<はじめに>
みなさんこんにちは、墨高野球部のイガラシです。
今回も、視聴者(?)の方より質問が届いていますので、それに答える形で進めていこうと思っています。
ええと……ペンネーム「たい焼き」さんより。
―― イガラシさんに質問です。墨谷二中の頃、近藤君が入部してきた時、イガラシさんは「あれだけのタマをもってりゃ 天狗にならないほうがおかしい」と言っていましたが、イガラシさんこそ走攻守に秀でた才能を持っていたのに、どうして天狗にならずに済んだのか不思議です。何か理由があれば教えてください。
ということで、今回のテーマは……
「イガラシくんは、どうして“天狗”にならずに済んだのか!?」
ええと……先に断っておきますが、ぼくなりに“自信”はありますよ。自信がなきゃ、墨二中の一年生の時、キャプテンの谷口さんに向かって「早く試合に出して欲しい」なんて言えませんから(笑)。でも、確かに「たい焼き」さんの言うように、“天狗”になったことはない……というか、なろうと思ってもなれないですね。
1.いつの間にか周りを追い抜いていた!
理由はいくつかありますが……まず言えるのは、ぼくが野球を始めた時って、上級生だけでなく同級生にも、ぼくより力のあるやつが何人もいたってことですかね。
確か野球を始めたのは、小学校の低学年くらいだったんスけど。最初は、やっぱり体の大きいやつが試合に出してもらえるんですよ。でもほら、ぼくは見てのとおり、体が小さいですから。
体が小さいということは、力も弱いってことです。始めの頃は、バットもうまく振れなくて(苦笑)。当時のぼくが、他のやつに比べて勝っていたことと言えば、ちょっとすばしっこく動けたことと、人一倍負けん気が強かったことぐらいです。ま……負けん気の強さは、今でも変わりませんけどね(笑)。
んなもんで、チームの練習が終わった後も、一人で素振りしたり、谷口さんみたいに神社へ行って投げ込みをしたり、近所をランニングしたりしてましたね。そういうのを続けてると、段々バットが軽く感じるようになって、思うように操れるようになってきたんですよ。
ああ、ちなみに守備を仕方を覚えるのは、そんなに苦労しませんでした。さっきも言ったように、元々すばしっこく動くのは得意だったので、ゴロやフライを捕るのは結構すぐできました。そこだけは、素質があったかもしれません。
ま、それはともかく……毎日のように特訓を続けていると、いつの間にか、ぼくより実力のあるやつが、ほとんどいなくなってたんですよ。気がつけば抜いてたってやつですね。
どうしてなのか。今思うと、何でもすぐできちゃうと、飽きるのも早いんスよ。それでなくても、小学生って遊びたい盛りなので。野球以外の楽しいことがあれば、すぐにそっちへ行っちゃう。ぼくみたいにムキになって、できるまでやり続けるっていうのは、どうも少数派だったみたいです。
2.身近なライバルの存在
あとは……ちと言うのはシャクですけど(苦笑)、やっぱり井口の存在ですかね。
まあ、アイツは昔からすごかったですよ。打つにしても投げるにしても。ぼくのいたチームの中でも、ずば抜けてましたね。あんなやつが身近にいたら、とても天狗になんてなれるはずないじゃないスか。
もっとも、向こうは向こうで、ぼくのことをそれなりに意識してたみたいで。気づけば、お互いに投げ込みをしたり、競い合うようにフリーバッティングをするようになってましたね。特にバッティングでは、体格のいい井口と同じ打ち方をしても飛ばないので、自分なりにスイングの工夫を重ねてきました。
んで、思ったわけですよ。身近に井口みたいな素質のあるやつがいるんだから、全国にはもっと力のある人間がゴロゴロしてるんだろうって。井口にその話をしたら、あいつも「そうだな」と共感してくれて。ただみなさんも知ってのとおり、ぼくも井口も負けず嫌いなので、今度は全国の“まだ見ぬ敵”を思い浮かべながら、二人でひたすら特訓を続けてましたよ。その相手と、まさか中学で全国大会出場を賭けて争うとは、夢にも思わなかったですけどね(笑)。
<終わりに>
まあ早い話、「誰にも負けたくない」気持ちと、「上には上がいる」という認識がずっとあったお陰で、天狗にならずに済んだと思っています。
その意味で、近藤はちょっと不運だったかもしれません。小学生の頃から、身近に自分を脅かす存在がいれば……実際、あいつは井口を意識したことで、さらに球速をアップさせましたし。これからだって、新入生の誰かが急激に伸びてきたら、またあいつの闘志に火がつけば。近藤が努力を覚えたら、本当に誰も手が付けられなくなるかもしれませんよ。
最後に一つ言わせてもらうと……学生野球のレベルで“天狗”になって、どうするんだって話でしょう。ぼくらは若いんだし、その気になれば、いくらでも成長できるはずです。天狗になるってことは、今の自分で満足してしまうことと同じですから。
本当の「自信」というのは、今これぐらいできる自分はスゴイと思うことじゃなく、“これからもっと成長できる自分を信じる”という意味だと、ぼくは思っています。