拝啓、ちばあきお先生

普及の名作野球漫画「プレイボール」の続編二次小説「続・プレイボール」を連載中です。その他、ちばあきお作品関連の二次小説も随時アップします。

【野球小説】続・プレイボール<第51話「東実のワナの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  

 

【前話へのリンク】

 

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<外伝> 

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 第51話 東実のワナの巻

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<登場人物紹介>

 

佐野:青葉学院の元エースにして、東実の主戦投手。左投げ左打ち。小柄な体躯ながら、快速球と多彩な変化球を誇る。墨高とは昨秋のブロック予選決勝で対戦し、一回途中からリリーフ登板。試合には敗れたものの、彼は墨谷打線を完封した。

(※以下、小説オリジナル設定)

 夏の大会からは、エースナンバー・背番号「1」を背負う。また佐野を頼りに、多くの青葉出身メンバーが、東実に集結した。

 

倉田:青葉学院の元主戦級投手。イガラシ曰く、「佐野に勝るとも劣らない」力量の持ち主。しかし地方大会の準決勝にて、井口擁する江田川に完敗する。

(※以下、小説オリジナル設定)

 卒業後は佐野の後を追い、東実に入学。左投げ左打ち。佐野と同様、快速球と多彩な変化球を誇る。またサイドスローに転向し、コントロールに磨きをかけた。一年生ながら東実投手陣の中で頭角を表し、佐野と二枚看板を形成。

 

村野:青葉学院の元正捕手。原作『キャプテン』では未呼称のため、アニメ版より名前を拝借した。

(以下、小説オリジナル設定)

 卒業後は、佐野と同じく東実に入学。夏の大会より正捕手の座をつかみ取り、再び佐野とバッテリーを組むこととなった。

 

東実監督:細身ながら顎髭をたくわえた、名門野球部監督らしい威厳ある人物。厳しい指導で大勢の部員を鍛え上げている。また、谷口が入部したばかりの墨谷の秘めたる力をいち早く見抜いた人物である。

(以下、小説オリジナル設定)

 昨秋のブロック予選決勝で墨高に敗れ、夏のシード校を逃したため、レギュラーの大幅な入れ替えを敢行。その結果、例年より打線の破壊力は落ちたものの、佐野と倉田の二枚看板を中心に圧倒的な守備力を身につけ、夏の大会はノーシードから決勝進出を果たした。

 墨谷をもはや格下と見ず、なりふり構わぬ姿勢で決勝での再戦に臨む。

 

 

1.東実の堅守

 

 マウンド上のピッチャー倉田が、四球目の山なりのボールを放る。キャッチャー村野が捕球すると同時に、アンパイアは一塁方向を指差した。

「ボール、フォア。テイクワンベース!」

 イガラシは打席の外にゆっくりとバットを置き、小走りに一塁ベースへと向かう。

「……くっ」

 唇を歪め、胸の内につぶやく。

「先頭から倉田を打って、やつらを動揺(どうよう)させる作戦だったのに」

 墨高ナインの陣取る一塁側ベンチは、ざわついていた。

「おいおい。なに考えてんだ、あのバッテリー」

 横井が口をあんぐりと開ける。

「いくらイガラシを警戒するからって、タダで先頭打者を歩かせるとは」

 む、と傍らで戸室もうなずく。

「やつには足もあるし、この後クリーンアップに回るんだぞ」

 ベンチ前列の中央。キャプテン谷口はポーカーフェイスを崩さず、それでも「どういうつもりなんだ」とひそかにつぶやいた。

「横井の言うたように、やはりイガラシの打力を警戒したのか」

 すぐに眼前の二人と目を合わせる。丸井は右打席の白線手前で、イガラシは一塁ベース上でこちらに顔を向け、サインを待っている。

 谷口は、帽子のつばの両端を一回ずつ摘まむ。

「む、バスターエンドランか」

 丸井はヘルメットのつばの端を摘まみ、「了解」とうなずいた。そして右打席へと入っていく。一塁ベース上で、イガラシも同じ仕草をした。

 やがてアンパイアが「プレイ!」と右手を掲げる。

「丸井、イガラシ。かき回してやれ!」

 そう胸の内につぶやき、谷口は右こぶしに力をこめる。

 マウンド上。倉田がセットポジションに着く。右打席の丸井は、バットを寝かせて構えた。一方、イガラシはじりじりと離塁の距離を空けていく。

 その瞬間だった。倉田が素早くターンし、一塁へ速い牽制球を放る。

「……くっ」

 イガラシは逆を突かれた格好になった。それでもタッチにきたファーストミットを掻い潜るように、右手から帰塁する。

「せ、セーフ!」

 一塁塁審のコールに、球場内から「おおっ」と溜息のような声が漏れる。

「あ、あぶねえ」

 さしものイガラシも、唇を歪め立ち上がる。

「いくら左投手はランナーを見やすいからって……こんな牽制されちゃ、おいそれとリードもできないぜ」

 一塁側ベンチ。同じく唇を歪めたのは、対戦経験のある井口だった。

「く、倉田のやつ。いつの間にあんな……」

「ありゃ東実で、かなりきたえられたんだろ」

 傍らで、島田がそう言って溜息をつく。

 ボールが倉田へと返り、投手は再びセットポジションに着く。丸井は再びバットを寝かせた。そしてイガラシは、さっきより短めにリードを取る。

「……うっ」

 一球目よりも、さらに素早い牽制球が投じられる。イガラシは頭から飛び込むようにして、間一髪帰塁した。

 右打席にて、丸井が「なんだって」と驚嘆の声を漏らす。

「あのイガラシが短いリードで、ギリギリでしか帰塁できないのかよ」

 一方、イガラシは立ち上がると、口元にフフと笑みを浮かべた。

「やるじゃねーか。しかしいくらけん制がうまいからって、ランナーばかり気にしてちゃ、バッターとの勝負がおろそかになるぜ」

 二人は一旦ベンチ方向を振り返り、谷口のサインを確認した。

「変わらずバスターエンドランか。さすがキャプテン、強気だね」

 丸井はうなずき、よしっと気合を込める。

 眼前では、すでに倉田がセットポジションに着いていた。ほどなく右足を踏み込み、グラブを突き出し、ようやくこの試合の第一球を投じる。

 同時に、三塁手の中井と一塁手の中尾が鋭くダッシュしてきた。

「……わっ」

 インコース高めの速球に、思わず丸井のバットが回る。ガッと鈍い音を残し、打球は三塁ベンチ方向への小フライ。中井がダッシュし、ダイブした。

「し、しまった」

 跳び付いた中井のグラブの先。その僅か数センチほど前に、ボールは落ちる。

「ファール、ファール!」

 三塁塁審のコールに、丸井はホッと安堵の吐息をつく。

「あぶねえ。さすが元青葉のエース。けっこう球威(きゅうい)あるじゃねえかよ」

 続く二球目。倉田は、再び速球をインコース高めに投じてきた。またも中井と中尾がチャージを掛けてくる。

「こんニャロ!」

 丸井は振り切ったものの、腰が引けてしまう。打球はまたも三塁ベンチ方向へ、今度は鈍く転がっていく。

「どうした丸井」

 一塁側ベンチより、谷口が檄を飛ばす。

「体勢がくずれてるぞ。いつものフォームを思い出せ!」

「は、はいっ」

 素直に返事した後、丸井はフウと溜息をつく。

「でも……おれっち、インコース高め苦手なんだよなあ」

 一方、谷口は「うーむ」と首を傾げる。

「丸井のやつ、どうも表情がさえんな。倉田にタイミングが合ってないようだ」

 しかたない、と谷口は別のサインを送る。

「……む、バントか」

 やや渋い顔で、丸井は「了解」の合図を返した。一塁ベース上で、イガラシも同様の仕草を見せる。

「しっかし、バントも簡単じゃねーぞ」

 じりじりとリードを取りつつ、イガラシは胸の内につぶやく。

「さっきのサードとファーストのダッシュ。よほどうまく転がさないと、ヘタすりゃ併殺を喰らっちまう」

 マウンド上。倉田はセットポジションに着くと思いきや、一塁方向へ顔を向けボールを投げる真似をした。

「おっと」

 慌てて頭から帰塁した。

「ちぇっ、あのヤロウめ」

 舌打ちしつつ、立ち上がる。

「ランナーに身動きさえ取らせないつもりか」

 視線を左に向けると、丸井が三たびバントの構えをする。

「たのみます、丸井さん」

 イガラシは、胸の内につぶやいた。

「なんとかオレを二塁へ進めてください」

 そしてマウンド上へ視線を戻す。倉田は、今度はこちらを一瞥もせず、セットポジションから投球動作へと移る。

 サイドスローのフォームから、またもインコースの速球。同時に、やはり中井と中尾がダッシュしてくる。

「こんのっ」

 カッ。丸井の打球は、ちょうどマウンドとホームベースの中間地点に鈍く転がった。

「まかせろ!」

 ボールを拾ったのは、キャッチャーの村野だ。まず二塁ベース上を見たが、すでにイガラシが足から滑り込んでいる。

「くそっ」

 村野は咄嗟に判断を切り替え、素早く一塁へ送球した。丸井は全速力で駆け抜けたが、間一髪アウト。

「ナイスバントだ丸井!」

「これでチャンスが広がったぜ」

 ベンチからの声援。丸井はハハと苦笑いする。

「ほんとは内野の間を破るつもりだったんだが。ま、どうにか二番の面目を保てたぜ」

 

 

2.墨高クリーンアップ対東実バッテリー

 

 一時はやむかに思われた雨は、意外にもしとしとと降り続けている。小粒だが、それでも確実にグラウンドの土を湿らせていく。

「ほれ、ボール」

 東実のキャッチャー村野は、マウンド上の倉田に白球を手渡した。

「すみません」

 倉田は小さく頭を下げる。

「まさかツーストライクからバントしてくるなんて。予想外でした」

「なーに。ヒッティングをあきらめさせただけ、上出来よ」

 長身の一年生のなで肩を、正捕手はポンと叩く。

「決勝に上がってくるチームだぜ。あれぐらいやってもらわなきゃ、ぎゃくに歯ごたえがないってもんだ」

 村野はそう言って、ふいにニヤッと笑う。

「それに……この方が、かえって都合がいい」

 

 

「みょうだな」

 二塁ベース上。イガラシは険しい表情で、マウンド上の相手バッテリーを凝視する。

「あのけん制、たしかにうまかったが……」

 腰に手を当て、胸の内につぶやいた。

「得点圏に走者を進めたくなかったのなら、そもそも敬遠するのがおかしい。それに、サードとファーストのダッシュも引っかかる。丸井さんが前に打てなかったからよかったものの、もしゴロでも打たれてたら、ヘタすりゃ外野に抜かれて一・三塁だ」

 イガラシはふと、背後を振り向いた。そしてライトのやや深めに守る佐野と目が合う。今までの対戦と同じように、不敵な笑みを浮かべている。

「……まさかやつら」

 思わず苦笑いして、外野の相手エースに背を向ける。

「わざと一、二番でチャンスを作らせたんじゃあるまいな」

 

 

 ライトのポジションにて、佐野はフフと含み笑いを漏らした。

「さすがだぜ。ツーストライクから、あのインコース高めを簡単にバントするとは」

 一度グラブをパンと鳴らし、でもよ……とひそかにつぶやく。

「ランナー二塁、かえって好都合だ。やつらに精神的ダメージを与えるにはな」

 

 

「バッターラップ!」

 アンパイアの声を聞き、墨高の三番倉橋が右打席へと入る。そして一旦ネクストバッターズサークルを振り返り、谷口とサインを確認した。

「ま、ここは『打て』だよな」

 倉橋は前方へと向き直り、バットを短めに握る。

「ランナーは足の速いイガラシ。ここは、長打はいらない。真ん中から外寄りにきたタマを、二遊間方向へ打ち返してやる」

 試合再開が告げられると同時に、倉橋はイガラシと目を見合わせた。二塁走者は胸元で、×のサインを送る。

「フン、やはりコースのサインは消してやがる。抜け目のないやつらめ」

 マウンド上。倉田はキャッチャーのサインにうなずくと、セットポジションから右足を踏み込み、グラブを突き出し、サイドスローのフォームから第一球を投じてきた。

「……おっと」

 外角低めの緩い球に、倉橋の体が泳ぐ。バットの先端にボールは当たり、小フライとなる。

「い、いけね」

 右翼手の佐野と一塁手の中尾がダッシュしたが、打球はギリギリ一塁側スタンドに飛び込む。ファール。

「どうした倉橋、体が泳いでるぞ!」

 ネクストバッターズサークルより、谷口が檄を飛ばす。

「わ、わりぃ」

 倉橋は苦笑いして、一度打席の外で軽く素振りした。

「いきなりチェンジアップとは。しかし今のコース、ちと苦手なんだよな」

 打席に入り直し、アンパイアに「ドウモ」と合図する。そしてバットを構え直すと、倉田はすぐに二球目を投じてきた。

 またも外角低め、今度はスピードがあった。倉橋がおっつけるように出したバットの先で、なんとボールはさらに逃げる。

 バシッ。倉橋は空振りし、キャッチャー村野のミットが鳴る。

「ストライク、ツー!」

 くそっ、と倉橋は唇を噛む。

「二球続けて外角低めだと。やつらめ、おれの苦手コースを研究してきやがったな」

 その後方で、谷口も「しまった」と顔を引きつらせる。

「いくら倉橋の苦手コースとはいえ、ストライクコースぎりぎりから、あんな鋭くシュートするとは。なんてコントロールのいい投手なんだ」

 三球目は、またもシュート。今度は辛うじてバットの先端に当てた。打球は三塁側ベンチ方向へ転がっていく。

「ちぇっ。イヤなとこを、しつこく突いてきやがって」

 露骨に顔を歪め、倉橋はバットを構え直す。その手に僅かながら力が入る。

「倉橋、力んでるぞ!」

 すかさず後方から、谷口の声が飛ぶ。

「あ……ちとスミマセン、タイム」

 アンパイアに合図して、倉橋はまたも打席を外す。そして一度深呼吸した。

「落ちつけ。いくら苦手コースだからって、そこへ来ると分かってりゃ対応できる」

 そう自分に言い聞かせ、打席に入り直す。

「さあこい!」

 気合の声を発し、マウンド上の倉田を睨んだ。

 倉田はほどなく、四球目の投球動作へと移る。またもセットポジションから、サイドスローの左腕をしならせる。

「……なにっ」

 ボールは予想外の軌道を描いた。今度は真ん中外寄りの低めから、大きな弧を描いて倉橋の膝元に飛び込む。

 内角低めいっぱいのカーブ。意表を突かれた倉橋は、手が出ず。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールが、雨中に甲高く響いた。

「や、やられた」

 倉橋は小さくかぶりを振り、小走りでベンチへと引き上げる。

 

 

 アンパイアのコールを聞いた瞬間、一塁側ベンチは一瞬静まり返った。

「ま、まさか倉橋さんが……あんなカンタンに」

 顔を引きつらせる丸井の傍らで、横井が「苦手コースを突かれたな」とつぶやく。

「なんですって?」

 思わず丸井は聞き返した。

「以前、倉橋のやつ自分で言ってたんだ」

 横井は小声で言った。

アウトコースに泳いでしまうクセがあるってよ。東実のやつら、それを知ってて」

 背後で「まさか!」と、戸室が声を上げる。

「そんな細かいコトまで、調べられるものかよ」

「戸室。今さら、なに言ってんだ」

 横井は不思議そうに答えた。

「おれ達だって、これまで敵の弱点とか調べて、試合にのぞんでたじゃないか」

「そ、そういや……」

「しっかし、なかなかやっかいだぜ」

 溜息混じりに、横井は話を続ける。

「これまでは相手を調べつくすことで、個々の力量の差を埋めてきたんだが。それをよりによって、逆にあの東実にやられるとは」

 先輩の言葉に、丸井は「うーむ」と唇を噛む。

「……スマン」

 ほどなく、倉橋が険しい顔で戻ってきた。

「ウラをかかれちまった。しかし、みんな気をつけろ」

 バットをケースに戻しながら、正捕手は全員に呼びかける。

「やつら、おれ達の苦手コースを知りつくしてる。かといって……あまり意識しすぎると、おれの二の舞になっちまうぞ」

 そう言った後、小さく「チクショウ」と呻き声が漏れる。

「まあまあ、倉橋さん」

 丸井は努めて、明るく話しかけた。

「まだ初回ですし。向こうのバッテリーのやり口が分かっただけでも、上等じゃないスか。あとはキャプテンが、何とかしてくれますよ」

「……いいや」

 渋い顔で、倉橋は首を横に振る。

「ほんとうは谷口に回る前に、ランナーを返したかったんだが」

 その返答に、丸井は「あっ」と声を発した。そしてダッグアウトから身を乗り出す。

「そういえば谷口さん、足を……」

 

 

 二塁ベース上。イガラシの眼前で、谷口が右打席へと入ってきた。同時に、キャッチャー村野とマウンド上のピッチャー倉田がサインを交換する。

 そして倉田は、真ん中にミットを構えた。

「ちぇっ、ほんと抜け目のないやつらめ」

 じりじりと離塁しつつ、胸の内につぶやく。

「せめてコースのサインだけでも送りたかったが、分からないようにしてやがる」

 倉田はこちらに顔を向けることなく、セットポジションからすぐさま投球動作を始めた。サイドスローのフォームから、まず速球がインコース高めに投じられる。

 ガッ。鈍い音を残し、打球は三塁側ベンチ方向へ転がっていく。

「キャプテン、力が入ってますよ!」

 イガラシが声を掛けると、谷口は苦笑いを浮かべた。そしてバットを短く握り直す。

「……マズイな」

 一旦帰塁して、イガラシはひそかにつぶやいた。

「いつもならカットするにしても、もっと鋭くスイングしていたはず。それが今のは、明らかに振り遅れてた。ということは」

 再び離塁して、キャプテンの動作を見つめる。

「やっぱり、きのうのケガがもとで、思いきり振れないんじゃ」

 イガラシの思いをよそに、倉田はテンポよく二球目の投球動作を始めた。今度は外角低めの際どいコースに、速球が投じられる。

 谷口はバットを出したが、先端に当てるのがやっとの様子だ。バックネット方向へ転がり、またもファール。あっという間にツーナッシングと追い込まれた。

「……やはり。いつもの谷口さんに比べると、スイングが鈍いぞ」

 マウンド上。倉田はほとんど間髪入れず、三球目の投球動作へと移る。またも速球が、今度はアウトコース高めへ投じられた。

「くっ……」

 バシッ。谷口のバットが空を切った。

「ストライクバッターアウト、チェンジ!」

 イガラシは思わず、右こぶしを握り締める。

 

 

3.東実のねらい

 

「イガラシ、すまん」

 一塁線を踏み越えようとした時、谷口が声を掛けてきた。

「せっかくのチャンスだったのに」

 心なしか、いつもより覇気がないように感じられる。

「キャプテン」

 イガラシは立ち止まり、囁き声で尋ねた。

「きのう打球を受けたところが、まだ……」

「言うな!」

 途端、谷口は険しい顔になった。だがすぐに、穏やかな表情に戻る。

「いや、言わないでくれ。おれだけじゃない。みんなそれぞれ、ギリギリの状態で戦ってくれてる。キャプテンのおれが、弱みを見せるわけにはいかないんだ」

 そう言って、一足先にベンチへと向かう。イガラシも追うようにして駆け出す。

 ダッグアウトの手前で、イガラシは思わず足を止める。その目に飛び込んできたのは、チームメイト達の重苦しい雰囲気だった。

「まさか倉橋さんとキャプテンが、あんなカンタンに三振するなんて」

「あの二人が打てないんじゃ、おれにはとても……」

 そんな会話が聞こえてくる。

「……なるほどね」

 苦々しい表情で、イガラシはつぶやく。

「おいイガラシ」

 ネクストバッターズサークルにいた井口が、おもむろに歩み寄ってきた。

「分かったか? やつらがなんで、おまえを敬遠したのか」

 まだ困惑しているらしく、ポリポリと頬を掻く。

「おまえの一発を警戒するのも分かるがよ。あれだけのコントロールと球威があれば、コースさえ気を付けりゃ長打は……」

「いや、ちがうぜ」

 イガラシはきっぱりと答える。

「べつにおれを警戒したわけじゃない。やつらのねらいは、わざとランナーを置いた状態で、クリーンアップに回すことだったんだ」

「な、なんだって」

 井口は驚嘆の声を発した。

「じゃあ先頭打者が誰であっても、歩かせてたか」

 ああ、とイガラシはうなずく。

「けどよ。なんでまた、そんなメンドウなことを」

 イガラシは返答する代わりに、無言でベンチ内へ顎をしゃくった。

「あらら……」

 井口は呆れ顔になる。

「なんだよ。みんなして、沈んだ顔しちゃって」

「しかたねーよ」

 苦々しげに、イガラシは小さくかぶりを振る。

「頼みのクリーンアップ……倉橋さんと谷口さんが、あっさり三振に仕留められたんだからな」

「ま、まさか。やつらのねらいって」

 顔を引きつらせ、井口は言った。

「チャンスで三、四番がカンタンに打ち取られるのを見せつけて、こっちの戦意をなくさせようってことか」

「おそらくな」

 イガラシは短く溜息をつき、首肯する。

「でもよ。わざとチャンスを作らせたいなら、あのすばやいけん制はなんのために」

「あれは今後への伏線だろ。足でかき回そうとしても、ムダだってよ」

「それじゃあ、さっきバント守備はどうなんだ。あのファーストとサード、ずいぶん鋭くダッシュしてきたじゃねえか」

 ふと気が付くと、いつの間にか二人の周囲に、ナイン達が集まってきていた。誰もが興味深げに耳を傾けている。

「ああ……実はそこに、引っかかったんだ」

 少し声を大きくして、イガラシは言った。

「そもそも最初の作戦は、バスターエンドランだったじゃねえか。もし丸井さんが前へ打ち返してたら、外野まで転がってランナーがたまってた可能性も高いだろ」

「……おいおい、まさか」

 傍に来ていた横井が、苦笑いする。

「やつら、丸井がヒッティングしようがバントしようが、かまわなかったのか」

 ええ、とイガラシはうなずく。

「まあ三塁には行かせないように、あのけん制でスタートを遅らせようとはしてたと思いますがね」

「ほほう……」

 青筋を立て、丸井が話に割って入る。

「もし二塁で刺せればラッキー。最悪バスターを決められたとしても、後のクリーンアップをおさえれば、むしろその方が、うちにダメージを与えられてたってか」

 丸井の言葉に、静まり返るナイン達。くっ……と、イガラシは唇を噛んだ。

「このままじゃ、東実の策(さく)に……」

 その時だった。パンパン、と丸井が手を叩く。

「あれ、みなさん。まだ初回だというのに、なにを沈んでるんスか。これじゃほんとに、東実のやつらの思うつぼですよ!」

 いつになく朗らかな声で、丸井は周囲に呼びかける。

「キャプテンや倉橋さんだって、人の子スよ。打てない時だってあるでしょう。それをカバーするのが、チーム力ってもんでしょうが!」

 声を張り上げる二年生に、キャプテン谷口が近付き声を掛ける。

「丸井。ありがとう」

「なにをこれぐらい、お安い御用スよ」

 やや照れたように、丸井はおどけて言った。

「ほら、よく言うじゃないスか。一人はみんなのために、みんなはみんなのためにって。アレですよ」

「あ、ああ。でも丸井」

 谷口は苦笑いして、少し言いづらそうに付け加える。

「それを言うなら……一人はみんなのために、みんなは一人のために、じゃないのか」

 キャプテンのツッコミに、丸井は「あらっ」とずっこけた。二人のやり取りに、周囲から「ぷっ」「くくく……」と笑い声が起こった。

 イガラシは井口と目を見合わせ、お互いに「くくっ」と笑う。そして、胸の内につぶやいた。

「ありがとう、丸井さん」

 

 

4.墨高バッテリー対東実上位打線

 

 一回裏。倉橋はホームベース奥に屈み込み、先発松川の投球練習を受けていた。その周囲では、すでに守備位置に散った墨高ナインが、ボール回しを行っている。

「ようし、ラスト一球!」

 声を掛けると、マウンド上で松川がうなずく。そして倉橋の構える外角低めいっぱいのコースに、速球を投げ込んできた。

 ズバンと小気味よい音が鳴る。ズシリと重い感触。

 倉橋はすぐさまボールを右手に持ち替え、二塁へ送球する。ベース上で、丸井がほとんどグラブを動かさず捕球した。

「オーケー。ナイスボールよ、松川」

 そう言って立ち上がり、今度は他のメンバーにも声を掛ける。

「さあ最初の守りだ。一球ずつ、大事にいこうよ!」

「オウヨ!!」

 いつものように、ナイン達は快活に応えた。

 やがて、アンパイアが「バッターラップ!」と一声発した。すぐにネクストバッターズサークルより、東実の先頭打者・竹下が左打席へと入ってくる。

「背は高いが……東実のバッターにしちゃ、細身なやつだな」

竹下は雨が気になるのか、打席に入るなり足下をスパイクで均す。

 上空。雨はまだ、しとしとと降り続けている。倉橋はマスクを被り、屈んで束の間「さあて」と考え込む。

「こいつは今まで、送りバントと代走でしか出たことがないんだよな。ま……見たところ、パワーはなさそうだし」

 倉橋は「ここよ」と、外角低めのサインを出した。む、と松川はうなずく。そしてワインドアップモーションから、投球動作へと移る。

 その瞬間、竹下はバットを寝かせた。

「なにっ、セーフティバントだと」

 サードの谷口、ファーストの岡村、そして速球を投じた松川がダッシュする。

 しかしボールに当たる寸前、竹下はバットを引いた。速球が倉橋の構える外角低めいっぱいに決まり、ワンストライク。

「フン、いきなり揺さぶってきやがったか」

 打者を横目に見つつ、倉橋は「もうひとつここよ」と、松川へ初球と同じサインを出す。

 二球目。松川が投球動作を始めると同時に、またも竹下はバットを寝かせる。再び三人がダッシュ

 しかしまたも、竹下は寸前でバットを引いた。ボールはさっきと同じく外角低めいっぱいに決まり、これでツーナッシング。

 倉橋は横目でちらっと、竹下の顔を見やる。追い込まれたというのに、打者はポーカーフェイスのままだ。

「フン、すました顔しやがって」

 そう胸の内につぶやき、倉橋は「つぎはここよ」と三球目のサインを出す。

 マウンド上で、松川がうなずく。その時だった。打席の竹下が、今度は最初からバットを寝かせた。倉橋は一瞬困惑する。

「ランナーもいないのに、バントだと。こいつなに考えてやがる」

 ミットを構え、一つ考えが浮かぶ。

「ははぁん。ボールをじっくり見て、タイミングを合わせようってんだな」

 三球目は、またも外角低めの速球。ただしボール一個分外した。投球と同時に、またも三人がダッシュ

 ところが竹下は、今度はヒッティングの構えに切り替えた。サードの谷口とファーストの岡村が立ち止まる。

 ボールはそのまま、倉橋のミットに吸い込まれた。判定はボール。

「……ほう。一番をつとめるだけあって、いい目をしてやがる」

 続く四球目。竹下はまたも、最初からバットを寝かせる。

「ここらで、ちと目先を変えてやるか」

 松川はサインにうなずき、今度は真ん中から内寄りにシュートを投じた。ボールはホームベース手前から、打者の懐へ鋭く曲がる。

 またも三人はダッシュするが、竹下はやはりヒッティングに切り替える。そしてこの打席、初めてスイングした。

 ガッ。打球は三塁ベンチ方向へ、鈍く転がっていく。ファール。

「ちぇっ、うまく逃げやがったな」

 正捕手は渋い顔になる。

 その後、バッテリーは球種とコースを変えて六球投じたが、なかなか打ち取ることができない。ボールは際どいコースでも見逃され、ストライクに入ってきた球はカットされる。

「く……しぶといやつめ」

 倉橋は小さく溜息をつく。

「松川は指先のマメが気になるし、あまり球数は使いたくないんだが」

 そう胸の内につぶやいた後、正捕手はハッとした。

「……まさか」

 思わず三塁側の相手ベンチを睨む。

「やつら、松川の状態を知ってて……それでわざとファールに」

 バッテリーは、そこからさらに五球を費やした。だがそれでも打ち取れない。マウンド上の松川も、さすがに唇を歪める。

「しつこいやつめ。これなら、どうだ」

 実に十六球目。倉橋は中腰になり、打者の肘近くにミットを構えた。

「松川。おまえの速球で、ねじ伏せてやれ!」

 倉橋の意をくみ取ったかのように、松川は深くうなずいた。そして指示通り、インコース高め目がけて思い切り腕を振る。

 バシッ。威力ある速球に、竹下のバットがついに空を切った。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールを聞いた瞬間、倉橋は思わず「フウ……」と深い溜息をつく。

「こりゃメンドウな試合になりそうだぜ」

 

―― 倉橋の予感は当たった。

 次の二番三嶋も、竹下と同じくバントのかまえで揺さぶりながら、ファールでねばり続け、またも松川に十球以上を投げさせたのである。

 

 右打席に立つ三嶋は、大柄な体躯揃いの東実ナインの中で、珍しい小柄な打者である。

「くそっ。的が小さい分、投げにくいぜ」

 倉橋は胸の内でぼやく。

 ボールカウント、ツーストライク・スリーボール。倉橋と松川がサインの交換を済ませると同時に、三嶋はまたもバットを寝かせる。

「ちとタイミングをずらしてやるか」

 実に十三球目。松川は内角低めを狙い、カーブを投じた。しかし僅かにコントロールが狂い、肩口から真ん中に入ってしまった。

「し、しまった!」

 マウンド上。松川は思わず、声を上げた。その眼前で、やはり三嶋はヒッティングに切り替え、バットを振り抜く。

 パシッ。鋭いライナー性の打球が、あっという間にレフト戸室の頭上を越え、ワンバウンドでフェンスに当たり跳ね返る。

「へいっ、レフト!」

 ショートのイガラシが中継に走り、戸室に声を掛ける。この時すでに、打者走者の三嶋は二塁ベースを蹴り、三塁へと向かいかけていた。

「イガラシ!」

 打球を拾った戸室が、素早く投げ返す。これを受けたイガラシは、流れるようなフィールディングで、矢のような送球を三塁へ投じた。

「……おっと」

 三嶋は慌てて引き返す。イガラシの送球は、三塁ベース上で谷口が捕球した。

「戸室、イガラシ。ナイス中継プレーよ!」

 キャプテン谷口が声を掛けた。それでもワンアウト二塁のピンチである。戸室とイガラシは、二人とも険しい表情でポジションへと戻る。

 その間、倉橋はマウンドへと駆け寄っていた。

「松川。おまえ……まさか指のマメが」

「あ、いえ」

 二年生投手は苦笑いした。

「スミマセン。雨でちょっと、すべっちゃって」

「そ、そうか……」

 正捕手は一つ安堵の吐息をつき、しかしすぐに表情を引き締める。

「大事がなくて、ひとまず安心したぜ。だが以後気をつけてくれよ。どうもこの試合、そうそう点を取るのは難しそうだからな」

「は、はい」

 松川は素直に返事した。

 

 

 バッテリー二人の会話を、後方で谷口とイガラシが聞いていた。そして二人は、互いに目を見合わせる。

「大事はないみたいだな。どうやら、ただの失投らしい」

「え、ええ……それは幸いですね」

 イガラシは、浮かない顔で返答した。

「どうしたんだイガラシ」

 キャプテンはさすがに、後輩の表情の変化に気付く。

「なにか気になることでもあるのか」

「あ、いえ。雨がなかなかやまないので、思わぬアクシデントも起こりかねないなと」

 イガラシはあえて、誤魔化した。

「む……そうか」

 谷口はそれ以上突っ込まず、試合再開に備え他のメンバーに声を掛けた。

「ワンアウト二塁だ。しっかり守っていこうよ!」

「オウ!」

 ナイン達は、力強く応える。しかしその間も、イガラシは思案を続けていた。

「松川さんの指のことは、おそらく東実も事前に知ってたんだろう。だから球数を投げさせて、つぶそうってのは分かるが……」

 イガラシはふと、東実ナインの陣取る三塁側ベンチに視線を向けた。なぜか不気味なほど静まり返っている。

「わざわざバントの構えをしたのは、なんのためだ。始めからファールにするつもりなら、普通の構えの方がやりやすいのに」

 うつむき加減の後輩に「おいイガラシ」と、谷口が呼びかける。

「もう試合が再開されるぞ」

「あ、はい」

 そう返事した後、ふいに一つの考えが頭に浮かんだ。

「……そうか、だからわざとバントの構えを」

 訝しげな表情を浮かべながらも、踵を返しポジションへと戻る谷口。その足取りが、いつになく重いように見える。

「東実のやつらめ。松川さんとキャプテンを、まとめてつぶす気だ」

 イガラシは改めて、相手ベンチを睨んだ。

「バッターラップ!」

 アンパイアの声を聞いて、ハッとする。前方へ視線を戻すと、馴染みのある人物が、ちょうど左打席に入るところだった。

 フフと、思わず口元に笑みが浮かぶ。

「やっかいな場面で回ってきやがったな……佐野!」

 

 

「……うっ」

 サードのポジションにて、谷口はひそかに顔を歪めた。

「マズイな。まだ初回だというのに、痛みが増してきてる」

 目線を落とし、左足首を見やる。昨日打球が直撃した箇所が、腫れてズキズキと痛み出していた。

「いや……だいじょうぶだ。これぐらい、なんともない」

 そう自分に言い聞かせる。

「みんなが死力をつくして、やっとたどり着いた決勝だ。キャプテンのおれが、退くわけにはいかない。たとえこの足がちぎれても」

 眼前では、東実の三番打者にして主戦投手・佐野が、左打席に立っていた。そしてゆっくりとした動作で、バットを構える。

 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」と試合再開を告げた。

 

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