南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<雑記帳>「みんな仲良く」という言葉の残酷 ~『日曜日の初耳学』林修先生と太田光さんの対談より~

【目次】

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<はじめに>

 昨日(令和4年1月23日)放送された『日曜日の初耳学』における、林修先生と爆笑問題太田光さんの対談が、反響を呼んだらしい。私も食い入るようにみてしまった。

 

 対談内でも紹介されていたが、爆笑問題がブレイクするきっかけとなったのは、フジテレビ系列で1992~99年まで放送された「ボキャブラ天国」という番組である。私と同世代の人間で、知らない人はほとんどいないだろう。ネプチューン海砂利水魚(現くりーむしちゅー)、土田晃之(U―turn)、アンジャッシュら、今活躍する数々のお笑いタレントを世に輩出したが、中でも爆笑問題の存在は飛び抜けていた。あの「ハイジャック犯」や「バー」のネタは、今でもそらんじて言えるほど面白かった。

 

1.「人間関係が上手くいかないのは当たり前」という言葉に救われた

 その太田光さんだが、高校時代は誰とも一言も口を利かなかったそうだ。

 私にはそこまでの経験はないが、その感覚は何となく分かる気がする。私の場合はどうにか話してみようとしたが、上手くいかなかった。しかも、上手く打ち解けられる者もいた。そのことが、余計に傷を深くする。

 

 だから、林先生と太田さんが「人間関係が上手くいかなくて当たり前」という言葉に、私はとても救われた気がした。

 

 私も人生で辛かった時期を挙げよと言われたら、迷わず高校時代を挙げる。さらに、それを引きずったのが一年浪人を経た後の大学時代。この時期に、人と接するのが怖くなった。目上の人から“コミュニケーション能力が低い”と言われ出したのも、その時期だ。そう言われると、余計に人と話すのが嫌になる。

 

 その人が何となく怖いという感覚を、実はつい最近まで引きずっていたかもしれない。そして今年、とうとう私の心身が耐えられなくなったのだろう。数ヶ月ほど部屋から出られないほど、心身を病んでしまった。

 

2.「みんな仲良く」という残酷

 それにしても学校という場所は、子供にも先生にも、どれほど過酷なことを要求しているのだろうか。

 

 元々気が合って、好きで集まったわけじゃない。たまたま近所に住んでいる子供を、同い年という共通点だけで集め、いくつかのグループ(学級)に分け、学級担任に「子供達をみんな仲良くさせなさい」と要求するのだ。また担任の先生とて、合わない子供だっている。「みんな仲良く」なんて、本当は上手くいく方が不思議なのだ。

 

 ほとんど不可能なことを要求しているのだから、不登校になる子が出てくるのも、心身を病んで休職・退職する先生達が続出するのも、むしろ当然ではないだろうか。

 

 ただでさえ最近の子供達は、集団で過ごすことに慣れていない。趣味も何もかも多様化している。仲良くなくたって、「イジメが起こらなければ上出来」くらいの感覚で良いと思う――もっとも、そうやって無理やりグループ(学級)を作った時に、互いに不平不満が溜まり、イジメは起こるのだが。

 

 私は心底思う。「みんな仲良く」なんて、本当に残酷な言葉だなと。

 

<終わりに>

 ついでに言うと、私は“コミュニケーション能力”という言葉を疑っている。もちろん「誰とでも仲良くできる」稀有な人はいるが、それはその人が特別なのであって、フツウの人は、自分が合う場所と合わない場所があるというのが当たり前ではないだろうか。

 

 私は色々な事情で、複数の地域で働く経験をさせてもらっている。面白いと思ったのが、ある職場では「おまえはコミュニケーション能力がない」と言われ、別の職場では「あなたは人とコミュニケーションを取るのが上手だ」と言われたことだ。

 

 私にとっては、その職場が合うか合わないかの違いでしかなかったのだが。合わない職場、つまり自分と仲のいい人が少ない職場で、どうやって人と上手くコミュニケーションを取れというのか。

 

 誤解を恐れずに言えば、人と“必要以上に”関わることが推奨されなくなったという点で、私はコロナ禍に感謝している。

 誰だって、本当はほぼムリだと分かっているはずなのだ――「みんな仲良く」なんて。

 

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