南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

誰しもが囚われてしまいかねない”関係性の牢獄” ~愛知中3刺殺事件の考察(その2)~<社会時評>

 

f:id:stand16:20200323185709j:plain

<はじめに>

 このところコロナ関連のニュースよりも、ずっと愛知県中3刺殺事件の続報を追ってしまう。どうやら、私が懸念している方向へ事態が進んでしまいかねないと感じるからだ。

 加害生徒は、学校生活アンケートにて「いじめられたことがある」と回答していたそうだ。しかし、学校側はそれを把握していなかったらしい。

 学校側は、過去を遡って加害生徒への対応を責められるだろう。そればかりでなく、被害生徒の保護者をも中傷する者が現れるかもしれない。

 誰も何も、救われないというのに……

 

1.注視すべきだったのは、加害生徒と被害生徒の“関係性”

 なぜ学校側と加害生徒との間に、認識の齟齬があったのか。

 これは推測だが――アンケート結果をもとに、加害生徒に対して、担任なり学年主任なりが直接聞き取りを行ったはずだ。しかし、具体的に何があったかを問うてみると、教員の認識では「いじめとは思えない」出来事ばかりだったのではないだろうか。

 

・生徒会選挙の応援演説を頼まれた(嫌なことをよく頼んでくる)

・友達と話している時に、割り込まれた

・給食の箸をなかなか渡してくれないことがあった

 

 日曜日の『ミヤネ屋』において、宮根さんでさえ「直接殺意に結び付くようなこととは思えない」と述べていた。きっと当時、加害生徒を対応した教員も、それほど深刻な事態とは考えられなかったはずだ。いじめというよりはコミュニケーションの問題。生徒同士のよくある小さな行き違い。――おそらく私でも、そう捉えていたと思う。

 

 だが、現実に悲劇は起きてしまった。

 

……もはや結果論にしかならないが、本当に注視すべきは、加害生徒が語った個々の出来事よりも、加害生徒と被害生徒の“関係性”そのものだったと私は思う。

 

 報道によれば、加害生徒は「嫌なことをよく頼んでくる」と話していたという。他にもっと決定的な出来事があれば別だが――私はこの言葉が、最も重要なキーワードだと考える。

 

 前回のエントリーでも書いたが、加害生徒と被害生徒との間には、「頼む側」「頼まれる側」という“関係性”が出来上がっていて、加害生徒はその“関係性”が嫌で嫌で仕方なかったのではないか。そして、被害生徒はそのことに気付けなかったのではないか。

 

 一つ一つを取ってみれば、どれも大したことはない、日々のあれこれに紛れて忘れ去られていくような出来事だ。

 

 しかし……それらが積み重なっていけば、どうなるだろうか。当人はストレスを溜め込み、やがて相手を恨むようになり、恨みは次第に膨らんで殺意へと変わっていった。そしてある時、押さえていた殺意がとうとう爆発してしまった。

――これが事件の真相ではなかったかと、私は推察する。

 

 

2.小さなストレスの積み重ねを、侮ってはいけない

 今回のケースは、“殺人事件”という最悪の形に帰結してしまった為、世間の注目を浴びることとなった。

 しかし、事件に至るまでの経緯は、決して特別なものではない。学校に限らず、一般社会においても、よくある現象ではないだろうか。

 

 この事件の報道を見聞きしながら、私は以前ネットに掲載されていた、とある企業に勤める新入社員の女性の手記を思い出した。

 

 彼女は上司や先輩、同僚から、しばしば「ブス」だの「色気がない」だのといじられ、本人もその場では笑ってやり過ごしていたという。だが、そのストレスは次第に蓄積していき――気づけば彼女は、電車へ飛び込もうと駅のホームの前に立っていたという。

 

 そういえば私も20代の頃、職場で“いじられ役”になっていたことがある。上記の新入社員の女性と同じように、何を言われても笑ってやり過ごしていた。いや、「自分は先輩達に可愛がられている」と思い、ありがたいことだとさえ感じていたのだ。

 

 しかし、当時をよくよく思い出してみると、私をよく“いじっていた”先輩達の中で、私が何か困った時、親身になって話を聞いてくれた人は、一人もいなかった。自分はただただ軽んじられていただけだったのか――そう愕然としたこともある。

 

 だが、さらに月日が経った今なら分かる。私は、自分自身が周囲に「いじられる側」という“関係性”の中に、自らを閉じ込めてしまっていたのだ。出ようと思えば、早いうちなら出られたのに。当時まだ若く、仕事に自信もなかったため、いじられることで自分の居場所を確保しようとしていたのかもしれない。

 

 まあ、私の場合はそうやって劣等感を誤魔化していた、自分の責任の部分が大きいと思っている。しかし、ただ若いから、少し口下手だから、女性だから……そんな理由で、小さなストレスの溜まる“関係性”を押し付けられ、出口のない苦しい思いをしている人が、この世の中には大勢いるのだろう。

 

 

<終わりに>

 このように、大人でも案外多くの人が気付かないのである。まして中学生が、それを知れるはずがあろうか。いや……私達大人が、未来を担う少年少女達に、そのことを教えられるだろうか。

 

 小さなストレスの蓄積を侮ってはいけない。そして誰しも、理不尽にストレスを溜め込むような“関係性”の牢獄に閉じ込めてはいけない。今回の事件で、私達はそのことを教訓としなければならないのだと、私は考えた次第である。