南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<漫画感想>墨高は甲子園に出るべきだった”四つの理由” ~ちばあきお『プレイボール』より~

【目次】

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<はじめに>

 先ほど(令和4年1月29日)、墨高の都大会決勝戦の執筆を終え、ようやく谷口君ら墨高ナインに甲子園への切符を取らせることができた。あとは、実際に甲子園の土を踏ませる作業が残ってはいるが、これで執筆を始めた目的の大部分を達成することができた。今はホッとしたというのが、正直なところである。

 

 もう嫌味にしか思われないかもしれないが、言わせてもらうと、某漫画の作者のように「墨高は予選で負ける(方が自然)」とは、私は一切思わなかった。どうあっても、三年生の夏、谷口君ら墨高ナインは“甲子園へ行くべき”だと思っていた。都大会編完結に当たり、その理由を述べさせていただきたい。

 

1.投手層の厚さ

 一つ目は、墨高が「複数の投手を擁している」という点である。原作終了時点でも、谷口、松川、井口、片瀬。これにイガラシも加えれば、実に五人もの投手がいるのである。

 他方、原作「プレイボール」の他のチームを見ていただきたい。絶対的なエースが一人、あとは下の学年のエース候補が一人というケースが多かった。あの“作中最強チーム”谷原でさえ、エース村井の控えは、かなり力の落ちる野田である。

 

 実際、私は都大会の全7試合において、どのようにローテーションを組むのか考えるのに、少々苦労した。数が多い上に、井口やイガラシなどは、“使わないと不自然”なほどの有力投手だからである。

 

 このように見ていくと、墨高は層が薄いどころか、投手陣に関してはかなり恵まれた布陣だったということが分かる。「甲子園を狙います」と言っても、ちっとも恥ずかしくない投手層を誇っていたのだ。

 

2.墨谷はすでに弱小校ではなく、シード権を獲得した“準強豪校”である

 二つ目は、墨高がすでに弱小ではなく、夏のシード権を獲得している“準強豪校”だったからである。

 

 原作では描写こそないものの、具体的に「秋季大会でも準々決勝まで進出した」と述べられている。夏、秋続けてベスト8入りしたのである。

 実際の高校野球では、ベスト8とベスト4、さらにベスト4と決勝進出との間には“分厚い壁”が存在したりするのだが、これは漫画なのだ。元々ベスト8の力はあると分かっているのに、それを上書きしてもつまらないではないか。

 

 それに墨高の夏、秋連続のベスト8は、限りなく4強に近いベスト8だと思われる。なぜなら夏には専修館、秋には東実と、地区の優勝候補をそれぞれ下しているからだ。そんなチームが、夏はさらに強くなったと想像しても、何ら不思議はない。

 

3.当時としては“最先端”の「データ野球」の実践

 三つ目の理由は、墨高が選手の質は別として、当時としては“最先端の野球”を実践していたからである。すなわち、相手チームの情報を集めて弱点を突く、いわゆる「データ野球」だ。当時は今ほど、細かく相手のことを調べるという発想自体が、ないに等しかった。原作でも、他校はせいぜい「相手チームの試合を観戦する」程度の描写しかされていない。

 

 ところが、墨高は相手投手の球種やクセ、内外野の守備の弱い所等、かなり細かい部分まで調べ尽くしている。なぜそれができたかというと、それが“専門”の人間をチームに置くことができていたからだ。言うまでもない、半田の存在である。

 半田がチームにいることで、墨高は戦力で劣ったとしても、「データ」を駆使して相手と互角以上の勝負に持ち込めたのだ。

 

 元々ベスト8の力のあるチームが、この“最先端の野球”を実行すれば、上位進出は十分射程圏内だ。甲子園出場を成し遂げていても、不自然さはない。

 

4.有望な一年生達の入部

 四つ目は、イガラシや井口を始め、“有望な一年生”が数多く入部してきたからである。

 先ほど墨高は「すでにベスト8の力がある」と書いたが、こんな反論があるかもしれない――墨高はデータ野球で勝てただけで、本当はそこまで強くない、と。

 

 そこを補うのが、「有望な一年生の入部」なのだ。

 近所のちょっと巧い中学生が集まっただけではない。あの谷原が噂をキャッチして、マネージャーが偵察にくるほどの逸材が揃っていたのだ。彼らに活躍の場さえ与えれば、昨秋よりもさらにパワーアップしたと見ても、何らおかしくないのだ。

 

<終わりに>

 以上四つの理由から、私はやはり谷口三年時の墨高は、「甲子園へ行く力があった」と見ている。現実ならともかく、漫画でこれだけの材料が揃えば、勝たせるための伏線を敷いているとさえ見ることもできる。いや実際、ちばあきお先生は、墨高を「甲子園へ行かせるため」に、これだけのメンバーを揃えたと私は思う。

 

 ここまで四つの理由を述べてきたが、最後に一つ付け足すとすれば――やはり、故ちばあきお先生の“遺志”である。あきお先生は雑誌等のインタビューで、「つぎは甲子園を描きたい」と語っていたという。だったら、その遺志を最大限尊重して欲しかった。

 

 ただそれが叶わなかったので、少々のぼせ上がっていた私は「だったら私が書いてやる」と思ったわけである。漫画じゃなく小説でしか書けないのが、非常にもどかしいのだが。

 

 

……拝啓、ちばあきお先生。先生が描きたかった展開に、私は少しでも近付けることができたのでしょうか?