南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<雑記帳>「死にたい」という感情について

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<はじめに>

 よくYoutubeやtwitrer等を見ていると、よく「死にたい」「消えたい」という類のワードを目にするようになった。コロナ禍もそうだが、いかに現代日本が人々にとって生き辛い余の中であるかを示しているように思われる。

 

1.「死にたい」という感情

 この「死にたい」という感情には、大きく分けて二種類ある。

 

 一つは、他の感情と“置き換え可能”なもの。

例えば失恋で大きなショックを受けた、仕事で大きなミスをして職場の人に多大な迷惑を掛けてしまった等。

 また最近では見られないが、“自分が死ぬことで周囲に益をもたらせる”というもの。極端な話に思われるかもしれないが、かつて特攻隊の若者達は、「自分達が命を賭すことで日本の未来につながっていく」ことを信じて、戦場の露と消えたのである。

 こちらも前者とベクトルは違うが、現状を変えたいという意味で、他の感情と“置き換え可能”なものだと言える。

 

 二つは、他の感情と“置き換え不可能”なもの。

 

 例えばうつ病患者等、精神疾患を抱える方は、取り立てて大きな理由もなく「死にたい」と思ってしまうことがある。

 いや、その人達だって、当初の「死にたい」という気持ちは“他の感情と置き換え可能”だったかもしれない。だが、人というのはあまりにもストレスをつみ重ねてしまうと、それよってうつ病等の精神疾患を患ってしまうことがある。

 うつ病等、精神疾患の主な症状こそ――「死にたい」と思ってしまうことだ。症状なのだから、他の感情と“置き換える”ことはできない。うつ病患者が「死にたい」と言った時、それは本当に「死にたい」のである。

 

2.うつ病患者の思考回路

 そんなバカな……と、思われるかもしれない。しかしそう思える人は、ある意味で“幸せ”である。いや、むしろ“置き換え不可能”な「死にたい」気持ちを知らぬまま一生を終える方が、ずっと良い。少なくとも私の身内には、そんな思いをせずに日々をなるべく楽しく過ごしてもらいたいと思う。

 

 だが、現実にはあるのだ。なぜなら――繰り返すが「死にたい」という気持ちになってしまうことこそ、うつ病の主な症状の一つなのだから。

 

 そこまでのレベルになってしまった人を、安易に励ましても意味がない。というか、むしろ逆効果になってしまうこともある。

 

 ごく短い期間だが、私はうつ病を患っているという方と、一緒に過ごす機会があった。そして、その方が「死にたい」と口にするのも耳にした……。

 

 何て言ったのか――「あなたがいなくなると、私は悲しい」「“死にたい”と思うのも症状だ。とりあえず薬を飲んで、時間が過ぎるのを待てば、その気持ちは消える」……正しかったのかどうかは分からないが、そんな類のことを必死に伝え続けた記憶がある。その方は幸いにして、私が接している期間は、自殺未遂等を図ることはなかったから、少なくとも私の存在はその方にとってマイナスではなかったのだろうか。まあ、逆に無理を強いてしまったかもしれないが。

 

<終わりに>

 昔は、うつ病を患うことを“悪霊に憑かれた”というふうに表現したらしいが、言い得て妙だと私は思う。

 そのなのだ。自分本来の感情を“何者か”が乗っ取り「死にたいという気持ち」にさせる――これが極めて正確な表現ではないだろうか。

 

 うつ病を患い、目の前で「死にたい」と言っているその人は、もしかしてうつ病という病気に“人格を乗っ取られ”、「死にたい」という気持ちに“させられている”状態なのかもしれない。

 

 だから、昔で言う「悪霊」がどこかへ押しやっているその人「本来の意識」を、思い出させてやらなければならない。

 

 またその人「本来の意識」を取り戻させるためには、その人自身が“これまでやってきたこと”を認めてやらねばなるまい。「死にたい」とまで思いつめる人は、大抵が視野狭窄に陥っている。そして最も見失っているのは、自分自身なのだ。

 

 貴方は今まで、これだけのことをやってきた。それによって、多くの人達が助けられてきた。だから今、自分自身が疲れきった時ぐらい、人に甘えていい。というより……甘えて欲しい。こんな時ぐらい、いつも優しく一生懸命な貴方に“恩返し”のできる機会なんて、そうそうないのだから。

 

 もし読者の皆様の身近に、今まさに「自死」を考えている人がいるのなら、こんなふうにしてその人自身の価値を思い出させて欲しい。