こうが警戒を強めたと分かったからな。きっと長打になりにくいコースを突いてくると思ったんだ」

「小室のやつ、ザマアミロですよ。キャプテンに盾つくなんて百年はやいってんだ」

 辛辣な丸井の物言いに、ハハと苦笑いが浮かぶ。そこに「よう」と、倉橋が声を掛けてきた。すでに捕手用プロテクターを装着している。

「一時はどうなるかと思ったが、なんとか点を返せたな」

「うむ。立ち上がりから、けっこうとらえてたし。そろそろとは思ってたが」

 その時、再び快音が響く。周囲が「おおっ」と湧いた。

 八番打者加藤の打球が、ワンバウンドで三遊間を抜けていく。レフト前ヒット、ツーアウト一・三塁。

「加藤、よく続いたぞ!」

「いっきに反撃だっ」

 盛り上がるナイン達。うむ、と倉橋が微笑む。

「たたみかける足がかりができたな。下位打線とはいえ、もう一二点返したいが」

 しばしの間。もう一度「谷口?」と声を掛けた。

「え……ああ、そうだな」

 谷口は、溜息混じりにうなずく。視線の先では、次打者の久保が小走りに、打席へと向かった。どうも表情が硬い。

 

 

「プレイ!」

 アンパイアのコール。小室は一塁へ、牽制球のサインを出した。ランナーの加藤は、さほどリードを取っていない。

 マウンド上。天野は一瞬訝しむ目をしたが、すぐにうなずく。

「なるほど、バッターの様子を見ようってか」

 セットポジションから、まずゆっくりと放る。返球を捕り、今度はクイックで牽制。この間、小室は片目でちらちらと、右打席の久保の様子を伺う。

 相手打者は、何度も両肩をぐるぐると回し、スパイクで足元を均す。やはり……と、小室は胸の内につぶやいた。

 久保のやつ、明らかに力んでやがる。これじゃ、ほんらいのバッティングはできまい。

 ようやく第一球。小室は真っすぐを、真ん中に要求する。天野が「大胆だな」と言わんばかりに、笑みを浮かべた。すぐに投球動作へと移る。

 ズバン。小室のミットが、乾いたミットを立てた。ど真ん中の真っすぐに、久保は手が出ず。アンパイアが「ストライク!」と右手を掲げる。

 しまった、と久保が唇を歪める。

「どしたい久保、思いきりいけ!」

 三塁側ベンチより、丸井が掛け声を発した。

「力を抜くんだ久保」

「おまえなら打てる。ひるまず向かっていくんだ」

 他のナイン達も声援を送る。久保は「はいっ」と返事して、一旦打席を外し、素振りを数回繰り返す。

 二球目は、アウトコース低めのシュート。見逃せばボール気味のコースだが、久保はこれに手を出してきた。バットの先端に当たり、鈍いゴロが一塁側ベンチへ転がる。ファールボールとなり、これでツーストライク。

「久保、力んでるぞ!」

 今度はキャプテン谷口が、自ら声を飛ばす。

「ボールをよく見て、合わせるんだ」

「は、はい……」

 再び打席を外し、一度深呼吸した。この間に、小室は三球目のサインを出す。

 ほどなく久保がバットを構える。天野はセットポジションにつくと、焦らすようにじっくりと間を取った。そして左足を踏み込み、グラブを突き出す。

 ど真ん中へのスローカーブ。意表を突かれた久保は、バットが出ず。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアの甲高いコールに、今度は明善の一塁側ベンチとスタンドが湧き返る。対照的に、墨高の三塁側から「ああ……」と大きな溜息が漏れた。

 スリーアウト目が成立すると同時に、駆け出す明善ナイン。その波に加わった小室の背中を、ポンと天野のグラブが叩く。

「ナイスリードよ、小室。おかげで助かった」

「いえ、ありがとうございます」

 小室はぺこっと会釈した。そのままベンチへと向かう視界の端に、呆然と立ち尽くすかつての盟友、久保の姿が映る。

 

 

 溜息をつきながら、墨高ナインがグラウンドへ飛び出していく。

「ああ、一点どまりかあ……」

 一方、キャプテン谷口はベンチに残った。そこへ三振を喫したばかりの久保が、重い足取りで引き上げてくる。そして深く頭を下げられた。

「……す、すみません」

 相手と目を合わさず、谷口は「タイム」とアンパイアへ合図した。

「選手とシートを変こうします。まずライトの久保にかわって、戸室。それと戸室はレフトへ、ライトには横井。それぞれ入れかわります」

 うむ、とアンパイアは承諾した。

 すぐに戸室が、グラブを手に出てくる。交代の久保とすれ違い際、うつむく後輩を気遣うように、ポンと背中を叩いた。そしてレフトへ走り出す。

「久保、こっちに来るんだ」

 ベンチ手前に、谷口は久保を呼んだ。二人は向かい合う格好になる。

「ことわっておく。チャンスに打てなかったから、交代させたのではないぞ」

 厳しい口調で告げた。

「野球にミスはつきものだ。とくに相手が強くなれば、そう思うようなプレーはさせてもらえない。だからこそ、強い気持ちが必要なんだ」

 はい、と久保は目を見上げる。

「いいか久保」

 声を穏やかにして、谷口は話を続けた。

「もう一度、よく考えろ。自分になにができるのかを」

 そこまで言って、踵を返しグラウンドへと駆け出す。

 

 

 三塁線を踏み越え、ナイン達へ「おまたせ」と声を掛ける。すでにボール回しが始められていた。

「お、おい谷口」

 代わったばかりの戸室が、レフトから駆けてくる。

「どうした?」

「おまえ……俺がこのところ出てねえもんで、気を回したんじゃあるまいな」

「ハハ、まさか」

 同級生の疑問を一笑に付す。それより……と、谷口は口元を引き締めた。

「このとおり厳しい展開だ。久しぶりの出場で、心苦しいが……いけるか戸室」

「あたりまえだろ」

 快活に返事して、戸室はポンと自分の胸を叩く。

「似たような展開、昨年もたびたびあったじゃねえか。いまさらひるんでどうするんだよ」

「む、その意気だ」

 キャプテンはうなずき、さらに付け加える。

「この劣勢をはね返すには、三年生としてのおまえの経験が、どうしても必要なんだ。戸室、しっかり頼むぞ」

「おうよ!」

 戸室は踵を返し、ポジションへと駆け出す。ひそかにつぶやいた。

「おれの三年生としての経験か。ようしっ」

 

 

 五回表。井口の投球が、アウトコース高めに大きく外れた。

「ボール、フォア!」

 アンパイアのコール。明善の打者はバットを置き、小走りで一塁へと向かう。ああ……と、三塁側スタンドからため息が漏れる。

 ホームベース奥に屈み、倉橋は「くそっ」と唇を噛んだ。

 あんニャロ。でかいクチ叩いて、ちっともコースにきまりゃしねえ。どうもリリーフは苦手らしいな。だが……ここはどうあっても、無失点で切り抜けなきゃ。

「井口!」

 立ち上がり、指示を伝える。

「もうコースは気にするな。真ん中に構えるから、しっかり腕を振るんだ」

「わ、分かりましたっ」

 二人のやり取りに、次の九番打者が「フフ」と不敵な笑みを浮かべた。

「球威(きゅうい)だけで、おれたちに通用するかな」

 倉橋は挑発を無視し、言葉通りミットを真ん中に構える。そして「まずこれよ」とサインを出した。む、と井口がうなずく。

 初球。真ん中やや外寄りのシュートに、打者のバットが回る。

 パシッと乾いた音がした。痛烈なゴロが、飛び付いたファースト加藤のミットを掠め、ライトへ抜けていく。ランナーは二塁ベースを蹴り、さらに加速する。

「ボール、サード!」

 谷口の声が飛ぶ。

 中継の丸井が「させるか!」と、三塁へ好送球。しかし谷口がベース上で捕球した時、すでにランナーは左足で滑り込んでいた。

「くそっ……下位打線に、つながれちまった」

 倉橋が右拳を握り込む。その視界の端で、一番打者の中町が素振りを繰り返す。

「またメンドウなやつに、回ってきたぜ」

 タイムが取られ、再び内野陣がマウンドに集まる。

「なんでもできるバッターだが、どうする?」

 倉橋の問いかけに、まず加藤が「ええ」と答える。

「ここはいっそ、歩かせちゃったら」

「それはどうでしょう」

 渋い顔で言ったのは、イガラシだ。

「井口の調子がイマイチですし。ランナーをためて、クリーンアップに一本浴びるようなことがあれば、もう取り返しがつきませんよ」

 その井口は、面目なさげにうつむいていた。イガラシが脇腹を小突く。

「しっかりしろい!」

「……わ、分かってるよ」

 言い返したものの、声に張りがない。周囲は「やれやれ」と肩を竦める。

「キャプテンはどう思います?」

 丸井が声を明るくして尋ねた。うむ、と谷口は口を開く。

「ここはまちがいなく、仕かけてくるぞ」

 意外な返答に、ナイン達は「あっ」と声を発した。

「なるほど。ダブルスチールですね!」

 丸井の発言に、谷口は「そこまで断定できないが」と苦笑いする。

「明善のことだ。ここらで守備をかき回して、今度こそダメを押そうとしてくるはず」

「じゃあ、やはり歩かせるか」

 倉橋が問い返す。いや、とキャプテンは首を横に振った。

「ここは受けて立とう」

 その一言に、全員が「ええっ」と目を見開く。

「どうしたみんな」

 微笑みを湛えた目で、谷口は言った。

「相手の足を封じる練習なら、散々やってきたじゃないか」

「そ、それはそうですが……」

 加藤が戸惑う顔になる。

「だいじょうぶ、きっとやれるさ。いいかみんな」

 穏やかな口調で、キャプテンは仲間達を見回す。

「明善は強い。しかし……われわれだって、つみ上げてきたものがある。自分達の力を、いまこそ信じるんだ」

 静かな迫力に、ナイン達は「はい!」と声を揃えた。

 ほどなくタイムが解かれる。そして明善の一番打者・中町が、右打席に入ってきた。やや短かめにバットを握る。

「プレイ!」

 アンパイアのコールと同時に、一塁ランナーがリードを取った。一メートル、二メートル……まるで挑発のように、ベースから距離を空ける。

 マウンド上。このヤロウ、と井口はランナーを睨む。

「左ピッチャー相手に、なめたマネを」

 そしてセットポジションから、素早く牽制球を放った。しかしランナーは、余裕を持って一塁へ戻る。井口が青筋を立て、さらに牽制。やはり簡単に帰塁した。

「井口、バッター勝負だ!」

 マスクを脱ぎ、倉橋が怒鳴る。

「ランナーを気にして、またカウントを悪くしたら、元も子もないぞ」

「は、はい」

 ようやく冷静さを取り戻し、井口はサインを確認する。

 まずこれよ……と、倉橋は真っすぐのサインを出す。さらに手振りで、しっかり腕を振るように伝えた。井口はうなずき、セットポジションから第一球を投じる。

 その瞬間、中町はバットを寝かせた。

 バックネット裏の観客から「スクイズだっ」と声が漏れる。すかさずファースト加藤、サード谷口が鋭くダッシュした。

 しかし中町は、バントを空振りした。一塁ランナーが大きく飛び出す。

「へいっ、キャッチャー!」

 ベースカバーの丸井が叫ぶ。すぐに倉橋が顔を向け、送球するかに見えた。この間、三塁ランナーがじりじりと、本塁へ突っ込むタイミングを計る。

 倉橋は、なんと三塁へ送球した。

「な、なにいっ」

 意表を突かれた三塁ランナーは、慌てて身を翻す。しかしベースには、すでにショートのイガラシが入っていた。彼のグラブが、ランナーの右手をバシッとはらう。

「アウト!」

 三塁塁審が、右手を突き上げた。両チームの応援スタンドから、歓声と溜息の入り混じった声が響く。

「へへっ、ざまぁ見ろい」

 一塁ベース上にて、丸井が得意げに言った。

「そちらがスクイズ失敗と見せかけて、ホームスチールをねらってくることは、とうに調べがついてんだ。何度も同じテが使えると思うなよ」

「これ丸井」

 苦笑いしつつ、谷口が窘める。

「アウト一つ取っただけだ。よろこぶのは、まだ早いぞ」

「あっ、スミマセン」

 丸井は「ハハ」と顔を赤らめ、ポジションへと戻る。ワンアウト二塁。依然として、得点圏にランナーを背負う。

「く、くそっ」

 右打席にて、中町は唇を噛む。

「ちと正直すぎたか。だが、これで切り抜けたと思うなよ」

 ワンストライクからの二球目。倉橋はまたも、真ん中にミットを構えた。そして「これよ」とサインを出す。井口はうなずき、投球動作へと移る。

 真ん中から外へ逃げるシュート。しかし中町は、あっさりセンターへ弾き返した。

「せ、センター!」

 倉橋が立ち上がり、叫ぶ。低いライナーが二塁ベース上を破り、センター島田の前でワンバウンドした。

 ボールバックだっ、と谷口が指示の声を飛ばす。センター島田はシングルハンドで捕球し、助走をつけてバックホームした。ワンバウンドで、倉橋のミットに収まる。

 明善の三塁コーチャーが「ストップ、ストップ!」と両手を広げた。速い当たりが幸いして、ランナーは三塁に止まる。しかし一・三塁、ピンチが広がってしまう。

 谷口はすかさず「内野!」と、手振りで指示した。イガラシと丸井、加藤が数歩ずつ、前へにじり寄る。それに合わせて、外野の三人もポジションを移す。

 この間、次打者の川島が左打席に入ってきた。フフ、と含み笑いを漏らす。

「おたくのキャプテン、強気だねえ。上位打線相手に前進守備とは」

 なんとでも言え、と倉橋は胸の内につぶやく。

 初球。井口がグラブを突き出した瞬間、川島はバットを寝かせる。丸井が「スクイズだ!」と声を発した。

 ガッ、と鈍い音。キャッチャー後方へ小フライが上がる。倉橋がマスクを脱ぎ捨て、バックネット方向へ短くダッシュした。そしてスライディングしながら、膝元で抱えるように捕球する。

「あ、アウト!」

 アンパイアのコール。スタンドの観客が「おおっ」と湧き上がる。

「ナイスプレーよ、倉橋」

 谷口の掛け声。倉橋は「へへっ」と、照れ笑いを浮かべた。

「なんとか間に合ったぜ。あと一つ、ガッチリいこう」

 ナイン達は「おうよっ」と、快活に応える。

 

 

2.気迫の両チーム

 

 一塁側ベンチ。スクイズを失敗した川島が「くそうっ」と、首を傾げつつ引き上げてくる。

「真ん中だったし、転がせると思ったが。あんなに鋭く曲がるとは」

「転がせると思った、だと?」

 天野がヘルメットを被りつつ、川島を睨む。

「向こうのキャッチャーが、どうして真ん中にかまえてたと思う」

「ど、どうしてって……」

 きょとんとする川島に、天野は「バカか」と突っ込む。

「おい、それでよく二番バッターがつとまるな。制球がよくないもんで、腕を思いきり振らせるために決まってるだろう」

「あ……」

 今頃はっとする川島に、他のメンバーも「このボケ」「油断するからだ」と怒鳴る。傍らで、小室は苦笑いした。当人はバツが悪そうに、肩を竦める。

 その時、パシッと快音が響いた。

「おおっ」

 明善ナインは一斉に、ベンチから身を乗り出す。

 

 

 三番打者の板倉が、高めに入った真っすぐを引っ叩いた。

 しまった……と、マウンド上の井口が顔を歪める。レフト頭上を襲う大飛球。すでに二死のため、ランナーは打球と関係なくスタートを切った。

「れ、レフト!」

 谷口の声よりも先に、代わったばかりの左翼手戸室が走り出していた。

「く、くそうっ」

 フェンスまで数メートル。打球はなおも、勢いを失わない。

 戸室は咄嗟に、身を投げ出すようにして飛び付いた。そのまま土の上に転がり、勢い余って背中がフェンスに当たる。ドスッ、と音がした。

 三塁塁審が急いで駆け寄る。後方から「戸室!」と、谷口は叫んだ。

「……へへ、とったぜ」

 戸室は痛みをこらえながらも、上半身を起こしグラブを突き上げた。その先に、ボールが引っ掛かっている。

「あ、アウト!」

 塁審のコール。内外野のスタンドが、どっと湧いた。

 

 

 三塁側スタンド。田所はガタッと、思わず立ち上がる。

「あ、あのヘタクソめ。やりやがった!」

「ちょっと、そこのお兄さん」

 後方の席より、学生風の若い男に呼び掛けられる。

「座ってもらえませんかね。後ろから、見えないんスよ」

「あ……ドウモ、ごめんなさいね」

 苦笑いして、田所は腰を下ろす。

「いやーっ、ヒヤヒヤしたぜ」

 傍らで、中山が顎の汗を拭う。

「戸室のやつ。しばらく試合から遠ざかってたらしいが、どうしてどうして」

 そうなんだよ、と田所は勢い込んで言った。

「聞けばレギュラーから外れても、クサらず一所懸命がんばってたそうだ。こういう男は、いざという時にやるってもんよ」

「しかし……」

 背後を振り向くと、山口が渋い顔をしている。

「久保のやつは、ちと気の毒スね」

 ああ、と田所はうなずく。

「けど仕方ねえぜ。このところ調子が悪かったようだし。谷口もガマンして使ってたが、さすがに厳しいと判断したんだろ」

「でも本人は、ショックでしょうね」

 中山が気の毒そうに言って、眼鏡を掛け直す。

「なあに。そう心配いらないさ」

 声を明るくしたのは、山本だ。

「戸室のあのガッツを見れば、久保もつぎこそはって思うだろうぜ」

「そうとも、そうとも」

 田所が首肯する。

「おまえらが、このオレの背中を見て、成長したようにな」

 後輩達は「あーっ」と、ずっこけた。

 

 

「田所さん達、ずいぶん楽しそうだこと」

 スタンドにて和気あいあいとするOBの姿に、横井が笑って言った。

「ああ。そういや……」

 隣で、戸室が首を傾げる。

「今日は試合前に、俺らのトコへ来てくれなかったな」

「む。せっかく来たんだし、声かけてくれりゃいいものを」

「まあ、そう言うな」

 ふいに倉橋が割って入る。

「大事な準々決勝だ。無用な気をつかわせまいと、配慮してくれたんだろ」

 横井は「あっ、なるほど」とうなずいた。

「さあ。先輩方の気持ちに応えるためにも、ここらで反撃といこうぜ」

 正捕手の言葉に、二人は「よしきた!」と応える。

 三塁側ベンチ。その後列では、久保が無言でバットを磨いていた。傍らに、あと数本並べている。

「おっ、スマンな」

 一声掛けたのは、丸井だった。

「あ、いえ」

 久保は苦笑いして答える。

「こうでもしないと、落ちつかなくて」

「……おい久保」

 ふと丸井が、声をひそめる。

「悔しいか?」

「えっ」

「悔しかったら、その気持ち忘れんなよ。必ず見返してやると心に誓え」

「ま、丸井さん……」

 戸惑う久保に、丸井は「へへ」と軽く頬を掻く。

「ポジションを取られる気持ちは、俺もよく分かる。負けるなよ久保」

「丸井さん。気持ちはうれしいのですが、この回の先頭って……」

 後輩の言葉に、丸井は「あっ」と気付く。顔をグラウンドへ向けると、アンパイアがこちらを睨んでいる。

「一番バッターは、どうしたのかね」

「い、いけねっ」

 丸井は慌ててバットを取り、駆け出した。周囲から「プッ」「ククク」と笑い声が漏れる。

 

 

 マウンド上。指先にロージンバックを馴染ませつつ、天野は渋い顔になる。

 つきはなしたい場面で、取れなかったか。いよいよ墨高のねばりが出てきたな。まだ六点あるとはいえ、どうもよくない流れだぞ。

「……す、スミマセン!」

 先頭打者の丸井が、息せき切って右打席に入ってくる。

「プレイ!」

 すぐにアンパイアのコール。そして小室が、初球のサインを出す。

 外へボールになる速いカーブ。なるほど、まずようすを見ようってんだな。たしかにこの一番は、どこへ曲げてもとらえてきてるが……

 初球。速いカーブが、アウトコースへボール一個分外れる。アンパイアが「ボール!」とコールした。丸井のバットは、ピクリとも動かない。

 くそっ、見きわめられてる。やはりカンタンには打ち取らせてもらえないか。

 続く二球目。小室がインコース膝元に、真っすぐのサインを出す。おいおい……と、天野はひそかに苦笑いした。

 小室のやつ、俺がそこまでコントロール良くないのを知ってるくせに。しかし……そうも言ってられんか。

 サインにうなずき、天野は投球動作へと移る。インコース膝元への真っすぐ。それがねらったコースより、ボール一個分浮いてしまう。

 しまった、ちと高い……

 丸井は躊躇いなく、バットを振り抜いた。レフト線を鋭いライナーが襲う。天野は一瞬、目を瞑りかける。

「ふぁ、ファール!」

 塁審のコールに、三塁側ベンチとスタンドから「ああ……」と溜息が漏れる。

「くそっ。あとちょい、右だったら」

 丸井も悔しがりつつ、打席へと戻る。それでもバットを構えると、一言「いくぞ!」と気合の声を発した。一方、天野はフウと吐息をつく。

「やはり速球は、とらえられて……むっ」

 次の小室のサインは、真ん中にスローカーブ。思わず苦笑いした。

「だからってスローカーブというのは、ちと正直すぎるぜ。とはいえ……他に投げるボールもないか」

 しかたあるまい、と天野はうなずく。そして左足を踏み込み、グラブの手を突き出す。要求通り、真ん中へスローカーブ

 丸井は体勢を崩すかと思いきや、ぐっと腰を落とし、おっつけるように打ち返した。

「センター! いや、ライトっ」

 マスクを放り、小室が叫ぶ。天野は唇を歪めた。

 打球はワンバウンドして右中間を破り、フェンスまで転がっていく。丸井は一塁ベースを蹴り、二塁へと向かう。

「へいっ!」

 中継の二塁手中町が、ボールを追う外野手二人へ合図した。その間、丸井は迷うことなく二塁ベースを回る。

 ようやく右翼手からの返球が、中町へと渡る。しかしこの時、丸井は頭から三塁ベースに滑り込んでいた。スリーベースヒット。

「どうだ見たかっ」

 立ち上がりユニフォームの土をはらいつつ、丸井は雄叫びを上げる。

「早まったな小室。そろそろ遅いタマでくると、思ったとおりだぜ」

 やはり読まれてたか……と、天野は苦笑いした。眼前では、小室も「やられた」とうつむき加減になる。

「バッテリー!」

 その時、二塁手の中町が声を掛けてきた。

「ここは難しく考えず、バックに任せろ」

 そうだっ、と他のナイン達も続く。

「六点あるんだ。思いきりいけ!」

「俺達がなんとかしてやるっ」

 小室と目を見合わせ、天野は「む」とうなずく。

「だいぶとらえられてる。ここはもう、バックを信じるほかあるまい」

 やがて次打者の島田が、左打席に入ってきた。

「この二番はスイッチヒッターだったな。左に立ったということは、スローカーブに合わせたいのか」

 ならば……と、天野は外野手へ「バック!」と指示を伝える。そして自ら、外角へスローカーブのサインを出した。

 えっ、と小室が目を見開く。

「ねらわれてるんですよ」

 そう言いたげに首を傾げた。天野は「いいんだ」と、目で合図する。

 ねらっているのなら、打たせよう。この二番に直接放り込むパワーはない。外野フライなら一点ですむ。それより中軸の前に、ランナーをためないようにしないと。

 分かりました、と小室は同意した。

 初球。天野の投じたスローカーブは、外角高めのコース。島田は躊躇いなく、バットを振り下ろした。パシッと快音が響く。

「ら、ライト!」

 小室が叫ぶ。おおっ、と墨高の三塁側ベンチとスタンドが湧き上がる。

 ライトオーバーと思われたが、一度フェンスに背中をついた右翼手が、数歩前進する。島田は「上がりすぎたか」と、顔をしかめた。

 やがて右翼手が捕球した。しかし犠牲フライには、十分の飛距離。同時に三塁ランナーの丸井が、タッチアップからスタートを切る。

「へいっ、キャッチャー!」

 ところが……中継のセカンド中町より、矢のようなバックホーム。小室の構えたミットを動かすことなく、ノーバウンドで吸い込まれる。

「……な、なんだとっ」

 驚く丸井。それでも何とかホームベースの一角をはらおうと、頭から滑り込み左手を差し出す。だがそこに、小室のミットが被さってくる。

「あ、アウト!」

 アンパイアが右拳を突き上げる。その傍らで、丸井が「チキショウ」と、右手でホームベースを叩いた。

 

 

 またも飛び出したビッグプレーに、内外野のスタンドがどよめく。

「見たかよ。まさか、あの距離で刺しちまうとは」

「あのセカンド、なんて肩してんだ」

 一方の三塁側ベンチ。墨高ナインは、さすがに呆然としていた。そこへ「スミマセン」と、島田が苦い顔で引き上げてくる。

「最低でも犠牲フライと思って、ライトをねらったんですが」

「なーに、あれはしょうがないさ」

 谷口は苦笑いした。

「向こうの守備がうますぎたんだ」

 その時、またも快音が響いた。倉橋の打球が二塁ベース左を襲う。

「おっ……ああ」

 歓声が一瞬にして、溜息へと変わる。明善の遊撃手川島が、横っ飛びで捕球した。そのまま片膝を付き、素早く一塁へ送球する。

「く、くそうっ」

 倉橋のヘッドスライディングも及ばず。

「アウト、チェンジ!」

 一塁塁審が無情にも告げる。またかよ、と横井が溜息混じりに言った。

「けっきょく無得点か。結局ズルズルと、向こうのペースに……」

「いや、そうでもありませんよ」

 思わぬ一言を発したのは、イガラシだ。

「見てくださいよ、向こうのバッテリー」

 全員の視線が、一塁側ベンチへと向けられる。天野と小室の二人が、何事か言葉を交わしていた。その横顔の表情は、明らかに険しい。

「どう見ても、思いどおりにいってる顔じゃないでしょう」

 傍らで、戸室が「そういや」とうなずく。

「向こうにとっちゃ、ピンチの連続だものな」

「ええ。ぼくらが四、五点取っててもおかしくなかったですし」

「そ、それに」

 おずおずと挙手したのは、半田である。

「さっきから天野ってピッチャー、タマが浮いてきてます」

 周囲から「そういえば」と声が漏れる。

「しかし、もともとコントロールはそこまでよくないって話じゃ」

 戸室の質問に、半田は「ええ……」と答えた。

「そうなんですけど。五回戦までは、もっと低めに集められてたんです」

 墨高ナインの傍ら。グラウンド上では、球場係員によりグラウンド整備が行われている。スパイクで削られた痕が、きれいに消されていく。

「……なるほど」

 ふいにイガラシが、フフと笑い声をこぼす。

「ひょうひょうと投げてるようでも、やはり力んでしまうってことか」

「攻りゃくの材料なら、まだあるぜ」

 戻ってきた倉橋が、野太い声で割り込む。数人が「あ、倉橋さん」と振り向いた。

「シュートにかぎってだが、だいぶキレが悪くなってる」

 横井が「そ、そういや」とうなずく。

「アウトになったものの、ほぼジャストミートだったものな」

「うむ。右バッターの内角にくるタマは、きまってシュートしてたが、もうほとんど曲がらなくなってるようだ」

「疲れが出てるってことですか?」

 二年生の加藤が尋ねる。

「そこまでは分からんが……」

 倉橋は首を捻りつつ、話を続けた。

「さっき戸室が言ったように、あれだけピンチが続いてちゃ、なにかしら影響は出てくるだろうさ。点差ほどの余裕はないだろう」

 やがてグラウンド整備が終わり、係員がトンボを手に引き上げていく。

「……だいたい話は、まとまったようだな」

 そしてキャプテン谷口が、おもむろに口を開いた。

「みんなが言ったように、われわれはかく実に明善を追いつめている。ただここまでは、少しばかり向こうに流れがあっただけだ。後半は、必ずこちらに傾く」

 いいかみんな、と谷口は声を明るくする。

「流れを引き寄せるには、われわれのベストを尽くすことだ。日々の練習で身につけたチカラを、いまこそ発揮しよう。いいなっ」

「オウヨ!」

 ナインを激励した後、谷口は傍らの倉橋に告げる。

「倉橋。この回から、俺がリリーフする」

「む、たのんだぜ」

 さらに「井口、岡村」と、一年生の二人を呼び止めた。

「岡村、準備はできてるな? この回から俺に代わってサードに入れ」

「は、はいっ」

「そして井口、おまえはここで交代だ。あとは次戦に備えてくれ」

「……は、はぁ」

 力を込める岡村とは対照的に、井口は気のない返事をした。

「まてよ谷口」

 ベンチから出てきた横井が、口を挟む。

「おまえの登板は分かるが、井口を下げるのは、ちともったいなくねえか。こいつならバッティングも期待できるわけだし」

「うむ。そうしたいトコだが、次戦まで中一日だ。万一のことがあってはいかんからな」

「次戦って……今日負けたら、つぎもねえんだぞ。まだ六点差あるってのに」

「だいじょうぶ、勝てるさ」

 谷口は、事もなげに言った。

「勝てるって、なにを根拠に……むっ」

 思わず口をつぐむ。相手の真っすぐな眼差しに、横井は気圧される。

「わかりました」

 井口が返事して、口元に笑みを浮かべた。

「つぎこそ、バッチリおさえてみせます。その代わり……かならず勝ってくださいよ」

「ああ。まかせろ」

 二人のやり取りを眺めつつ、横井はライトのポジションへと向かう。フフ、と笑いがこみ上げてきた。ひそかにつぶやく。

「なんだい谷口のやつ。まるで勝つのが、当たり前みてえに言いやがって」

 

 

 三塁側スタンド。墨高野球部OBの面々は、皆一様にうなだれている。

「……さすがに、いまの〇(れい)点はイタイぜ」

 中山が頭を掻いた。隣で「そうだな」と、太田がうなずく。

「フツウなら、余裕もって生還できる当たりだってのに。なんだよあのセカンド」

「ま、さすが明善だな」

 長身の山口が、溜息混じりにつぶやく。

「昨年も、いい当たりを何度も捕られて、反撃の芽をつまれたからな」

 溜息混じりに言ったのは、長身の山口だ。

「しかたねーよ」

 場を取りなすように、中山が声のトーンを明るくする。

「負ける時は、こんなものさ。あとは最後まで見届けて……」

「うるせー!」

 ゴンッ、と音がした。田所の拳骨(げんこつ)が、中山の脳天に振り下ろされる。

「てっ。な、なにするんスか」

「なにするんスか、じゃねーよ! さっきから聞いてりゃ、テメーら、つまんねえことばっか口にしやがって。グチるヒマがあるなら、応援しろってんだ」

「け、けど田所さん」

 こちらも長身の山本が、おずおずと発言した。

「どう見ても、雲行きはあやしいですよ。これだけチャンスを潰してるんですし」

「バカヤロー。きさま、どこに目をつけてやがんだい」

「ど、どこって……」

 ふいに田所が、フフと笑い声を漏らす。その視線はグラウンドへと向けられた。

「やつらの顔だよ」

「へっ。か、顔ですか?」

 マウンド上。キャプテン谷口が、投球練習を始めていた。その周囲では、内野陣がボール回しを行う。誰もが軽快な動きである。

「ずいぶんスッキリとした顔してるじゃねーか。つい最近まで、重圧に押しつぶされかけてた連中がよ」

 言われてみれば、と太田がうなずく。

「あいつらの表情。六点負けてるってのに、みょうに晴れやかスね」

「うむ。こっからじゃ分からない手ごたえを、やつらつかんだんじゃねえか」

「ええ……それだと、いいんスけど」

 頭をさすりつつ、中山が言った。

「ただの居直りってことも」

 ムッとした田所は「やかましい!」と、口角泡を飛ばす。

「そんなにテメエの母校を信じられねえのなら、明善の応援に行きやがれっ」

「い、いえ。そういうわけじゃ……」

「なら、さっさと応援しろ。ほれオメーらも」

 先輩に促され、中山達は互いに目を見合わせた。そして半ばヤケのように叫ぶ。

「フレーフレー、墨高」

「ガンバレガンバレ谷口!!」

 その時「ちょっとみなさん」と、学ラン姿の応援部員が駆けてきた。

「勝手にされては困ります。ぼくらの声に、合わせていただかないと」

「あ……そうなの。ごめんよー」

 中山が顔を赤らめる。他のメンバーも、バツが悪そうにうつむく。周囲からは、クスクスと笑い声が漏れた。

 

3.キャプテンの意地

 

 六回表。二塁送球を終えたキャッチャー倉橋は、一旦「タイム」とアンパイアに合図した。そしてマウンドへと駆け寄る。

「谷口、ちょっと」

 そのマウンド上では、この回から登板のキャプテン谷口が、右手にロージンバックを馴染ませていた。

「四番からだが。どうする?」

 ちらっと背後を見やる。右バッターボックス横にて、明善の四番打者黒木が、素振りを繰り返す。ビュッビュッと風を切る音が聴こえた。

「ま……きわどいコースを突いていくのが、無難だろうが」

 谷口は「いや」と、首を横に振る。

「ここまでを見る限り、明善はミート重視のバッティングだ。たとえ四番でも、イニングの先頭打者となれば、まず出塁することを考えるだろう」

「そういや松川と井口の時も、うまく合わせてたものな」

「うむ。そこでコースというより、ボールの力で打ち取っていこう。もちろん低めに集めるが、ストライク先行で早めに追い込むんだ」

「お、おい谷口」

 頬を掻きつつ、倉橋は言った。

「それも、ちとキケンじゃねえか。やつらストライクがくると分かりゃ、なおのこと思い切りよく振ってくるんじゃ」

「分かってるさ」

 そう返事して、谷口はさらに声を潜める。

「だからフォークをつかおう」

 なるほど、と倉橋はうなずいた。

「たしかにフォークなら、明善もカンタンには手が出せないだろう。しかし全球というわけにもいくまい」

「そこは倉橋にまかせるよ」

 フフと、谷口は微笑む。

「いけると思えばフォークを続けてもいいし、ほかのボールを混ぜたっていい」

「け、けどよ谷口」

 つい憂う口調になる。

「たしかおまえ、いぜんフォークの投げすぎで肩をいためてたろう」

 なーに、と谷口は涼しげに言った。

「あれから鍛錬(たんれん)をつんできてるし、たった四イニングだ。俺の心配なんてしないで、バッターを打ち取ることだけ考えてくれ」

 ほう、と倉橋は一つ吐息をつく。

「いつになく大胆だな」

「倉橋。ここは強気でいくんだ」

 言葉とは裏腹に、谷口は穏やかな口調で言った。

「いぜん厳しい展開だが、チームの士気は高まってる」

 倉橋は「む」と相槌を打つ。

「きのうまで弱気の虫にとりつかれてた連中が、ここにきて思いきりよくプレーするようになってきたものな」

「ああ。さらに勢いをもたらすためにも、ここはチカラで押し切りたい。そうすれば、流れはこっちにくる」

 力強く言って、キャプテンは右拳を握り込んだ。

「もういいかね?」

 ホームベース手前より、アンパイアが声を掛けてくる。

「あ、はい。今もどります」

 倉橋は踵を返し、ひそかに笑みを浮かべた。

「なるほど谷口のやつ、だからあんな提案を。勇気をもって戦うことを、キャプテンみずから示そうってんだな」

 そのままポジションに着き、倉橋はマスクを被る。黒木が右打席に入ると、アンパイアはすかさず「プレイ!」とコールした。

 初球。打ち合わせ通り、倉橋は真ん中にフォークボールのサインを出す。

 谷口はうなずき、すぐにワインドアップモーションから投球動作へと移る。その指先から、ボールを放つ。

 ボールはど真ん中の高さから、鋭く沈む。黒木のバットは空を切った。ミットを土に寝かせるようにして、倉橋は捕球する。

「ストライク!」

 アンパイアが右拳を突き上げた。傍らで、黒木が「なにっ」と目を剥く。

「さ、つぎもこれよ」

 二球目もフォークボール。やはり同じコース、同じ高さからストンと落ちる。

 しかし今度は、黒木がチップさせた。打球はバックネット方向へ鈍く転がる。くそう……と、打者はマウンド上を睨む。

「たった二球で当てるとは、さすが明善の四番だぜ。しかし谷口のやつ、どうしてどうして。ちゃんと自分の技りょうも磨いてきてるじゃねえか」

 それなら、と倉橋は三球目のサインを出す。真っすぐを要求した。

「こいつをねじ伏せられたら、チームに勢いがつく。さあ谷口、思いきりこい!」

 谷口は躊躇いもせず、サインにうなずいた。そしてまたもワインドアップモーションから、グラブを突き出し、左足を踏み込み、そして右腕をしならせる。

 インコース低めいっぱい。黒木はスイングするも、完全に遅れてしまう。倉橋のミットが、乾いた音を立てる。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアが甲高い声を発した。

 

 

 ネクストバッターズサークル。次打者の天野は「ううむ」と、唇を歪めた。

「よ……四番が三振だと。しかも直球に、かすりもしないとは」

 ほどなく黒木が、首を捻りつつ引き上げてくる。

「スマン天野。せめて塁に、出てやりたかったが」

「やはり速かったか」

「うむ。フォークを警戒しすぎたのはあるが、かなり手元で伸びてくるぞ」

「そのフォークも、だいぶ落差があったようだが」

「ああ……直球とそう変わらないスピードで、ストンとな」

 情報交換を済ませ、天野は右打席に入る。そしてバットを短く握った。

「なんとか出塁しなければ。三人で終わると、流れが相手にいってしまう」

 初球は、やはりフォークボール。真ん中高めのコースから、鋭く沈んだ。低めいっぱいに決まりワンストライク。

 な、なんて落差だ。こりゃ分かってても、そう容易に打てるタマじゃねえぞ。

 続く二球目。今度はインコース高めに、直球が投じられる。バットを振り下ろすように、天野はスイングした。しかしガキ、と鈍い音が響く。

「くそっ、振り遅れた……」

 三塁頭上への凡フライ。代わったばかりの岡村が「オーライ」と右手を挙げ、難なく捕球した。あっさりツーアウト。

 一塁ベースを踏む手前で、天野はベンチへと引き返す。そして次打者の六番小室に、一声掛ける。

「メンボクない。小室、なんとか喰らいつけ」

「は、はいっ」

 緊張した面持ちで、一年生捕手はうなずく。

「喰らいつくか……よし、カンタンには終わらせないぞ」

 打席に立ち、小室は「こいっ」と気合の声を発した。やはりバットを短く握り、速球とフォークに備える。

 ところが初球、谷口は真ん中にカーブを投じてきた。

「ストライク!」

 意表を突かれた小室は、手が出ず。

「し、しまった……ほかのボールも頭に入れなきゃ」

 一旦打席を外し、数回素振りする。

 傍らで、倉橋はひそかに「クス」と笑い声をこぼした。だいぶ入れ込んでるな……と、胸の内につぶやく。

 そして二球目。なんと直球が、ど真ん中に飛び込んできた。

「……うっ」

 バシッ、と倉橋のミットが鳴る。小室はまたも手が出ず。

「ストライク、ツー!」

 アンパイアのコール。小室は「くそうっ」と、顔を歪める。

「今度は真っすぐか。しかし谷口さん、いつの間にこんな速いタマを……」

 小さく吐息をつき、小室はバットを構え直す。

「天野さんの言うように、どうにか喰らいついていかないと」

 すかさず谷口が、ワインドアップモーションから三球目を投じてきた。

「……な、なにっ」

 またしてもカーブ。速球のタイミングで待っていた小室は、大きく体勢を崩す。バットが空を切ると同時に、前へつんのめる。

「ストライク、バッターアウト。チェンジ!」

 アンパイアが攻守交代を告げる。小室はただ、呆然とするほかなかった。

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