南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<雑記帳>なぜ私は『プレイボール2』『キャプテン2』を批判したのか!?

【目次】

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<はじめに>

 GJ(グランド・ジャンプ)におけるコージィ城倉氏の連載漫画『プレイボール2』に強い反発を抱き、自分で故ちばあきお氏の『プレイボール』の続編小説を書き始めてから(試作品となった『白球のリアル』時代も含めると)、早くも四年近くが過ぎた。

 今、『プレイボール2』は最終回を迎え、「GJむちゃ」に連載されていた『キャプテン2』と統合される形で、今も物語は続いている。

 

 長らく私のブログを読んで下さっている方は分かるだろうが、当初の私は、同作をかなり激しく批判した。

 今ではツイッター上にて、時折気になった描写を指摘はするが、かつてのようにブログの一記事を使って批判するまでには至らない。

 

 それはたぶん、自分でも続編である小説『続・プレイボール』を書いているという余裕が大きいと思う。それとありがたいことに、こんな未熟な私にも、読者の方が複数付いて下さったことも、私の気持ちを穏やかにさせている(なんと『プレイボール2』好きな方にも何人か。申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが半々である)。

 

 話は逸れるが、今年一年、私は散々な目に遭った。詳細はここで触れるわけにはいかないが、自分の人生を放り出したいと思うほど、心身ともに壊れそうだった。

 

 ただ幸か不幸か、仕事をしばらく休職することになり、空き時間は膨大に増えた。そこでこの機会に、なぜ私が『プレイボール2』にあれほど反発したのか、今一度振り返ってみることとしたい。

 

1.原作世界観を批判しておいて、その代案の“答え合わせ”から逃げた!

 一つ目……というより何よりも大きいのが、「ひたむきに頑張ることへの否定」がある。

 私の誤読という可能性もあるが、少なくともそう見られてもおかしくない表現が、作中に散見されたのである。

 

・今の君達の長時間練習がケガ人を輩出しちまうリスクがある

(「キャプテン2」第1話)

・野球という競技に「長距離走」の重要性はどれくらいあるだろう?

(「キャプテン2」第2話)

※(墨高の練習は)都立のボール遊び(「プレイボール2」第87話)

 

 他にも探せばたくさんある。まるでちばあきお氏の作品が、根性だけを強いたような描き方だが、原作をよくよく見れば、『プレイボール』でキャプテン谷口が練習を中断してザリガニ探しをしたり、『キャプテン』ではイガラシ時代からの修正を図るなど、ちゃんと“自己点検”を行っている。それを無視しているような言い草ではないか。

 

 こちらから反論を付け加えさせてもらうと、まず墨高野球部が猛練習を行っていた理由は、「格上の相手を倒す」ことへの“説得力”を持たせるためである。なぜかと言えば、あきお先生の漫画には“天才キャラ”がほとんど登場しないからだ(イガラシや近藤が天才キャラに近いが、彼らだけでチームを勝たせられるほど飛び抜けているわけではない)。

 

 スーパーエースのいないチームで、どうやって青葉や全国の強豪を倒す? 猛練習を積むしかないではないか。だったら自分で“代わりの策”を打ち出し、どうやって格上を倒すか見せてみろと思ったが、コージィ氏は何と『プレイボール2』の谷原戦、『キャプテン2』の地方大会(青葉戦等)を省略した。私から見れば、人(あきお氏)の苦心のアイディアを否定しておいて、その“答え合わせ”から逃げたようにしか見えなかった。

 

2.二つを比較して、どちらかを落とす

 もう一つは、作中で「二つを比較して、どちらかを落とす」という表現が、これまた散見されたということ。

 前項で※を付けた谷原マネージャーの台詞は、私の中で決定的だった。この台詞だけは許しちゃいけないと思った。

――(墨高の練習は)都立のボール遊び。

 悪役の驕った台詞として書かれたのではない。敵側だが、わりと中立的な立場のキャラクターの台詞として、書かれたのである。ということは、イコールこれがコージィ氏の本音だと思われても、致し方ないだろう。都立高野球部の、カネも設備も満足にない中で努力を重ねている関係者の方が見れば、どれだけショックを受けるだろう。この台詞だけは、絶対に許せないと思った。

 

 この台詞に限らず、作中では二つのものを比較して、どちらかを落とすという表現が多く、作者自身の底意地の悪さが伝わってくるようだった。

 例を挙げると、前述の「都立(公立)」と「私立」、身長の「高い」選手と「低い」選手、最近では「女子(マネージャー)が不要」だとイガラシに言わせてもいる。

 

 誰だって、褒められるにしても貶されるにしても、何かと比べられること、それ自体が不愉快だと思うのだが……この作者は、なぜこんなことが平気でできるのだろう。

 だから、『プレイボール2』及び『キャプテン2』は、作中の雰囲気の暗さに耐えられず、途中で読めなくなることが多かった。これも“好みの問題”と言われれば、そうなのかもしれないが。

 

3.コージィ城倉氏自身を貶める気はない!

 かといって、コージィ城倉氏がプロの漫画家、それも長年野球漫画を描いてきた大家であることに、私なりにリスペクトは持っているつもりだ。とりわけ他の作家がなかなか目を付けない部分を掬い上げ、作品に昇華してきた実力は、目を見張るものがある。

 

 だからこそ……『プレイボール2』『キャプテン2』が、残念に感じてしまうのだ。コージィ氏なら、もっと面白い作品が描けるはずなのに。……結局のところ、そこに思いが行ってしまう。だから同作に限らず、氏が素晴らしい作品を世に出したら、面白いと素直に言おうと思っている。

 

<終わりに>

 ただ……やはり『プレイボール2』『キャプテン2』の両方において、どこかしら底意地の悪さを感じてしまい、それが拒否感となってしまったことは否定できない。そう読めてしまうのだから、しょうがないと言うほかない。

 

 とりわけ「ボール遊び」発言に象徴されるように、一生懸命頑張っている者に対して、小馬鹿にしている(ように思われても仕方がない)台詞が散見されたのは、やはり残念であった。氏も野球人なら、そこで生きている人達への最低限のリスペクトは持って欲しい。

 

―― 以上の思いから、私は『プレイボール2』『キャプテン2』を批判してきた。最後に分かっていただきたいのは、繰り返すが単に作品が気に入らないというだけで、コージィ城倉氏、並びにその読者を貶める気は、まったくないということである。むしろ、氏の実力を認めるだけに、“もっと良い描き方はあっただろう”と思ってしまう。それは氏に期待しすぎなのだろうか。

 

 今はひとまず、同作を批判するのではなく、自分が書いている“続編”の完成を急ぎたい。どっちが「本当の最終回」なのか、それは私でもコージィ氏でもなく、読者自身の心が選ぶことなのだから。