南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

愛知県中3刺殺事件の「本当の動機」を推察してみた<社会時評>

 

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<はじめに>

 先日(令和3年11月24日)発生した、愛知県弥富市の中学校における、中3男子刺殺事件だが、メディアでは主に「なぜ殺したのか」という動機の不明瞭さについて、大きく取り上げられている。

 

 学校側の安全管理体制を問う声も出ていることだろう。

 だが、ヘルパーとして学校で勤務した経験から言えば、教職員に生徒一人ひとりの行動をいちいちチェックする時間は、ない。

 

 荒れている学校であれば、廊下にヘルパーや手すきの職員を立たせて様子を見るということもあったろう。しかし、それなりに落ちついている学校であれば、そこまで生徒を監視するようなやり方はしたくないのが人情というものである。

 

 そもそも人の心の中を読み取ることは、ほとんど不可能だ。まして同級生に強い殺意を抱いている生徒がいるなどと、誰が考えるだろう。

 

 先ほどの「ミヤネ屋」の報道によれば、加害生徒は次のように供述しているという。

・生徒会選挙立候補の応援演説を頼まれたのがイヤだった

・友達と話している時に割って入られるのがイヤだった

 

 その他、「給食の箸をすぐ渡してくれなかった」という話や、LINEトラブルがあったという情報もある。しかし、その一つ一つを取ってみても、直接殺意に結び付くような出来事だったとは俄かには信じがたい。ひょっとして加害生徒本人も、学校アンケート等で、「何か嫌なことはなかったか」“聞かれたから”、思い出したことを書き出したり話したりしただけという可能性もある。

 

 ただ、報道等を見聞きした程度の僅かな情報ではあるが、“ひょっとして”と思い至ることがあった。そのことを以下に述べてみる。

 

1.人間関係の“固定化”によるストレスの蓄積

 

 結論から言えば、加害生徒には「人間関係の“固定化”によるストレスの蓄積」があったのではないかと、私は想像する。

 

 往々にして男同士の関係は、同年齢であっても、自然と“上下関係”のようなものが作られてしまうことが多々ある。要するに、何となく「コイツの言うことは聞かなきゃいけない」というような。実は私自身も、加害生徒と同年代の頃に同じような経験をして、何となく毎日を鬱々として過ごしていた時期がある。

 

 急いで付け加えておくが、被害生徒には「まったく悪気はなかった」と思われる。彼にとって加害生徒は、たくさんいる友達の一人で、頼みごとをしたり、時に冗談混じりにからかったりできる、気の置けない相手だったのではないだろうか。

 

 ところが、そこに“悲しいすれ違い”があった。加害生徒からすれば、被害生徒はリーダーシップもあり、活発で、クラスに影響力もある。彼には“何となく”逆らえない……そういう関係がずっと続いていたのではないだろうか。

 

 またこれは一般論だが、いわゆる“おとなしい子”にとっては、そのような活発な子に対して、何となく引け目を感じてしまいがちである。

 

 被害生徒からすれば、「イヤだと思うのならそう言ってくれればいい」という話だろう。しかし加害生徒からすれば、その子の言動に対して、“何となく”「イヤだと強く言えない」という心理状態に、いつの間にか陥ってしまったのかもしれない。

 

2.一度人間関係が“固定化”すると、それを覆すのは難しい

 そして、読者の皆さんもしばしば経験されたことがおありだと思う。人間関係というものは、一度“固定化”してしまうと、それを覆すのは難しいものだ。

 

 もう一つ、私の苦い体験を書き記しておきたい。

 学生時代、所属していた部活動の人間関係が嫌で、一度退部を他の部員の前で申し出たことがある。すると驚いたことに、私をしばしばからかい怒らせていた同級生が、泣き出したのだ。そして、やめて欲しくない……と。

 

 その同級生は、私に嫌がらせをしているつもりなど、まったくなかったのだ。ただ親しい間柄だから、遠慮なく言いたいことが言えると。だから、私が突然「退部する」と言い出したことがショックだったのだろう。彼自身、私との人間関係が「からかう人」「からかわれる人」と”固定化”されていることに、気づかなかったのである。

 

 話を事件に戻そう。

 

 それにしても……報道で被害生徒の生前の様子を聞けば聞くほど、やりきれない思いが募る。彼の人柄であれば、もし自分のしたことが原因で、被害生徒が嫌な思いをしていたのだと分かれば、人間関係を修復しようと努めたのではないだろうか。

 

 しかし、被害生徒が本音を伝えられなかった、もしくは伝えようとしてもそれがうまくいかなかったがために、取り返しのつかない悲劇が起こってしまった――私にはそう思えてならない。

 

<終わりに>

 最後に――月並みな言い方になるが、亡くなった男子生徒のご冥福を祈る。そしてまた、同校の生徒達とその教職員に、一日も早く穏やかな日々が戻りますように。さらに、加害生徒の今後の更生を願う。

 

【追記】

 この事件に関して、メディア関係者へ言いたいことがある。

 もし加害生徒の「本当の動機」が分かったとしても、それを報道するのはやめて欲しい。今度は被害生徒の保護者や関係者へのバッシングを誘うだけだ。それを知るのは、被害生徒の保護者・関係者だけでいい。

 

 それと、事件に至るまでの学校側の対応を批判するのも無意味だ。

 メディアが批判しなくとも、保護者から学校の安全管理体制への追及がなされるのは必至である。学校側は今、保護者対応に追われて大変な状況のはずだ。そこへ、さらにメディア対応まで重なると、肝心な”生徒の心のケア”ができなくなってしまう。

 

 社会的影響の大きい事件として、何も報道しないわけにはいかないだろうが、伏せられる所は伏せて欲しい。あとは被害生徒及び加害生徒本人とその保護者、その他学校関係者ら当事者の問題である。なるべくなら、もうそっとしてあげて欲しい。