<はじめに>
みなさんこんにちは、墨高野球部のイガラシです。
需要があったか分からない本講座でしたが(笑)、色々ありまして(注:筆者の勝手な都合)、ひとまずあと二回で一旦終わりにすることにします。
ラスト二回については、ぼくがずっと語りたかったことをテーマにさせて下さい。
ではさっそく。今回のテーマは……
「丸井キャプテン時代は、ほんとうに“失敗”だったと言えるのか!?」
これね、特にぼくが墨二中のキャプテン時代に、よく言われましたね。「丸井さんのせいで選抜は初戦負けした」とか、「丸井さんの時はゴタゴタしてたけど、イガラシがキャプテンになってチームが引きしまった」とか。
あの……ぼくは別に、丸井さんを庇うつもりはないんスよ。たしかにあの人の言動がもとで、チーム内がゴタゴタしたことは事実ですし。特に近藤をどう扱うかで、ぼくも随分と苦労させられました(苦笑)。
ただ、あれからぼくもキャプテンを経験して、今こうしてまた後輩の立場に戻って、色々と見えてきたことがあるんスよ。それで思ったのは……ああ、丸井さんって本当に難しい時期に、キャプテンを引き受けてくれたんだなって。
1.再試合で青葉を倒した時、みんなが気づかなかったこと
みなさんも知ってのとおり、ぼくらは谷口キャプテンの下、連日の猛特訓の末に大幅なレベルアップを図り、その結果あの青葉を倒すことができました。その後、谷口さんから丸井さんへと、キャプテンの座がバトンタッチされたわけですが。
あの時、丸井さんも、他のナインも、もちろんぼく自身も……誰も気づかなかったんですよ。青葉を倒した時点で、墨二中野球部のチーム作りが、“次の段階”へと進んだことを。
チーム作りには、“段階”があるわけですよ。
谷口さんの行ったチーム作りというのは、良くも悪くもフツーの部活動だった墨二野球部に、「諦めない心」「どんな相手でも勝つことは不可能じゃない」という、いわば“チーム哲学”、丸井さんのよく使う言葉を借りれば“墨谷魂”を植え付けたことです。
しかし残念ながら、“その次”にやるべきことを、ぼく自身も含めて誰も気づかなかった。情けないことに、ぼくもそのことに気付いたのは、随分後になってからでした。
そして気付いたとき、初めて分かったんです――なるほど、だから谷口さんは丸井さんをキャプテンに指名したのか、と。
すみません、回りくどい言い方になっちゃいましたね(苦笑)。
青葉を倒したぼくらが、その次にやるべきことというのは――全国大会を勝ち抜けるチームを作ることだったんです。単に一つの強いチームに勝つだけじゃなく、そういうチームを次々に倒して、真の意味で全国優勝を果たせるチームへと。
2.選手起用を巡る丸井と他のメンバーとの対立
春の選抜大会前に、丸井さんが「谷口さんの決めたオーダーで戦う」と頑なに主張したのに対し、他のメンバーが「今のキャプテンは丸井さんだから、丸井さんが決めるべき」だと意見して、丸井さんがへそを曲げたことがありましたよね。
まあ……丸井さんは、谷口さんへの尊敬というか信望ぶりが強すぎるというのもあったのですが(苦笑)、実は他のメンバーも、丸井さんに対して説得力のある意見を出せてなかったんです。
今のキャプテンは丸井さんだから、丸井さんがメンバーを決めるべき――そう口にするのはカンタンですが、じゃあ一体どういう基準で決めればよかったんです?
その基準が分からない限り、これまでで一番成功した方法、つまり「谷口さんの決めたやり方で戦う」ことに縋りたくなるのも無理はないでしょう。
ええ、ぼくは「(青葉を倒すことだけを考えればよかった)今までとちがって、(全国大会とは)あらゆる毛色のちがうチームを倒していかなければならない」――と言いましたよ。ただし、試合後にね。要するに後出しジャンケンです。分かってなかったのは、ぼくも同じだったんスよ。
でも、選抜敗退の原因が分かった後の丸井さんの行動は、さすがでしたよね! なんと全国の強豪・36校との練習試合を取りつけてきたんですから。
あんなこと、フツウできないですよ。まさかの選抜初戦敗退を喫して、チームメイトからも責められて……ほんとうに心が折れても仕方のない状況だったと思いますけど。そんな状況で、チームのためにやるべきことを探し出して実行したわけですから。
丸井さんのスゴイ所は、ここですよね――逆境の時にこそがんばれる。
思えばぼくにセカンドのレギュラーを取られた時も、墨高の受験に失敗した時も、影の努力ですべてはね返したわけですから。
そこまで考えが至った時、ぼくは初めて気付きましたよ。谷口さんが丸井さんの何に期待して、後任キャプテンを任せたのか。
2.“異端児”近藤をどう扱うか!?
そしてもう一つ。話は前後しますが、丸井さんがキャプテンに就任して早々、墨二中野球部にとって大きな課題が降ってきました。
言うまでもなく、近藤の存在です。
実は前年にも、似たような課題があったんですよ。自分で言うのもなんですが……ぼくのことです(笑)。ぼくも草むしりを最初サボりましたし、試合中に先輩に歯に衣着せぬ物言いをしてトラブルを起こしましたし、あげく“1年生は試合に出ない”というルールを知りながら「試合に出せ」と主張しましたし。
でも近藤は、ぼく以上に異端児ですよね。ぼくは“一応”ルールは守って(?)ましたが、ヤツはルールを守る気すらなかったですから(笑)。
丸井さんは近藤とずっとウマが合わなかったですけど、それは他のナインも大して変わらなかったですよ。ぼく自身、何度「コイツ荒川に沈めてやろうか」って思ったか分からないス……って、今のは冗談ですよ、冗談!!(苦笑い。会場凍り付く)
ま、それはともかく。丸井さんが近藤を当初嫌悪した理由は、分かる気がします。
谷口さんがいた時までも墨高野球部は、とにかく「全員が一生懸命がんばれば、(青葉のような)強敵を倒すことができる」という考え方だったわけですよ。で、丸井さんもその考え方を踏襲した……これ自体は、そんなに間違ってるわけじゃないでしょう? 谷口さんの時と同じレベルのままで良ければ、近藤は排除したって構わなかったんですよ。
でも、それじゃあ次の段階――つまり全国大会で勝ち抜けるチームにはなれないんですよ。
これが青葉のように、好選手がより取り見取りなら別ですよ。しかし残念ながら、うちはそういうチームじゃありません。となれば、性格的に問題があるからといって、近藤を排除するわけにはいかないでしょう。
それに全国優勝を果たそうとするのなら、数々の強敵、数々のピンチ、数々の逆境をはね返せなきゃいけないじゃありませんか。近藤一人くらい組み込める懐の深いチームになれずに、どうして全国優勝なんてねらえるんですか。
3.チーム作りとは、積み木を置いていくこと
とまあ……当初はうまくいかないことが多かったですが、それをすべて丸井さんのせいにしてしまうのは、ちと酷なんスよね。なにせここまで述べてきたように、あの人には“チームの変わり目”という最も難しい時期に、キャプテンを務めてもらったわけですし。
それにぼく自身、丸井さんと一緒にチーム作りをしながら、色々なことを学ばせてもらいましたよ。
例えば、近藤のように能力はあっても集団から浮き上がりがちなヤツを、どうやってチームに組み込んでいくか。全国の強豪校と対する際、どんなプレーが必要でどんなミスが命取りになるか。連戦で勝ち抜いていくのは、どんな準備が必要なのか。……等々。
そういう経験がなければ、翌年の全国優勝はなかったと思いますよ。
これはあるサッカーの有名監督の言葉なのですがね。
チーム作りとは、積み木を積んでいくようなものであると。しかし、積み木を縦にしか積んでいないチームは脆い。本当にチームを強くしたいのなら、積み木を横にも積まなければならないと(※サッカー元日本代表監督・岡田武史氏)。
そのサッカー監督の言葉を借りれば、丸井さんが積み木を横に積んでくれたお陰で、墨二中野球部はちょっとやそっとのことではビクともしない、頑丈なチームになれたんスよ。
あの激動の中、丸井さん以外の人にキャプテンは務まらなかったと思います。他の者なら、とっくに心が折れていたでしょうし、ぼくなら付いてこられない者を切り捨てていたでしょうから(笑)。
でも丸井さんは、何があっても、周囲から何を言われても、逃げずに真っ向から立ち向かいました。ぼくからセカンドのレギュラーを取られても、腐らず陰で練習したように。谷口さんはきっと、そういう丸井さんの心の強さを見抜いていたのでしょうね。
ですから……面と向かって言うのはちと照れくさいですが、丸井さんは間違いなく、全国優勝の大きな立役者ですよ!!
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