南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

森保一監督への批判と、日本サッカーの”最大の弱み”

 

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<はじめに>

 W杯アジア最終予選において、日本代表が苦戦を強いられている。

 現在6試合を消化して、4勝2敗の勝ち点12(令和3年11月27日現在)。辛うじて自動出場圏内の2位に踏みとどまっているものの、勝ち点1差の3位にグループ最大のライバル・オーストラリア。首位のサウジアラビアには勝ち点4差を付けられている。

 結果だけでなく、試合内容も格下と目される相手に1点差で勝つのがやっと。ここまでの経過から、森保一監督に批判の声が集まっているが、それも無理からぬことだろう。

 

1.森保監督に期待したサッカー

 私自身、森保監督を積極的には支持していない。その訳は、当初の期待が大きかった分、ガッカリ感が強いからである。

 

 私はかれこれ十五年以上、鹿島アントラーズのファンだが、森保監督率いるサンフレッチェ広島に、鹿島がコテンパンにやられた試合を覚えている。ショートパスをつないで中盤を支配し、プレスを掛けようものなら縦パス一本でディフェンスラインの裏を破り、一気にチャンスメイクする。

 

 あの狡猾なサッカーを日本代表でもやってくれると期待してきたのだが、一向にその気配がない。それどころか、今のところ森保監督がどんなサッカーをしたいのかも、よく分からない。この状態が続くようなら、今後の予選の結果に関わらず、解任も致し方ないかなと思っている。

 

 

2.クラブチームと代表チームでは異なるチーム作り

 だが……同時に思う。日本代表が、格下と目される相手に苦戦するのは、何も今回に始まったことではない。ロシアW杯予選ではUAEとサウジアラビアに、ブラジルW杯予選ではヨルダンに、南アフリカW杯予選ではバーレーンに、それぞれ苦杯を舐めている。

 

 それでもW杯本大会では、過去6回出場し3度のグループリーグ突破。特に前回のロシアW杯では、決勝トーナメントで強豪・ベルギーを「あわや」という所まで追い込んだ。

 

 過去の結果で言えることは、どうやらアジア予選とW杯本大会の結果とには、さほど因果関係はなさそうだということである。

 

 思うのだが――森保監督は、クラブチームのように時間を掛けてチーム作りをすることができれば、良いチームが作れるのだろう。

 ところが代表チームの場合、国内最高レベルの選手を招集できる代わりに、短期間でチームを作らなければならない。森保監督は、その経験がほとんどない。今思うようにチーム作りが進んでいないとすれば、短期間でチームを作る経験の不足が関係していると思われる。

 

 特に今回、オリンピックが終わって一ヶ月も経たない内に、最終予選が開幕した。これはコロナ禍によるもので、そこは森保監督も不運だったと思う。

 

 これは今後の話だが、もし日本人に代表監督を任せたいのなら、まずオリンピック代表監督をさせてみて、そこで結果を出せたら次のA代表監督を任せる。結果が出なければ、国内外問わず他の監督を探す――このような流れを作ってみたらどうだろうか。

 

 

3.日本代表が“良い試合”をできる条件・できない条件

 もう一つ指摘しなければならないのは、日本代表が“良い試合”をできる条件というのは、そろそろ明らかになってきたのではないかということ。

 

 端的に言えば、日本代表は“運動量”で相手を上回ることができれば、勝敗は別にしても良いサッカーができる。初出場だった98年フランス大会でさえ、3戦全敗に終わったものの、強豪アルゼンチン、同大会で3位となったクロアチアに0-1と善戦している。

 

 ところがアジア予選では、とりわけアウェー戦でピッチコンディションが悪かったり、酷暑での戦いを強いられたり、海外組の選手が時差ボケ等で本来のパフォーマンスが発揮できなかったりして、運動量で相手を上回れないことが少なくない。

 

 だから、そろそろ“良い試合”ができそうかどうか判断して、できないならできないなりに凌いで勝つ方法を見つけられないだろうか。

 

 具体的には、セットプレーでの得点力を磨くべきだと思う。中村俊輔以後、日本には彼を超えるプレースキッカーが登場していない。どうせアジア予選では“良い試合”ができないことが多いのだから、セットプレーで得点を掠め取り、勝ち点を稼いでいくという考え方もアリだろう。どうも日本サッカーは、「流れの中で得点する」ことばかりを評価し、セットプレーでの得点をあまり認めない傾向にあるが、これは改めるべきだと思う。どんな形であっても、1点は1点なのだから。

 

4.勝ち方の“型”が確立できていない日本代表のサッカー

 また、今の日本サッカーの何より弱い部分は、これはまだ歴史が浅いので仕方がない部分もあるのだが、「どうすれば勝てるのか」という“型”が確立できていないことだ。

 

 私は今“運動量で上回ること”だと言ったが、これに異を唱える人もいるはずだ。ある人は“パスサッカー”と言ったり、またある人は“組織サッカー”と言ったり。中には、そうやって「これが日本代表のサッカー」だと形を決めること自体を、否定する人もいるかもしれない(ブラジルW杯後には、「自分達のサッカー」という言葉が随分否定的に使われた)。

 

 どれも正解のようで、どれもちょっとずつ違うのかもしれない。あるいは、それらすべてが必要なのかもしれない。

 
 ただ確実に言えることは、日本代表が「どうすれば勝てるのか」という方法が、今のところすべて“仮説”でしかないということだ。

 

 例えば野球の侍ジャパンには、「スモールベースボール」という“型”がある。長打は打てなくとも、足や小技といった機動力を駆使して得点し、投手を含めた守備力で逃げ切る。これが侍ジャパンの勝ち方の“型”である。

 

 では、サッカーの場合は? どうやら運動量で相手を上回れば、互角以上の勝負に持ち込めることは分かってきた。しかし勝ち切るための方法は、まだ見出せていない。

 

 さらに言えば、「リードを奪った時」と「リードを奪われている時」とで、戦い方を使い分けることもまだ十分にできていない。特に「リードを奪った時」の戦い方が未熟で、度々終盤に手痛い失点を喫してしまう。

 

 こうした課題をどうすれば良いかも、十人に聞けば十人違う答えが返ってくる気がする。きっと、それではダメなのだ。誰に聞いても、日本代表は「こうすれば勝てる」という答えが定まった時、ようやく日本サッカーはもう一つ階段を上ることができるだろう。

 

<終わりに>

 日本サッカーも、オリンピックは96年アトランタ大会、W杯は98年フランス大会以降、すべてのオリンピック、すべてのW杯に出場を果たしている。ブラジル等の強豪国に比べるとまだまだではあるが、それなりに歴史を重ねているのだ。

 

 結果が出ない時、代表監督にその責を求めるだけでなく、短期決戦の準備の仕方や試合展開における戦い方の使い分け等、日本サッカーにとっての“答え”を、もうそろそろ確立させる時期に来ているのではないだろうか。