南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第59話「先取点はどっちだ!?の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 

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【目次】

  

 

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<外伝> 

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 第59話 先取点はどっちだ!?の巻

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1.佐野の知略

 五回表。墨高の攻撃は、四番谷口からである。すでにバットを構え右打席に立つ。

 一方の、東実のエース佐野。マウンド上よりキャッチャー村野とサインを交換し、そしてワインドアップモーションから投球動作へと移る。右足を踏み込み、グラブを突き出し、そして左手の指先から速球を投じた。

 コースは外角低め。パシッ、と快音が響く。

「ら、ライト!」

 鋭いライナーが、ライト線を襲う。竹下がライトの白線へ向かって走る。しかし打球は右へスライスし、ファールとなる。

 よし、と谷口は右こぶしを強く握った。

「もう左足で踏み込んでも、そう痛みはない。速球であれば打ち返せる!」

 二球目。佐野は緩急を付けるためか、今度は外角にチェンジアップを投じてきた。これには手を出さず、ワンエンドワンのカウントとなる。

「……さっそく、きたか」

 谷口はもう一度、半田のノートのメモを頭の中で反すうする。

「このカウントだと、内角低めの速球だったな。遅いタマを見せた後だし、ほぼ間違いない」

 果たして。佐野は、やはり内角低めに速球を投じてきた。

「や、やはり……」

 読み通りのコースと球種。谷口は、迷わずバットを強振する。パシッと小気味よい音。打球はジャンプしたサード中井の頭上を越し、フェンス手前でレフト線の手前にワンバウンドした。ボールはフェンスに当たって跳ね返る。

「くそうっ」

 レフト小堀がようやく打球を拾い、中継の杉谷へ返球する。だがその間に、打者走者の谷口は二塁へ滑り込んでいた。ノーアウト二塁。

「……ふむ」

 しかしマウンド上の佐野は、冷静さを崩さない。

「ずいぶんと、まるではかったように打ちやがったな。まさかやつら」

 続くイガラシは敬遠。ノーアウト一・二塁。

「さて、どうするか」

 佐野はしばし瞑目し、思案を巡らせる。一方、右打席の手前では、次打者の横井がはりきった様子で素振りを繰り返す。

「……ようし」

 目を見開き、佐野はキャッチャー村野を「ちょっと来てくれ」と呼んだ。

「どうした?」

「村野、モノは試しだ」

 そう言って、佐野はニヤッと笑う。

「ワンエンドワンのカウントになったら、おれが投球すると同時に、三遊間を詰めてくれ」

 村野は「えっ」と、驚いた声を発した。

「急にはむずかしそうか?」

「いや。練習はしてきてるし、それくらいはワケないが……だいじょうぶなのか?」

 声を潜めて、村野は尋ね返す。

「もし逆をつかれたら、ヘタすりゃ二人とも生還されちまうぞ」

「それはないと思う」

「なぜ、そう言いきれるんだ?」

 佐野はちらっと、背後を見やった。横井が訝しげな視線を向けている。

「ワケは後で話す。墨高のやつらにカンづかれないように」

「わ、分かったよ」

 戸惑いながらも、正捕手はポジションへと帰っていく。そしてマスクを被り屈み込むと同時に、横井が打席に入ってくる。

「こい!」

 気合を入れるように、横井は声を発した。

「……フフ。ずいぶん、はりきってるねえ」

 初球。カーブが内角低めいっぱいに決まり、ワンストライク。そして二球目。佐野は「つぎはボールだ」とつぶやき、わざと速球を高めに外した。これでワンエンドワン。

「おたくらがねらってるのは、このカウントだよな」

 胸の内につぶやき、そして投球動作へと移る。

 内角低めのカーブ。横井は「もらった!」と、バットをコンパクトにスイングする。だがその寸前、東実の内野手は村野のサイン通り、三遊間を詰めていた。

 バシッ。痛烈なゴロが、三遊間を抜けるかと思われた。

「やった……え、なんだと!?」

 横井が喜ぶのも束の間。あらかじめ三塁線に寄っていた中井が、難なく捕球する。そして自ら三塁ベースを踏んだ後、一瞬二塁ベースを見たが、すでにイガラシが到達していた。そこで判断を切り替え、一塁へ矢のような送球を投じる。

「そんな……」

 信じられないという表情で、横井は両手から一塁ベースへ飛び込む。しかしその直前、ファースト中尾のミットが送球を受けた音がした。

「アウト!」

 塁審のコール。横井は「くそっ」と、一塁ベースを叩く。「5-5-3」のダブルプレーが成立、ツーアウト。

 一方、無言でベンチに引き上げる谷口。胸の内で「まさか……」とつぶやき、背後のマウンド上をちらっと振り向く。

「こっちが組み立てパターンを読んでいること、もう見抜かれたのか!?」

 当の佐野は、マウンド上でロージンバックを手に、余裕の表情である。

「せっかくだから……こっちも、試しておくか」

 次打者の七番岡村は、またも簡単にツーストライクと追い込んだ。しかしそこから、わざとカーブ、シュート、カーブと僅かにコースを外し、ツースリーとする。

「フフ、さすが岡村君。いい選球眼だ。しかし悪いが……それを利用させてもらったよ」

 何も気づかない岡村は、胸の内で「つぎはフォークだ」とねらいを定める。

 そして七球目。佐野はセットポジションに着き、クイックモーションで真ん中低めに投じてきた。岡村は掬い上げるようにスイングする。

 ところが、ボールは岡村の予想以上の落差で沈み、なんとワンバウンドした。

「ストライク、バッターアウト! チェンジ」

 アンパイアのコール。岡村は、ガクッと片膝をつく。

「そ、そんな……完全に読んでたのに」

 彼の傍らを、佐野は「ハハハ」と高笑いしながら通り過ぎていく。

「フォークだと分かってて打てないとは、これいかにってか」

 その言葉に、岡村は呆然とした。

「……な、なんだって!? それじゃ向こうのバッテリーは、こっちが組み立てを読んでることを、もう分かってて」

 一年生は、思わず「くそうっ」と地面を右手で叩いた。

「落ちつけ岡村!」

 声を掛けたのは、キャプテン谷口だった。

「キャプテン……」

「試合は九回まである。その間に、どんな形でも点を取ればいいんだ」

 それに、と谷口は話を続ける。

「佐野は今日で三連投。見た目ほど余裕はないはずだ。岡村、おまえは佐野に球数を投げさせ、かく実にダメージを与えている。そのことを忘れるな」

 岡村は立ち上がり「ありがとうございます」と、一礼した。

「む。この後の守りでも、しっかりたのむぞ」

「はいっ」

 谷口は踵を返すと、自分にも「そう、九回まであるんだ」と言い聞かせる。

「あの半田の作戦を実行できたということは、佐野に疲れが出てきているということだ。横井の当たりもヒット性だった。彼が本調子なら、ああも続けてジャストミートされたりはしない。必ず打てる……いや、打つんだ!」

 

 

 三塁側ベンチ奥にて、東実ナインは監督を中心に円陣を組んだ。

「……すまなかった」

 まず監督が、頭を下げる。ナイン達からは「えっ?」「どういうことですか」と、戸惑いの声が漏れた。

「この試合、積極的に打っていこうとしたが……それがまちがいだったようだ」

 正直に、指揮官は思いを述べる。

「あの一年生、イガラシがここまでのピッチングを見せるなんて、思いもしなかった。うちのいままでどおり、思いきりよくいけば攻りゃくできると考えたが、甘かった。そこできのうと同じように、まず球数を投げさせて……」

「まってください!」

 口を挟んだのは、佐野だった。

「監督の作戦は、まちがってないと思います」

 こちらも率直な思いを伝える。

「いまのところ打ててないのは、まだやつのタマに目が慣れてないだけだと思います。しかもやつは、そこまで体力はありません。目が慣れさえすれば、必ず……」

「佐野。おまえの言うことにも、一理あるがな」

 三年生の竹下が、渋い顔で言った。

「おまえはもう三連投だ。早く援護してやりたいが……どうも普通に打ちにいくのでは、こっちに分が悪いらしい。だったら粘って、やつの体力をけずり、こっちも目を慣れさせねば」

「おれのことなんか、関係ありませんよ!」

 佐野はつい強い口調になる。

「今日だって、おれは何回までも投げられます。そんなことより……あのイガラシを攻りゃくすることを、第一に考えましょうよ。やつはしたたかな男です。こっちが打てないと弱気のバッティングをしてくりゃ、すぐに見抜いて対応してくるやつですよ」

「分かってるさ」

 諭すように、監督が言った。

「しかし……やってみたら、案外効果があるかもしれん。それに佐野、さっき何回までも投げられると言ったが、自分で気付かないのか」

 少し間をおいて、さらに続ける。

「谷口のツーベース、横井にもヒット性の当たりを浴びた。おまえだって、もう疲れ始めてるんだぞ」

「ぼ、ぼくが信用できないとおっしゃるのですか!?」

 さすがに竹下が「おい佐野。監督に、いくらなんでも失礼だぞ」とたしなめる。いいから、と監督はそれを制する。

「そうじゃない。むしろ、おまえをアテにしてのことだ」

 監督は静かに答えた。

「疲れているといっても、おまえは九回までなら、しっかり投げてくれるだろう。それまでに点を取るには、どうしてもイガラシを疲れさせねばならん。急がば回れってやつだ」

 重い指揮官の一言に、佐野も「分かりました」と返事した。それでもひそかに唇を噛む。

 

 

2.イガラシの快投

 五回裏。マウンド上にて、イガラシはひそかに三塁側ベンチを伺っていた。その視線の先には、監督を囲んでミーティングする東実ナインの姿がある。

「さあ、どうする東実」

 ロージンバックを拾い、独り言を言った。

「ここまで積極的に打ちにきてるが、どうも味方同士の意思疎通(いしそつう)が取れてないようだ。それをここで統一してくるか。あるいは作戦を変えて、きのうと同じタマを見てくるか。いずれにしても、後手に回ってることはたしかだぜ」

 ミーティングが散会し、この回の先頭打者・二番竹下が左打席に入った。

「ほう。あの二番、スイッチヒッターだったのか。さっきまでは右だったはずだが」

 そしてネクストバッターズサークルにて、佐野が片膝立ちになる。両眼はヘルメットの影に隠れているが、こっちを睨んでいるようだ。

「さすがに、あの佐野は気づいてるみたいだな」

 そう胸の内につぶやく。

「自分達のチームが今、後手に回っていること。しかし一人でなにができる?」

 やがて、アンパイアが「プレイ!」とコールする。

 竹下はすぐさま、バットを寝かせて構えた。イガラシもほどなく、キャッチャー倉橋とサインを交換し、投球動作へと移る。

 ほぼ真ん中低めに投じられたボールは、打者の手元で曲がり、外へ逃げていく。竹下はヒッティングの構えに切り替え、これをカットした。

 なるほどね……と、イガラシは含み笑いを漏らす。

「きのうの作戦に戻してきたか。おれに球数を投げさせて、疲れさせようと。けど……悪いが、そんなのとっくに想定ずみだぜ」

 二球目。イガラシは速球を、あえてど真ん中に投じた。

「……ま、真ん中だと!?」

 竹下は慌ててバットを振るが、その球威に押される。ガッと鈍い音。サード谷口の正面へ、凡ゴロが転がっていく。

「サード!」

 イガラシの掛け声よりも先に、谷口は流れるようなフィールディングで捕球し、一塁へ素早く送球した。すぐにファースト加藤のミットが鳴る。

「アウト!」

 塁審のコール。イガラシは「キャプテン」と、微笑んで呼びかけた。

「もう足の心配はなさそうですね」

 ああ、と谷口は頼もしく答える。

「おれの心配はいいから。おまえは自分のことに集中……といっても、分かってるか」

「ええ、もちろんです」

 二人は互いに笑顔を交わす。

 そして迎えるは、東実のエースにして三番打者の佐野である。左打席に立ち、やはりバットを寝かせて構える。しかし、その眼差しは鋭い。

「さっきのバッターと雰囲気がちがうな。ひょっとして、佐野だけは好きに打ってくるかも」

 初球。佐野はやはりヒッティングに切り替える。しかしイガラシが投じたのは、真ん中低めのチェンジアップだった。

「……うっ」

 佐野は辛うじて両足で踏んばったが、ボールは手元でさらに沈んだ。懸命のスイングも、バットは空を切る。

「ストライク!」

 アンパイアのコールに、佐野はマウンド上を露骨に睨む。一方、イガラシは涼しげな顔で、倉橋からの返球を受ける。

「打ち気にはやってんのが、バレバレなんだよ」

 続く二球目。今度は外角高めの速球、しかしストライクゾーンから僅かに外す。佐野はたまらず手を出してしまう。

 カキッ。それでも打球は、右中間方向へと伸びていく。

「センター!」

 しかし墨高のセンターは、駿足の島田である。フェンスの数メートル手前でスピードを緩め、こちら向きになって捕球する。最後は余裕があった。

 佐野がベンチに戻ると、チームメイト達が「おしいおしい」「ねらいはよかったぞ」と励ましの声をかける。

「なぐさめは、よしてくれ」

 しかしエースは、そう言って自分のバットを差し出し、軽くコンコンと地面を叩く。それだけで、先端がバキッと斜めに割れて落ちた。

 その時、またも鈍い音。四番小堀の打球が、今度はバックネット方向へ飛んだ。キャッチャー倉橋が数メートル背走し、顔の前で捕球する。

「アウト! スリーアウト、チェンジ」

 アンパイアのコールを聞いて、イガラシはほぼ無表情でベンチへと引き上げる。その背中に「ナイスピーよイガラシ!」「クリーンアップをよく打ち取ったぜ」と、チームメイト達が声を掛けていく。

「たしかに守りはうまくいってる」

 イガラシは胸の内につぶやいた。

「しかし、この流れをかく実なものにするためには……点を取ることだ。球数を投げさせる作戦に切り替えた今、こっちが先にリードすれば、向こうはかなり焦るはずだ」

 

―― グラウンド整備後の六回、なおも投手戦はつづく。

 六回表。墨高はまたも佐野を攻め立てながらも、東実野手陣の好守備に阻まれ、あと一歩のところで得点を奪うことができなかった。

 その裏。イガラシはさらに、圧巻の投球を見せる。なんと五番小堀、六番中井、七番中尾の三人を三者連続三振に仕留めた。

 きのうに続き、両チーム一歩も引かない白熱の展開に、スタンドの盛り上がりは回を追うごとに増していくのである。

 さて、七回表の攻撃前。われらが墨高ナインの陣取る一塁側ベンチでは、ちょっとした騒ぎが起ころうとしていた。

 

 

「……うーむ、もう一歩なんだけどなあ」

 半田は相変わらず、相手エース佐野の観察を続けている。その背中を、チョンチョンと指先でつつく者がいた。

「は、半田。ちょっと」

 囁き声で話しかけられ、半田は「わっ」と声を上げた。振り向くと、そこには鈴木がスコアブックを手に、屈み込んでいる。

「びっくりしたあ。なんだよ鈴木」

 鈴木は、なぜか興奮した様子で「ち……ちょっと、これ」と、半田にスコアブックを差し出す。半田は首を傾げながらも、受け取った。

「いちおう……まちがいがないか、見てくれないか」

「うん、いいけど。でも……今さらかい?」

 半田はイニングごとに丁寧に目を通し、鈴木にスコアブックを返す。

「だいじょうぶ。まちがいは、見当たらないよ。鈴木、すっかり書き方をおぼえたじゃない」

「え、えらいこっちゃ!」

 ふいに鈴木が、素っ頓狂な声を発した。

「な……なんだよ」

 半田は両耳をふさぎ、目を×の形にして言った。

「当たってるなら、それでいいじゃないか」

「いーや、これはほんとにえらいこっちゃ。いいか半田、聞いておどろくなよ」

 そう言って、鈴木はネクストバッターズサークルに屈む、イガラシをこっそり指差す。

「い、イガラシがな……」

「うん。イガラシくん、いいピッチングしてるよね。それがどうかしたの?」

 鈴木は目を見開き、もったいぶって答える。

「あ、あいつ……まだ、ノーヒットなんだよ」

「えっ。そりゃ、ここまで全打席敬遠されてるし」

「ちがうんだ! ピッチングの方だよ」

 半田は最初「えっ」と、小さく声を発した。そしてまた、今度は「えーっ!」と大声を上げる。その声に、ベンチの他のナイン達が、一斉に振り向いた。

「なんだよ二人とも」

 この日は欠場の井口が尋ねる。横井も「どうした」と言葉を重ねる。

「なにか二人でこそこそ話してたが。もしや、佐野の攻りゃく法でも見つかったのか?」

「いいえ、そんなしょーもないことじゃありません」

 鈴木が不用意に答えかける。

「イガラシのやつが、ここまでノーヒ……」

 慌てて半田が、鈴木の口を両手で封じる。

「ん-、ん-!」

「は、はい。見つかったと思ったんですけど、ちょっとカン違いだったみたいで」

 横井は「なんでえ」と、溜息混じりに言った。

「佐野のやつしぶとくて、なかなかくずれてくれねえから、もう一つ手がかりがあると助かるんだが……」

「すみません、がんばって見つけますね。フフフ」

 半田はそう言って、モガモガと妙な声を出している、鈴木の口から手を離した。

「な、なにすんだよ半田!」

「なにすんだ、じゃないよ鈴木。イガラシくんがノーヒットノーランをやりそうだなんて知ったら、みんな動きがカチンコチンになっちゃうかもしれないじゃないか。この大事な時に!」

「……わ、分かったよ」

 ようやく鈴木も納得して、再びスコアブックを付ける用意をした。

 

 

3.勝利の鍵を握る者

 七回表。この回の先頭打者は、またも四番谷口である。打席へ向かおうとしたその背中に、またもイガラシが「キャプテン!」と呼びかける。

「む、どうした?」

 振り向くと、いつになく真剣な表情だ。

「ひとつ頼みがあるんですけど……」

 彼にしては低姿勢な物の言い方である。

「なんだよ、もったいぶっちゃって」

「ここは一発、ねらってみませんか?」

 えっ、と谷口は小さく声を上げた。

「あの佐野相手にか? そりゃ、ちょっとムチャじゃないか。半田が見つけた投球パターンも、こっちが読んでることを知られてしまったし」

「だからこそ、ですよ」

 イガラシは引き下がらない。

「ここまで……ぼくらはチャンスを作りながら、あと一本が出ませんよね」

「ああ、そうだな」

「やはり佐野クラスの投手になると、ピンチの切り抜け方というのは心得てるんです。でもピンチを招いているということは……ランナーがきていない時、けっこう打ちやすいタマがきてるってことじゃありませんか」

 その言葉に、谷口はハッとする。

「なるほど。それで先頭打者のおれが、一発ねらうというわけか」

「ええ……それと、もう一つ」

 イガラシは、ふいにニヤッとした。

「やつらはキャプテンがケガしてるからと、ピンチを作ってもキャプテンでおさえるような守り方をしてきてますよね。そこで……まさかの一発を喰らったら、やつらまちがいなく混乱しますよ」

「たしかに。おれのケガのせいで、とくにきのうは、ずいぶん迷惑をかけちまったものな」

「でも……こうして、また復活してきたじゃありませんか」

 珍しく、イガラシが穏やかな笑みを浮かべた。

「そのキャプテンが打てば、一気に流れがうちに傾くはずです」

「ハハ、なんだかくすぐったいな」

 谷口は少し照れながらも、最後は真剣な表情でうなずく。

「……分かった、やってみる」

 そう言ってキャプテンは踵を返し、打席へと向かった。

 

 

 マウンド上。右打席に入ってきた谷口の姿に、佐野は「四番からか」とつぶやく。

「ほんらいは危険なバッターだが、まだケガは完治してない。それにこいつを歩かせると、ランナーを置いてイガラシをむかえちまう。やはり、どうにかおさえるしかねえ」

 初球。キャッチャー村野は、内角低めのカーブを要求した。

佐野はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。指先から投じられたカーブは、大きな弧を描くも、僅かにストライクコースから外れた。

 ちぇっ、と佐野は舌打ちする。

「もうびみょうなコントロールがきかなくなってきたな。ただボールになってくれたのは、ラッキーだ。甘く入ると、こいつには一発がある」

 二球目。村野は、今度は外角高めの速球を要求した。

「なるほど……わざと、左足を踏み込ませようってんだな。たしかにそれなら、足首をケガしている今の谷口なら、ほんらいのスイングはできまい」

 佐野はサインにうなずくと、ロージンバックを拾い、しばし間合いを取る。

「せいぜいミートがやっとだろう。悪くしても、長打はない」

 やがてロージンバックを放り、二球目の投球動作を始めた。右足を踏み込み、グラブを突き出し、村野のミットの構える外角高めへボールを放つ。

「……くわっ!!」

 谷口は雄叫びを上げたかと思うと、怪我しているはずの左足を強く踏み込んできた。

「な、なにいっ」

 佐野は驚いて目を見開く。

 谷口はそのまま腰を鋭く回転させ、バットの芯でボールを引っぱたく。パキィンと、まるでボールが破裂するような音がした。

「せ、センター!」

 打球は、センターのバックスクリーンへ一直線に伸びていく。東実のセンター熊井は、十数メートルほど背走するも、途中で立ち止まる。

 バアァンと、凄まじい音が響いた。その直後、ボールの確認に走っていた二塁塁審が、右手を掲げぐるぐると回す。

 ついに均衡が破れた。バックスクリーンに飛び込む、キャプテン谷口のソロホームラン。甲子園出場へ向けて、墨高がついに待望の一点を奪う。

「や、やったぁ!!」

 一塁ベースを回ったところで、谷口は右こぶしを高く高く突き上げる。それと同時に、一塁側ベンチより、墨高ナインが何人も飛び出してきた。塁審が慌てて「これ、ベンチに戻りなさい」と注意する。

「す……すげえや、キャプテン!」

 半分涙声で、丸井が叫ぶ。

「ハハ、なんてえ男だよ」

 吐息混じりに言ったのは、倉橋だ。

「ようし。このまま一気に、たたみかけるぞ!」

 横井が周囲を見回し、ナイン全員を鼓舞した。

 

 

 一塁側スタンド。谷口夫妻は同時に立ち上がり、目を丸くした。

「ほ、ホームラン? あの……うちのタカが!?」

 母は呆然として、目を丸くした。

「いよーっ、やったぜタカ! よっニッポンいちぃ!!」

 一方、父は威勢よく叫ぶ。そして二人は向かい合い、手を取り合う。

「あ、アンタ……」

「やったな母ちゃん」

 二人はしばし「やった、やった、やった!」と小踊りした。その目には涙が光る。

 

 

「お、おい見たかよヤロウども!」

 応援席前列で、墨高野球部OBの田所は大声を上げた。

「さすが谷口だ。ここぞという時には、やる男だぜ」

「よく言いますよ先輩」

 後輩の中山が、呆れ顔で言い返す。

「谷口に打席が回るたびに、『ムリに打たなくていい』とか『また野球ができなくなるぞ』とか、しょっちゅう弱音を吐いてたくせに」

「い、いいじゃねえかよ。今さら」

 田所は、少し顔を赤らめる。

「きのうのやつを見てたら、まさかホームランを打つなんて誰が思うかよ」

「ちぇっ、都合のいいことで」

 山本がグチをこぼす。

「おれらが同じことを言ったら、すぐ『だまって応援しろ』なんて怒鳴ってたくせによ」

「わ、悪かったな!」

 一応謝った後、田所は「でもよ」と付け加える。

「そんなこと言って……おまえらだって、うれしいだろ?」

 先輩の言葉に、中山達は「そ、そりゃあ」と互いに顔を見合わせ、ニヤける。

「バンザーイ!!」

おもむろに長身の山口が、音頭を取る。それに合わせ、OB達は万歳三唱を始めた。

「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ! って……あり?」

 中山が下を見ると、耳元で叫ばれたせいだろう、田所は両耳を押さえ地面に転がっている。

 

 

「……や、やられた」

 マウンド上。佐野は両膝をつきそうになるのを、辛うじてこらえる。

「完全におれのミスだ。ケガしてるから長打はないなんて、考えが甘かった。こういう時こそ力を出してくるのが、谷口という男なんだ」

 おもむろに、佐野は右手を広げてみた。それを、ゆっくりと握り込む。フフ……と、自嘲的な笑みが浮かぶ。

「ちとマズイな。もう、握力が残ってねえ……」

 その時、アンパイアの「プレイ!」というコールが聞こえた。眼前では、すでにイガラシが右打席に立ち、こちらに獲物を狙うような鋭い視線を向けている。

「……歩かせたいところだが」

 孤高のエースは、ひそかにつぶやく。

「いまのおれの力じゃ、後続のバッターにつるべ打ちにあうのがオチだ。それなら、せめてあのイガラシを打ち取り、もう一度流れを引き戻すんだ」

 悲壮感の漂う表情で、佐野は決意する。

 

 

「……勝負するしか、ないようだな」

 ホームベース奥に屈み、村野は一人つぶやいた。

「ここは歩かせようといったところで、聞く男じゃないし。それに……いま墨谷は勢いに乗ってる。やつを歩かせたところで、その勢いが止まるわけじゃねえ」

 傍らで、イガラシはすでにバットを構えている。まるで力感のない様子だ。それがかえって、不気味でもある。

「しかしこいつ、なにをねらってやがるんだ」

 初球。内角低めに投じられたカーブを、イガラシは悠然と見送った。ストライクの判定だったが、まるで表情を変えない。

「く……こいつ、なにを考えてやがる」

 村野はつい、苛立ってしまう。

 二球目。今度は外角低めの速球を、僅かに外す。イガラシはこれにも手を出さず。カウントは、ワンエンドワンとなった。

「ヤロウ。佐野のボールがいまどれくらいか、じっくり観察してるってか。うち相手に、余裕をこきやがって!!」

 そして三球目。村野はわざと真ん中に、シュートを要求した。

「こいつで引っかけさせてやる!」

 佐野はうなずき、すぐに投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。

「……しまった!」

 佐野の投じたシュートは、しかしキレなくほとんど曲がらない。イガラシはこれを待っていたかのように、フルスイングする。

 パシッ。今度は、右中間を大飛球が襲う。

「ライト! い、いや……センター!!」

 叫ぶ村野。背走する熊井と竹下。だが二人とも、フェンスまで十数メートルの距離を残し、立ち止まる。

打球はそのまま、大観衆のひしめく右中間スタンドへ吸い込まれていった。

―― ワアアァ!!

 大歓声が、まるで唸るようにスタンド内を響き渡る。その間、スコアボードの墨谷の得点を示す枠が、「1」から「2」へと差し替えられた。

 二者連続ホームラン。墨高のリードは、二点へと広がる。

 

 

「……フフ。やっぱり、やられたか」

 イガラシのホームインを見届け、佐野はかすかに笑った。その周囲に、東実内野陣が集まってくる。

「すまねえな、みんな」

 佐野は開口一番、チームメイト達に詫びた。

「この大事な場面で、踏んばることができなくてよ」

「バカ、なに言ってんだ」

 二塁手の三嶋が、佐野の小さな背中を叩く。

「おまえはここまで、ほんとによく投げてきたよ。一点……いやヒット一本すら打ってない、おれ達の責任だ。だから自分を責めるな」

 佐野は無言でうなずく。そして「村野」と、相棒を呼んだ。

「すまんが監督と倉田に、交代を伝えてきてくれ。どうやら……もう握力が限界らしい」

「……そうか」

 村野は短く返事して、一人ベンチへと向かう。その背中に、無念さが漂う。

 ほどなくマウンドには、佐野に代わり一年生の倉田が上がった。そしてライトの竹下がファーストへ、ファーストの中尾がベンチに下がる。

 そして佐野は、竹下の守っていたライトへ向かった。その背中に、両チームの応援団から大きな拍手が贈られた。

 

 

「まさか二点取って、佐野をマウンドから降ろせるとはな」

 マスクを被り、倉橋はホームベース奥に屈み込む。

「だが、まだ安心はできん。東実なら二点は射程内(しゃていない)だ」

 ほどなくこの回先頭の二番竹下が、今度は右打席に入ってくる。

「フフ。スイッチヒッターなだけあって、左へ行ったり右に来たりと、忙しいね」

 そして七回裏が始まった。倉橋はすぐに、イガラシとサインを交換する。

「……ちょいと、試してみるか」

 初球。倉橋はわざと、外角低めのボール球を要求した。イガラシはうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じる。

 竹下のバットが回る。ボール二個分外した、明らかなボール球。しかしそれを、打者は空振りした。

「やっぱりね」

 内心ニヤッとして、イガラシに返球する。

「さっきまでじっくりボールを見にきてたのを、二点分打って返さなきゃいけなくなったもんだから、焦ってやがる」

 二球目。今度は内角低めに、落ちるシュートを投じた。ガッと鈍い音。イガラシが左へ数歩移動して捕球し、素早く一塁へ送球する。

「アウト!」

 塁審のコールに、三塁側スタンドから「ああ」と大きな溜息が漏れる。

「フン。ボール球に手を出しちゃ、打てるわけねーよ」

 ワンアウトランナーなし。この場面で回ってきたのは、先ほど降板したばかりの三番佐野だった。投球による疲労の影響か、まだ肩で息をしている。

「ようし……佐野もさっさと片づけて、やつらをますます気落ちさせてやるか」

 倉橋はそう意気込んだ。

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