南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第41話「緊迫の攻防戦!!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

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<外伝> 

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 第41話 緊迫の攻防戦!の巻

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1.井口の気づき

 

 二回表。谷原に追加点を許し、なおも無死一・三塁のピンチが続く墨高。マウンドに集まったバッテリーと内野陣は、思案を巡らせる。

「ちと、おれに考えがあるんスけど」

 思わぬ一言を発したのは、井口だった。全員の視線が集まる。数人が「な、なんだって!」と声を発した。

 うむ、とキャプテン谷口がうなずく。

「聞かせてみろ井口」

「はい」

 井口はいつになく、真剣な面持ちだ。

「ようは……バッターのねらいを、外せばいいんスよね」

「ああ」

「だったら倉橋さんには、球種のサインだけしてもらって、おれが自分でコースを投げ分けます」

 その言葉に、倉橋は目を丸くする。

「もしや井口。おまえも見抜いたのか、谷原のクセ」

 正捕手の質問に、井口は「ええ」と答えた。

「マウンドからでも、分かるものなのか」

 傍らで、丸井が問いを重ねる。

「ひざの高さス」

 井口はあっさりと言った。

「さっきキャプテンと倉橋さんの話を聞いて、おれもバッターの動きを見てみたんスよ。そしたら……強く踏みこむ時は、ひざをベルトより高く上げるんスけど。そうじゃない時は、ずっとベルトの下だったんで」

「で、でかした井口!」

 丸井が大声を発したのを、倉橋は「しっ!」とたしなめる。

「バカ。やつらに聞かれたら、すぐに直されちまうぞ」

「す、スミマセン」

 バツの悪そうに、丸井は苦笑いする。

「リクツは分かったが」

 心配そうに言ったのは、一塁手の加藤である。

「おれはピッチャーじゃないからよく分からんが。とっさに投げるコースを変えるなんて、できるものなのか?」

 なーに、と井口は胸を張った。

「コースを外すのなんて、さんざんスクイズ守備の練習でやってきましたから」

「かんたんに言ってくれるぜ」

 今度はイガラシが、睨む目で口を挟む。

「ただのウエストとは、わけがちがうぞ。とっさにコースを変えなくちゃならねえんだ。もちろん速球だけじゃなく、変化球でもな」

 そうだよ、と加藤も同調した。

「まちがってスッポ抜けでもすれば、一点や二点じゃすまないだろうよ」

 井口はフンと鼻を鳴らし、幼馴染へ「なんでえイガラシ」と言い返す。

「だれだったよ。さっき……多少の危険はあっても、より確率の高いやり方を選ぶべきだとぬかしてたのは」

 あっ、とイガラシは苦笑いした。頬をぽりぽりと掻く。

「そ、そうだったな」

「まったく。あとは倉橋さんが、ちゃんととってくれりゃ」

 すかさず「だれがとれるかって?」と、正捕手が突っ込む。

「うぐっ……い、いえ」

 失言に気付き、井口は顔を引きつらせる。

「よく言うぜ。春先までストライクとボールを投げ分けるのが、やっとだったくせによ」

「ど、ドウモ」

 バッテリーのやり取りに、周囲からプククと笑い声が漏れた。

 

 

 一塁側ベンチ。谷原ナインの多くは、あっけに取られる。

「なんだい、墨高のやつらめ」

 一旦ネクストバッターボックスから引き上げていた坂元が、呆れ顔で言った。

「笑ってやがるぜ。点を取られて、なおもピンチだってのに」

「フン、ただの強がりだろ」

 二番打者の宮田は、打席へ向かう用意をしつつ、鼻息を荒くする。

「これだけ追いつめられりゃ、居直るしかあるまい」

 む、と坂元はうなずく。

「強がりは冷静さを欠いているゆえだ。こりゃ思いのほか、あっけなく自滅してくれそうだ」

 数人が同調して、ハハハと笑い声が漏れる。その時だった。

「おやおや。たった二点取っただけで、ずいぶんと威勢がいいじゃねえか」

 棘のある言葉を発したのは、キャプテン佐々木である。

「まだ試合序盤。しかも相手は、ねばり強さに定評のある墨谷だってこと、忘れたんじゃあるまい。それをもう勝った気でいるとは、思い上がりもたいがいにしろや」

 厳しい口調に、ベンチ内は静まり返る。

「うわついた気持ちは捨てろ」

 今度は諭すように、佐々木は話を続けた。

「春に果たせなかった全国優勝をねらうためには、まちがってもここで落とすわけにはいかないんだ。墨谷だろうとどこだろうと、ぜったいにスキを見せるな。いいなっ」

 キャプテンの檄に、谷原ナインは「はいっ」と応える。

 

 

「……みんな、聞いてくれ」

 マウンド上。墨高のキャプテン谷口が、全員を見回して言った。

「ここは井口にまかせようと思う」

 ナイン達から「えっ」「キャプテン!」と、戸惑いの声が漏れる。

「い、いいんですか? そんなバクチみたいなこと」

 声のトーンを高くして、丸井が問い返す。

「少しまちがえば、何点取られるか」

「その時はその時さ」

 キャプテンは事もなげに答えた。

「し、しかし……」

「丸井。みんなだって、もう分かってるだろう」

 まるで諭すように、谷口は静かに語りかける。

「そもそも谷原をかく実におさえる方法なんて、あると思うか」

 重い言葉に、チームメイト達は黙り込む。

「だったら。さっきイガラシが言ったように、やれる限りのことはやってみよう。それでダメなら力不足をみとめて、また出直せばいいじゃないか」

「で、出直すって」

 丸井が悲しげに口を開く。

「この試合に負けたら、キャプテンは……もう」

 旧知の後輩に、谷口は無言の微笑みを返した。そして井口に向き直る。

「スマンな井口」

 思わぬ一言に、井口は「えっ」と目を見上げた。

「おれに谷原をおさえる力があれば、おまえにこんな重荷を背負わせずにすむんだが」

「きゃ、キャプテン」

 一年生投手は、小さくかぶりを振る。

「お、重荷だなんて。そんなこと」

「もし打たれても、おまえが責任を感じることはない」

 井口の右肩をポンと叩き、谷口はさらに続ける。

「いつでもおれが代わる。だから後ろは気にせず、思いきりやってくれ」

「は、はぁ……」

 間の抜けたような返事。ぎろっと、丸井が井口を睨む。

 やがてタイムが解かれ、内野陣はポジションへ散っていく。一人マウンドに残る井口は、左手にロージンバックを馴染ませる。そこへ、ふいに丸井が戻ってきた。

「……な、なんスか」

「なんスかじゃねえ。井口てめえ、分かってるのか」

 いつにも増して険しい眼差しを向けてくる。

「さっきのキャプテンの言葉。もしてめえが打たれて負けても、責任をぜんぶ引き受けてやるってことだ。そんだけの思いを、たくされてるってことだぞ」

「え、ええ。そりゃ知ってますが」

「だったら死ぬ気で投げろ。もしチンケなピッチングしやがったら、あの人は許しても、俺っちが許さねえからな」

「……分かってますよ」

 思いのほか、力のこもった声が返ってくる。

「い、井口?」

「おれだって、ここまでいいように打たれて、アタマにきてるところス。言われなくたって、これ以上やつらの好きにはさせませんよ」

 語気を強める井口。丸井は「そうよ、その意気よ!」と、小さく拳を突き上げた。

 

 

 やがて九番打者浅井が、右打席に入ってきた。長身揃いの谷原レギュラー陣にあって、珍しく小柄で華奢なバッターである。

「体はちいせえが、すばしっこそうなやつだぜ」

 マウンド上。井口は、胸の内につぶやく。

「こいつも打率は、五割をこえてるんだったな。おまけに盗塁が十個。さすが谷原、豊富な人材をお取りそろえのようで」

 すぐにアンパイアが「プレイ!」とコールする。井口は少し前屈みになり、キャッチャーのサインを確認した。

「む、シュートね。いきなり勝負ダマとは……倉橋さんも思いきるぜ」

 その時、ふいに倉橋が「内野!」と掛け声を発した。そして手振りで合図する。二塁手の丸井、遊撃手のイガラシが二塁ベース寄りの守備位置を取る。

「ち、中間守備? 一点をふせぐより、あわよくばダブルプレーねらいってことか。しかしカンタンに点をやるのも……ま、まてよ」

 井口は「そうかっ」と、ひそかにつぶやいた。

「これは低めに投げてくると、向こうに思わせるためだな。さすが倉橋さん」

 唾を飲み下し、頭の中でデータを反すうする。

「この浅井ってやつは、高めが苦手だったな。ぎゃくに低めはコース問わず得意と」

 セットポジションに着き、じりじりと長めにボールを持つ。そして右足を踏み込み、グラブを突き出す。

「……あとは、おれの判断しだいか」

 眼前で、浅井の膝がベルトより上がる。

「お得意の低めねらいだ!」

 井口はそう判断し、シュートを外角高めへ投じた。浅井のバットが回る。

 カキ、と鈍い音がした。打球はふらふらと、二塁ベース後方へ飛ぶ。二塁手丸井が「こなくそっ」と猛ダッシュする。

三塁走者はベースから数メートル離れ、前傾姿勢。いつでもスタートできる構えだ。

「くわっ」

 丸井が斜め後方へジャンプした。彼の目一杯伸ばしたグラブの先に、白球が引っ掛かる。駆け寄った二塁塁審が、右拳を高く掲げる。

「……あ、アウト!」

 リードしていた三塁走者は、慌てて帰塁した。またも飛び出した好プレーに、内外野のスタンドが「おおっ」とどよめく。

「丸井さん、ナイスキャッチ」

 一声掛けた井口に、丸井は「てやんでえ」と言い返す。

「これぐらい、どーってことねえよ。まだワンアウト取っただけだ。その調子で、気い抜かずに投げるんだぞ!」

 その横顔に、ショートのイガラシが「あれ?」と軽く突っ込む。

「なんだか丸井さん、顔が赤いですけど」

 すぐに「うるせー」と返事された。

「いちいちヤボなんだよ、てめーは」

「またまた。よしましょうよ、照れかくしは」

「うるせー!」

 他愛のない二人のやり取りを、周囲はポカンとして眺めた。井口は吹き出してしまい、丸井にぎろっと睨まれる。

「よし。やっと、いつもの雰囲気にもどってきた」

 三塁ベース手前で、谷口は小さく右拳を突き上げた。そして野手陣へ向き直る。

「ワンアウト。ひとつずつ、がっちりいこうよ!」

 キャプテンの掛け声に、墨高ナインは「オウッ」と力強く応えた。

 

 

 ネクストバッターズサークル。引き上げてきた浅井に、一番打者の坂元は「どしたい」と声を掛けた。

「なにも初球から打ちにいかなくたって。おまえの得意の低めがくるのを、もう少しまてばよかったものを」

「す、スマン」

 浅井はバツの悪そうに答える。

「ダブルプレイねらいの守備隊形だったもんで、てっきり低めを突いてくると思ったんだが。高めのストライクだったもんで、つい手が出ちまった」

「犠牲フライも打てねえで、言い訳もあるまい」

 チームメイトを叱咤しながらも、坂元は「とはいえ……」と警戒心を募らせる。

「ミートのうまい浅井が、打ちそんじたんだ。あのシュートのキレには要注意だな」

 足もとにマスコットバットを置き、左手にロージンバックを馴染ませる。そしてバットを手に打席へと向かう。

「内野はそのままだ。外野は、定位置より前へ」

 墨高の正捕手倉橋が、味方へ指示を出す。

「フフ。しょうこりもなく、また中間守備か」

 わざと聞こえるように、坂元は言った。

「さっきはうまく引っかけたが、そう何度も同じテがつかえると思うなよ」

 倉橋はちらっと、こちらに目を向ける。しかし表情は変えない。

「強がっちゃって。そちらのねらいは、もう分かってるんだ」

 坂元は左打席に入り、バットを構えた。「プレイ!」とアンパイアのコール。眼前で、井口がセットポジションから投球動作を始める。

「高めは得意じゃないが。くると分かってれば、打ち返すのはカンタンだ」

 初球。投じられたのは、低めのシュートだ。

「な、なにっ」

 意表を突かれながらも、坂元はバットをはらうようにスイングした。快音と同時に、低いライナーが二塁ベース横を襲う。

 その刹那、遊撃手イガラシの体が矢のように跳んだ。

 どさっと、イガラシの上半身が落ちる。彼の目一杯伸ばしたグラブの先に、ボールは収まっていた。

「しまった!」

 すでにホームへ向かいかけていた三塁走者岡部は、慌てて身を翻す。しかしイガラシは起き上がるやいなや、素早いフィールディングでベースカバーの谷口へ送球した。

「へいっ、サード」

 岡部のヘッドスライディングより早く、パシッと谷口のグラブが鳴る。

「……あ、アウト! スリーアウト、チェンジ」

 スタンドは一瞬の静寂。そして次の瞬間、大歓声と拍手に包まれた。

 

 

「くそっ、やられた」

 一塁ベースを回りかけていた坂元は、舌打ちして引き返す。

「ドンマイよ坂元」

 ベンチに帰ると、数人が声を掛けてくる。

「さすが坂元。低めのシュートを、うまくとらえたな」

「ダブルプレイは、しかたねーよ。向こうがうますぎたんだ」

 いや、と坂元は首を横に振った。

「打たされたのさ。得意コースだったもんで、手が出ちまったが……ありゃボール球だ」

「む、やはりそうか」

 同調したのは、キャプテン佐々木である。捕手用プロテクターを装着しつつ、それにしても……と小さく首を捻る。

「巧打者のおまえと浅井が、意表をつかれたというのは、ちと気になるな」

「そ、そうなんだよ」

 我が意を射たりと、坂元がうなずく。

「まるで……こっちのねらいダマを、読まれたみたいだ」

 バカな、と三塁走者だった岡部が口を挟む。

「たまたまだろう。こっちが一つに、ねらいを絞ってるわけでもあるまいに」

「うむ。それは、そうなんだが」

 坂元は渋い顔で言った。

「なんだかイヤーな感じがするのよ。けっきょく、この回も一点止まりだし」

 その一言に、佐々木と岡部は黙り込む。三人の背後を、他のメンバーが通り過ぎ、それぞれの守備位置へと散っていく。

「どうしたんだ三人とも」

 声を掛けてきたのは、エース村井だった。

「いまの併殺を悔やんでるヒマはないぞ。やつらに流れを手渡したくなかったら、まずこのウラを守り抜くことだ」

「あ、ああ。分かってる」

 佐々木はうなずき、マスクを手にダッグアウトを出た。そして村井を伴いグラウンドへと向かう。他の二人も後に続く。

 

 

 一塁側ベンチには、控えメンバーとマネージャー、そして監督が残される。

「たしかにイヤな感じですね」

 スコアブックを付ける眼鏡のマネージャーが、傍らの監督へ一声を掛けた。

「あれだけ攻め立てて、また一点止まりとは。ちょっとツキがないのでしょうか」

 監督は腕組みしたまま、渋い顔で「ふーむ」と声を発した。熊のような体躯には不釣り合いのつぶらな双眼で、グラウンド上を凝視する。

「ツキがないだけなら、いいんだがな」

 意味深な返答に、マネージャーは「えっ」と目を見開く。

「監督。それはどういう……」

 問いかけには応えず、監督はしばし思案を巡らせる。

「やはり底知れぬチームだ。こんなに早く我々のクセを見抜き、対策してくるとは」

 フフ、と笑い声が漏れる。そしてマネージャーへ目を向けた。

「油断していたのは、ワシの方かもしれん」

 意外な一言に、マネージャーは「は、はぁ」と曖昧な返事になる。

「練習試合で分かった気になってはいかんな。こうして大会で戦ってみないことには、真の姿は見えてこないものだ」

 だが……と、監督は胸の内につぶやく。

「それで揺さぶられるようじゃ、どのみち全国優勝は望めない。分かってるなおまえ達。墨谷の術中に、はまるんじゃないぞ」

 視線の先には三塁側ベンチ。その手前で、墨高ナインが円陣を組んでいた。

 

 

2.知略対知略

 

 三塁側ベンチ前。キャプテン谷口を中心とし、墨高ナインは円陣を組む。

「向こうのバッテリーのねらいだが」

 囁くような声で、谷口は話を切り出す。

インコースの速球をふうじて、変化球の割合が増えている。このことから……いつもの力でねじふせるスタイルでなく、打たせて取るピッチングに変えているようだ」

「な、なんでそんなこと」

 横井の質問に、倉橋が「それはおそらく」とバックスタンド方向を見やった。

「明日にそなえて、少しでも体力を温存したいんだろう」

 客席では、先に決勝進出を決めた佐野を擁する東実ナインが、高みの見物を決め込んでいる。なるほど……と、島田がうなずいた。

「その方が、球数を減らせますものね」

 戸室も「たしかに」と同調する。

「あの佐野が相手じゃ……いくら谷原でも、そうカンタンに得点できまい。投手戦を予想するのなら、疲れを残さないに越したことはないからな」

 けどよ、と横井が口を挟む。

「わざわざスタイルを変える意味があるのか。言いたかないが……今日をコールドで終わらせりゃ、さほど消耗しないだろう」

「そこは慎重になったんでしょう」

 返答したのはイガラシだ。

「あの練習試合で投げなかった投手が、大会に入って複数登板してますからね。思うように打てないことも想定してたんじゃありませんか」

 傍らで、加藤が「まいったな」と頭を抱える。

「向こうが油断してくれてたら、まだしも勝機はあったのに」

「ちがうぞ加藤」

 谷口はきっぱりと告げた。

「ここで大事なのは……谷原がこの試合にかぎって、何の前触れもなくスタイルを変えてきたってことさ」

 声のトーンを落とし、キャプテンは話を続ける。

「しかも我々じゃなく、東実との決勝を気にしてだ。つまり……谷原は慣れないことをしているうえ、このゲームに集中できていない」

 あっ、と数人が小さく声を上げた。

「それでキャプテン」

 冷静に言ったのは、やはりイガラシである。

「作戦はどうします?」

 む、と谷口はうなずいて答えた。

「とうぶんは予定どおり、ねばって球数を投げさせよう」

「……と、とうぶんは?」

 訝しむイガラシ。谷口はナイン達を見回し、ふっと穏やかな目になる。

「イガラシもよく知ってるだろう。ピッチャーってやつは普段とちがうことをやろうとすると、どうしてもなにかしらのほころびが生じてしまうものだ」

 聡明なイガラシは「なるほど」と、すぐに反応した。

「びみょうにフォームがくずれたり、球のキレが悪くなったりするってことですね」

 ああ、とうなずく谷口。他のナインもようやく理解したらしく、数人が「おおっ」「そうか」と声を漏らす。

「なんにせよ、カンタンには打ちくずせない相手だ」

 谷口は表情を引き締め、話を締めくくる。

「しかし谷原のエースといえども、まったくスキがないわけじゃない。一球でも多く投げさせて、ほころびを見つけ出し、最後は攻りゃくする。そのためにも、まず自分達の力、今までやってきた練習を信じるんだ。いいなっ」

 キャプテンの檄に、ナイン達は「オウヨ!」と声を揃えた。

 円陣が解けると、谷口はバットを手に打席へと駆けていく。マウンド上では、すでに村井がイニング前の投球練習を終えていた。

「さあこい!」

 谷口は右打席に入り、気合の声を発した。その背番号“1”の背中に、イガラシは「まいったね」とつぶやく。

「この劣勢で、みんなの目の色を変えてしまうとは。さすが谷口さんだ」

 

 

「プレイ!」

 アンパイアのコールと同時に、谷口はバットを短く握り直す。

「四番がそんな握りでいいのかよ。ま、気持ちは分からなくもねえが」

 佐々木はマスクを被り、胸の内につぶやく。そしてサインを出した。

 マウンド上。村井はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作を始めた。右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を突き出す。

 初球、アウトコース低めの速球。谷口はバットの先端に当てた。チッと音を立て、ボールは一塁側ベンチの方向へ転がっていく。ファール。

「いまのは打つというより、カットしにきたような振りだな」

 二球目もアウトコース低めに、今度はシュートを投じた。際どいコースだったが、谷口はこれを見送る。僅かに外れワンボール。

「さすが四番、いい目をしてるぜ。ならこれはどうだ」

 三球目は、真ん中低めにチェンジアップ。緩急差を付けたが、谷口の体はピクリとも反応せず。これでツーボール・ワンストライク。

「手が出るかと思ったが、反応しないか。じっくり見ていこうってのか」

 その時だった。マウンド上の村井が、アンパイアに「タイム」と合図する。

「な、なんだ?」

 訝しがる正捕手を、エースは「ちょっと来てくれ」と呼び寄せる。

「どうした村井」

 佐々木は立ち上がり、マウンドへと向かう。村井は「スマンな急に」と笑いかけた後、口元を引き締めて短く告げる。

「敬遠しよう」

 思わぬ一言に、佐々木は「おいおい」と目を見開いた。

「いくら四番だからって、こんな序盤から」

「やつらのねらいが分からないのか」

「分かるさ。ねばって球数を投げさせ、おまえを疲れさせたいんだろう」

「それもあるだろうが……もう一つは、情報を集めようとしてるんじゃないのか」

 渋い顔で、エースは返答する。

「情報を?」

「ああ。たくさん投げさせるほど、相手のクセや弱点もさがしやすくなるからな。そうして攻りゃくの糸口を見つけ出すつもりなんだろう」

「だ、だからどうだって言うんだよ!」

 佐々木は思わず、声を荒げてしまう。

「ちょっとクセを見つけられたくらいで、打たれるようなタマじゃないだろ」

「うむ、おれも打たれるとは思ってないが。昨夏の大会を思い出してな」

 冷静に村井は答えた。

「昨夏の?」

「優勝候補だった専修館が、当時ノーシードだった墨谷に食われたろう」

「む。それなら、おれも知ってるが」

「ちょっと調べてみたんだが。どうもやつらは、相手エースの弱点を突いて、シュートをねらい打ちしたらしい」

「ね、ねらい打ちだと!」

 佐々木の顔色が変わる。

「昨年の専修館のエースといやあ、百瀬って速球派で鳴らした投手だろう。おいそれとねらい打ちできるようなタマじゃ」

 なーに、と村井は一転して気楽そうに言った。

「おれは百瀬とちがって、カーブが曲がりすぎて打者にぶつけるってことはないから、さほど問題はないさ」

「あ、ああ。そうだったな」

「ひとつ言えるのは、かく実にこの試合をモノにするには、なるべくやつらに攻りゃくの手がかりを与えない方がいいってことだ」

「む。しかし、ただでノーアウトのランナーをくれてやるのは……」

「心配するなって。そう悪いようにはせんから」

「わ、分かったよ」

 最後は折れる格好で、佐々木はポジションに戻る。一旦ホームベース手前に屈み込んだが、アンパイアが試合再開を告げると、再び立ち上がり大きく右へずれた。

 案の定、客席から「ええっ」と溜息混じりの声が漏れる。

「どしたい谷原。そんなに墨谷の四番がこわいのか」

「シード校らしく正々堂々と勝負しろ!」

 そんな野次も聞こえてきた。

「フン。どーとでもほざけ」

 そう吐き捨て、佐々木は山なりのボールを四度ミットに収める。

「ボール、テイクワンベース!」

 敬遠四球。アンパイアが一塁ベースを指差し、谷口は小走りに向かう。墨高にとっては、この試合初めてのランナーである。

 マスクを被り直し、佐々木はホームベース手前に屈み込む。

「さあて、ここからが大事だぞ」

 

 

 ノーアウト一塁。すぐに次打者の島田が、右打席に入ってくる。

「こいつはスイッチヒッターだったな。大物打ちこそいないが……なかなかどうして、油断ならない打者がそろってるやがる」

 やはり送りバントの構えだ。佐々木がサインを出すと、村井はセットポジションから投球動作を始める。

 初球は、インコースに喰い込むシュート。島田が「うっ」と声を漏らす。

    ガキ、と鈍い音がした。ホームベース後方への小フライ。佐々木はくるっと回転して鋭くダッシュし、スライディングしながら捕球する。

 今度は谷原に飛び出した好プレーに、一塁側スタンドが湧いた。対照的に、墨高応援団の陣取る三塁側スタンドは静まり返る。

「くそっ……」

 島田が悔しさに唇を歪めつつ、ベンチへ引き上げていく。佐々木はフフと含み笑いした。

「まず一点と思ったんだろうが、そうは問屋がおろさねえぜ」

 状況はワンアウト一塁に変わり、次打者の横井が右打席に入ってきた。こちらはバットを寝かせず、ヒッティングの構えだ。

「強攻策か? いや……進塁させられなかったもんで、もともとの作戦に戻してきたな」

 谷口と同様、横井もかなり短くバットを握る。

「やはり速球にタイミングを合わせたいようだ。しかし、それだけと思うなよ」

 真ん中にカーブのサイン。村井はうなずき、またもセットポジションから第一球。

 ところが、これがすっぽ抜けてしまう。横井は「わっ」と上半身をよじったが、避けきれず左肩に当たる。

「だ、大丈夫?」

 打者に尋ねると、涼しい顔で「ああ」と返事された。

「ちと驚いたけどな。変化球だったし、痛くなかったよ」

 横井はそう言って一塁へ歩き出す。それと同時に、佐々木はマウンドへ駆け寄った。

「どうした村井。いま、変なすっぽ抜け方したが」

「ああ、スマン」

 エースは苦笑いした。

「足もとをならすのを忘れてたぜ。おれとしたことが、つい気が急いてしまってな」

 見ると、ややマウンドが荒れている。村井はそれをスパイクで均していた。

「まったく……おどかすなよ。ケガでもしたのかと思ったぜ」

「ハハ、悪かったな。どこも異常はないよ」

 安堵の溜息をつき、佐々木はポジションへと戻る。

「マウンドをならし忘れるなんて、村井らしくもない。そうか……普段とスタイルを変えてるもんで、あいつでも平常心じゃいられないのか」

 ワンアウト一・二塁。大柄な井口が、左打席に入ってきた。

 

 

 二塁ベース上。戦況を見守りつつ、谷口は「くっ」と唇を噛んだ。

「もっとねばってボールを見きわめるはずが、まさか歩かされるとは。こんなに早く作戦を見破られるなんて」

 ふと打席の井口が、こちらに目をやった。「どうします?」と言いたげだ。打て、と谷口はサインを出す。

「たのむぞ井口。ここはもう、おまえの個人技に頼るしかない」

 谷口は数歩リードを取り、右こぶしに力を込めた。ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールする。

 

 

 佐々木は、真ん中にチェンジアップのサインを出した。そして村井の第一球。

 今度はコントロールミスすることなく、要求通りのコースに投じられる。打者のバットが回り、ガッと鈍い音がした。

 井口は「しまった!」と、唇を歪める。

 凡ゴロがピッチャー前に転がり、村井が難なくグラブに収めた。まず二塁送球、さらに一塁へと転送される。一瞬にしてダブルプレー、スリーアウト。

「ねらいどおりだったな」

 佐々木が笑いかけると、村井は「ああ」と返事した。

「あのボウヤ、やはり緩い球にはからっきしだ」

「む。初球からねらってくると踏んで、正解だったぜ」

「言ったろう、悪いようにはしないと」

 おどけるエースに、佐々木は「バーカ」と突っ込む。

「さっきの死球は、よけいだ。気をつけろよ」

「スマンスマン」

 村井は苦笑いで応えた。

 

 

 軽やかな足取りで引き上げていく谷原ナイン。一方、三塁ベース上でチェンジのコールを聞いた谷口は、ベンチへと歩きながら小さくかぶりを振る。

ダブルプレーはしかたないにしても、こっちの策を封じられたのは痛いな。まだ序盤とはいえ、この先どう攻めたらいいものか……」

 その時、ふいにポンと背中を叩かれる。

「どうしたんだ?」

 顔を上げると、同級生の横井が微笑んでいた。

「ショゲた顔するなんて、おまえらしくもない」

 そうよ、と傍らの倉橋も言葉を重ねる。

「たった一度うまくいかなかっただけで、まさかあきらめたんじゃあるまい」

 谷口がふと周囲を見ると、いつの間にか仲間達が集まってきていた。ベンチ手前に、自然と墨高ナインの輪ができる。

「作戦を読まれたから、どうだっていうんです」

 やはりイガラシが、語気を強めて言った。

「ああして対処してきたってことは、向こうが嫌がってる証拠じゃありませんか。このまま続ければ、きっとやつらはボロを出しますよ」

 隣で「いいこと言うねイガラシ」と、丸井も同調する。

「すべてモノは考えようです。思い切っていきましょう!」

 意気上がる先輩に、イガラシは「そんな単純な話じゃありませんけど」と小声で突っ込む。

「な、なんだとっ」

 分かりやすくムキになる丸井。まあまあ、と軽くあしらうイガラシ。見慣れた二人のやり取りに、谷口のこわばっていた表情がほぐれていく。

「みんな、ありがとう」

 素直に礼を言った。周囲から「へへっ」「どうも」と笑い声がこぼれる。

「おれ一人で戦うんじゃない。すっかり忘れてたよ」

 頼もしさを増した仲間達の面々に、谷口は胸の内につぶやく。

「そうとも。みんなと力を合わせて、あの谷原に立ち向かっていくんだ!」

 

 

 つづく三回、守る墨高ナイン。

 ワンアウトの後、バッテリーは谷原の四番佐々木を敬遠気味に歩かせ、ランナーを一塁に置く。むかえるはこちらも要注意の打者、五番村井である。

 

 

「ボール、ワン・スリー!」

 外角高めに投じた速球が、僅かに外れた。倉橋は「いいコースだぞ」と井口を励ましながらも、苦い顔になる。

「くっ……際どいコースでも、ボール球には手を出してくれないか。めんどうなやつだぜ。歩かせたいところだが、下位にも力のある打者がそろってるしな」

 迎えた四球目。倉橋はシュートのサインを出し、真ん中にミットを構えた。

「コースは井口にまかせるしかねえが、たのむから甘いところはやめてくれよ」

 井口はうなずくと、シュートを低めに投じてきた。

 パシッと快音が鳴る。速いゴロが井口の足下をすり抜け、二塁ベース右を破った。センター前ヒット、ワンアウト一・二塁。

「ちぇっ、うまく打ったな。やはり低めは得意らしい」

 だが……と、倉橋は口元に笑みを浮かべる。

「フルスイングは封じた。ヒットになったが、ほんらいのバッティングはさせてないぞ」

 カキ、と小気味よい音がした。

 速いゴロが三遊間を襲う。しかし三塁手の谷口が、横っ飛びで捕球した。そして起き上がり、三塁方向へ体を向ける。すでに遊撃手イガラシがベースカバーに入っていた。

「へいっ」

 谷口は素早くトス。ダブルプレーこそならなかったものの、三塁フォースアウト

 打ち取られた六番打者の岡部が、首を傾げつつ引き上げていく。その背中に、倉橋は「やはり怖い打線だぜ」とひそかにつぶやいた。

「ねらいを外しても、こうしてはじき返してきやがる。もっとラクに打ち取りたいところだが……今はこれが精一杯か」

 パシッ。七番細見の打球が、ライト頭上を襲う。

 定位置から数十メートルほどバックした横井の背中が、とうとうフェンスに付いた。それでもボールは風に流され、スタンドには届かず落ちてくる。

 思いのほか、横井は難なく捕球した。これでスリーアウト。

「フウ、ひやっとさせやがる」

 安堵の吐息をつき、倉橋はベンチへと駆け出す。

「しかし……ようやく〇点か。この調子でいきたいもんだぜ」

 

 

 ここから試合は、しばし膠着(こうちゃく)状態に入る。 

 谷原打線のクセを見抜いた墨高バッテリーは、井口の力投と倉橋の巧みなリードがさえ、バックの好プレーにも助けられながら三回、四回と無失点で切り抜けたのである。

 いっぽう、なんとか反撃したい墨高だったが、谷原エース村井の速球と多彩な変化球に翻弄され、あえなく四回までノーヒットにおさえられた。ときおりイガラシや谷口が快打を放つも、相手の堅い守備にはばまれ、出塁さえ許してもらえず。

 回を終えるごとに、スタンドからは墨谷の奮闘ぶりに驚く声が聞かれた。観客だけでなくナイン達自身も、自分達の戦い方に少しずつ手応えを感じ始める。

 

 しかし……このまま黙っているほど、谷原は甘くなかった。

  

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