南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<雑記帳>漫画『プレイボール』の小説を書いて分かったこと

 故・ちばあきお氏の原作『プレイボール』の続編小説「続・プレイボール」の執筆を始めてから、早くも3年が経過した。

 

 もちろん100%満足いただけているわけではないだろうが、ありがたいことに少なくない読者の方から「ちばあきお先生の絵が浮かぶ」「こっちの方が原作に寄り添っている」とのお言葉をいただいている。

 しかし私は遅筆で、早くても一ヶ月に一、二回更新するのがやっとだ。今年は特に、個人的な事情でさらに遅れてしまった。そこは本当に申し訳なく思っている(苦笑)。

 

 さて、この『続・プレイボール』の執筆だが――正直言って、苦行に近いものがある。

 

 ストーリーや試合展開を構想するのは、実はラクだ。また物語の都合上、原作の世界観を壊さない程度の新キャラを考えるのも、私にとってはそんなに難しい作業ではない。長らく私のブログを読んで下さっている方はご存知だろうが、私は高校野球オタクでもあるので、過去の名選手等を参考にすれば、いくらでも作れると思う。

 

 問題は、構想やキャラクター、その場の情景を文章に起こす作業だ。

 

 原作を分析してみると分かるのだが、あきお先生の漫画は人物の表情と短い台詞、周囲の情景描写だけで世界観を成立させている。心内語(心の中で思っていること)や回想シーンは、ほとんど使われていない。

 

 これは意図してのことだろう。だからこそ、読者は人物の心情を“書かれていないからこそ”想像してしまい、また回想シーンがなく物語中の時間がどんどん前へ進んでいくため、自然と漫画の世界にのめり込んでしまうのだ。

 

 私は以前、小説の書き方を書籍等を通して学んだことがある。それによると、小説にはいくつかのタブーがある。例えば、「一つの場面を複数の人物の視点で描いてはいけない」というものがある。

 

 しかし、漫画でそれをやるのは難しい。したがって、私は小説のタブーを少なくとも一つ破っていることになる(笑)。

 

 また、『プレイボール』(『キャプテン』)には、独特の台詞回しがある。分かりやすいのが、キャッチャーが「ここよ」とサインを出し、ピッチャーが「む」とうなずく場面等だ。

 

 この台詞回しを再現するのが、一番難しい。さらに個々の登場人物による違いもあるから、私は小説を書く際、いつも原作の単行本を傍に置き、チェックしながら執筆している。

 心内語が長くなりすぎていないか、この台詞をこの人物に言わせて違和感はないか……等。特に谷口や丸井、イガラシらはメインキャラクターのため、少しでも違和感があればすぐ直すようにしている。

 

 だから大変なんですよ……と、グチを言いたいわけではない。

 

 本題はここからだ。

 比較的時間をかけずに済む文章ですら、これだけの神経を使うのである。これが絵(漫画)であれば、さらに人物の表情、動き等も、その人物のものとして違和感がないかどうか、何より読者がすっきり読めるかどうか。その一つ一つに神経を使っていたに違いない。

 

 分かるなどと、エラそうなことは口が裂けても言えない。ただ自分が『プレイボール』の小説を書いて、“想像できたこと”は、あきお先生はそれこそ「命を削る思い」で作品を描いていただろうということである。

 

 自分が、あきお先生と同レベルの作品を書こうなどと、思い上がったことは絶対に考えられない。

 

 ただ、もしあきお先生の世界観を理解しようとせず、安易な模倣だけで描き、読者を舐めている作品があるとすれば――そういう作品に負けるわけにはいかない。

 

 拙い私の作品ではあるが、私の心意気を少しでも分かっていただければ、私はそれだけで満足である。